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 今日は珍しく、ローズ・クォーツのサロンに人気がない。理由は、俺と存沼以外の一年生が、日本店がもうすぐ設立されるバルヒェット社直営のチョコレート専門店に、開店前なのだが貸し切りで食べに行ったからだ。

 俺は製菓会社を持っているせいか、遠回しに謝られ(気にしないのにな)、空気を読んでいかなかった。存沼は、俺を経由しないと誰も誘えないせいなのか(何故だ!)、行かなかった。誘われたのかどうかも俺は知らない。ここでまで誘われないのであれば不憫だ。確かに年々、存沼には近寄りがたくなっていく。俺は小さい頃から見ているから、全く恐怖を感じないのだが。後は

 もう一つ理由があるという。葉月君が言っていたのだが、存沼に近づかないよう、皆が牽制しあっているのだそうだ。怖いからかな?

 日本崩壊の危機を自ずから招かないようにしているのだろう。そして存沼に近づいて良いのは、俺だけだと言われている。意味が分からない。

「誉君も行きたかった?」

 俺と存沼以外唯一サロンにいるのは、高等部三年で会長の、鷹橋塔矢先輩だけである。甘いものが苦手だそうで、今日は残ったそうだ。

 まぁ一年生二人を残すのも不安だろうしな、会長として。初等部一年の頃に俺がキャラメルをあげた先輩だ。

 視力が落ちたのか、現在は細いフレームの眼鏡をかけていて、昔よりも凛々しい顔立ちになり背も伸びたが、表情自体は大変優しい。物腰も穏やかだ。比較的俺によくしてくれる先輩で、何かと話しかけてくれる。

「正直行ってみたかったです」

 苦笑しながら答えると、穏やかに微笑まれた。

「じゃあ今度連れて行ってあげようか。いつならあいている?」
「放課後なら月曜日があいています」
「分かったよ。それなら今度の月曜日にでも行ってみようか」
「マキ君にも声をかけてみますね」

 存沼だけいけないというのは流石に不憫すぎるからな。現在存沼はトイレだ。そんな思いでいたら、不意に鷹橋先輩が口を閉じ、真剣な顔をした。

「雅樹君とは、本当に仲が良いみたいだけど――……立ち入った話で悪いんだけど、付き合っているのかい?」
「え? 長いつきあいではありますけど……」

 恋人という意味じゃないだろうな。だから俺は、異性愛者だと何度言えば……。いや、心の中で言っているだけなのだから、口には何度も出してはいないな。

「誉君に恋人や好きな相手はいるの? ペンダントを気にする様子もないけど」
「いません。なので気にしていません」

 そうか。他の皆は、ペンダントを気にしているのか。俺は知らなかったよ。

「――ねぇ、誉君」
「はい?」
「ちょっと目を閉じてもらえないかな」
「はぁ……?」

 この流れでどうしてそうなったのかよく分からなかったが、俺は素直に目を閉じた。まぶたの裏の暗闇がうつる。そして――……

 後ろから勢いよく誰かに首に腕を回され、俺は目を開いた。

 一歩後ずさり振り返ると、そこには右手で俺を引き寄せた存沼がいて、眉間にしわを寄せ目を細めていた。それから正面を見ると、目を伏せた鷹橋先輩の顔があった。俺にはこの両者の一連の行動が、大変緩慢に思えたが、実際には一瞬の出来事だった。

「何をしている」

 存沼が底冷えのする声で言った。反射的に、鷹橋先輩が目を開けて息をのむ。
 俺は何が起きているのか分からず、二人を交互に見た。

「じゃ、邪魔を……僕は本当に誉君のことが好きなんだ!」

 え? 今なんて?

「お手洗いから戻って響いてきた声が耳にはいた限り、同意を得ていたとは思えないぞ」

 なんの?

「キスだけでも先にしたかったんだ。どうしても、思い出になってしまうとしても!」

 キス……だと?
 俺は呆然とした。鷹橋先輩は俺にキスしようとして、それで好きだと今し方口にしたのか? 存沼はそれを阻止してくれたのか?

