【8】家を出て学校へ行って帰宅するだけ、ただそれだけだろ。


俺は真っ暗な部屋で、毛布を被って、≪ラグナロク≫のオンライン放送を見ていた。
クーラーをガンガンにつけた部屋で、毛布を被っているんだから、本当電気代がもったいない。時計を見れば、もうすぐ午前六時。結局一睡もできないまま、俺は朝を迎えた。
強制的に魔力を抜かれた体は怠いし、昨日の事件の速報が流れてくるテレビは面白いし(←)、なんだか色々とやる気がでない。
――だけどなんだかんだで、蓮二君は俺から魔力を取る時、普段は手加減してくれていたんだな。
昨日全力で魔力を抜かれた俺は、未だに貧血に似た感覚に襲われている。
同時に――思いの外失恋が辛い。別に付き合っていたわけでも告白したわけでも何でもなくて、勝手に好きになって、相手は単純に俺を敵として監視していただけだと知って、勝手に失恋しただけなので、このやるせない感情をぶつける相手がいないのも辛い。

とりあえず学校に行かないとな。

俺はそう考えて身支度をした。
玄関で、扉の前で、唾液を嚥下する。
蓮二君に会いませんように……! 今顔を見たら、自分のコレまでの行動だとか恋心だとかが恥ずかしすぎて死ねる気がした。もしかして、バレバレで、コレまで笑われていたのだったりしたら、立ち直れない。
ガチャリと扉を開く。
良かった周囲に人気はない。そう思い気を抜こうとした瞬間、隣室の扉が開く音がした。
だから俺は全力疾走!
確認する事など一切せず、兎に角後ろを振り返らずに、学校目指して俺は走った。

「……」

走り去る俺の姿を、出てきた蓮二君が、眼を細めて見ていたこと何て、だから俺は全く知らない。


学校へと着き、肩で息をしながら鞄を机に置いた。
「おはよ」
声をかけると、隣では、気持ち悪いくらい顔を緩ませている八廣の姿があった。
「何か良いことでもあったのか?」
若干ひきながら俺が尋ねると、鼻息荒く八廣が頷いた。
「ついに、ついに! ユウトの連絡先を手に入れた!」
その言葉に、そう言えば昨日ユウトのことを置き去りにして帰ってきてしまった事を思い出した。
「へぇ。おめでとう。そう言えば昨日、≪鼠(魔王)≫は、あれからどうなったんだ?」
「俺が――じゃなくて、≪Oz≫の≪臆病なライオン≫が保護したんだ。今も、≪臆病なライオン≫の家にいる」
「ふぅん。怪我は?」
「無い。ただ急に、血脈魔術使ったせいで、疲労から熱出してるけど。命に別状はない」
「良かったな」
安堵しながら俺が言うと、大きく八廣が頷いた。
「本当だよ。ただまさか≪靴はき猫≫の二人が、アスモデウスとアマイモンの魔術師だとは思わなかったけどな」
「ははははは」
俺は空笑いで誤魔化すことにした。
ユウトが八廣に話していないことを祈るしかない。
幸い知らないようで、その日一日俺は八廣から、ユウトに対する惚気を聞かされた。


