ある夏の終わりに始まる、






 王太子殿下の伴侶選びの夜会が行われる事になったのは、ある夏の終わりの事だった。
 僕も招かれたが、興味がまるでないため、欠席の返事を出した。

 しかし、暑い。
 王立図書館で借りた本を片手に、僕は涼める場所を探している。そうして暫く歩いた時、閑散としている食堂が目に入った。もう昼食時を過ぎているから、この時間帯ならば静かだろう。そう判断して、僕は食堂の中に入った。

 窓際に席を見つけて、僕は飲み物を注文した。アイスティーを飲みながら、魔導書を読もうと決める。本日は休日だ。僕は普段、宮廷魔術師として王宮で働いている。この食堂も図書館も、王宮の敷地内にあるのだが、僕が普段勤務している場所はもう少し遠い旧宮殿にある。こちらの敷地は、主に騎士団が鍛錬をしている場所だ。

「あ」

 僕が魔導書を捲り始めて少しした時、そんな声がした。僕は特別顔を上げる事はせずに、先を読み進める。

「ヴェル」

 しかし名前を呼ばれたので、さすがに顔を上げた。すると僕の真後ろの椅子を引きながら、首だけで振り返っているキースの姿があった。キースと僕は、王立学院時代の同級生だ。キースは騎士科、僕は魔術師科だったが。

「久しぶりだな、元気だったか?」
「うん、まぁね」

 精悍な顔つきのキースは、気のない僕の返事に対し、気分を害した様子もなく頷いた。キースはちょっと意地の悪いところはあるが、基本的に明るくて、周囲に人気がある輪の中心にいるタイプだ。一方の僕は、いてもいなくてもあまり気づかれないタイプだと思う。あまり人に声をかけられない。声をかけてくるのは、同じ宮廷魔術師のアクスだけだ。

「そう言えばヴェルって」
「うん?」
「アクスと付き合ってるのか?」

 ……この誤解を受けるのは、珍しくはない。仕事もあるが、アクスは何故なのかほぼずっと僕のそばにいるからだ。朝職場で顔を合わせてから、帰路につくまでの間、休憩時も昼食時も、とにかく僕に構ってくる。懐かれているというのが正しいのか、あるいは親友関係という状態なのだろうとは思うが、僕は人付き合いが苦手なので、特別にアクスを意識した事は無い。あるいは好かれているのかもしれないと思う事は、確かにある。だがアクスは僕をタチだと思っている気がする。残念ながら、僕はネコだ。

「付き合ってないけど」

 しかし誤解は解かなければ。僕が簡潔にそう答えると、キースが顎をわずかに持ち上げて、じっと僕を見た。その探るような瞳に、僕は嘆息する。

「僕には嘘を吐くメリットが無い」
「ま、それはそうだろうな。いや、そうじゃなく」
「まだ何か?」
「今夜は夜会だろ? 恋人がいる場合は同伴する」
「そうだね。僕は欠席する事にしたけど」
「何か予定があるのか?」
「賑々しい場所が好きじゃないだけだよ」
「つまり、予定はないんだな?」
「まぁね」
「――じゃあ、俺の家に来ないか?」

 何が『じゃあ』なのか分からない。僕は小さく首を傾げた。するとキースがニヤリと笑っていた。

「アクスとは恋人関係じゃないんだろ?」
「うん」
「なら、俺と一晩どうだ?」

 キースの黒い瞳は、どこか獰猛に見える。キースの黒い髪を見ながら、僕はゆっくりと瞬きをした。

 別段キースは軽いわけではないようだったが、誰と体を重ねた、というような噂話はたまに聞いた事がある。その時、タチだと聞いた覚えもあった。少しの間僕は迷ったが、別にいいかと考える。僕は実は、まだ性的な事は未経験だ。今年で二十七歳だから、そろそろ経験しておいてもいいかもしれないと考えている。けれど人付き合いが得意ではないから、中々機会が無かった。それでも己がネコだと分かるのは、抱かれたいという欲求があるからだ。僕にもそれなりに、性欲はある。

「いいけど」
「決まりだな。早速行こう」

 こうして僕は、本を閉じて立ち上がったキースの後に従う事にした。
 キースは騎士団の寮ではなく、実家から通っているらしい。ナザリー侯爵家だ。僕の生家は伯爵家だから、家格はキースの方が高い。家の中に入ると、使用人達が一斉にお辞儀をした。キースは僕を執事に紹介したが、そのまま応接間ではなく、寝室の一つに僕を連れていった。

「ヤるか」
「うん」

 頷き僕は、首元の服に手をかけた。シャワーは浴びないのかと考えたが、清浄化魔術があるから問題無いかと考えなおす。するすると僕が服を脱いでいく前で、キースもまた服を脱ぎ捨てた。

