一途なストーカーの愛は重い



 大学を卒業すると、めっきり友人と休日が合わなくなる。

『ごめん、その日は仕事だ』
『残念。じゃ、また都合の良い時な』
『本当、悪い』

 トークアプリで俺は、大学時代の友人からの誘いを断った。

 これは年末年始の記憶だ。確か、久しぶりにみんなで集まろうという誘いだったと思う。

 ごくごく平均的なサラリーマンをしている俺は、年末年始から三月の頭までの期間に昔ながらのデスマーチがあったせいで、その後春先になってからまとめての休みを得た。俺にとって、年末年始はお休みでは無かったといえる。

「でも、やっと休みに入るのか」

 俺の働くベンチャー企業は、小さいながらも一次受けのシステム関連の会社だ。年俸制で、休暇の取得数も最初から決まっているので、他の社員やプロジェクトの状態にもよるが、好きな時に好きな期間、まとめて休める。

 だが世間では新年度が始まるため、昔からの友人は逆に多忙になってしまった。

「……誘える相手がいない……我ながら寂しすぎるな……」

 別に俺はシステム開発の仕事が好きなわけではなく、学生時代は文学部に在籍していた。単純に、最初に就職活動で内定の通知を貰ったのが、今の会社というだけだ。

 最近の利点として、本格的に今年度からリモートワークが取り入れられたのは、本当に良かったと思うが、なんだかんだで俺は前回の冬までは出社している事が多かった。周囲の同僚も同じだ。

「はぁ……」

 気づけば溜息が零れた。

 そんな平凡な俺が、唯一定期的に休みになって向かう先はと言えば、美容院くらいのものだ。元々は千円カットであったり、理髪店に出かけていて、お洒落に気を遣う事も無かった俺だが、大学時代に先輩の勧めで、『ハウト』という名の美容院に行って以後、そこで切るようになった。

 と、いうのも、その美容院で俺を担当してくれている|明里《あかり》さんという男性の美容師さんが、定期的にトークアプリで俺に連絡をくれるからというのが大きい。あちらにしてみれば営業の一環なのだろうが、二十三歳の俺と歳も近く、話も合う。

 今も、トークアプリで、俺は明里さんと、月額制の有料動画サイトで最近配信が開始された映画について語り合っている。

『あの場面、最高でしたよね! 明里さんも好きそうだなぁって思ってました』
『分かります、俺も同じ意見!』

 癒される。

「明里さんとは、本当に趣味が合うよなぁ」

 大学時代までの友人とはめっきり連絡頻度が減り、会社の同僚とは仕事の話ばかりの俺にとって、今一番気を許せる相手は明里さんだと言える。逆に、他所で髪を切る事や、ハウトに行かない事を、気まずく感じてしまうほどだ。

「そろそろ切りに行くか」

 そう決意し、俺は久方ぶりの休日である明日、美容院ハウトに出かける事にした。



 ――ヨレヨレの私服しかない俺は、その中でもマシなものを選び出し、玄関で靴を履く。

 朝起きてすぐにシャワーを浴びてから身支度を整えた俺は、明里さんを通して予約した美容院に向かうため外に出て、歩道を進んだ。

 街路の桜が、薄紅色の花をアスファルトの上に散らしている。舞うような桜は幻想的で、歩道脇のツクシも春を感じさせる。

 俺が目指す美容院は、住宅街と繁華街の丁度中間にある。
 複数人の美容師さんがいて、男性客が多い。

 この一帯は学園都市でもあるので、山の方向を見れば、俺の出身大学のキャンパスが見える。逆側には大きな駅がある。大学時代から、俺はこの土地で一人暮らしをしている。

「いらっしゃいませ」

 予約していた通りの時間にドアの前に立つと、笑顔の明里さんに出迎えられた。

 金色の髪をしている明里さんは、同性目に見ても、格好良い。洒落た小物を身につけていて、私服も凄く似合っている。

「|伊織《いおり》さんに三週間も会えなくて寂しかったですよ」

 |伊織渉《いおりあゆむ》は、俺の名前だ。明里さんは、|明里悠雅《あかりゆうが》という名前だと知っている。俺の一つ年上の二十四歳だ。全日制の美容師の専門学校を卒業してから、ここで働いているといった経歴を、雑談で聞いた事がある。手に職があるってすごいなって俺は思っている。

「昨日も映画の話したじゃないですか」

 営業トークだとは分かっていたが、俺は思わず頬を持ち上げた。手で促されたので、美容院の中に入り、鏡の前に座りながら、俺は明里さんを見る。

「それはそうだけど、伊織さんも寂しかったでしょ?」
「え? うーん、そうだな」
「本当、伊織さんは俺の事が大好きですね!」

 明里さんの言葉に、思わず俺は吹き出した。何かと明里さんは、俺が彼を好きだという趣旨の事を述べる。事実なので、俺は頷いておいた。趣味も会うし、話しやすいし、明里さんがいるからこの美容院を選んでいるといっても間違いじゃない程度に、俺は明里さんが好きだ。兎に角やりとりをしていると、本当に好みがあう。

