【番外】北風と太陽と西瓜(夏のBLフルーツパラダイス2018)





 ――高等部生活最後の夏が来た。
 夏といえば、夏休み! ……の、前に、残念ながら定期試験がある。
 放課後の廊下を歩きながら、俺は溜息を零した。

 いつもであれば、俺の隣を存沼が歩いているのだが、今日は別行動だ。というのも、最近では、後任のローズ・クォーツの役員への指導等をしているのだが、その関連で、俺は生徒会との今後の打ち合わせなどにも出かけていて、今も和泉と話してきた帰りである。

 大学は既に内部進学で決定してはいるが、歴史ある?生学園の引き継ぎ関連は相応にハードで、夏休み前の試験勉強と並行するのは、実は少々辛い。ただ思ったよりも率先して動いてくれる存沼を、俺は少々見直している。

 もう見慣れてしまった豪奢な扉の前に立ち、ローズ・クォーツの紋章に何気なく触れてから、俺は中へと入った。

「誉か。俺の方は、もう終わったぞ」

 奥の席にいた存沼が俺に向かって顔を上げる。そうしながら、書類の表紙を右手で閉じている。

「ついでに、お前の仕事も終わらせておいた。今日の分は終えたから、先に他のメンバーは帰しておいた」

 すると続いた珍しい言葉に、俺は驚きつつも、素直に感謝した。

「ありがとう。遅くなってごめんね。テスト前だし、助かるよ」

 この時期は、家庭教師の指導が激化している家も多いと思うので、細く吐息しながら俺はそう告げた。すると存沼が視線で傍らのソファに俺を促した。

「何か飲むか?」

 存沼自身も立ち上がり、そちらに移動しながら口にした。俺は一足先に座りながら、少しの間考える。ここの所、夏の熱気で学舎は暑い。出来れば冷たい飲み物が欲しい。

 思案していると、現在コンシェルジュ不在の室内で、存沼がロイヤルブルーティの瓶を手にしながら隣に座った。近くの棚に並んでいた、ワインボトルによく似た瓶入りの冷たい緑茶を、テーブル上に伏せてあったグラスをひっくり返して、存沼が注いでくれる。

 あの棚は、棚自体が低温に維持されている、アベーユ&アーヘンバッハ社――と言うよりは、西園寺と三葉君の新商品で、このサロンにおいて飲み物冷蔵庫のような役割を果たしてくれている。

「ありがとう」

 目の前に差し出されたアイスの緑茶を受け取り俺が微笑すると、存沼が小さく頷いた。空調の温度を同時に操作し始めた。サロンの室内は、廊下よりは随分とマシだったが、一応急いでここまで来た俺の体は、まだ熱いままだ。下げてくれるならばありがたい。

「汗、かいてるな」
「今日は特に暑いみたいだからね」

 気遣いに嬉しくなりながら、俺は胸元のタイを直す。夏服とはいえ、制服も暑いから、本当であれば脱いでしまいたい気分だ。そう考えつつ、ゆっくりと冷たい緑茶を飲み干すと、喉が癒えていった。すぐに空になったグラスをテーブルに置く。

 それから改めて吐息をして、在沼を見た。

「今年も三葉君と夏祭りに行くの?」
「――その予定だが、勿論一番行きたい相手はお前だ。高等部の夏も、今年が最後だし、特に今年は誉と多く過ごしたい」

 特に表情を変えるでもなくそう言われ、俺は少しだけ胸が疼いた。

 ……幸か不幸か、ならば、無論幸いな事なのだろうが、どんどん存沼を好きになっている俺がいる。だからこんな風に放たれる、本当に何気ない一言で、胸が躍ってしまう日が増えた。

「どこか行きたい所はあるか?」
「マキ君は?」
「俺は、誉と一緒なら、どこにでも――……ただし、そろそろ『世界の自然七不思議』を攻略していくのも良いとは思っているから、手始めにパリクティン山にでもどうだ?」
「どうだと言われても……それは一体、どこにあるの?」
「メキシコだ」

