10:オデッセイ侯爵家への招待状




ジーニアス侯爵に、神殿にいる勇者アスカと何とか会う術をと強請られてから数日が経った。伯爵家の人間である僕は断るわけには行かなかったが、それ以上に城での業務が多忙なので、意識的に先伸ばすことにした(このまま忘れてしまいたい気持ちもある)。
そんな事を考えていると、扉をノックする音が響いた。
「はい」
声をかけると、静かに扉が開いた。
この時間に来客の予定は無かったから誰だろうかと考えていると、入ってきたのは、騎士団長のジークだった。
「少し良いか?」
「ああ」
頷いた僕は、レガシーに視線で珈琲を求める。
片手でジークをソファに促してから、僕もその正面の席へと移動した。
「何用だ?」
「昨日、ジーニアス侯爵家に出かけたと耳にした」
座ったジークは、すぐにそう切り出した。
やはり僕のように宰相という高位の立場だと、各侯爵家の人間も日々の動向を気にするのだろう。僕と仲良くなれば、僕が目をかければそれだけ宮廷においても影響力が増すと、侯爵家の人間ですら考えていると言うことだろう。はっははははははは! 気分が良いな! 僕の影響力万歳! 流石僕だ!
「それが何か?」
僕に傅けば目をかけてやらないこともないんだぞと考えながら、しかし氷のような理知的な宰相の顔を取り繕って、僕は聞いた。唇でだけ、冷笑を浮かべることは忘れない。
「何もされなかったか?」
「――? 意味が測りかねます」
しかし心配そうにジークが続けた言葉に、訳が分からず、僕は思わず首を捻った。
「オルフェンス卿は色を好む。二人きりになるな」
「我輩はそれを誰より知っているつもりだが? ジーニアス侯爵は文官だ」
何せ同僚だったのだから、嫌と言うほどみてきた(そして蹴落とすときには、利用して遣ったものである、その悪癖を)。
「第一、彼は勇者アスカに注進しているし、我が輩とはそう言う関係ではない。二人になったからと言って何も――」
「あれだけ狙われていたのに自覚がないのか?」
僕の言葉を遮って、ジークが低い声音で言った。瞳が険しい。
「何の話しだ?」
困惑しながら首を傾げると、レガシーが珈琲を持ってきた。
「閣下は鈍いですからね。”誰の”気持ちにも気づいていませんよ、どうせ」
「レガシー、騎士団長との会談中に水を差すとは良い度胸だな。そもそも我輩が鈍いだと?」
僕は鈍いどころか、寧ろ俊敏だ。全く、失礼な補佐官である。
「申し訳ありません。ただ、あんまりにも無防備に見えて」
「同感だ」
ジークがレガシーの言葉に頷いた。
無防備も何も、僕は結界を万全に張り巡らせているので、この王宮なみに防御態勢もバッチリである。失礼な二人だ。そもそも一体この騎士団長は、ここに何をしにやってきたのだろう。
「ジーニアス侯爵家では何事もなく、他意も無かったんだな?」
改めてジークに問われたので、僕は腕を組んだ。
「当たり前だ……いや」
そう言えば何事もなくは無かった。
勇者アスカの件を頼まれたではないか。嗚呼、面倒くさい。
「なにかされたのか?」
「ちょっと頼み事をされた」
「頼み事?」
「まぁこの件はひとまず忘れる。それで、用件は何だ? 我輩はこう見えて忙しい」
「――猫の礼に、オデッセイ侯爵家に招きたい」
「ふむ」
やはり宰相に媚びを売って力を得たいという動きで確定だな!
「招きたいと言えば、俺の家の家族も、閣下と是非話しがしたいって言ってます」
レガシーにもそう言われたので、僕は気分が良くなった。
侯爵家に奪い合われる僕!
それだけ宰相としての僕の力と威光は偉大なのだろう!