 それから先輩は俺に向き直った。

「僕は誉君の事が本気で好きなんだ。付き合ってほしい」
「無理です」

 思わずきっぱりと本音で言ってしまうと、鷹橋先輩が、走ってサロンを出て行った。え。これって、俺、男に告白されてキスされそうになっていたと言うことか? 嘘だろ?

 困惑して再度存沼を見ると、腕が離れたが、大変不機嫌そうな顔をしていた。

「お前もほいほい目を閉じるな。キスなんかされそうになるなよ」

 やはり、されそうになってたのか……! 今回だけはありがとう在沼!

 俺は心の底から存沼に感謝した。初めてかもしれない。これからは俺も気をつけよう……って……何故男子校で気をつけなければならないのか!

 それ以後サロンで、今度は意識して俺は存沼のそばにいた。当然月曜日の話は無しになった。鷹橋先輩と話すのが気まずかったのと、怖いからである。だが鷹橋先輩も、あれ以来特に俺に何か言ってくることはなかった。良かった。


 俺にとっては衝撃的な事件から三日後。
 昼休みに俺は、和泉に呼び出された。ずっと話がしたいと思っていたから、和泉側から呼び出されて安堵した。今年はあまり、和泉と話をしていなかったしな。和泉が遠くに行ってしまうようで、寂しかったのだ。しかし最初、用件はてっきり不機嫌な理由だろうと思っていたのだが、違った。

「なぁ、誉さ、やったことある?」

 なにをだよ。俺はぽかんとした。ヤったことがあるかだと? も、もしや和泉は、大人の階段を上ってしまったのか。扉を開いてしまったのか。そもそもおれには恋人がいないのに、あるわけがないだろう! 中1だぞ。

「キス」

 しかし響いた言葉に脱力した。いやな記憶を思い出しそうになったが封印する。うわぁあああ、俺のバカ。和泉は純粋だった……! 

 我ながら恥ずかしくなって、はっきりと断言することにした。

「無いよ」
「……三葉は、それは挨拶だって言うんだ」
「へ?」
「毎日してるって」
「え?」

 ――誰と!? 素直にそう思った。一人暮らしをしているらしいのだから、三葉君が和泉にしていると言うことではないだろう(当然あってはたまらない)。しかし学校に来ないのだし、毎日と言うことは……お手伝いの人か護衛さんか……? それとも宝石の交換相手と毎日会っていると言うことなのだろうか。だとすると引きこもっている家にわざわざ行っているんだろうから、相手はまめな人だろう。

「挨拶じゃないよな?」
「キスする場所にもよるだろうけど……ちょっとまって、和泉の相談じゃないんだよね?」

 確認を込めて聞いてみると、大きく頷き和泉が溜息をついた。

「ああ、俺はもうしたから。真由梨と。その……もう少し先まで」

 じゅ、純粋……? 俺は勘違いしていたのか。思ったより手が早いな。真由梨ちゃんとは相思相愛だから良いのか……? それともチャラ男の片鱗か?

 結局その日は、そこで残念ながら昼休みが終了してしまった。
 なので俺は決意した。

 冬休みに、初めて自分からスノーボードへと、和泉を誘ったのである。

 勿論、設定ヒロインがらみでは無いか否かを確認しなければならないからだ。

 さて、クリスマス近辺は論外だった。年末年始もだ。和泉は、当然真由梨ちゃんと過ごしたらしい。

 その合間を縫って、なんとか学校が始まるまでの間に、今回も二泊三日で、スノーボードに行ったのだ。中1になったせいで背が伸びたからなのか、くるくる回る和泉に迫力が出てきた。俺も、一人である程度滑ることができるようになった。