夕暮れになった。
俺は夕食の食材を入れた買い物袋を片手にアパートへと戻った。
いつもならば、食材は二人分だ。
そして今日だって、二人分の食材を俺は買ってしまった。無意識って怖い。
「!」
階段を上ろうとして、三段目で俺は足を止めそうになった。
中程の所に、蓮二君が立っていたからだ。
「……」
普段の俺だったら、勇気を出して声をかける。
しかし、しっかりと唇を噛み、俺は視線を合わせないように足元を見たまま、足早に階段を上がる。
「……」
蓮二君は何も言わない。
「……」
俺も何も言わない。
やっぱり、俺から話しかけなければ、会話なんて生まれないんだろう。
そして互いに正体を知り、あちらの意図をしっかりと悟った今となっては、話しかける理由なんて何処にもない。
酷く足取りが重く感じる。
蓮二君は、一体どんな顔で俺を見ているのだろうか。
少しだけ気になって、ほんの一瞬だけ視線を向ける。
すると何も映していない暗い瞳で、冷たい眼差しで、彼は俺の方を静かに見ていた。
「っ」
途端に息苦しくなって、俺は走るようにして部屋へと戻った。
手が縺れて上手く鍵が穴に刺さらない。
それでも何とか鍵を開けて、俺は部屋に入り、しっかりと扉を閉めて、そのまま勢いで床にしゃがみ込んだ。床に落ちたビニール袋からは、野菜が床に転がる。
「何やってるんだろ、俺」
息が、苦しい。

その時外から、ガンと何かを殴りつける音が聞こえたような気がしたが、すぐにそれは俺の脳裏からは消えた。
まさか外で蓮二君が、階段のフェンスを手で殴りつけて八つ当たりしているなんて、思いもしなかったのである。


以来、俺と蓮二君が話しをする事は無くなった。
時折すれ違っても、お互い視線も合わせずすれ違う。
そもそもすれ違わないように、俺は隣の部屋の扉の気配を探ることに必死になっていたし、出かける時も帰宅する時も、周囲の人気をうかがうようにしていた。

そんな俺とは対照的に、日に日に八廣は幸せそうな顔になっていく。

実習中に手を火傷した俺は、痛む人差し指を眺めながら、今日も今日とて、隣の席から聞いてもないのに教えてくれるいかに恋愛が楽しいかという話に耳を傾けていた。
「それがなぁもう本当、ユウトって可愛いの」
「へぇ」
「昨日なんて、どうしても俺にプレゼントを買いに行きたいから、そろそろ家から出してくれ何て言うんだ。俺が一緒に行くって言ったら、頼むから一人で行かせてくれって」
――そろそろ家から出してくれ?
不穏な言葉に、俺は笑顔が引きつりそうになった。
そう言えば俺のスマホに、『ヤバイガチヤバイ俺コレ軟禁されてる』的なメールが来ていたが、てっきり冗談だと思っていたけれども、もしや本当に……。
「頼むから近づかないでくれって言われるんだ。照れ屋なんだよ、本当に」
「……それ、嫌がられてるんじゃ……」
「悪い、何、聞こえなかった。もう一回言ってくれないか?」
最早何も言わない、ユウトよ君が天国に行けるように俺は祈っているよ。
そんな心境で俺は、顔を逸らした。
怖い。八廣、思いの外怖い。あれか、これが世に言うヤンデレか。
≪Oz≫いち空気が読める男の称号は、撤去してやろう。
――って言っても、一応仲間だしな、ユウトは。
「あ、あのさ、八廣」
「ん?」
「≪鼠(魔王)≫にも、仕事があるんじゃないのか?」
「ああ、それな。この際悪役なんか辞めて貰おうと思って」
「別にそれは良いと思うけど、ほら、辞めるにも手続きとかいるんじゃないか?」
「確かに」
「一回≪靴はき猫≫に帰してやったらどうだ?」
そうなのだ。あの一件以来、一度もユウトは帰ってきていないのである。
「そんな事したら二度と俺の前に帰ってこないだろ」
俺の言葉に、八廣が真顔になった。
よく分かっていらっしゃる……。
確信犯だったのか。
最早自分が、≪臆病なライオン≫である事を隠す様子もない。
流石に最近の八廣の様子には、学園中のファンもどん引きである様子だ。
「あ、その……なんだ? チラッと聞いた話なんだけど、≪鼠(魔王)≫とコンビ組んでた≪長靴を履いた猫≫も、≪靴はき猫≫辞めるらしいからさ……辞めるというか、≪Oz≫狙うのとか辞めるみたいだから、一緒に≪カバラ侯爵≫に挨拶に行きたいって噂だぞ……一緒に行かせてやれば?」
まぁ要するに俺のことである。
俺は、色々と考えたのだ。
そもそも悪役を辞めれば、もう蓮二君――トーヤと、接点は完全に無くなるので、もうこんな風に心を痛めなくて良いのではないのだろうかと。逃げるのは決して恥ずかしい事ではない。
「――え、それまじ?」
「おぅ」
俺が頷くと、八廣が目を瞠った。
「トーヤもそれ知ってんの?」
「いくら≪Oz≫がNo.1正義の味方でも、弱小組織の悪役の一構成員の事なんて知らないだろ」
ははは、と笑って俺は返しておいた。
「……ふぅん」
すると八廣が半眼で俺を見た。何か言いたそうだが、俺は気づかないふりをする。実際何が言いたいのか何て分からないのだし。
「ま、そう言うことなら、ユウトに言っとく」
「ん」
「だけど実質、≪靴はき猫≫の顔とも言える二人がいなくなるって、若干寂しいな」
八廣がそう言って笑った。
「そうだな」
俺も笑って返したのだった。


