高屋敷誉攻略事件(by砂川院和泉)




「和泉」

珍しく在沼に呼び止められた俺は、だるいなと思いながら立ち止まった。
俺は今急いでいる。早く俺の大切(?)な兄から、女装野郎を引き離さなければならないからだ。叔父の楓からの指令でもある。年明け早々、三葉は再び学校に来なくなった。ああ……あの鬼畜に監禁でもされていたらどうしよう。俺には立ち打つすべがない。単体で見れば西園寺はそう悪い奴だとは思わない。だが、三葉が絡むとなれば話は別だ。だから放課後の現在、俺は三葉と西園寺が同棲している家へと向かおうとしているのだ。

「どうしたんだ?」
「俺は――……下手なんだろうか」
「は?」

何が? 在沼ほどなんでもできる人間など、三葉と西園寺と誉くらいのものである。
誉といえば、まだ今年に入って一度も会話をしていない。
俺の大親友だ。ただしちょっと普段は近寄りがたいものである。
今日も遠目に見たが、流石は”?生のモーゼ”と呼ばれるだけあって、通るたびに海の波のように生徒が廊下の端に見事に避けた。その中央を微笑をたたえて歩く誉、後ろに続くローズ・クォーツメンバー。昼食時の日常行事となりつつある。その姿正しく、杖を掲げて民を導く指導者だ。まだ俺たちは一年生なのだが、誉はすでにローズ・クォーツを掌握している。そんなことは、在沼でも不可能だ。誉だからなのか、流石は高屋敷家の人間だからなのか。俺は前者だと思っている。
それにしても、高屋敷家はすごい。学校は社会の縮図というが、本当なのかも知れない。
なにせ我が砂川院家は、度々在沼家と比較されるわけだが、正直一騎打ちしたら勝てる可能性は結構ある。だが高屋敷家には瞬殺されるだろう。在沼家ならばせいぜい、株の買収でもしてくるのだろうが、高屋敷家の場合、砂川院の主要取引先の多くに手を回し、取引中止――すなわち企業としての砂川院を抹殺できるし、華族関連の行事にも村八分状態を引き起こせるはずなのだから。本当、誉が誉で良かった。俺の代は、三葉が余計なことをしなければ、安泰だ。やっぱり一人が抜きでているよりも、数の力は大きい。どころか誉の場合は、誉も抜きでているのだからすごい。

「――聴いてるのか?」
「あ、悪い。なんだって?」
「だから、俺は下手なのかと思って、恥を忍んで聞いたんだ」
「何が?」
「SEX」
「ぶ」

在沼の言葉に俺は吹いた。目の前には獅子のような在沼の顔があるが、威圧感よりもその内容に俺は衝撃を受けた。確かにいま人気はないし、在沼はそれを確かめて俺に声をかけたのだろうが、少なくとも玄関で立ち話をする内容じゃない。軽い猥談の枠を超えている気がした。

「――三葉の家に行く途中なんだけど、乗るか? 中で聞くから」
「ああ」

頷いて在沼がついてきた。
後部座席に乗り、走り出した車の中で在沼を見る。すると不機嫌そうに腕を組んでいた。正直言って俺でも時折怖い。よくこんな在沼の隣に、誉はいられるな。

「で、どういうことだよ?」
「冬休み中、お前らとたてた計画どおり、誉を押し倒したんだ」
「……いや、俺はたててないから。巻き込むな。それにしても……お前本当計画好きだよな。で? まさか無理やりじゃないだろうな?」
「ああ。お前に念押しされたとおり、きちんと同意を得た」

その言葉に、心の中で俺は安堵した。
実は年末に、ひと騒動あったのである。しかしまさか仲の良い誉からではなく、在沼から先に報告を受けるとは思いもしなかった。
そうこれは――在沼の手による高屋敷誉攻略計画に巻き込まれている俺の記録である。




年末。
俺は三葉の家に勝手に入って、リビングへと行き、荷物をすべて取り落とした。

「三葉、食べるか?」
「この株価はね――っ、……西園寺……ん」

むしろ三葉が食べられていた。なぜ俺は兄の濃厚なキスシーンなどみなければならないのだ。三葉はボケっと唇を奪われている。俺の来訪に気づいた西園寺はといえば、さらに三葉の体を抱き寄せた。

