12:神官長
宰相府には半休願いを出して、僕は大神殿へと向かった。
私情で仕事を休むなんてどうかしていると思うが、いてもたってもいられないという思いもあった。だけどこの理性的な僕の心を動かすなんて、流石は僕の弟だな!
「何か御用ですか?」
待っている部屋へ入ってくる形早々、冷たい声でスイーニードットが言った。
金色の髪が揺れていて、碧瞳が蔑むように僕を見ている。
見返す僕の目も多分かなり険しいモノだったと思う。
「弟が世話になったらしいな」
本当は堪えて知らぬ存ぜぬを通すべきなのだろう。しかし一言言ってやりたかった。僕の可愛い弟に手を出したのだ。許せるわけがない。もしこれが、僕が敵だからだという理由で近づいたのであれば尚更だ。そして他の理由がいまいち思いつかないのが哀しい。
「……聞いたんですか」
「ああ。覚悟しろ」
僕はそう告げて、杖を構えた。
本来であれば、神殿で魔術を使うことなど、御法度だ。ばれたら職を失うかも知れない。
しかし僕は、スイ(略)は、こういう事態を密告するタイプでないことを知っている。元来むかつくほど頭が回るため、僕と良い勝負の謀略の手腕を放つスイだが、色恋に関する悪い噂が出回ってしまうほど、肉体関係などに関しては知謀を使わないと聞いている。そもそも別段僕は、攻撃するつもりではない。
「私を攻撃するつもり――では、なさそうですね。いくら弟の件で感情的になろうとも、冷徹な宰相閣下がその様なことをするわけがない。免責は免れませんからね」
「どうだかな。我輩は気が短い」
「――結構です」
「なに?」
「どうせ大方アスカの魅了魔術の解除に来たのでしょう? 不要ですよ、私には」
「……どういう事だ?」
スイの口ぶりからして、魅了魔術に気がついている様子だ。
――勿論、気づいていなかったり、魅了魔術に罹ってしまう方が、神に仕える大神官としては、最悪だというのは僕にも分かる。しかしだとすれば、何故勇者アスカと共にいるのだろう。
「正直に言います。貴方の弟に近づいたのは、勿論貴方の弱みを握るためでした。貴方は神殿にとって、邪魔極まりない」
「正直すぎるだろう……」
僕のせいでレイが巻き込まれたと聞いて、良い気分はしない。
「ただこれだけは本気です。私は、本気になってしまった」
「――? 勇者にか?」
「レイに……レイブンズ・クラフト時期伯爵にです」
「な……本気って、本気でレイのことが好きだと、そう言っているのか貴様は!?」
「……ええ」
「駄目に決まってるだろ! レイは、伯爵家の跡取りだぞ!」
「分かっています。ですから……諦めようと思った。諦めきれないと自覚してからは、何とかして貴方を失職させて、当主を貴方にして、レイに婚姻や子孫を残すという責務を考えなくて良いようにさせたかった。何時しか私は、貴方を蹴落としたい理由が、レイを貰い受けたいからに変わっていました」
「……」
なんと返答して良いのか分からなくなり、僕はスイの顔をただ見守る。
「ですが、理性では分かっていたんです。私が諦めるべきだと。私には、レイを幸せにする事はきっとできない。私は神官長であり、関係を公にすることすらできないのですから」
多分レイは、一言スイから『好きだ』と言ってもらえたら、幸せだと思うはずだ。何て自分勝手な奴なのだろうと、僕はスイを睨め付けた。
「丁度良い機会だったんです。コレまでずっと手放せなかったのに、漸くできそうなんです。魅了魔術は、私の背中を押してくれる。諦める手助けをしてくれる。魅了魔術にかかっていれば、私はレイを手放せる。貴方だってその方が都合が良いでしょう?」
「都合は良いさ。レイは貴様にはもったいない」