 お昼ご飯のカレーも、毎年の事ながら、俺にとっては大変おいしい。勿論我が家で出てくるスパイスから調合されたカレーが悪いと言っているわけではない。

 そして夜が来た。
 二人部屋で、それぞれがシャワーを浴び、寝る前というタイミングになった。寝るにはまだ早い時間だが、全身が気だるいから、寝ろと言われれば眠る自信はある。しかし眠っている場合ではない。俺は聞かなければならない。本当は関わらないのが一番良いのだろうが。

「あのね、聞きたいことがあるんだけど」
「何だ?」
「前に言ってた、三葉くんのキスの話なんだけど……」

 すると一気に和泉の表情が苛立つものへと変わった。その表情を見て確信した。おそらくこれまでの苛立ちも、それが原因なのだろう。たぶん苛々していたから西園寺などに、八つ当たりしていたのだろうな……和泉でもそういうことがあるんだろう。

「俺も話したいと思ってたんだ。聞いてくれ」
「うん。何でも聞くよ」
「三葉に、”自分は三葉の恋人だ”ってずっと言ってる相手がいるんだよ」
「どういう事?」
「兎に角三葉のことが好きらしいんだ」
「三葉君の気持ちは?」
「株に集中してる」

 深々と溜息をつきながら和泉が言った。なんだか目に浮かぶようだ。三葉君は恋ではなく株に生きるタイプだろう。和泉は自分を落ち着けようとしているのか、枕に香水をかけながら続けた。和泉もたいがい香水が好きだな。

「俺は、恋人じゃないと思うんだ」
「僕も違うと思うよ」
「だろ? だけどもう、宝石を交換しちゃってるんだ」
「え」

 俺は目を瞠った。だとすると、確実に学園内の人になる。そしてまめな人だ……。やはり中等部の先輩なのだろうか。そんなことを考えていると、和泉が俯きながら、悲しそうなような顔に変わった。

「だけど、三葉も、恋人だって言ってるし」
「そうなの?」
「ああ。だけど三葉は跡取りだから、同性なんて駄目なんだよ」
「跡取りじゃなくても、あんまり良くないよね」
「そうだよな」

 やっぱり三葉くんの相手は同性なのか。
 別に同性愛者を否定する気はないが……そして設定ヒロインではないことに若干安堵もしているが……あんまりよろしくないのは確実だ。設定的に。

「俺も跡継ぎなんか絶対にいやだし」

 和泉の言葉は切実そうで、涙が声に混じり始めた。そうか、いやなのか。これで家督争いフラグも折れただろう。

「恋人だって名乗ってるやつを排除しようにも、俺には全然できないんだ」

 それで体育祭の時、周囲を警戒していたのか。和泉も大変だな。

「もうなんか俺、よくわかんない」

 和泉がついに泣き始めた。それもそうだろうな。自分の兄が同性とつきあい始めた上に、その相手との関係が不審だったら、泣きたくもなる。俺は和泉の隣へと座り、大きく頷いた。和泉はおそらく頑張ったのだろう。

「和泉はよくやってると思うよ」
「ああ――もうさ、放置で良いかな?」

 しかし和泉から返ってきたのはそんな言葉だった。疲れ切ったような顔をしている。勿論スノボのせいじゃないだろう。

「……うん。放置で良いと思うよ」

 俺には、それしか言えなかった。何せ俺には何もできないからな。そして三葉くんよ、君は恋心とは何かを理解しているのか? 危険だな。直接一度話してみるか。そう決意したスノボ旅行だった。

 ――それにしても相手は誰なんだろう。俺は三葉くんが知り合いの先輩を知らない。ちょっとだけ気になったが、聞ける雰囲気ではなかった。


 その後、(俺の体感で言う)三学期が訪れた。

 そして――ヴァレンタインショックが到来した。初等部同様、皆が箱を用意しているのは変わらない。だが、本気で本命が混じり始めたのだ。葉月くんが高崎くんにチョコをあげるのだと頬を染めていた。なにやら侑くんにも好きな相手ができたらしく、もらえるだろうかとそわそわしながら、自分から渡すものをしっかりと選んでいた。