「止めろ――!!」

気づいたときには俺は叫んでいた。それでようやく三葉が俺に振り返った。いつもぼんやりとした顔をしているのだが、今回に限っては視線をそらされた。キスシーンをみられたからだろう。三葉は都合が悪くなると視線を背ける癖があるのだ(誰だってそうか)。

「和泉、おせちを作ったよ。食べる?」
「作るの早いだろ……食べるけどさ」
「1日からはドイツに行くから、日本の行事を先にと思って」
「――! 聞いてないからな! 行かせないからな!」

箸を受け取った直後、俺はそれを取り落としそうになった。
ふたりが座るソファの正面に腰を下ろしたのだが、思わず身を乗り出しそうになる。ドイツに行くことだけは、これまではなんとか阻止してきたのだ。行ってしまえば、国内と違って砂川院だけでは、完全に太刀打ちする手段がなくなる。最悪二度と三葉は帰っては来ないだろう。アベーユ&アーヘンバッハの前に、砂川院の個人主義は崩壊し、俺と楓さんは手を組んだ。絶対に阻止するのだ。そうしなければ、自分たちに家督が回ってきてしまう。そんな面倒なことはしたくないし、三葉を魔の手から守らなければならない。父さんもちょっと抜けているのだ。

「安心しろ。二泊したら帰ってくる」

俺の不安を見越したように、西園寺がフッと笑った。華麗なる箸使いで、数の子を食べている。俺はいくらをとりながら、ため息をついてしまった。
玄関の呼び鈴がなったのはその時のことである。
振り返った俺。立ち上がる気配のない二人……。そうなのだ、基本的に俺がここに遊びに来ると、俺が玄関に立つことになる。なぜだ。理不尽だ。まぁこの家にやってくるのなど、俺と、西園寺の兄……いや、あいつのことは忘れよう。他だ他。宅配業者だとかである。
どうせ今回もそれだろうと思い扉を開け、俺は目を丸くした。
そこには珍しいことに、在沼が単独でたっていたのだ。誉の姿はない。まぁたしか今日は、昼からパーティが四つ入っていたから、朝から夜まで”お仕事”中なのだろう。俺なんかは面倒なので適当にしかパーティに出てはいないが、流石は誉、主要なものには全て出ている。もっとも企画しているのも大半が高屋敷家だからなのかもしれないが、年末年始にかけてはその限りではない。高屋敷家が多忙だろうということで、毎年代わりにやるという企業が出てくるのだ。人望が厚い。砂川院と在沼家には存在しない人脈である。

「久しぶりだな、在沼。誰に用事だ?」
「三葉だ。ただお前と西園寺もここにいるだろうと踏んできた」
「へぇ。まぁ入れば?」

俺は在沼を通し、スリッパの用意をしてから、中へと戻った。
そして叫んだ。

「本当に止めろ――!!」

ソファの上に、西園寺が三葉を押し倒していた。もはや西園寺は俺の存在など歯牙にもかけた様子がない。最悪だ。俺の声に馬鹿にするように笑ってから、西園寺がどいた。三葉はそのままソファに横になっている。座り直しながら俺は、在沼の分の皿と箸を用意しながら肩を落とした。俺はソファを一つ横にずれ、凹型ソファの真ん中部分に座った。三葉と西園寺の正面に在沼が座る。

「西園寺が羨ましい」

そしてすごく珍しいことを在沼がつぶやいたのだ。在沼が誰かを羨んでいるところなど一度も見たことがない。

「なんだ急に?」

西園寺が皿を置き、腕を組んだ。怪訝そうな顔である。俺も首をかしげている。いつもと変わらないのは、三葉だけだ。そんな三葉は起き上がりながらポツリといった。

「まだ誉くんと付き合えていないの?」

三葉の言葉に、その場が静まり返った。あっけにとられた俺は、在沼を二度見した。二度目に見てからは、凝視した。え? 付き合えると思っているのか?
――在沼が誉を好きだという事実は、かなりの数の生徒が知っている。特に学園の有識者の見解はそれで一致している。ただし誉の側が在沼を好きだという説にも一応説明はつく。好きじゃないのに在沼と仲良くしている理由があるのか、というものである。別に友達だっていいじゃないか……。
さて、そんな有識者の間では、圧倒的に在沼が不利だという予測が出ているのだ。
なにせ誉は、在沼が何をしようと表情を変えない。常に微笑している。その笑みは、在沼であろうが一般生徒であろうが、誰に対しても平等だ。俺に対しても平等だったから、小さい頃、変わった髪と目の色に対して、いろいろと言われていた頃、俺は誉の言葉に救われた。誉がいなかったら、学校で友達を作る気なんて起きなかったかもしれない。はじめて誉を砂川院の別荘に呼んだ時、俺が一緒にいて気まずいんだろうと思って聞いたら、静かに笑って切り捨てられた。そんなわけがないと。そんなことは微々たることであると。いっそ清々しかったものである。今思い返しても、とても子供の表情ではなかった。

