16:オデッセイ侯爵家




次の休み、僕は騎士団長であるジークの家へと向かった。
辺りは既に暗い。
星の光が落ちてくる。
流石は侯爵家――そう賞賛するのが相応しいほど、気品ある外観で歴史も感じさせるが、よく手入れされているのが分かる館は、古くさいとは感じさせない。季節の花が咲き乱れた庭園を抜けて、豪奢な玄関へと案内される。迎えの馬車を降りてからここまでの間、僕はずっと、それ自体が値の張りそうな骨董品という風情のオデッセイ侯爵家の敷地と屋敷を眺めていた。先導してくれるオデッセイ侯爵家の使用人の制服一つ取ってみても、大層値が張りそうである。招待主のジークは、屋敷の中で待っているらしい。
通常であれば、伯爵家の人間である僕が、侯爵家に足を踏み入れることなどあり得ない。だから、気づけばそれなりに緊張してもいる。だが、そこはやはり宰相になった僕の実力が招かれた理由であるし、何も動揺する必要など無いはずだ。そう何度も考えて自分を落ち着かせる。第一、緊張している姿など、宰相らしくないので却下だ。
「ようこそお越し下さいました、クラフト宰相閣下」
豪奢な扉の中へと通されると、品の良さそうな執事にそう言われた。
壁際にずらっと並んだ使用人達が、礼を取った執事にあわせて、一斉に頭を下げる。
「我が主、ジーニアス侯爵ならびにジーニアス伯爵は現在領地の視察に出向いておりますので、代わって御礼申し上げます」
「こちらこそお招きいただき感謝する。よろしくお伝え下さい」
僕は冷静な声を取り繕って、そう応えた。
なんだ、侯爵本人と、ジークの兄であり既に領地の一部の経営を預けられている伯爵はいないのか。これで少し気が楽になったのは事実だが、人脈作りの機会を地味に逃してしまった。ジークもどうせなら、父親と兄がいる時に呼んでくれれば良いものを。ジーク本人は次男だったなと思い出しながら、僕は執事に着いて歩き始めた。
通された応接間に入るとすぐに、ジークが立ち上がった。
「来てくれたんだな」
「ああ。楽しみにしていた」
本当はせっかくの休日だしぐっすり眠っていたかったけどな!
内心を押し殺して僕が応えると、ジークが頬を持ち上げた。
「っ」
その笑顔が何とも柔らかく優しく見えて、僕は思わず息を飲んでしまった。普段讃えている威厳やどちらかと言えば恐怖を感じさせる威圧感ある瞳が、大層柔和に見える。普段の騎士団の装束とは異なるジークの出で立ちは、華美な装飾など無いのだが、そのシンプルさの中に光るアクセントが目を惹きつけて放さず、本人の空気と相まって、非常に洗練されて見える。流行を追いかけているようには見えないが、最先端にいるような麗しさだ。
「……やられたな」
精一杯気を配って私服を厳選している僕は、服装に関してもジークは好敵手だなと認識を改めた。てっきり剣を振るのに命を賭けていそうだから、服装に拘っているとは思わなかったのだ。いや、何せ侯爵家の人間なのだし、業者が来て直接仕立てていくのかも知れない。要するにジーク(というかオデッセイ侯爵家)お抱えの仕立て人のセンスと僕は対決しなければならないと言うことだろう。負けるか!
「どうかしたのか?」
「いや」
「座ってくれ」
促されたので小さく頷き、僕はソファに腰を下ろした。これがまた、柔らかすぎず過多すぎず、何とも座り心地が良い。刺繍している糸一本一本にまで、こだわり抜かれた、究極のソファだろう。これならば、王宮の側にある迎賓館なみだ。ここまでとは言わなくとも、これに近いソファがある宿屋が、城下町にもう少し沢山あれば、建国記念日に来賓はあてがうホテルがすぐ決まるだろうに。そう思って、僕は良いことを思いついた。
「ジーク、建国記念日の来賓客を、オデッセイ侯爵家で幾人かもてなしてもらえないか?」
「――父上や兄上とも相談しなければならないが、可能な範囲で受け入れは可能だと思うぞ」
「そうか。助かる。後日改めて宰相府から、依頼書を送る」
「分かった――……ただ、フェル」
「なんだ?」
「せっかくの休日だ。仕事の事は忘れてくれ」
ジークの呆れたような声で、僕は顔を上げた。
見れば彼の腐葉土色の瞳に苦笑の色が浮かんでいる。
「ああ、悪い」
それもそうだなと考えていると、侍女が紅茶を淹れてくれた。見るからに美味しそうなマカロンもある。一口飲み、美味っ、と思わず目を見開いていると、ケーキが差し出された。流石は侯爵家だ、良い茶葉を使っている。恐らくこの紅茶一杯分の茶葉で、僕の家が所有する領地に、教会が一つ建てられるだろう。
「所でジーク。今日は仕事が早く終わったのか?」
「いや。副団長に任せて、定時で帰ってきた。一刻も早く、フェルに会いたくて仕方がなかったんだ」
「そう言えば何か話しがあるそうだな」
カップを置きながら僕が言うと、ジークが唇の両端を持ち上げて薄く笑った。
「ああ。すぐに夕食の準備が整う。食べながら話そう」

それから僕は案内されて、ダイニングまで移動した。
次々と運ばれてくる料理の数々は、やはり侯爵家の一品だけはあるなと思わせる味と見た目だった。食材の一つ一つも、厳選されたものだと分かる。これならば、他国の重鎮をもてなすにも最適だ。気がつくと僕は、建国記念日の来賓対策のための、試食をしている気分だった。警備体制も万全だし、これは良い。折角だから、他の侯爵家や、いくつかの、僕の家とは違ってゼルの所のように金銭的に余裕がありそうな伯爵家にも、手伝いを頼もうか。だが、手配するとなれば、宰相たる僕が率先してやるのが筋だろう……クラフト伯爵家には招かない言い訳を考えなければならない。いや、逆に、一人くらいもてなしやすそうな人間がいれば、もてなすことにして――……
「何を考えている?」
ジークの言葉で、僕は我に返った。
まずいまずい、仕事のことが頭から抜けない。
せっかくの休みだというのに、普段が多忙で一日が40時間くらい欲しいと思っているせいで、このように空いた時間ができると、無駄にしないようにと、仕事について考えてしまうらしい。それにしても何で一日は二十四時間しかないんだ!
