【番外】高屋敷誉はすごいと思う(by梁田先生)
――俺がそのアルバムを見つけたのは、数学準備室の掃除をしていた時だった。
懐かしいなと思い手に取ると、はらりと一枚の写真が落ちてきた。そこに写っているのは一昨年の卒業式の一風景だった。思えば、近年稀に見る黄金世代だったと感じる。
その中に写っている高屋敷誉の姿に、俺は思わず微笑を浮かべた。
それから静かにまぶたを伏せた。
あれは高屋敷誉が、中等部三年だった一昨年の記憶だ。
この?生学園には、学食――というか、レストランが併設されている。
中小企業が実家の俺からしてみれば、この学園以外では、結婚式の披露宴で行くか行かないかといった豪華さだ。教職員席で、その日俺は信玄どりのローストを食べながら、エントランスを一瞥した。
いつもの事なのだが、ローズ・クォーツの錚々たるメンバーが入ってくると、学食は感嘆と畏怖、憧憬の息で静まり返る。歩いていたものは立ち止まり、皆それとなく道を譲る。その中央を颯爽とメンバーを引き連れ微笑を湛えて歩いてくるのは、高屋敷誉だ。中等部のローズ・クォーツの会長は存沼雅樹だが、彼は有栖川という生徒と昼食をとると言って顔を出さない。
俺は思わず見惚れそうになった。その荘厳な空気に飲まれそうになる。
――高屋敷誉ほど、制服を完璧に着こなしている生徒を俺は知らない。
きちっと着ているのに、溢れ出す気品のせいなのか、すごく上品に見えて似合っている。元々この学園の制服には人気がある。だがここ数年はその人気がさらに高まっている。理由の一つは、『高屋敷誉のように着たいから』である。皆、高屋敷誉に憧れているのだ。
実際、高屋敷誉はすごいと思う。
チョコレート色のサラサラの髪は、天然の代物だ。初等部の頃からそうだった。当時担任をしていた俺が言うのだから間違いない。教職員も、高屋敷誉のクラス担任に憧れを持つ者は多い。色は透き通るように白いが、健康的だ。砂川院三葉の病的な白さとは違う。二次性徴後は、本当に王子様然としていて、威厳もこれまで以上に伴うようになった。あのスラっとした体躯、完璧なスタイルの良さには、俺でさえ目を瞠ってしまう。
そして高屋敷誉は、いつも意味深な微笑を浮かべている。一見すれば柔和だから皆が見惚れる。物腰も大変穏やかで洗練されている。
おそらく高屋敷家の血筋なのだろう。彼の父親を授業参観で見たことがあるが、そっくりだった。彼の父親も何を考えているのかわからない意味深な微笑を浮かべていたものである。
高屋敷家といえば、日本屈指の名家だ。
特に人脈という意味では、存沼家や砂川院家の追従すら許さない。
あの日本滅亡を引き起こせるとされる二つの家でさえ、高屋敷家には一目払っているというのは公然の秘密だ。また高屋敷家が経営する菓子メーカーは、誰だって一度は食べたことがあるだろう。いや耳にしたことがあるが正解か。この学園の生徒は、スナック菓子などといったものは口にしたこともあるのか怪しい。
俺はそんな高屋敷誉が初等部五・六年次、担任をしていた。
その頃から、高屋敷誉には、一歩後ろを歩く取り巻きが存在したものである。
堂々とローズ・クォーツの専用席に歩いていく高屋敷誉を俺は見守った。
まさか俺は中等部に移動するとは思っていなかったし、そこでも高屋敷誉に授業で関わることになるとは考えていなかった。
高屋敷誉は基本的に勉強ができる。
授業態度も、生徒の見本のようだ。
真摯な態度で授業に臨み、時に物憂げな表情をする。
さすがはローズ・クォーツのメンバーだと職員室でも賞賛の声が絶えない。お
そらく教えている俺よりも数学ができるのだが、そんな俺を馬鹿にすることもない。そう、偉ぶった態度は決して取らないのだ。ただいつも意味深な笑みを浮かべているだけで……。
本当に勉強面では余裕そうだ。張り出される成績順位など、一度も見に来たことはない。偶然通りかかったりすれば、悠然と笑うだけだ。その成績順位表に名前が載るだけでも本当にすごいことだ。実際ローズ・クォーツのメンバーは、基本的に勉強などしない生徒が多いからその順位は目立つ。しかも高屋敷誉は、定期試験において真の実力を発揮したりはしない。おそらく一応家柄では上の存沼と砂川院に譲っているのだろう。体育祭でもそうだった。手を抜いているのだ。汗一つかかないのがその証拠だろう。
――なぜ本気を出さないのか。まぁ本気を出すとむしろ怖いのだが。これは職員室でよくのぼる話題の一つだ。しかしやる時はやる。さすがはローズ・クォーツの顔だ。
ちなみに中等部一年の時には、あの存沼と西園寺の間に入ったこともある。
「まぁまぁ、二人とも」
すごい剣幕で、俺も含めた皆が存沼と西園寺の口論を見守っていた時のことだった。
大変穏やかな声がそこに響いたのだ。
しかしその場は別の意味で凍りついた。
皆が、恐る恐る高屋敷誉を見た。そして硬直した。
そこには、絶対零度の暗黒微笑を湛えた高屋敷誉が、やはり立っていた。
わずかに小首をかしげたあと、更に怖すぎる満面の笑みを浮かべ、高屋敷誉は続けた。
「満園先輩はピアスを外したし、もう問題はないんじゃないかな? 僕は、外して帰っていくのを見送ったよ」
あの存沼と西園寺ですら凍りついていた。その場で笑っていられるのは、当然高屋敷誉だけだった。その目が語っていた。
――僕に逆らったら、どうなるかわかっているよね?