 初等部とは勢いが違う。本命の嵐なのだ。そして今回からは、校門付近に設置されたので、近隣の華邑学院などの女子からのチョコレートも混じり始めた。良かった、良い変化だ。だが俺がもらったものを見る限り、女子からのものは無かった……悲しい。代わりに男子からも少なかった。良い変化ではあるが、世知辛い世の中だ。

 まぁ俺に本命を渡す人など鷹橋先輩しかいないだろうと思ってみれば、先輩からは無かった。俺は、毎年もらっている、存沼と和泉&三葉くんからのチョコレートだけピックアップして、今年はその三人と、葉月君と侑君にだけホワイトデーに返すことにした。中等部のみならず高等部の生徒からのチョコレートもあったので、お返しの箱を用意していても、取りに来ない可能性があったからだ。

 何故なのか、葉月君と侑君には、泣いて喜ばれた。そんなにクッキーが好きなのか。まぁ、これも日本支店のないお店から父が取り寄せた品だし、おいしいからな。


 さて、三葉君と話す機会が訪れたのは、今年最後の行事である音楽祭の日だった。
 学年クラス別に合唱をしたり、演奏をしたりするのである。

 俺のクラスは、沖谷君がピアノを弾き(初等部時代から得意なんだろうな)、みんなで合唱した。俺は口パクを頑張った。さも歌っているようにしながら、終始三葉君の姿を探していたのである。音痴だからではない。いや、音痴なんだけどな。

 外部から見に来ている客も多かったので(当然身元は確かで招待制だ)、風紀委員達は参加せずに、誘導や警備(?)、見回りを行っている。警備員さんは雇われて学校にもいるんだけどな。

 話す機会は、俺のクラスが終わって次のクラスに移った後で訪れた。
 丁度トイレから出てきた三葉くんと、席に戻ろうとしていた俺が遭遇したのだ。

「久しぶり!」

 あわてて引き留めると、いつもの通りの無表情で、三葉君がこちらを見た。
 本当は音楽祭になど興味がなさそうだが、これで今年の行事を、全て三葉君は制覇した。出席したのだ。それだけでも素晴らしい。理由は分からないけどな。

「久しぶり。誉君、元気だった?」

 三葉君の側から元気かと言われるのは初めての経験で、なんだか感慨深かった。俺のせりふだからな!

「元気だよ。ところで……嫌だったら話さなくて良いんだけど、その宝石、恋人と交換したの?」
「恋人? ああ、まぁ」

 まぁって……。俺はそれなりに勇気を出して聞いたというのに、どこ吹く風状態だ。言う気がないと言うよりも、興味がないように見える。本当に三葉君は大丈夫なのか?

 不安に思って言葉を模索していた時、不意に三葉君の瞳がきらきらと輝き始めた。
 これは、株の時と同じ顔だけど……!? まさか同じくらい、その恋人が好きなのか?

「レインボー・マンデー!」

 しかしやっぱり株の話だった。
 株のニュースについて叫びだしたので、俺はそっと三葉君を連れ去った。こんな姿を全校生徒に見せてはいけないだろう。そして風紀委員控え室まで誘導した。そこには西園寺がいた。おそらく西園寺がいるだろうと、最初から踏んでいたのもある。目立つ西園寺の姿が、少し前から会場に見えなくなったからだ。

「どうかしたのか?」
「うんちょっと、自分の世界に旅立っちゃったからよろしく」
「は?」
「すぐに収まるから」

 俺は西園寺に、三葉君を引き渡した。ここにあまり人気もないしな。
 処理を西園寺に丸投げしたのだ。もう面倒ごとは全部風紀委員で!

 三葉くんと西園寺がこれで不和になったらかなり困るが、俺に三葉君を引き戻すのは無理だ。精一杯できることは、周囲の奇異の視線から守ってあげることくらいである。


こうして俺の中学一年生の生活は幕を下ろした。