だが、だからといって、レイの苦痛を知らないこの愚者を許せる気もしない。
「魅了魔術は解除する。だが、貴様にレイはやらん」
「解除したら、私はどんな手を使ってでも貴方の元から、レイを奪いますよ」
「ふざけるな」
「ふぜけてなどいません。本気です」
「冗談も大概にしろ。貴様ごときの弱者がこの我輩に勝てると本気で思っているのか?」
怒り心頭も手伝い、僕は嘲笑を浮かべてしまった。
杖を握りしめ、突きつける。
「時神の導き、風の精霊よ応えよ、≪ウィンドティアー≫」
「時神の導き、癒しの精霊よ応えよ、≪ライトバレッド≫」
反射的にスイが、僕に十字架を突きつけた。
上級魔法同士が、室内でぶつかり合う。
それにしても本来は回復で使う癒しの魔法を、容赦なく攻撃魔法で使ってくるスイは、やはり侮れない。ただどこからどう見ても攻撃している時の方が生き生きしているので、絶対コイツの本性はこちらだと僕は思う。
「第一私の魅了魔術を解除してどうするのです? 貴方は散々、アスカの件で困っていたくせに!」
「だからなんだ! 勇者よりも弟の方が大切だ! 我輩の実力であれば、勇者の一人や二人どうとでもなる!」
「その大切な弟に領主たる苦労を全て押し付け結婚や子孫を残すという責務から逃れ続けている貴方の言葉など信じられません!」
痛いところを突かれた。
確かに僕は、出世的な意味合いでも、そろそろ結婚した方が良い年齢ではある。もう最高位まで文官としては出世しているわけだが、今後の人脈などを考える限り。
「好きだ好きだと口だけで、弟に辛い思いをさせるような、肉体関係過多の同性愛者に、レイは渡せん!」
しかし負けを認めることは、僕のプライド的に許されない。
その思いが、国内で使うのは止めておこうと思っていた、アシュタロテ帝国の魔術の使用を決意させる。
「≪若紫≫!!」
「っ」
瞬間周囲の空間に亀裂が入った。
流石のスイも飛び退いた。
僕はその好きを見逃さず、杖を突きつける。
「≪魅了魔術≫」
「くっ」
「時神の導き、水の精霊よ応えよ、≪ウォータースプラッシュ≫!!」
頭を冷やせと言う気持ちで杖を振ると、ばしゃばしゃと滝のような水が、スイの頭上から降ってきた。
本当はレイの心の痛みの分痛めつけてやりたい気もしたが、そうしたら優しいレイは逆に泣いてしまうんじゃないかと思って、手加減した。
「……私は……っ」
攻撃魔術の効果が消えると、ぺたりとスイが床に座り込んだ。
びしょ濡れになりながら僕を見上げている。
「……お義兄さん」
「ッ誰が、義兄だ!」
「レイを私に下さい!」
「やるか!」
「ですが私たちの仲を取り持つためにここまでしてくれたのでしょう?」
「勘違いも甚だしい! 消えろ! ただレイが勇者に負けるなんてあり得ないと思っただけだ!」
僕はそうきっぱりと告げ、帰ることにした。
本当はこの場でスイにとどめを刺したい気もしたが、レイが泣いたら嫌だ。
その時のことだった。
「何やってるんだよお前ら!」
焦るように駆け込んできたのは、勇者アスカだった。
「俺のために争うのは止めてくれ!」
「は?」
思わずその言葉に僕は素で声を上げてしまった。
「フェル、俺のためにここまで来てくれるなんて……!」
確かに勇者のために来たとも言えるが、なんだかニュアンスが違う気がする。
「俺の一番は……フェルだから……!」
何の話しだ、何の。
「俺、王宮に戻るよ。これからはずっとフェルの側にいるから!」
「アスカ……私は貴方の幸せを願って身を退きます。幸せに」
すると背後で泣くようにスイが唇を噛みしめて、片手で顔を覆った。
――変わり身早ッ!