「誉の気持ちなら確定的だろう。在沼、お前に脈はない」

そこへズバッと西園寺(有識者の一人)が言った。俺もそう思うが、俺はといえばつくり笑いを浮かべて顔を背けるにとどめた。たとえ事実であろうとも、言ってやるなよ西園寺……。

「西園寺」

在沼の表情がものすごく冷ややかに変わった。震えが走りそうになる。俺はテーブルの下で両手の指を組んだ。なぜ俺の前で、百獣の王と大狗鷲の抗争が繰り広げられなければならないのだ。三葉はといえば、タブレットに手を伸ばしている。時計を一瞥し、株のニュースが始まる時間だと確認した俺は、心が痛くなってきた。三葉にとって株以外の話題の重要性は、だいたい同じくらいなのだ。嗚呼。

「なぜお前が誉のことを、誉と呼ぶんだ。苗字で呼べ」
「実際には、長い付き合いなんだ。お前らと同じくらいな」

え、在沼はそこにくいつくのか……そして誉はやっぱりすごい。あの世界屈指の大企業の三男と幼い頃から顔見知りの日本人少年など、誉しか存在しないだろう。そもそも西園寺と三葉の出会いは、誉が女装した西園寺を連れてきたことに始まるからな。この件ではちょっと恨んでもいいかも知れない。いや責任転嫁だな。誉は本当にいいやつなのだ。

「在沼、はっきり言う。お前が挽回する手はひとつしかない」
「なんだ?」

そんなものが存在するのかと俺は、首をひねりながら西園寺を見た。在沼が身を乗り出している。

「食べ物で釣れ」

至極シンプルな西園寺の声に、俺は押し黙った。まぁこいつも三葉を株で釣ったしな。しかしとても説得力はある。高屋敷会長も美食家だと名高いが、誉も食のセンスがすごい。その上値段にこだわらず、美食を追求していくのだ。普段など家で最高級じゃがいもから手作りされた直後のポテトチップスを食べているのだろうに、コンビニで売っているコンソメポテチも喜んで食べる。冬にスノボに行けば、ロッジの食堂で普通に並んで食券を買う。だが一方で、学食では一日一日旬のものを華麗に味わい、その季節に最も美味しいものを選び取るのだ。誉と同じものを頼んでおけば、食に外れはないと言われている。

「誉の好きな食べ物……? 例えば?」

在沼が険しい顔になった。え、あれだけ一緒にいて好物の一つや二つ知らないのか?

「あいつは昔は甘党だったな。俺がチョコレートを贈るたびに、泣いて喜んで食べていた」

? なぜ西園寺が誉にチョコレートを……と考えてハッとした。そうか、女装していたからか! ヴァレンタインか! 発見した冒険家気分でいた俺の隣で、三葉がつぶやいた。

「誉くんは、ポテトチップスが好きみたいだよ。自社製品の」

何度か頷いた在沼が、それから俺を見た。三葉に先に言われてしまったため、俺は、少し考えてから告げた。

「カレーだろうな。固形ルーを使ったカレーだ。在沼が食べたことなさそうな感じの」
「それはどこで食べられるんだ?」
「俺と誉は、毎年スキー場で食べてる。今年も年始に行けたら行こうって話で――……」

言った直後、在沼が満面の笑みを浮かべた。もちろん、好奇心が満ちて嬉しいからではない。なにせ目が笑っていない。俺は獅子に睨めつけられた小動物の気持ちを味わいながら、硬直した。笑みが引きつってしまう。まずい俺は、爆弾発言をしてしまった。これでは在沼の爆発に巻き込まれてしまう。在沼には?生の王様やら百獣の王やらの他に、”?生の富士山”というあだ名があるのだ。最近噴火していないが、噴火したら大変なことになるのは必須だ。そして俺は今それを引き起こそうとしている。

「……――あ、いや、その」
「全力で和泉に嫉妬している俺が居る」

在沼は笑顔のままだった。逆にそれが怖かった。
西園寺を一瞥すれば、興味深そうに在沼を観察している。止めに入る気がこいつにあるとは思えない。三葉はどうせ株だろう……と、思った時だった。

