2:魔王討伐と勇者召喚



僕は詠唱する喉を保護するために、鼻まで覆っている口布へと手で触れた。
通気性抜群なので、息苦しくはない。
深々と被ったローブのおかげで、僕の顔は周囲に露見しない。
だから僕が宰相であることを知る者は、誰もいない。
この暗灰色のローブは、クラフト伯爵家に先祖代々伝わるローブだ。
その為、見る者が見れば、僕の出自は分かるだろう。
今、僕は空間転移魔法陣を駆使して、魔王城へとやってきた。
「我が名は魔王――」
何か言いかけている魔王の前で、僕はクルクルと杖を利き手で回した。
その後、地面へと突き立てる。
「時神の導き、地の精霊よ応えよ、≪ウッドティアー≫」
「そんな人の子の魔術など、我に効くものか」
「そうか。――≪時砂トキサゴ≫」
杖を強く握りしめて僕が言うと、魔王の体が石化し、直後砕け散った。

この大陸において、魔術にはいくつかの形式がある。
「時神の導き」が頭に来るのは共通だ。その後は「○○の」――(地・水・火・風・癒しのうち、使いたい物を言う。そして「精霊よ」と続ける。基本的に古代魔術以外は、精霊の力を借りるのだ。下級魔術であれば、その後「ご助力下さい」と続ける。中級が、「力を貸したまえ」であり、「応えよ」は上級だ。それから≪使いたい魔術の呪文≫を唱えるのである。即ち、時神の導き、地の精霊よ応えよ、≪ウッドティアー≫であれば、上級の地呪文である。上級になればなるほど、文言は短くなる。ちなみに僕やゼルクラスの魔術師であれば、≪ウッドティアー≫だけでも、魔術を行使できる。更に、各国に古代文字を駆使した古代魔術が存在する。今僕が放った≪時砂トキサゴ≫は、大陸1魔術師が多く魔力が強い、”アシュタロテ帝国”に伝わる古代魔術だ。僕は母親の出自が、帝国の宮廷魔術師の家庭だったため、アシュタロテ帝国の古代語も理解できるのである。

頽れ散っていく魔王を眺めながら、僕は微笑んだ。

魔王は倒れた。これで面倒な、勇者召喚などと言う事態は回避できる。
実に良い気分で、僕は久方ぶりの休日を消費した。
実に半年ぶりの、休暇である。
休暇が来たら、魔王を倒そうとずっと考えていたのだが、中々休暇が取れなかったのだ。
本当に宰相とは激務で嫌になる。


翌日僕が宮廷へと顔を出すと、レガシーが走り寄ってきた。
「昨日どちらに行ってらっしゃったんですか!?」
「まぁちょっとな。何か変わったことは?」

「大変なんです!! 昨日宰相閣下がお留守だった時に、国教会が、勇者を召喚したんです!!」

その言葉に僕は思わず吹き出しそうになった。
――勇者の召喚?
昨日既に魔王は倒してしまったのだから、全くもって無意味だ。
「しかも昨日のうちに、魔王が討伐されたという情報が駆けめぐっているんで、勇者様をどうするか、皆頭を悩ませて居るんです」
「そうか……」
各地にある教会に、魔王討伐についての情報をばらまいたのも僕自身だ。
しかしこの状況では、いたたまれなくて、魔王を討伐したのが僕だとは言いづらい。
と言うか、別段吹聴するつもりはない。
一体どうしたらいいのか、僕は悩んだ。
「それで、勇者殿は何処に居るんだ?」
「陛下に居室を与えられて、英霊の宮殿の二階にいます」
「そうか。すぐに面会の約束を取り付けてくれ」
「かしこまりました」
そう言ってレガシーが足早に歩いていく。
面倒なことになったなぁと僕は思った。


「初めまして勇者殿。我輩は、フェルシア・クラフトと申します。宜しければ、フェルとお呼び下さい」
僕は、ソファに座っている勇者と、その隣に立っている神官長のジョニー・スイーニードットを交互に見据えた。スイ(愛称)もまた、同学年である。
神官長のスイは、金髪碧眼だ。
愉悦をたっぷり宿した瞳の色をしている。
「ごめんねぇ、まさかこんなに早く魔王が討伐されるとは思わなくてさぁ、先走って勇者を召喚しちゃったよ」
「いや……この国を思うその心持ち、敬服する」
そうは言いながらも、召喚反対だった僕の休日を見計らって、喚びだしたのだろうスイを心の中でボコボコにしてやった。笑顔が引きつりそうになったが、仕方がないと思う。
「改めまして、勇者殿」
僕は意識を切り替えて、勇者に向き直った。
黒髪黒目の少年だ。
「おう! 魔王倒されちゃったらしいな! 俺はアスカ・シラス! こういう字。17歳のコウコウセイだ」
テーブルに置いてあった紙に、勇者が字を書いた。
白砂飛鳥とある。
アシュタロテ帝国の古代文字だったので、僕は少しだけ息を飲んだ。
「外国の人ばっかりだから、ファーストネームを先に名乗るんだよな?」
コウコウセイだの、ファーストネームだのの単語はいまいち分からなかったが、僕は適当に頷いた。
「急にお呼び立てして申し訳ありません。即刻お引き取り下さい」
「無理だ。俺、トラックとの交通事故にあって、死んだと思ったら、神様と取引することになって、それでここに来たんだよ」
「は?」
「だけど魔王を倒すって言う仕事が無くなったんだから、どうしたら良いんだろう?」
「……」
どうすればいいのか、僕には分からない。
この勇者――よくよく見れば、かなり可愛い顔立ちをしている。
国教(三ヶ月に一度好きな日に教会に行く以外は、基本ゆるゆる。食事の時だけ「時の神クロノスのご加護を」と言う)で同性愛が許容されているこの国においては、さぞやモテるだろうと思った。残念ながら、同性の男相手にだが。身長も、みるからに160cm代後半だし、低い方だ。僕の野望は、逆玉の輿に乗ることだから、ちょっと範囲外だが。見ていると、クラッと来そうになる――……そう考えて僕は気づいた。
思わず眉を顰める。
勇者アスカの体からは、魅了チャームの魔術が漏れ出していた。
スイの瞳が時折虚ろになるのも、その効果だろう。
反射的に僕は杖を降り、防御結界を構築していた。
意識を強く持ち周囲を見渡せば、侍従の男達が、皆頬を朱くして勇者を見ている。
「それにしてもお前格好いいな! フェルだっけ? よろしくな!」
「はい……」
危機本能が、親しくなるなと訴えていた。
絶対に親しくなっても良い事なんて無い気がした。

それが、僕の受難の始まりだった。