思わず顔が緩みそうになったので、必死で引き締めた。
「招待状だ。日時は、次のフェルの休みにあわせてある。時間を作って欲しい」
ジークはそう告げると、僕に蝋印された白い封筒を手渡した。
受け取りながら、何となく優越感を覚えて、静かに頷く。
「承知した」
思えば仕事以外でジークと二人で話をする機会は初めて訪れる。
無論――向こうが宰相の加護を欲しているのだと理解した以上、こちらも利用させて貰う算段はいくらでも練る事ができる。侯爵家が手駒になる――悪くない。しかし猫を口実にするとは、中々にやり手だ。初めからそれを狙っていたのだとすれば、侮れない。
――……あんなに穏やかに猫と戯れていた姿を見たから、ちょっと嫌だけどな。
あの時のジークは本当に猫好きに見えたのだ。
「多忙な中邪魔をして悪かった。楽しみにしている」
ジークはそう言うと立ち上がったので、僕は見送る事にした。
「我輩も楽しみにしているぞ、ジーク」
まぁ良い。オデッセイ侯爵家の目的が何であれ、僕は利用できるモノは何処までも利用し、完璧な宰相として、この宮廷を渡りきっていくつもりなのだから。
暫し扉の側で見送っていると、背後でレガシーが溜息をついた。
「……いつからジーク呼びになったんですか?」
「ん? ああ、貴様が勇者の元に入り浸っていた頃だな」
「しかもあんな風に独占欲丸出しの騎士団長とか……」
「思わぬ誤算だったが、他の侯爵家に目をかけたと思いこまれた事で、焦りを生み出すことができたのかもしれんな。貴様もそうだろう、レガシー」
してやったりと言った気分で、僕は笑いながらレガシーを見た。
「……」
「どうした? 図星を指されて言葉も出ないか?」
「……何でそんなに鈍いんですか」
最近、鈍い鈍いと弟のレイにも言われるが本当に心外である。それ以前に、図星をつかれたからって他者を貶すものではない。
「オデッセイ侯爵家、俺も行っても良いですか?」
「断る。我輩に目をかけて欲しければ、いくら侯爵家であっても、相応に――」
「本当あんたは馬鹿だな! そうじゃなくて、そうじゃなくてだ! 貞操の危機だって言ってるんだよ!」
「侯爵家で貞操の危機だと!?」
玉の輿にはぴったりではないか!
要するにオデッセイ侯爵家では、地位の高い女性からのアプローチがあるのかも知れない!
レガシーは腐っても侯爵家の人間だから、他の侯爵家の動向も知っているのかも知れない。
しかしついに僕にもハニートラップを仕掛けられる日が来たのか。何故なのか、こんなに格好いい僕なのに、これまでにはニートラップが来たことはないのだ。
「俺が一緒だったら、守ってやれる……!」
「案ずるな。我輩は、三十秒で貴様を倒せるぞ、レガシー」
文官だからと言って、僕の攻撃力を甘く見て貰っては困る。
何せたった一人で魔王を余裕で倒せる僕なのだ。
「とはいえ、貴様も一応目をかけてやっている部下だ、と言うことにしてやらないわけでもないから、レガシー侯爵家からの誘いも受け付けるぞ。何時にする?」
「……」
「ここのところ、魔王もいないし勇者アスカも大人しいから、休日が毎週半日くらいなら取れるしな。次の週末がオデッセイ侯爵家だから、最短でその次だ。我輩の予定が埋まるのは、俊足だぞ」
「……そうっすね。じゃ、その次、空けといて下さい。侯爵家って言うか、俺のために」
「? 貴様のために?」
なるほど、我輩を暗殺して、宰相になろうとしていたくらいだから、家の意向ではなく、自身の意向で僕の力を借りたいと言うことか。確かに勇者アスカの件では助かったから、一つくらいなら力になってやらないこともない。くくくくく、っはははははは! 何て僕は心が広いんだ!
「いいだろう。精々我輩を楽しませて見せろ」
「っ」
「レガシーのちっぽけな悩みの一つぐらい、全力で叶えてやれる程度の実力と影響力は持ち合わせているつもりだ」
どうせ出世したいとかだろう。主席宰相補佐官になりたいとか、そう言う部類の。
いや、それを通り越して、副宰相の地位を狙っているのかも知れない。
現在名目ばかりで名前だけ副宰相や主席宰相補佐官の地位にいる老害を、ばっさり切る日もその内来るから、その時にはレガシーの出世も考慮してやらないこともない。
「……後悔するなよ」
「後悔?」
「俺の望みを叶えてくれるんだろ?」
「? ん、まぁ、可能な限りは考慮してやらないこともない」
しかし無茶振りされたら困るので(例:クーデターに荷担しろ)、僕はそう口にした。
「閣下にできる事が俺の望みだ――閣下にしかできな事が」
確かに僕は、努力型とはいえ完璧な人間なので、僕にしかできないことはきっとあるだろう。真剣な瞳で僕を見るレガシーを見て、静かに頷いた。

その日はそれから、遅くまで仕事をした。
宰相府を出たのは、午前三時を回った頃のことだった。