「和泉。誉くんは年始の何日から何日までが空いてるの?」
「あ、ああ……3日から8日までだったな、確か」

ちなみに?生は13日から学校が始まる。俺が必死で答えると、三葉がタブレットを置いた。珍しい。三葉は、俺を助けてくれたのか……? なんだかんだで兄は優しい。

「僕だったら、その間に誉くんを連れ出して、既成事実を作るけど」

――!?
俺は絶句して目を見開いた。ぽかんとした。え? 三葉?
西園寺も動きを止めて、じっと三葉を見た。ただひとり在沼だけが、うねり声を上げた。

「俺は、無理にどうにかしたいわけじゃないんだ。誉の心が欲しいんだ。だから段階を踏んでその――」

思いのほか在沼がロマンティストで俺はほっとした。誉の、大親友の貞操の危機だ。既成事実はきっと、”恋人同士になる言質をとる”だとかではない気がする。
しかし三葉が続けた。

「雅樹は肝心なところで押しが弱いんだよ、だからそんな言い訳をするんだ。決断していかないと、勝負には勝てない。カードを切る時を見逃すと、全て終わるんだよ」

その上、なんとなく三葉の言葉は鋭く思えた。流石はギャンブラー。本当……我が兄ながら怖い。最近、アベーユ&アーヘンバッハ社の各関連会社の株を、西園寺の父親から無償で譲られたという父よりも、三葉はやり手だと思う。当主はそう言う意味合いを込めても三葉以外考えられない。俺には無理だ。
それにしてもこの二人……恋バナをする仲だとはついぞ知らなかった。結構仲がいいのは、昔から知っていたのだが、西園寺の存在の前に、俺の中でそんなことは吹き飛んでいたのだ。西園寺はといえば、顎に手を添えて思案するように、何度か三葉を見ている。三葉は西園寺にもカードを切ったのだろうか……? どんな方向性で?

「雅樹、押し倒すしかないよ」
「わかった」
「犯罪にならないようにしろよ、在沼。その上で快楽でドロドロにすればあるいは案外、堕ちるかもな」

なんとそこへ西園寺が嘆息混じりに言った。え。誉の気持ちは?

「在沼……ちゃんと同意を得てからにしろよ。じゃないと誉に嫌われるからな、絶対」

俺はそういうのが精一杯だった。だが、同意を得るようにと、その日何度も繰り返した。
どうやら功を奏したようである。
まぁ、こんなやりとりが冬休みにあったのである。

回想にふけっている俺の横で、在沼が何度も深い溜息をこぼした。
ちらりと見てみれば、スマホの画面をじっと見ている。俺は、どうせだから三葉に話したほうがいいと伝えたのだ。西園寺はまだ風紀委員長としての仕事があるから帰っていないはずである。そんなこんなで三葉の家へと着いた。そして合鍵で扉を開けて叫んだ。

「だから止めろ――!!」

とっくに帰宅していた西園寺が、三葉の前でバイブを持っていたからである。
両者とも幸い服は着ていたのだが、その振動音に俺は意識が遠のきそうになったのだった。




「で?」

気を取り直し、俺たちはソファに四人で座った。
俺は机の上の、開けられたばかりの箱を凝視したまま、一応在沼に話を振る。

「聞いてくれ。誉が毎日一回しかさせてくれないんだ」

毎日一回も……俺はそう思ったが、無言で箱を見続けた。悪いが俺は、女の子に突っ込んだことしかないのである……ん? 悪くないよな? それが普通だよな? あれ? 俺、感化されていないか? それも悪い方向に! ちなみに突っ込まれたことは……から笑いしか浮かんでこない。

「回数の問題じゃないだろう。時間は?」

西園寺が膝を組んだ。その正面に、三葉がコーヒーを置く。珍しく全員分淹れてくれた。だいたい俺が居ると俺がやることになるのだが。ありがたいので静かに受け取る。

「計ってない。計ったほうがいいのか?」
「体感で答えろ」
「すごく短い」
「誉は淡白そうだからな。そのうえ早そうだしな」

まさか西園寺(有識者)にこんな見解を述べられているとは、誉とて思うまい。バレたら全ローズ・クォーツを敵に回すことになるだろう……日本で生きていけなくなるぞ、西園寺……。まぁそれはそれでいい。ドイツに帰ってくれ。三葉をおいて(最重要)。
言いながら西園寺が、三葉を見た。頷いた三葉が、リビングの片隅に置いてあったスポーツバッグを手に戻ってきた。このふたりは本当に以心伝心だ。それにしても、なんだろうか?
ドイツ土産か?