 こうして情事が始まった。

「うつ伏せになってくれ」
「う、うん……ぁ……」

 じっくりと僕の全身を愛撫してから、キースがそう言った。言われた通りにした僕は、ギュッとシーツを握りしめる。すると香油でぬめる指が二本、僕の後孔へと挿いってきた。

「ぁ、ぁぁ」

 初めてのSEXは気持ちがよくて、頭の中が痺れたようになる。既に僕の体からは力が抜けてしまっている。暫くそんな僕の中を指で解していたキースは、それから指を引き抜き、陰茎の先端を僕にあてがった。

「ああっ」

 押し広げられる感覚と僅かな痛み、切なく引きつれるような感覚がして、僕は喉を震わせる。しかし容赦なく、実直にキースは僕の中へと進んできた。

「きついな、力抜けるか?」
「ん、ぁ……ァ」
「無理そうだな。もしかして、初めてか?」
「うん……ッ、ああ!」

 僕が頷いた時、キースが腰を動かした。揺さぶるようにされると、勝手に声が零れてしまう。涙ぐんだ僕は、必死で熱い息を吐きだした。その内にスムーズに動くようになると、キースが抽挿を始めた。僕はギュッと目を閉じる。すると眦から涙が零れていった。思いっきりキースの陰茎を僕は締め上げてしまう。満杯の中が収縮しているのが、自分でも分かる。

「あ、ああっ、ッん……ァ! ああ!」
「出すぞ」
「うん、ぁっ!」

 直後一際強く打ち付けられ、僕は中に放たれた。その衝撃で、僕も果てた。
 そのまま僕はベッドに沈み込み、肩で息をしていた。

「なぁ、ヴェル」
「……ん」
「来週の土曜も休みだろう? 予定は?」
「ぁ……無いけど」
「じゃあ、また来週も来いよ。今と同じ、夕方くらいに」

 キースはそう言いながら、僕から陰茎を引き抜き、隣に寝転がった。そして暫くの間、僕の髪の毛を撫でていた。



「ヴェル、なんか今日雰囲気が違うね」

 月曜日。
 朝礼が終えてすぐ、隣の席のアクスが僕に声をかけてきた。
 アクスは青い髪に、金色の瞳をしている。
 僕は青味がかかった黒髪で、目の色は藍色だ。

「そう?」
「うん。なんだか凄く色っぽい」

 それを聞いて、僕は一瞬、キースの事を思い出した。色っぽくなったとしたら、心当たりなど一つしかない。

「ただでさえモテるのに、困るなぁ」
「僕はモテないよ」

 モテていたら、とっくに経験済みだっただろう。アクス以外は、どちらかというと僕を避ける。

「高嶺の花って雰囲気だから、中々直接話しかけるのは勇気がいるもんね。いざ話してみれば、ヴェルは良い人なのに」

 アクスは華奢な手で、僕の肩をポンポンと叩いた。
 こんな事は、アクスにしか言われた事は無い。

 さて、その週も僕は、アクスと共に仕事をしていた。そして土曜日。半信半疑で侯爵家へと向かった。するとキース本人に出迎えられて、その日も寝室へと案内された。

 ここからそれの繰り返しとなった。
 僕は週末の土曜日になると、キースの家に行くようになったのである。
 そして、体を重ねている。

 最初よりも僕の体は慣れてきたようで、今ではすんなりとキースのものを受け入れられるようになった。本日も行為を終えて、僕はシーツに包まっていた。すると隣に寝転んだキースが、じっと僕を見た。

「なぁ、ヴェル」
「何?」
「俺とお前の関係って、何?」

 唐突な問いかけに、僕は気怠い体で考える。実を言えば、寝るようになってから、僕は普段もキースの事を思い出すようになっていた。キースの事を想うと、胸が疼く時もある。それが恋という名前なんじゃないかと悟るくらいには、僕は大人だ。

 だが、好きだなんて告げたら、重いと思われそうで嫌だ。この関係が終わるのも嫌だ。どう答えればいいのか。僕は暫くの間考えた後、ポツリと答えた。

「セフレ?」
「……あっそ。ふぅん。へぇ」

 すると何故なのか冷たい声音が返ってきた。そのままキースは、僕の体を抱き寄せると、反転させた。

「えっ、待って、まだ」
「もう一回」
「あ、ああ!」

 そのまま挿入されて、荒々しく体を貪られる。全身に響いてくる快楽に、僕はポロポロと泣いた。まだ解れていた中が、キースを受け入れている。そんな僕の腰を掴むと、激しくキースが打ち付けてきた。

