【10】睡魔



「……ん」



 目を覚ますと、俺は見覚えのない部屋の寝台にいた。朧気な記憶を辿ると、馬車に乗り込んだのが最後だ。



「目が覚めたか?」

「っ、宰相閣下!」

「イルゼ」

「イルゼ……えっと、あれ、俺……」



 なんと隣には、宰相閣下が寝転がっていた。どうやらここは、宰相閣下の寝室の一つのようだった。



「よっぽど疲れていたらしいな。あまりこんをつめるなよ。馬車に乗ってすぐに、俺にもたれかかって寝てしまったお前を見ていて、体温を感じた所までは僥倖だったが、心配にもなる。到着しても一向に目を覚まさないから、ここへと運んだ。抱き抱えられて幸せでもあったし、寝顔を見ているのも悪くは無かったが」



 悪戯っぽい眼差しで述べた宰相閣下を見て、俺は毛布を握り締めながら悶えた。確かに今日一日はずっと睡魔に襲われてはいたが、とんだ失態だ。顔を隠してしまおうかと思った時、宰相閣下が距離を詰めて、寝転がったままで俺の髪を撫でた。



「食事の用意は整っているが、もう少し休むか?」

「……胸焼けがしていて」

「体調が悪かったのか?」

「違います、チョコレートの食べ過ぎです」



 心配そうな表情に変わった宰相閣下に対し、慌てて俺が否定すると、彼は目に見えて安堵した顔つきになった。



「先に食べてくれ。俺は、正直もう少し横になりたい……」



 何せ、宰相閣下の寝台は、寝心地が非常に良い。慣れ親しんだ俺の自室の寝台よりも、俺の体にしっくり馴染んでいるようにすら感じる。



「体調が悪い時は、無理に俺の誘いに応じる必要はないんだぞ?」

「無理はしてない……それより、イルゼは色々話があるんだろう? 横になりながら聞いても良いか?」

「これといって特別具体的な話は――無論、それが必要ならば、式の日取りや招待客の話など腐るほど用意可能だが、俺は単純にリュクスと話がしたいと思って食事に誘っただけだ」

「ええと?」

「つまりお前に会いたかった。一緒にいたかった。これが本心だ」



 その言葉に、俺は思わずにやけそうになった。直感的に嬉しいと思ってしまった。



「……俺も、話したかっただけで、ただちょっと眠気を忘れていたんだ」

「俺と話したかった? 何? 本当か?」

「う、うん」

「一気に距離が近づいたようで、俺は嬉しい」



 宰相閣下が嬉しそうに両頬を持ち上げた。俺も全く同じ気持ちだ。沈黙のお茶会の日を除いて、たった三日で、こんなに心境が変化するとは思わなかった。やはり言葉の力とは偉大だ……が、己の境遇が変わるまで、はっきり言って冗談だと思って過ごしてきた俺としては、心苦しさもある。宰相閣下は良い人だ。本当にそのお相手が俺で良いのだろうか。



 俺の感じ方が変わっただけで、宰相閣下は前から俺に対して、好きだと仰ってくれていたわけであり……真剣に聞いていなかったのは、俺だ。これに関しては、どう考えても俺が悪いだろう。



「眠いか? ぼんやりとしているな」

「あ、ええと……それもある」

「それも?」

「これまで、その……俺、冷たい対応してたなと思ってな。罪悪感というか……」



 思わず本音を呟くと、宰相閣下が目を丸くした。それから優しい笑顔を浮かべた。



「それは、今後は俺に優しくしてくれるという意味か?」

「え? ま、まぁ……」

「俺の事が、好きになったか?」

「……!」



 顔から火が出るかと思った。考えてみると、俺は内心で盛り上がっていただけで、宰相閣下と相思相愛になった気がしたものの、それを本人には伝えてさえいないのだ。ドクンドクンと鼓動が煩くなり始めた結果、眠気が吹き飛んでしまった。そうすると隣に寝転んでいる宰相閣下の端正な顔に目が釘付けになってしまい、余計に胸が煩くなる。



「顔が赤くなった」

「……イルゼが変な事を聞くからだ」

「変な事?」

「……好き、かも」

「かも?」

「……多分、好き」

「多分?」

「……ああ、もう! 好きらしい!」

「らしい?」

「好きだから!」

「それで良い」



 俺の言葉に、宰相閣下があんまりにも楽しそうに笑ったので、彼の表情を見ていられなくて、俺はギュッと目を閉じた。自分自身の言葉が恥ずかしくて、ドクンドクンと心臓が煩い。これでは俺の方こそ宰相閣下が大好きで、意識しすぎてしまっているような気がしなくもない。一体、いつの間に……。



「リュクス。毎日俺に、好きだと言ってくれ」

「え?」

「そうすれば、もっと俺を意識するようになるかもしれないぞ?」



 もう十分すぎるほど意識していると、俺は言い出せなかった。ただ真っ赤になったままで、宰相閣下の言葉に耳を傾ける。



「俺側の愛は保証するが、お前側の愛もある方が、結婚生活は楽しくなるんじゃないか?」

「……そうだな」

「俺の事をしっかり好きになってくれ。というより、好きにさせる。もうここまで来たら、絶対に逃がさない」



 宰相閣下はそう言うと、今度は俺の頬を指先で撫でた。擽ったい。



「今夜も泊まっていくと良い。既にレンドリアバーツ侯爵には連絡済みだ」

「……」



 小さく俺は頷いた。全ては寝台の寝心地の良さのせいだという事にしておく。

 その後、俺達は少しの間雑談をしてから、食堂へと降りる事にした。

 そして食事をご馳走になってから、俺はお風呂を借りた。



 温風が出る魔道具で髪を乾かしてから、借り受けたガウンを羽織って、俺は客間――ではなくて、最初に寝ていた寝室へと戻った。宰相閣下はその部屋の机の前に座り、書類仕事をしながら、入室した俺に振り返る。



「色っぽくて困るな」

「お仕事大変そうだな」

「明日の分を少しだけ、な。しかし火急の仕事ではない」



 宰相閣下は筆記具を置くと、立ち上がり、俺の正面まで歩み寄ってきた。そして、そっと俺を抱きすくめた。あんまりに自然な仕草だったため、俺は反応が遅れた。



「好きだぞ、リュクス」

「何度も聞いた、そ、その……離してくれ」

「俺の体温が嫌いか?」

「そんな事は無いけど……え、え……だ、だって……ちょっと待ってくれ。緊張しちゃうんだよ!」

「可愛いな」



 宰相閣下はそう言うと、腕に力を込めてから、俺の額に唇を落とした。