「これでも使ったらどうだ?」

西園寺はそう言うと、スポーツバッグを受け取り、中から未開封の箱をひとつ取り出した。それを見て俺は絶句した。デカデカとコックリングと書いてある。ま、まさかだ。こんなものを普段使っているんじゃないだろうな……?

「和泉、顔に出ているから言うけどな、生徒会長様のエロ妄想も大概にしてくれ。俺は決して道具が嫌いじゃないが、これは風紀委員会で押収したものだ」

なんと西園寺が俺に向かって失笑した。図星だったため、俺は自分でもわかるほどに真っ赤になってしまった自信がある。震える手で、必死にコーヒーを飲んだ。

「それはなんだ?」

在沼が首をひねった。知らないままでいてくれと願った。しかし現実は残酷だ。

「これを誉くんにはめたら、二回目もきっとしてくれるよ!」

三葉……! バカ……!

「……? そうなのか? ただ、それだけじゃ、やはり誉にとって俺が下手なのかどうなのかわからない」

在沼が珍しく、本当に珍しいことに、俯いた。俺は人生で初めて、在沼が一瞬哀れに思えた。しかしながら俺は誉の味方である。悪いが口出しはできない。

「そこで、これだよ!」

三葉が今度は机の上からバイブを手にとった。

「これをいれて、普段と比較してじっくり反応を見ればいいんだ!」
「なるほど!」

だめだ、このままでは三葉のせいで誉がかわいそうなことになってしまう。在沼は至極乗り気で、今にも帰りそうだ。二つの道具を手に。俺は慌てて在沼に言った。

「おい、くれぐれも二つをいっぺんに使うなよ」
「? なぜだ?」
「……辛いからだよ!」

やけになっていった俺に、西園寺がボソリという。

「経験者は語るというからな」
「……――!! !? な、え?」

俺は目を見開いて赤面するしかなかったのだった。な、なんで、なんで、なんだ、なんだと!? 動揺しすぎて俺はカップをとり落としそうになった。あのバカ、まさか、いや、いやいやいや……ちなみに俺は、誉とのスノボは幻に消えたので、年始はNYで過ごした。別に他意はない。本当に他意はないんだ。と、必死で心の中で誰かに俺は言い訳した。

「それで? 普段、誉はどんな反応をするんだ?」

西園寺が頬杖をついてそんなことを言った。本当にもしこの部屋に盗聴器があったら、空港が閉鎖されて捕らえられてもおかしくない。なにせ年末には、航空会社が高屋敷家のパーティ主催をひとつ代わっていたのだから。

「誉のことは俺だけが知っていればいいんだ」
「じゃあなぜ下手かも知れないだなんて悩んでいるんだ? 自信を持てばいいだろう。相談にも乗れないな」
「……まずなかなか表情が変わらない」
「だからといってまさかずっと笑っているわけじゃないだろう? ないのか? 赤くなるとか」
「それは、なる……あとは、声が小さいんだ。本当に感じているのかわからない。だから二回もしたくないんじゃないかと思うんだ。しかもたまに声がいつもより大きくなりそうになると、必ず手で口を押さえて押し殺すんだ」
「恥ずかしがっているだけなんじゃないのか?」

西園寺が言った。一見慰めにも思えるが、俺も西園寺の意見に同意だ。誉は、いつも余裕があるから、それを乱されるのを嫌いそうだ。だとすれば、快楽に身を任せるなんてことはないだろう。

「――終わったあとは、たいてい笑っている。その……暗黒微笑だ」
「「……」」
「俺には無言の抗議に思える。下手くそと言われている気がしてならないんだ……」

珍しく俺と西園寺が顔を見合わせた。
在沼の気持ちがわからなくもない。

「あとは最近、触ると震えられるんだ。はじめは怖がられているのかもしれないと思ったんだけどな……触るのさえ嫌がられていたらと思うと……」

本当に珍しいことに、両手で在沼が顔を覆った。
釣られて俺も覆った。直前に、西園寺が唇を手で覆ったのも見た。俺だったら神経性胃炎になる自信がある。誉に、あの高屋敷誉にそんな反応をされたら、怖すぎる。誰にでも優しいあの誉に嫌われるなど……。

