5:仕事して下さい!
朝の謁見すら滞るようになり、流石の僕も堪忍袋の緒がきれそうになった。
――いいかげん、陛下の目だけは覚まさなければ。
そんな思いで、僕は陛下との昼食の約束を取り付けた。二人きりでだ。此処に勇者アスカを連れてこられたら、色々と駄目だから。
「何の用だ? 忙しいんだけど」
「……たまには、距離や時間をあけることで、愛が深まるかも知れませんよ」
僕が心にもないことを言うと、陛下が満面の笑みを浮かべた。
「そうか。流石宰相だな」
僕は作り笑いを頑張りながら、テーブルクロスの下で杖を握りしめた。
流石に陛下相手に、直接杖を突きつけるのは躊躇われる。
それにしてもこれは本来宮廷魔術師長の仕事だろうに、ゼルの奴は一体何を考えているのだろう。何を考えているのかと言えば、騎士団長もゼルも、何でいきなり僕にキスなんかしたんだ! 全く酷い話しである。
「――≪魅了解除≫」
僕がポツリと呟くと、急速に辺りの気温が下がった。
目の前では、陛下が瞬きをしている。
まるで狐に摘まれたような顔をしていた。
「……? 私は一体何を……?」
「率直に言います。召喚した、勇者アスカの魔術にかかっていたのです」
「魔術?」
「どうやら生まれ持ってのものであるようで、本人にも制御できないようなのですが、人を惹きつける魔術でした」
「ごめん」
「いや我輩に謝られても」
「私はフェルを愛しているというのに、何で、そんな」
「はい?」
僕は耳を疑った。今、確かに愛と聞こえた気がした。
「本当にすまなかった」
「いや別にそれは良いんですが」
実際には全然良くなかったが、僕は魅了魔術は解けたのだし、食事に集中することにした。
とりあえず陛下さえまとも(?)になってくれたならば、それだけでかなり仕事が楽になる。本当はレガシーとスイもどうにかしたいが、あいつらは自業自得という事で放っておこうと思う。
「確かにここのところ、私はアスカにかかりっきりだった」
「そうですね」
「ふがいない」
つい、全くです、と言いそうになったが堪えた。だって宰相はそんなことは言わない。
「所で、騎士団のメンバーを国境警備をしている者達と入れ替えると、オデッセイ団長と取り決めました。事後報告で恐縮です」
「まかせる。有難う」
本当にその通りだと思う。僕がいなかったら、本気でこの城と国は潰れるんじゃないだろうか。結局水曜日は午後から出勤して、木曜日はフルで働いていた僕は、未だに眠いままである。本気で丸二日休みたい。
「構ってやれなくて済まなかった」
「は?」
陛下の頭は、魅了魔術でどうにかなってしまったのだろうか。
「私の愛する人は、フェルだけだ」
僕は同じ愛称の他人の話だろうと、一人納得した。
コン陛下には、前王妃との間に3人の王子と2人の姫君が居る。
息子1(9歳)、息子2(5歳)、娘1(4歳)、娘2(2歳)、息子3(9ヶ月)だ。
王妃は、第三王子を産んだ後、産後の日取りが悪くなって亡くなった。
この国は一夫一妻制である。
その為、跡継ぎにはなんの問題もないが、僕が相手というのはちょっと無茶ぶりすぎる。確かに僕は逆玉の輿を狙っているが、対象は女性だ。
「陛下。大変光栄ですが、我輩の事を想うなら、仕事をして下さい」
「あ、ああ。本当に悪かった。反省しよう」
なんだかどっと疲れた僕は、さっさと食事を終えることにした。
その帰り道。
なんの不幸か、勇者アスカと遭遇した。
「フェル!」
唐突に呼び止められた僕は、思わず冷たい眼差しを送りそうになったのを堪えて、務めて笑顔を浮かべた。
「何か御用ですか?」
「ただ会いたかっただけ」
「何故です?」
「だって、いつ行っても、フェル居ないし」
――お前が来るから、執務室の隣の部屋にこもって居るんだ!
とは流石に言えないので、僕は腕を組んだ。
「何分多忙な身ですので、ご容赦下さい。何か御用がある場合は、補佐官のレガシーに」
「レガシーとは毎日会ってるし」
「……そうですか」
逆に僕が暗殺してやろうかという殺意が沸いてくる。
他の補佐官はまぁいい。しかしながらレガシーは仕事が出来るから、居ると居ないとでは大違いなのだ。いっそあいつの実家の侯爵家に掛け合ってみようか、あそこは女系だし、なんても考える時がある。だが、いくら僕が宰相をしているからと言って、流石に侯爵家に訪ねるのは勇気がいる。
「俺、ずっとフェルに会いたかったんだ。だって……」
だからその理由はなんだと僕は聞きたい。
「一目惚れだったから」
「ぶ」
僕は周囲の目も気にせず、思わず吹いた。宰相にあるまじき行為だとは分かってはいたが、ちょっと吃驚した。嫌、かなり吃驚した。いきなり何を言い出すんだ、この勇者は。
「フェルは俺のこと、嫌い?」
どちらかといえば、大嫌いだ。だが当然そんなことは言わないでおくべきだろう。
「いいえ。嫌うだなんてそんな」
「じゃあ……俺に興味ない?」
基本的に勇者でなければ、なんの興味もない。
「何故その様なことを?」
「俺、避けられてるのかと思って」
その通りである。
「俺さ、お城のみんなが優しくて良くしてるから、フェルとも仲良くしたいんだ」
お断りだ!
「光栄です」
しかし僕も、長年身につけてきた鉄壁の仮面を崩すわけにはいかない。
冷血宰相と言われてはいるが、流石に異世界から来た勇者にまで、冷たくは出来ない。
それに僕が魔王をサクッと倒さなければ、今頃彼は、旅に出て英雄になっていたかも知れないのだから。それにしてもあの魔王は弱かったなぁ。
「じゃあさ。今度みんなで一緒にゴハン食べようぜ!」
「時間が取れましたら、是非」
「約束な」
「承知しました。それではこれにて」
たったこれだけのやりとりだったのに、僕はどっと疲れた気がした。