「うわぁぁぁぁあんん、アイスアイスアイス、俺リアル怖かった!」
「ちょ、落ち着けユウト、人格が崩壊してるぞ」
久しぶりに≪靴はき猫≫の本部で会ったユウトは、やつれた体で俺に抱きつくなり、涙と鼻水を零して叫んだ。
「頭おかしかったぞ、≪臆病なライオン≫!!」
「まぁ……善人面の奴の方が、内側に何抱えてるか分からないしな」
「聞いてくれよ、まずもう、会話にならねぇんだよ! 同じ日本語話してるはずなのに理解できなかった。何を言っても、好きだの愛してるだのしか返ってこないんだよ!」
「苦労したんだな……」
ポケットティッシュを渡してやり、並んで歩いて、エレベーターまで向かう。
「その内になんかもう、もしかして俺も好きなんじゃないのかコレって思いだしてさ」
「え」
「付き合うことになっちゃったんだよ!」
「な」
流石にその展開は俺も考えていなかった。
「まぁ長い人生、何事も経験してみるもんだよな。ってことで、俺、恋人ができました!」
すごい。
ユウトって、器がでかい。
半ば呆然としつつ、俺は閉まるエレベーターの扉を見ていた。
二人きりの箱の中で、今度は、ユウトから惚気を俺は聞いた。
学校で八廣から毎日聞いていたので、慣れたモノである。
最上階までエレベーターは上がり、チンと音を立てて扉が左右に割れた。
毛足の長い絨毯を踏みながら、再奥の壁一面に広がる巨大な窓を見る。
その正面の執務机から、丁度≪カバラ侯爵≫こと、カノン様が立ち上がったところだった。
「アイス、ユウト、良く来たな」
無精髭に手を添えながら、いつもより落ち着いた声で、総帥が言う。
青い瞳がソファへと向き、それから珍しく白衣を着ていたカノン様が、腕でそこを示した。
「座ってくれ」
「「失礼します」」
顔を見合わせてから、俺達は中の応接席へと進む。
流石は総帥、と言うか一橋財閥の関係者、ソファがふっかふかだ。
「まずは無事で何よりだ。特に≪鼠(魔王)≫……行方が分からなかったからな……いやその、ヤヒロの所にいるのは分かっていたんだが、何て言うか、すまないな、助けてやれず」
「いえ。恋人関係になったんで無問題です★」
「ぶ」
紅茶のカップを持っていた総帥が、中身を盛大に吹き出した。
かかりそうになったので、俺は避けた。
背後にあった高そうな油絵にかかったが、俺は知らない。
ちなみにこの紅茶は、最初からテーブルの上に用意されていた。中々に美味しい。
「まぁ、そんなわけで、今日を限りに、悪役辞めさせて下さい」
笑顔のままユウトが言う。
「それは、駄目!」
「≪正義の味方システム≫倫理規定、退職時の届け出三条二項で、当日の退職願および受理は認められてますけど」
笑顔。本当笑顔。淡々とユウトが言う。ユウトはこう言うとき、本当に強い。
「分かってるけど、分かってるけどな。今君達に辞められるとオジサン困っちゃうの!」
「君達?」
総帥の声に、短く息を飲んでから、ユウトが俺を見た。
「え、お前も辞めんの?」
「んー、まぁ、ちょっとな。うん。辞める」
