【番外】在沼と同棲(後)




最近在沼は、スーパーの存在を覚えた。もちろんそれとなく教えたのは俺だ。
コンビニについてもおしえたが、こちらは在沼側でも既にリサーチ済みだったらしい。在沼は一体何をリサーチしてきたのだろうか。たまに俺はそれが気になる。
紙袋に品を入れてもらい、今日は二人で夜道を歩く。
大きな丸い月が出ていた。
マンション周辺に植えてある背の高い木々の影が、車道を黒く染めている。
在沼の一歩後ろを歩いていた俺は、不意に在沼が立ち止まったため、首をかしげた。

「マキくん、どうしたの?」
「誉、これをみてくれ」

言われる前に、俺はそれを視界に入れて息をのんでいた。
親猫が一匹、子猫が一匹。
しかしその親ねこのあしにはひどいケガがあって、一瞥しただけでもう死んでしまっていると判断できた。だが、そのことが子猫にはわからないのだろう。まだ手のひらサイズの子猫は、必死に母猫のお腹に顔を埋めようとしている。出ないミルクを求めているだけじゃない。多分無くなってしまったぬくもりの行方を探しているのだ。

「このままでは子猫も死んでしまうな」

ポツリと在沼がつぶやいた。俺は気づけば膝を折っていて、手のひらの上に子猫を載せていた。ほうっておけない。思わず悲しみもこもったため息が漏れたとき、在沼が、それまで俺が持っていた荷物に手を伸ばした。

「連れて帰るぞ」
「え、いいの?」
「ペットは可だと聞いている」

このようにして、俺達は猫をその日家に招いた。
――以来、我が家には家族が一人増えたのである。

「まさかマキくんが猫好きだなんて思ってなかった」

犬派だとおもっていたのである、正直。しかし専用のスポイトでミルクを真剣な顔で上げている在沼は、まるで本当の親のようだ。

「猫好きはお前だろう?」
「うん、僕は好きだけど」
「お前が好きだから、俺も猫について勉強したことがあるんだよ」
「へぇ」

猫についての勉強がなんなのかはよくわからなかったが、在沼は実に手際良かった。
まだ空いていたらしいペットショップに一人で出向き、必要なものを一式揃えて帰ってきたのは、先ほどのことである。

真っ黒い子猫の毛はふわふわで、すごく脆そうに見える。
目は空いているが、生後一ヶ月くらいなのではないかと思う。
体を丸めている姿なんかを見ると、そう、もうなんというか――

「まっくろくろすけ」
「誉?」
「ううん、ごめん、なんでもないよ」
「――あの、まっくろくろすけとやらは、煤なんだろう?」
「え? 多分」
「じゃあススでいいか」
「何が?」
「名前だ」

こうして我らが愛猫の名前は決まった。命名ススである。
以来俺と在沼が二人でベッドで眠る頻度は激減した。二人と一匹で眠るのだ。俺たちの間で丸くなるぬくもり。本当に癒される。ススは本当にいい子で、在沼の鬼のしつけにも耐え、トイレの粗相はせず、餌は適量を食べる、スマートな猫となっていった。メスで、しなやかな体つきをしている。目の色は緑色だ。俺はススを溺愛している自信がある。しかしやつには負けるだろう。在沼はもうススにぞっこんだ。以前はよく俺に土産だと言って謎の骨董品を買ってきて正直困惑していたのだが、それがまたたびや玩具にかわったのだ。骨董品類はちなみに棚の奥で眠っている。俺には骨董屋さんになる気はないのだかからな! 古代の叡智に興味はないのだ。
ただ――微笑ましいのだが、ちょっと寂しい。
大学では相変わらず在沼は人に囲まれているため、その横に笑って立っているくらいしか出来ない。そして家に帰ってきても、在沼はススまっしぐらだ。目に見えて、俺と在沼の二人だけの時間というものが消失した。たまに最初の頃の、不安だらけだったけれどそれも楽しかった同棲初期に戻りたくなる。

在沼に意地悪く囁かれたのは、その日の夜のことだった。

「誉」
「何?」
「お前、ススに嫉妬してただろ?」
「別に……あ、バレちゃった? あんな美女捕まえてさ、在沼も隅に置けないね」

反射的に否定しそうになってから、慌てて言葉を変えた。
条件反射的に否定してしまったら、認めていると訴えているようでなんだか恥ずかしかったのだ。

「少しは俺の気持ちがわかったか、誉」
「どういう意味?」
「大学でだ」
「え?」
「いつも囲まれているお前のとなりで、俺がどれだけ嫉妬しているか」
「な……囲まれてるのはマキくんでしょう?」
「お前だ」
「マキくんだよ」

しばらくそんなやりとりをした。それから在沼が腕を伸ばしてきたから、俺はその胸の中に収まる。ギュッと抱きしめられると、なんだかそれだけが全てで、ほかはどうでも良いことのように思えてきてしまうから不思議だ。
それから顎に触れられ、上を向かせられる。僕が静かに目を伏せた直後、柔らかな優しい感触がした。小さく口を開けて在沼の舌を誘う。それから僕たちは貪り合うようなキスをした。どちらともなく吐息が上がってから顔を話す。唾液が線を引いていた。

「誉と一緒にいられるだけで幸せだと俺は思ってた」
「僕は幸せだよ」
「だけど今はそれだけじゃ足りない。誉のすべてが俺は欲しい」
「え?」
「誉の愛が俺は欲しい」
「僕の愛って見えにくい?」
「いいや」
「じゃあ足りない?」
「どうだろうな」

在沼はそんなわけのわからないことを言うと、くすくすと笑い始めた。
だからつられて僕も笑った。
ただ、こんな生活が、決して僕は嫌いじゃなかったんだったりする。