 俺は曖昧に笑って頷いておいた。繰り返し思ってきた事ではあるが、俺には冒険家になりたいといった夢はない。何が、『そろそろ』だというのだ。

「ただ、夏休みに行くと、雨季にぶつかる。せっかくだから乾季に行こう」

 暑い土地に、特に暑い時期に行きたいという気持ちは、俺にはあまりよく分からない。だが、雨季と聞いて、脳裏にスコールのイメージが過ると、少しだけ涼しさを感じた。

 夏の夕立が、同時に想起されたからだと思う。
 蝉時雨や風鈴を漠然と思い出しながら、俺は思った。

「西瓜でも食べたいね」
「スイカ?」
「うん」
「……たまには、国内も悪くはないな」

 存沼はそう言うと、再び空調のリモコンを手にとった。操作音を耳にしながら、僕はもういっぱい飲もうかなと考える。入ってきた時は、涼しいと感じたサロンの室内であるが、うっかりメキシコを連想したせいなのか、暑く感じ始めた。

「スイカ狩りというイベントは存在するのか?」
「マキ君、別に僕は、西瓜を食べる旅行に行きたいわけじゃないよ」

 続いた声に、苺や桃、林檎やぶどう狩りを思い出しながら、慌てて俺は首を振った。
 お取り寄せで十分な俺がいる。

「じゃあ何処に行きたいんだ?」
「え……その……僕も、マキ君と同じかな」
「やはり火山がイチオシか?」
「いや、そうじゃなくて、一緒にいられるなら――……ええと、うん、メキシコ!」

 つい口走りそうになって、俺は思わず俯き赤面した。
 一体俺は、何を言おうとしていたのんだろう。まったく、恥ずかしいではないか!
 すると、存沼が、リモコンをテーブルの隅に置いた。

「分かった」
「う、うん」
「すぐに手配をする」
「あ、そう」
「それはそうと、誉」
「何?」
「――暑くないか?」
「暑いよ、夏だし。メキシコだって、雨季とは言っても絶対に暑いと思うよ」

 口に出してそう告げると、より周囲が暑くなった気がした。
 もう夕方だが、寧ろ先程までよりも室温が高くなっている気がする。

 しかし何度も存沼はリモコンを操作していたし、もう温度を下げるのは難しいだろうか? そう考えてリモコンを一瞥するが、位置が遠すぎて、現在の温度を確認できない。

「メキシコではなく、この部屋だ」
「うん、暑いけど――夏だから」
「……」
「え? 何? エアコンの調子が悪いとか?」

 俺が入ってきた時は少なくとも正常に動いていたようだったから、不思議に思って、上を見上げる。存沼が沈黙してしまったからだ。

「買い替えの時期?」
「いいや。きちんと作動しているな」
「じゃあ我慢するしかないよね」
「――どうせ俺達しかいないし、上くらい脱いでも問題ないんじゃないか?」

 その一言に、俺だってそうしたいと思った。可能なら、シャツを脱ぎ捨てたい。

 しかし模範生たるローズ・クォーツのメンバーが、例えサロンの室内であろうとも、だらしのない格好をするわけにはいかないだろう……。だが、存沼の気持ちはよく分かる。俺だって、鬼ではない。

「僕は気にしないから、暑かったらマキ君はシャツを脱いだら? 僕は大丈夫だよ」
「一緒に脱ごう、スイカはすぐにでも取り寄せてやるから」
「は? 暑すぎて頭がどうかしたの?」

 一緒に脱ごうの意味がわからない。連れション的なノリに聞こえた。

「誉と一緒にいると、いつも俺は、どうかしている」
「安心して、マキ君は、単独でも大体どうかしているよ」
「どういう意味だ?」
「あ、ごめんね、なんでもないよ――だけど、確かに暑いね」