「あ、あ、あ、アぁ――!」
「セフレ、か」
「いや、いやだ、あ、あ、ダメだ、イっちゃ――、んン――!」

 息が出来なくなりそうなほどに、キースは激しい。
僕は何を言われているのか上手く理解出来ないままで、理性を飛ばした。



 ――最近の僕は、中だけでもイけるようになった。全身が敏感になったと思う。

「んぁ……」

 今は後ろから抱きしめられ、両胸をキースに摘ままれている。正面には鏡があって、そこには頬を涙で濡らしている僕の顔と、朱く尖った乳首が映っている。もう二時間くらい、ずっと愛撫されている。既に僕の陰茎は反り返り、透明な蜜をひっきりなしに零している。

「やぁ……ァ……挿れて、ぁ」
「胸だけでイってみろよ?」
「出来な、っ、んあ! ああっ……なんで、ぁァ」

 その後もこの夜は胸を弄られて、漸く挿れてくれた直後には、僕はすぐに果てた。

 そんな日々が続いていた時、また王太子殿下の伴侶選びの夜会の招待状が届いた。なんでも前回は見つからなかったらしい。今回も欠席しようと、僕は職場の机の前で招待状を見ていた。するとコンコンとノックの音がしたから、顔を上げるとキースが立っていた。今は休憩時間で、それは騎士団も魔術師も変わらないとは思うが、何か用だろうか?

「ヴェル」
「何?」
「今日急遽代休になったんだ。俺の家に来ないか?」
「いいけど」

 僕が頷くと、隣に座っていたアクスが目を丸くした。

「え? 二人って親しかったっけ?」
「まぁまぁかな」

 素直に僕が答えると、キースが片目だけを細くしてから、咳ばらいをした。

「かなり親しいぞ」
「そうなの? 僕も行きたい!」

 アクスが言うと、キースが首を振った。

「俺はヴェルに用があるんだ。二人で話す」
「ふぅん? どんな用事?」
「お前には秘密だ。本人に直接言う」
「――ヴェルは僕のなんだから、あんまり近寄らないでよね」
「お前の? そんな話は聞いた事がないが?」

 何故なのか、二人が険悪な空気になっていく。僕はそんな二人を眺めながら、腕を組んだ。実際僕は、アクスのものではないし、今回の場合正しいのはキースだと思う。しかしキースの用件というものにも特に心当たりはない。

「ヴェル! なんとか言ってよ。あと、断ってよ。キースの家に行かないで!」
「僕はキースの家に行くよ。でも用事があるなら、今聞くけど」

 僕が答えると、アクスが泣きそうな顔をした。
 一方のキースは腕を組む。それから僕の方へと歩み寄ってくると、僕の耳へと唇を近づけた。

「好きだ」
「っ」
「と、告白する予定だ。別に今言っても問題は無い、俺は」
「え……」

 思わず僕は目を見開いた。頬が熱くなってくる。
 キースが、僕の事を? そう思った途端、嬉しくて胸が温かくなった。ドキドキと高鳴る鼓動、同時に溢れだす幸福感。感動で僕の体は震えそうになる。真っ赤になった己に気づいて、僕は思わず両手で顔を覆った。誰かに見られたくなくて、そのまま全力で下を向く。

「何その反応、ヴェル、ま、まさか……え!? キースと、そ、そういう……?」

 アクスの声がする。僕はギュッと目を閉じた。

「キースと付き合ってたの!? いつから!?」
「これから、だ」

 僕の代わりにキースが答えた。なんとか手を下ろし、僕は真っ赤のままで、チラリとキースとアクスを交互に見る。するとアクスが目を見開いていた。

「これから? え? どういう事?」
「……その……」

 思わず口ごもっていると、キースが僕の肩に手を置いた。

「ヴェルも俺の事が好きという事でいいんだよな?」
「う、うん……うん……うーん」

 気恥ずかしくなってしまって、僕は唇を震わせる。そんな僕の手を取り、キースが続けた。

「俺の恋人になってくれるよな?」
「……僕でいいなら」

 小声でやっと僕がそれだけ答えると、キースが満面の笑みになった。
 隣には、唖然としたように口を半分ほど開けているアクスがいる。

 こうしてこの日から、僕とキースは恋人同士になった。
 だから次の夜会は、キースと同伴して出る事にした。考え直せとアクスに毎日言われたが、幸せなので僕には考えなおすつもりはない。なおその夜会に一人で参加したアクスは、そこで王太子殿下に求愛され、次第に自分の恋愛に忙しくなっていったので、僕のそばにはあんまり来なくなった。王太子殿下とキースは、幼少時のご学友だったらしく、王立学院入学前から親交があったそうで、僕はキースからアクスの話をたまに聞くようになった。

 そんなこんなで、ある夏の終わりに体から始まった恋は、無事に秋、実ったのである。




 ―― 終 ――