誰もが動けない。ゾクリと俺の背筋にも怖気が這い上がってきた。本気を出した高屋敷誉には、何をされるかわからない。それが?生中の共通認識だった。
そんな高屋敷誉には、あの誰にも傅かない存沼ですら一目置いている。勿論、誰にも、そう存沼にさえも屈しない西園寺ですら遠慮しているのが分かる。流石はローズ・クォーツの人間だ。いや、高屋敷誉だからだ。その場の喧騒を収めた高屋敷誉はといえば、相も変わらず余裕たっぷりに微笑を湛えているだけだったものである。
ちなみにこの騒動の後、存沼と西園寺が高屋敷に惚れているという噂が流れた。
男子校の悲しいサガだ。
しかし高屋敷誉には動じた様子がない。教職員にすら葉月が情報屋だという話は流れてきている。その葉月が取り巻きの一人なのだから噂を知らないはずはない。その事実も手伝って、高屋敷誉を敵に回せば、?生生活は終焉を迎えるという噂もまた激化した。西園寺はともかく、存沼に逆らえばそれこそ終わる。存沼財閥に無関係の会社は少ない。
だが高屋敷誉は、そんな二人をかぐや姫のように袖にしている。
それからだった。
これが高屋敷誉が、?生のかぐや姫と呼ばれるようになった所以だ。
――余裕そうな、困っているような、憂いているような、そんな意味深な微笑で、二人を袖にしているからだ。その姿まさしく無理難題を突きつけて求愛を断るかぐや姫そのものだった。
そのあだ名は、学園祭の劇で拍車がかかった。別の意味で。
シンデレラ姿が美しすぎたのだ。
ちなみに高屋敷誉の取り合いには、その後生徒会長の砂川院和泉も参戦することになる。
今度は西園寺と和泉の口論を廊下で止めたからだ。
もはやこの件を機に、西園寺が高屋敷誉を好きだという噂はピークに達した。存沼に恋人ができたという噂がたったからかもしれない。
だがそれはフェイクだと皆が話している。なぜならば、高屋敷誉が余裕の笑みで、存沼の恋人だとされる有栖川に接しているからだ。あの存沼さえ手玉に取っているようで、自分のことが好きだから、ちょっとした火遊びくらい許してやるという顔をしているのだ。完全に掌で転がしている。
さて俺には悩みがあった。
俺に付きまとってくる生徒がいたのだ。
本当に男子校の悲しいサガだ。
そこへ現れたのも、高屋敷誉だった。俺はまさか、至近距離で絶対零度――その場の全てを凍りつかせる、背後に闇に突き落とされそうな気配をまとった微笑……生徒いわく暗黒微笑を見る日が来るとは思ってもいなかった。高屋敷誉から絶対零度の暗黒微笑を引き出してしまうというのは、基本的に『終わった』ということである。
ある意味人生の終焉だ。何をされるのか、何が待ち構えているのか、分からないがそこに待つのは暗黒に照らし出された旅路であるのは間違いようもない。あるいは騒動の引き金になった俺すら処罰されるかもしれなかった。誰が処罰を下すのかは明らかだ。取り巻き連中ならば、生徒だからまだましだ。高屋敷誉は、あの高屋敷家の人間なのだ。俺は色々な意味で泣きながら感謝した。幸いなことに、俺には柔和な微笑を高屋敷誉が浮かべた。ああ、救われたと思った。
もうこの頃には、?生内の揉め事は、風紀委員ではなく高屋敷誉が解決するようになっていた。なぜならば、揉め事を唯一収められる西園寺は存沼と和泉との、高屋敷誉をめぐる恋愛戦争で手いっぱいだったからだ。
しかし高屋敷誉の本命は砂川院三葉だという噂が根強い。
ペンダントトップの謎(ミツバ事件)以来の事なのだが。
他には、『オツカレ事件』もある。なんと高屋敷誉の肩を、あの高屋敷誉の肩を、満園豊が気軽に叩いたという事件があったらしい。満園もいきなり高屋敷家のパーティに呼ばれるようになったらしいからな。
そんな高屋敷誉が中等部を卒業した時は、学園中に悲しみの嵐が吹き荒れた。
たかが隣の校舎に移るだけなのに、だ。ただしこの学園創立以来の花束の嵐が起きたのは壮観だった。花に囲まれた高屋敷誉は王子様然としていた。もう姫ではない。
写真を撮ったのはこの時だ。
――そんな高屋敷誉が存沼と付き合い始めたと聞いた際には、誰もが納得したものである。
ついに存沼が高屋敷誉の心を射止めたのか。誰しもがそう思ったことだろう。
途中から和泉はリタイア気味だったし(冬休みのスノーボードを口実にした逢引をやめていたという話だ)、西園寺と三葉の様子は実況中継されたしな。株の変動には俺もどきりとしたものだ。我が家のような中小企業の株も入っていたのである。
ああ、俺は思う。存沼が、あの誰にも傅かない存沼が相手だが、在沼が尻に敷かれる未来しか思い浮かばない。
まぁ当人たちが幸せならばいいかと、写真を挟んで俺はアルバムを閉じた。