 思わず本音が出てしまい、慌てて俺は顔を背ける。

「だろう? 脱ぐぞ」
「いやいやいや、その結論はおかしいよ」

 なんだか存沼が詰め寄ってきたので、俺はその体を押し返した。
 すると、何故なのか存沼が項垂れた。

「……俺の、北風と太陽作戦が失敗するなんて……」
「へ?」

 存沼は、そう言うとテーブルの上から、空調のリモコンを手にとった。
 そして俺の正面に見せた。
 ――28℃(暖房)。

「え!?」

 表示を見て、俺は思わず声を上げた。

「熱中症になったらどうする気だったの?」

 慌ててリモコンを奪い、俺は冷房に切り替えた。気づいてみれば、夏の熱気とは違う空調の厚さが、室内を包み始めている。

「――それでも良いから、お前を脱がせたかった」

 今回に限っては、存沼は策士ではなく、ただの馬鹿だ。

「仮に脱いだとして、次に着ているのが、搬送先の病院の服じゃ仕方がないと思うんだけど。それと念のため聞くけど、急にどうして? 僕を脱がせる事に何かメリットがあるの?」

 俺が引き攣った顔で笑いながら問うと、存沼が溜息をついた。

「最近、お前と寝ていない……」
「っ」
「誉を抱きたい」

 率直に言われて、俺は赤面した。

 それは――事実だ。ここの所、お互い忙しすぎるから、毎日顔は合わせるものの、二人きりの時間というのは、あまりないのが実情だ。

「テストが終わるまでは――そ、その、色々忙しいし……」
「嫌か?」
「ここでという意味なら嫌だよ」
「ここでは無かったら?」
「そんなの僕だって――……え、ええと……」

 また口走りかけて、俺は言葉を止めた。俺だって、って……だが、これは本心だ。俺もまた、存沼と体を繋ぎたい。

「……もうすぐ、夏休みになるし、それまで頑張ろう?」

 俺は何とかして落ち着こうと努力しながら、そう口にした。
 存沼は、何も言わなかった。



 ――それから、気づいた頃には、夏休みに突入していた。

 ようやく一息つけるようになり、本日、俺と存沼は、久方ぶりに遊ぶ約束……即ちデートの予定だ。待ち合わせ場所は、存沼が所有している、最近『いつもの場所』に変わったマンションの一室である。

 庶民の生活を体験するための場所――とはいうが、充分に豪華であると評して良いだろう。巨大なベランダがある高層階の一室にお邪魔した。俺は存沼と共にベランダから外を眺める。夏の空、白い雲……見ているだけで浮かれてくるのは、待ちに待った夏休みが訪れたからではない。存沼と一緒だからだ。

 そんな思考に一人で恥ずかしくなっていた時、存沼が白いテーブルの上の箱に触れた。

「ああ、届いたぞ」
「え?」
「でんすけスイカを取り寄せておいた」

 そう言って存沼が、蓋を開けた。中を覗き込むと、そこには黒皮のスイカがあった。
 俺が想像していた、緑に黒のギザギザ模様の西瓜とは異なる。
 真っ黒で――非常にインパクトのある見た目の西瓜だった。

「冷やしてから食べよう」
「ありがとう……」

 冷やしておいてくれたら良かったのにと言いかけたが、この見た目を見せたかったのかなとも考える。俺としても、とても西瓜とは思えない黒を目にして、少しだけテンションが上がっているから、だとすれば、これはこれで楽しい。

「二時間もすれば冷えるだろうな」
「そうだね。それまでは、どうする?」
「――久しぶりだし、一回目は二時間くらいで良いだろう?」
「え?」
「俺は、夏休みまで頑張って――我慢した。誉に触れたいこの気持ちを」

 不意に言われたから、驚いて存沼を見る。
 すると艶っぽい色をした瞳と目があった。

 ――その後俺達は、室内へと戻り、もつれ合うように寝台へと転がった。
 久しぶりに重ねた唇の温度もまた熱かったが、浮かれた夏の熱気には叶わない。

 なお、事後に食べた西瓜は、シャキシャキとしてとても美味しかった。