「すまない。あまりにも時間が流れるのが早く感じて。もったいなくてな」
僕が苦笑を漏らすと、ジークが息を飲んだ。
「――俺も時間が流れるのが早く感じる。フェルと一緒だといつもだが。この時間が何時までも終わらなければいいと願ってしまうんだ」
ジークが同じ事を考えていたのだと知り、少し驚いた。何せ騎士団の仕事は、僕の宰相府とは違って規則正しいだろうから、日々それ程時間の流れに変化など無さそうなのに。第一僕と一緒だと時間の流れが速いとはどういう意味だ?
「食事は気に入ってもらえたか?」
「ああ。流石はオデッセイ侯爵家のシェフの腕だ」
「次は好物を作らせるから言ってくれ」
「好物?」
「もてなすに当たって、クラフト伯爵家に、フェルの好きなものや、日々の食事を尋ねに行ったらしいんだ、うちの執事達が。クラフト伯爵家の人間は皆口が固くて、誰も口を割らなかったと聞いた」
「……そうか」
僕は思わず顔を逸らした。良くやった、我が家のみんな。確かに言えるわけがない、使用人は基本的に日中のシフト制で、朝と夜は領地経営をしている実質当主のレイ自らが料理をしているなどとは。勿論、昔は、住み込みの使用人が多かったのだが、現在は例え住み込んでいる使用人であっても、賃金節約のために朝夕は自由時間なのだ。
「ジークがこちらのことを思って食事の用意をしてくれるだけで十分だ」
実際侯爵家の人間からこのように目をかけてもらえるだけで、かなりの対応を受けていると思う。まぁそれもこれも、宰相になった僕の努力の結果だけどな!
「いや、聞かせて欲しい。俺は、フェルのことならなんだって知りたい。知りたいんだ。好きな食べ物嫌いな食べ物、普段の休暇は何をしているのか。俺は――……城でのお前のことしか知らない。最初はそれで十分だと思っていた。でもな、それだけじゃ我慢ができなくなる。お前のこれまでの人生についても知りたい、何を考えているのかも知りたい。浅ましいのは分かっている、懐かしそうにフェルとの思い出を語り親しそうにしている宮廷魔術師長を見れば、それでも嫉妬せずにはいられない」
不意にジークが、つらつらと口にした。あまりにも自然に発せられたため、その意味を咀嚼するまでに暫く時間がかかる。何度か瞬きをしてから、僕はゆっくりとジークを見た。いつも通りの、余裕ある表情と物腰に見えるというのに、響いた言葉は何ともせっぱ詰まったもののように聞こえた。
「知ってどうするんだ?」
僕は順番に言葉の意味を理解することにした。
僕のことを知りたいというのは、お目が高い! なんて考えもしたのだが、よく考えてみると最近のジークは変だ。僕にいきなりキスしてきた頃くらいから、おかしいだろう。この多忙な時期に、騎士団長まで使えなくなると言うのは非常に困る。早い内に手を打っておこう、僕にできることはしておこうという心境だ。
「分からない。ただ、無性にそうしたいと思う」
「何が知りたい? 知って満足することがあるのならば、答えてやっても良い」
流石に国家機密などは話せないが、僕の個人情報を少しくらいなら提供してやるのはやぶさかではない。美味しい食事もごちそうになったわけだし。
「フェル。お前は俺の事をどう思っている?」
「どう? どう、とは、どういう意味だ?」
「好きか? 嫌いか?」
基本的に僕は、一人の他者に対して、好きな点と嫌いな点を見つける。勿論、そう言った意味であれば、ジークには好ましい点の方が多い。何せこの僕が好敵手認定しているのだから、素晴らしい点ばかりで当然だ。負けないように僕は頑張らなければならない。
「好きだ」
結論が出たのでそう答えると、びくりとジークが肩を振るわせた。
反射的に片手で顔を覆ったジークの姿を、僕は怪訝に思って見据える。何故なのか、騎士団長の顔が、朱くなっていく。
「……っ、もう一度言ってくれ」
「好きだが。それがどうかしたのか?」
「もう一度」
「しつこいな。好きだと言っているだろう」
「……!」
僕が淡々と繰り返すと、ついにジークは目をきつく伏せた。しかしそれにしても赤面している騎士団長の姿など貴重だ。そんなに僕に好きだと言われて嬉しいのだろうか? 嫌いなところもあると告げて、一つずつ上げてやったら、どんな顔をするのだろう、何て意地の悪いことを思いついたが、流石に止めた。見守っていると、ジークがぐいと酒をあおった。
