【番外】在沼と同棲(前)
さてその後の将来、俺と在沼は持ち上がりで付属の大学へと行くことになった。
前世知識では聞いたこともない大学ではあるが、その偏差値の高さと言ったらなかったものである。死に物狂いで勉強したこれまでが懐かしい。
合格発表の日など、泣いてしまいそうになった。
やんわりと父に、どうして経営を学ばないんだい? と聞かれたが適当に流しておいた。
俺はやはり不安は微塵も残さすフラグをへし折り続けるためにも、官僚になるのだ。そして在沼は本気で政治家になるつもりなのだろう。ふたり揃って同じ学部の学科に決まった。
きっと三年前までだったら、俺は、付いてくるな鬱陶しいと思っていたと思う。
だが今は、二人での新生活が、わずかに楽しみだ。
そう――新生活。
なんとこの春から、俺は在沼と二人でひとつのマンションに住むのだ。
在沼が三葉の例を挙げ、さらにはほかの学生と馴染むためにも、と、在沼父および俺の父の前で大演説した結果である。遠くでそれを見守っていた西園寺が、後で「同棲か?」と言ってきたが、断じて違う。これはただの同居である。少なくとも表向きはな!
内心ではもちろん、俺だってもちろん、同棲だと思っている。
これからは二人だけなのだ。なんなのだろうこの開放感。胸が暖かさで満ちてくる。
ちなみに俺たちの住む場所は、俺の前世知識で言うところの億ションだ。
マンションの最上階にあり、夜景がよく見える。
とにかく広くて何部屋もある。
だから俺たちはそれぞれ私室を持っているのだが――当然のように、寝室、という場がある。それがちょっとだけ恥ずかしい。誰かが来たら、来客用だと説明しようと心に決めている。
俺と在沼がそれぞれ荷物を運び終え整理しおわった時、時計が八時を指した。
引越しそばを食べたのは午後三時頃である。
事前に冷蔵庫の中身などは、初回ということもあり、持たされたものやお手伝いさんたちの気遣いで用意されたもので溢れている。もう火も使える。
「何か食べる?」
俺が聞くと、在沼が立ち上がってから頷いた。
「そうだな。引越しの夜庶民は、カレーを食べる家が多いと調べた。手間がかからないかららしい。誉の好物だし、ちょうどいいな」
「え、あ、うん」
確かに、確かに俺は、カレーが大好きだ。しかし在沼に、こんなふうに満面の笑みで断言されるほど好きというわけでもないのだ。
「手伝うよ」
多分手伝いなど不要だとは思ったが、一応形だけでもと思い、俺は歩み寄った。
そして案の定在沼に首を振られた。
「誉の手を荒れさせたくないから、極力水仕事は俺に任せてくれ」
「――え?」
それは要するに、食器洗浄機はあるにしろ、そのまえに皿をすすいだりするだろう作業も含め、全て在沼がやるという意思表示か? なんだと?
「待ってよ、一緒に暮らすんだから僕だって」
「ダメだ」
在沼にはとりつくしまがない。思わずため息をこぼした時、俺はふと、新品のゴム手袋を見つけた。これでいいではないか。俺は咄嗟にその封を切り、ぴちっと手にはめた。
「これなら手は荒れないよ」
そもそも男が手荒れをいちいち気にするってどうなんだよ。それも他人の手をだ。
「……悪くないな……ただ別に、本当に座っていろ。疲れているだろう?」
「それはマキくんも一緒でしょ?」
俺はじゃがいもとピーラーを手にとった。華麗に包丁で、在沼がジャガイモの皮をきれいに向いているのは知らないふりをする。いいのだ。ともに作ることに意義があるのだ。
「お皿洗いもこれをつけてすればいいでしょう? 手伝わせて。その、なんていうかさ、僕たち二人の家なんだから」
つとめてにこやかに告げると、在沼が前を見たまま頷いた。その耳の後ろがうっすらとピンク色になっているのを俺は見逃さなかった。在沼は照れている。それが可愛かった。
それからカレーを食べつつ、俺たちは話し合った。
ゴミの日はいつだ、可燃と不燃の違いは? 俺でさえ曖昧だったのだが、さすがは在沼調べ上げてきていた。本当にこういうところは心強い。それからゴミ出し当番などを決めた。部屋の掃除は、一緒にやることにした。目立つ汚れに関しては気づいた方がやる。
なかなか順調な滑り出しだと思う。
これから俺たちは、自分たちできちんと起床し、朝食を作って食べて、一緒に大学へと行くのだ。必修も含めて、俺と在沼の講義はほぼ同じだ。
ちなみに三葉くんは経済学部にいる。株の道に進んでいくのだろう。西園寺はもはや身分を隠すこともないようで、堂々と付属大学院の研究室に入り浸っている。特別受講生だったか。忘れてしまった。和泉はNY支店の経営のことも理由の一つなのだろう、海外に留学してしまった。これが一番俺にとっては寂しい。まぁ会おうと思えばいつでも会えると、最後に和泉が笑っていたから、俺も頷いておいた。和泉の卒業と同時にエドさんはあっさりと英語の先生をやめて、やはりNYにいった。大丈夫だろうか。
まぁこのようにして、俺たちの大学生活は始まったのである。