しかし奴が、掌の下で爆笑している姿を僕は見てしまった。
……まさかとは思いたいが、初めからレイを手に入れるために、僕と勇者を遭遇させるためにしくんだと言うことはないだろうなと疑ってしまう。スイならそれくらいやりかねない。だがだとしても、現在の僕には打つ手はない。
「――勇者殿。ですが、神殿にいた方が良いと思います」
「なんでだよ? 離れていた方が愛が深まるかもってスイとレガシーに言われてこっちに来たけど……もう十分深まってるの分かったし」
言いながら勇者が頬を染める。
ちょっと待て、一体どういう事だ!
「俺がここにいる間に、スイのこと好きになったらずっといるって話しをしてたんだけど、俺やっぱりフェルのことが好きだから」
僕が絶句していると、スイが泣き真似を続けながら明らかに馬鹿にしたように笑った。
「アスカ、私は身を退きます。もう貴方を引き留めるモノは何もない、城に戻って愛をはぐくんで下さい。私が身を退く以上、絶対に宰相閣下を離さないように」
「有難うスイ!」
僕は気が遠くなりそうだった。
「宰相が神殿に殴り込んで、大神官のスイ様とバトルし、勇者のアスカ様を強奪したって噂聞いた?」
城に勇者アスカが戻ってきてから二日が経った。
僕は、反射的に廊下の壁に背を密着させて姿を消した。
現在城を駆けめぐっている噂に頭が痛くなってくる。
全力で否定したい、否定し尽くしたい。
全ては弟のための行動だったと言いたい。
だが、だが、そうすると必然的にスイとレイの話に触れなければならなくなりそうだし、そんな話を広めるわけには行かないので、僕は何も言えないままでいる。
城にアスカが着いてきてしまったその日は全てレガシーに押し付けて事無きことを得たが、今日の午後は絶対に時間を作れとレガシーに言われている。
何故部下からそんな事を言われなければならないのだろうとは思うが、しかたがない。
「で、閣下。どういう事ですか?」
午後になって、僕はレガシーに詰め寄られた。
「ちょっと色々あってな。悪いんだが、神殿以外の場所に勇者殿を放逐してくれ。ジーニアス侯爵あたりで良いだろう」
「凄い勢いで、宰相閣下と勇者殿の純愛伝説が広まってますけど」
「純愛か。我輩も純愛などしてみたいものだな」
馬鹿にする様にそう言いながら、思い浮かんできたスイとレイの顔を振り払う。
恐らくあいつらは純愛ではない。
しらないけど。
純愛だとしても認める気はない。
そして実際半分くらいは本気で、僕は純愛とやらをしてみたい。
しかし相手が勇者というのは御免だ。
「――……デマなんですよね?」
「当然だ」
「じゃあ何で神殿に?」
「貴様には関係ない」
「まさかスイ様に陥落したとか言いませんよね?」
「ありえん。あいつと純愛するくらいならば、まだ貴様の方がマシだ!」
「っ」
「さっさと仕事をしろ」
「――閣下」
「なんだ?」
「……その、俺で良ければ」
何を言っているんだ、レガシーは。お前以外に一体誰が、勇者を放逐する仕事に成功すると言うんだ。そんな心境で僕は眉を顰めた。
「ああ。お前が良い。早くしてくれ」
「う、あ、あの」
「レガシー? さっさと勇者をどうにかする仕事をしろ」
「……え、ええと」
「何ならお前が勇者と純愛しても良いんだからな」
「え」
「兎に角、他の書類仕事その他よりも何よりも優先して勇者アスカを遠ざけてくれ」
また多忙な日々へと逆戻りするのは絶対に嫌である。
「……閣下って、恋してます? 恋したいとか思います?」
「してない。したいとも、この多忙な現状では思わん」
「暇になったら……ちょっとは考えてくれるのか?」
「まぁな。そうだろうな。恋など心に余裕がなければできんだろう」
話しに聞く限り、恋とは自分に余裕が無くなるらしいのだしな!
嗚呼これからどうなるのだろうかと、僕は頭が痛い思いだった。