「――分かっていて聞く。それは恋愛対象としてか?」
「は?」
「やはり……違うんだろうな」
「あたりまえだろう」
何で僕がジークと恋愛しなければならないんだと思いながら、僕もまた酒に手を伸ばした。
「どうすれば、俺を恋愛対象としてみてくれるんだ?」
「そう言われてもな……」
「これまでこんな風に自分から人を好きになった事が無い。だから笑われるかも知れないが、どうすれば良いのか分からないんだ」
「生憎と我輩も、知りたいと願うほどの恋などしたことがないから、笑う以前に、恋を知りたい」
「――本当か?」
「ああ。しかしそうか、恋をした場合どうすればいいのか悩んでいたのか」
僕は腕を組んだ。
あまり食事の席で腕を組むというのは行儀の良いことではないだろうが、真面目に考え事をする時、つい組んでしまう癖があるのだ。恋――といえば、それこそジーニアス侯爵に聞けば、何か分かるだろうが、却下だ。何せオルフェンス卿は、恋愛関係で失敗ばかりしている。この忙しい時期に、ジークにまで恋愛問題でフェードアウトされたら困る。
「そうだ、陛下にご相談したらいかがですか? 恋愛の玄人を自負しているのだし」
それに陛下と騎士団長はご学友だ。ぴったりでは無いか。
「恋が仇に相談する気は無い」
「恋が仇? あ、そういえば、して、我輩に話したい事とは結局なんなのですか?」
僕はジークの言葉で、本日の来訪目的を思い出した。
もしや、陛下を恋敵とした、他国の王族との婚姻話――だったら、少しやっかいである。陛下を敵に回すのは、面倒だ。
「既に何度も伝えていると、俺自身は思うんだ。ただ伝わっていないようだから、改めて言わせてくれ。好きだ、フェル。付き合って欲しい。俺の恋人になってくれ」
「ああ。承知した」
その言葉に、僕は酒の入るグラスを置いた。
率直に言われた声に、静かに視線を向ける。
頬が若干熱い気がするのは、きっと酔いのせいだ。
「返事はゆっくり考えてくれて構わない、だからすぐに断らないで欲しい――……な、何?」
「だから付き合っても構わないと言っているんだ、我輩は」
きっぱりとそう告げ、僕はジークを見た。
腐葉土色の彼の瞳が見開かれている。息を飲んだのが分かった。
僕だって、ここまで言われ続ければ、ジークが本気で僕のことを好きなのだと分かる。生憎僕はジークのことを好きというわけじゃないが、確かにいつかレイも言っていたとおり、騎士団長が恋人というのはステータス的に悪いことではない。また、フってしまえば、後で角が立つことは目に見えている。
「ただしプラトニックで頼む。許可無く手も触るな」
「フェル――っ、それは、その……」
「なんだ?」
「本当か? 良いのか?」
「ああ」
「付き合ってくれるのか?」
「くどいな、貴様も」
「……信じられないんだ」
呆然としたようにジークが呟いた。まぁ、それはそうだろうな! この僕の恋人になれるだなんて、最高の栄誉だ。
「俺のことが、好きか?」
「ああ」
「だが、恋愛対象ではないと……」
「その通りだ」
「……何を考えているんだ?」
「しつこいな。付き合う気がないんならこの話は終わりだ。ジークは明日も仕事だろう? 我輩はそろそろ帰宅する」
「待て、待ってくれ。付き合いたい。そうか……そう、だな。これから好きになってくれればそれで良い」
「努力はしよう。後この話、くれぐれも広めてくれるな。ただでさえ忙しい上に、根掘り葉掘り聞かれては困るからな」
「宮廷魔術師長には、話しても良いか?」
「ゼルにか? 好きにすれば良い」
僕がそう答えると、ジークが複雑そうな表情ながらも、安堵するように吐息した。
好きじゃないのに付き合うなんて、我ながら酷いことかも知れないとは思う。
だがあれだ、手に入らないから欲しくなる、と言うこともあるかも知れない。
頃合いを見計らって、別れようと僕は決めてた。
――他者の中での評価を上げる事に力を注げるこの僕だ。
きっと逆もできるだろう。
それにこの事実を利用して、勇者の気持ちもきっぱりと断れば良い。さてこれからどうしたものかと考えながら、僕は酒を飲み干した。