【14】実は、俺……という微苦悩




 マギナリア魔術帝国は、大陸の外れの島国だ。竜人族の国、エルエザリア王国を通り抜け、船で渡らなければ到達出来ない海の上にある。四季があり、それなりに巨大なため、大陸の一部と考えるものと、独自の大陸であると主張する学者がいる。

 支配者は、マギナリア帝国第十六代皇帝、エスト=ラ=ハインレッド・マギナリアだ。御年七十二歳の皇帝は、大陸ギルドの重鎮である竜人族のオルレという賢者と向き合っていた。嘗ては自分よりもずっと大人だったオルレは、外見年齢が十六歳で停止しているため、現在では非常に年下に見える。しかし彼が持つ叡智は、人間では並べない。それこそ、暗黒魔導師を除くならば――。

 皇帝の隣には、直属の部隊長であるルカが立っている。片翼の鷹が描かれた布をまとっている。それが直属部隊の正装だ。ルカは、皇帝と竜人族の賢者の会談に立会いながら、静かに佇んでいる。

「それで、黒塔の見解としてはどうなのだ?」

 皇帝が問うと、オルレが腕を組んで嘆息した。

「根本的には排除を唱えると考えられるが、儂と話した限り、第十一代は様子を見たいようじゃった」
「エルエザリアの竜人族の総意は、どうであるのだ?」
「異世界人が危険である事に変わりはないと考える。しかし、無闇に排除に走るのは考えものである。過去、この大陸に様々な恩恵をもたらしたのもまた、界渡りをしてきた異世界人じゃからな」

 二人の言葉に耳を傾けながら、無表情であるものの、ルカは思案していた。内心では、ぐるぐると考える。

 ――俺、異世界人なんだよね。

 それが率直な感想だ。もしも帝国や大陸各国が排除に動くとなれば、もうここで隊長職を務めているわけにはいかないだろう。ルカは、元々は、いち早く冒険者ギルドで登録証を得て、この大陸の戸籍を得た異世界人である。ただ、己から、それを名乗った事は――五回しかない。

 大抵の場合それは、部隊の打ち上げの飲み会の席であり、今では『隊長の持ちネタの冗談』として、部下達に認識されている。いつも無表情の隊長の、数少ない笑い話として人気だが――……事実ルカは、異世界から訪れた。

 元々は、地球は日本の大学生だった。それが会員証を得て、戸籍を得て、依頼をこなしていく内に、Sランク冒険者となり、この帝国に部隊長として引き抜かれた形である。

 事の契機は、バイト先の研修だった。バイトを始めて三年目の事である。ルカは大学三年生だった。アルバイトと派遣、そして正社員合同で、合計二百三十五名による研修があったのだ。既に顔なじみも多く、皆で面倒だと雑談をしたりしたものだ。

 それが終わったあと、いくつかの屋形船を貸し切って、打ち上げが行われるのも、いつもの事だった。ただ――突如、海上に渦が起きた事など、それまでの間には一度もなかった。渦は魔法陣のような光を放ち……そうして気が付くと、この世界に『いた』のである。

 屋形船ごとに、大陸各地に集団で転移したようだった。ルカが乗っていた屋形船の面々は、社員が多かった事もあり、一箇所に皆でまとまっていようと、指揮を執る人間がいた。ルカのバイト先の店長である。チェーン店の居酒屋だ。

 しかしルカは元々自由人であり、従わなかった。従わなかった者は、他にも幾名かいた。あの屋形船に乗っていた三十五人中、少なくとも己を含めて三人は、旅に出た事をルカは知っている。一緒に出発し、途中で別れたからだ。逆に、三十二人が今もまとまっている事も知っている。その場所が、異世界人集落と呼称されている事を知ったのは、現在の隊長職についてからである。

「次の大陸会議において、異世界人の処遇を正式に話し合う事になるであろうな」

 皇帝陛下の声で、ルカは我に返った。やはり、そろそろ潮時だと考える。己が異世界人だと露見する前に、お世話になった帝国に迷惑をかける前に、自分は退職するべきだろう。

 そう考えたルカは、会談終了後、ひっそりと執務室で、退職願を認めた。そしてそれを卓上に置くと、立ち上がる。正装のマントを椅子にかけて、クローゼットから地味なローブを取り出した。冒険者時代に着用していた品だ。

「理由が理由だから、ご挨拶は出来ない、か」

 表面上は無表情で、ルカは呟いた。それからひっそりと暗い執務室を後にする。


 ――翌日、マギナリア帝国の皇帝府には、激震が走った。実力派の、史上最強と言われた皇帝直属部隊の隊長が、いきなり退職願を置いて、姿を消してしまったからである。

「探せ! なんとしても探しだせ。彼がいなくては、帝国は回らない!」

 皇帝が檄を飛ばすと、隣で宰相も大きく頷いた。

「いかなる理由であっても、奴を失うのは帝国にとって多大なる損失だ」

 そんな騒動が起きているとは露知らず、ルカは、気が楽になった気がしていた。これまでの早朝からの書類仕事からも、魔獣討伐からも、皇帝から与えられる雑務からも開放された為、肩の荷が降りた心地だった。

 既に言語翻訳魔術で、各国語を習得している彼は、旅には困らない。現在では魔術を用いなくても、各国語を流暢に操れるほどだ。ルカは、元々、IQが高い。幼少時から判明していたが、本人自覚では、一般人だった。

 これまで無表情だった彼は、晴れ晴れとした気持ちだったので、現在では満面の笑みだ。帝国には本当にお世話になったが、仕事は嫌いだった。非常にルカは、面倒事が嫌いだ。

「やっぱり、今後の事を考えると、『異世界人集落』に戻るのが一番だろうな」

 そう呟いてから、ルカは旅を開始した。