「逆にやりすぎということはないの? 感じすぎてるんじゃないのかな、誉くんは」

そこへ三葉の声が響き渡った。
俺は顔を上げてみた。すると三葉は手錠を取り出しながら、小首をかしげている。

「とりあえず声をこらえているのかどうかは、手の自由を奪えばわかるんじゃないかな」

何も言葉が見つからないまま、俺は誉の無事を祈りつつ、帰っていく在沼を見送ったのだった。兄の頭を疑った瞬間でもある。




さて数日後。俺は西園寺兄の変態的なメールを削除しながら、廊下を歩いていた。
すると後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、ものすごく不機嫌そうな在沼がそこに立っていたのだ。
悪いが俺は何もしていない。なんだいきなり。

「聞いてくれ――誉が二度としてくれないというんだ」

もはや、何がとは聞かなくてもわかる。おそらく三葉と西園寺の案を――主に三葉の案を、在沼は採用したのだろう。なんということだろうか。完全に三葉のせいだと俺は思う。そして誉の気持ちもよくわかる。俺だって二度とやる気が失せるだろう。誉は穏やかなのが好きそうだ。

「俺のなにがいけなかったんだ?」
「さ、さぁな」
「しかもすごく怒っているんだ。アレを見てくれ……」
「? ……――!!」

在沼に指差された方向を見て、俺は目を見開いた。
そこには、周囲に誰もいないのに、そして何か事件があったという話もきかないのに、一人暗黒微笑をたたえて悠然と歩く誉の姿があったのだ。怖い。怖すぎる。今の誉に迂闊に声をかけたら、抹殺されるだろう。表情は端正すぎる笑顔なのだが、背後からにじみ出ている絶対零度の暗黒に、遠目から皆が立ちすくんでいるのが分かる。誰だ、誰が一体何をして、あの高屋敷誉を本気で怒らせてしまったのだ? これは大事件だ。いやもう主犯は在沼だろうけれども。そそのかしたのは……。

そんな誉の暗黒微笑は、ついに一週間が経ち次の月曜日がやってきたにも関わらず続いている。一節では、ローズ・クォーツのサロンの改装工事が行われていて、伝統ある建造物に手を加えることに激怒しているのだという説が流れているが、そんなまさかと俺は思う。
これは、まずい。
だが俺でさえ近づけない。西園寺にも無理そうだ。なにせ西園寺は、ここ一週間、火の粉を逃れるかのように、珍しく風紀委員室に避難しているのだ。それに、そもそも原因は三葉だ。三葉なのだ……誉にバレたら、どうなってしまうのだろうか、砂川院は……。
俺は決意した。
それに誉は親友だ。
無理やり学内で俺は三葉を捕まえて声をかけた。

「ちょっとどうにかしてくれ」
「うん、僕もそろそろ声を掛けようと思っていたんだ」
「――は?」
「そろそろ溜まっていると思うから」
「なにが?」
「勝負に出るなら今だ!」
「なんの!?」

俺の問いには答えず、怯む様子もなく三葉は誉に歩み寄った。そして暗黒微笑を前に一言二言話すと戻ってきた。

「あとは在沼次第だよ。僕は少ししかお手伝いできなかったけど、友達だから」
「……」
「きっとハッピーエンドだよ!」

俺にはやっぱり兄の思考回路は全くわからない。
ただ、珍しく三葉が、株以外のものごとに本気を出したのだということはわかる。目が光り輝いていた。頬が紅潮している。完全に勝負をしている時の顔だ。

そして――三葉の言うとおりになった。

翌日には、いつもの通りの微笑をたたえた誉の姿が戻ったのだ。
一体何がどうなったのかはさっぱりわからないが、学内では、工事が終了したからだという説が濃厚だ。誉に仔細を聞いてみたいとも思うが、俺には暗黒微笑を前に立ち向かう勇気はない。絶対に触れてはいけないと思う。

そして、それを境に、吹っ切ったかのように誉は在沼と恋人であることを否定しなくなった。ふたりは恋人同士になったと皆が理解した。その事実に有識者たちは、口を閉ざしている。俺(有識者)もまた、死んでも口を開く気にはなれない。

直後ただ、三葉だけが勝ち誇ったかのような顔をしていたのだった。
これが在沼による、高屋敷誉攻略事件の顛末であり、巻き込まれた俺の記録である。
以上!