「なんで? 俺に付き合ってとかだったら、気にしなくて良いぞ?」
「そんなんじゃねぇよ。ただなんて言うの、心境の変化? ほ、ほら、俺も悪役じゃなくて、正義の味方でも目指そっかなぁ、みたいな?」
明るい声を取り繕って俺は、心にもないことを言ってみた。
「兎に角、悪役が嫌ならやらなくて良いし、≪Oz≫狙いはただの俺の私怨だからな、強制はしない。だけど今な、≪正義の味方システム管理委員会≫から熱烈に頼み込まれてるんだよ。何とかしてお前ら含めて、≪靴はき猫≫に『正義の味方』やって欲しいって」
「「え?」」
「コレまで仕事が無くてうちに入ってた奴らにも、ぼちぼち廃品回収の依頼とか来るようになってるし。ほら、末端構成員集めるのに、無職とかニートとか集めたから、一応この団体、就労支援組織に認定されてるんだよ。それに、一橋の親戚から、『≪正義の味方システム≫の利用続けろ』って若干脅されてるし。後はお前らのファンだな。コレが一番達たち悪い。怪我とか大丈夫なのかって連日連夜、うちの広報に連絡着っぱなし」
「俺達にファンとかいたんすか」
ビックリして眉を顰めた。なるほど世の中には悪役好きもいるのか!
「けど別に俺とアイスがいなくたって良くないですか?」
だが退く気配0で、笑顔のままユウトが言う。
「だからお前らが、≪靴はき猫≫の顔なの。この弱小悪役を有名にしたのは君達なの!」
「そんな事言われてもなぁ。俺この前の一件で、アスモデウスの魔術師だって露見してから、色々なところから好待遇で引き抜き来てて……≪靴はき猫≫給料安いし休み無いんですもん」
ユウトが続けた。そんな馬鹿なと俺は思った。何せユウトは、つい先ほどまでヤヒロの家に軟禁されていたらしいのだぞ。一体何時誘いがあったというのだ。その上、ヤヒロにユウトの正体はバレているし、俺の正体もトーヤにバレているわけだが、通常は分かるはずが無い――と、考えて気がついた。まさかユウト、自給上げ交渉をしているのでは……そしてその推測が当たっていると気づいたのは、直後だった。
「自給3000円はもらわないと、残る気が起きませんね」
「っ」
「しかも≪Oz≫は狙わない」
「……っっっ」
「この二つをカノン様が飲んでくれるんなら、俺とアイスは残りますよ」
って、え、あれ、俺も残る方向で話が進んでいる、だと……?
苦い顔をしたカノン様は、それから深く目を伏せた後、意を決したように頷いた。
「分かった、良いだろう。その代わり、さらなる活躍を期待する」
「よっし、コレでイタリアンのバイト辞められる、フッフーイ★」
ユウトがガッツポーズをしながら立ち上がった。
俺は、今日も世界は平和だなと思いながら、とりあえず窓の外でも眺めておくことにしたのだった。青い空、白い雲。平和なのは、良いことである。

こうして悪役を退職することに俺は失敗したが、≪Oz≫と――トーヤ(蓮二君)との関係は多分絶てる事になったのだった。

その日帰宅してからも俺は、隣の気配を伺っていたのだけれど、この日は蓮二君は帰ってこなかった。