「今日はどうされますか?」
「いつも通り、おまかせでお願いします」
「了解です。伊織さんに最高に似合う髪形にするんで、任せて下さいね」

 にこやかに笑った明里さんを見て、俺は頷いた。その後はシャンプーをしてから、髪を切ってもらった。俺の黒い髪が、床に落ちていく。

 俺は映画の話の続きをしながら、明里さんに髪を切ってもらった。

「でもあの映画、最後はどんでん返しでしたからね」
「ゾクっとしましたよ、俺。ストーカーっていうのかな、あの主人公」
「ストーカーかぁ。確かにそう言えない事は無いと俺も思いますよ。最近、増えてるっていうし、伊織さんも気を付けてくださいね」
「いやぁ、平凡な俺には、ストーカーなんて全く。それより、明里さんこそ気を付けた方が良いんじゃ?」
「どうしてですか?」
「イケメンだし」
「伊織さん、本当に俺の事大好きですね!」
「どんな文脈ですか」

 鏡越しに視線を合わせて、俺達は笑った。ただ、内心では少し嫌な気持ちもあった。

 ごくたまになのだが、デスマーチ続きの夜、帰宅するとドアノブに、袋がかかっている事がある。中身はお菓子や栄養ドリンクで、非常に有難いのだが、誰が差し入れてくれているのか分からず、そう言った意味で少々不気味なのだ。

 別の部屋の住人と間違われているのかもしれないが、ドアノブにかけたままで放置しておいても、その中に手紙で『部屋を間違っていないか』とメモを残しても、手紙のみが消失し、差し入れはそのままという状態が続いている。

 過去に深く考えた事は無かったが、あれもある意味ストーカーの行いと言う事も可能かもしれない。

「伊織さん?」
「あ、ごめん。何でもないです」
「そう? 顔色が悪くなった気がしたけど」
「平気、平気」
「なら良いけど、本当に気を付けて下さいね! はい、今日はこれで完成です」

 鏡を手に、明里さんが微笑した。気を取り直して、俺は髪型を確認する。

「有難うございます」

 平凡な俺の黒髪が、少しだけ流行に追いついたと言える。俺の会社は髪色も髪形も自由ではあるが、俺はあまり大それたチャレンジはした事が無い。



 その数日後から、簡単な改修作業があり、俺は暫く仕事に没頭した。

 現在は多忙などもあるし色々あってカノジョがいない俺は、普段から性処理は右手で自慰だが、それをする気力すら起きないほどに多忙だった。

 同時に、リモートワークの準備も、自宅のパソコンで行う。会社から借り受けている品で、何処からでもアクセスしやすいように、ノートパソコンを使用する事に決まっている。

 そんな中の息抜きは、相変わらず明里さんとのトークアプリでのやりとりだった。

 明里さんは非常にマメで、朝晩には必ず『おはよう』と『おやすみ』を送ってくる。既読をつけ、スタンプを用いて返事をする俺は、それを見ると一日の始まりと終わりを感じるようになった。

「そろそろ冷蔵庫の中身が空になるな。今日はスーパーに行くかぁ。鶏の唐揚げでも食べたいけど、怠いし、レトルトのカレーとかで十分な気分」

 決意したのは作業を終えた午後で、俺は家を出ようとした。すると――ドアノブに、食材が入った袋がかけられていた。

「……」

 主にレトルトのカレーのパックや、レンジで温めるだけのご飯、それと俺の好物のジュースとチョコレートが入っていた。

 俺の冷蔵庫が空になるのを見計らったかのようなタイミングで届いた袋の中には、『お仕事頑張って下さいね』と印刷されたカードが入っていた。

 いよいよ、ストーカーじみているが……正直助かる。不気味だが、非常に助かる。

「どんな女の子なんだろ、こんな気遣いが出来る人って。ただ、なんで俺が仕事に忙殺されていたと知ってるのかは、すごく気になるな……」

 思わず呟いてから、俺は袋を手に、家の中へと引き返した。靴を脱いでキッチンに向かい、戸棚に食べ物をしまっていく。

 俺はあまり酒は飲まない。ただ甘いものが好きで、定期的にチョコレートが食べたくなる。特に疲れた時に。そして届いたチョコレートこそが、俺の大好物の商品なのである。

「ストーカーでも良いから、ちょっと話してみたいな」

 寂しい童貞の俺は、そんな事を漠然と考えた。過去にはカノジョがいた事もあるが、大抵の場合、『ごめん、他に好きな人が出来たの』と言われて、俺は体を重ねる前にフラれてきた。それが三連続だったので、心が折れて、最近では率先して恋をしたいという気持ちにはならなかった。

 だが、このストーカーさんであれば、もしかしたら他には目をくれず、俺だけを見てくれるのではないかだなんて、淡い期待を抱いてしまう。俺は一途な人と出会いたい。

 俺はチョコレートの箱を手に、パソコンの前へと戻った。

 そして動画サイトで、今週配信が開始された映画を見る事にした。今回は、普段あまり見ない恋愛映画に決める。チョコレートを口に運びながら流し見ている内に、いつの間にか俺は没頭していた。

「結構良い話だったな。甘酸っぱいっていうか」

 一人暮らしをしていると、何かと独り言も増えてしまう。
 そう呟いた時、スマホが通知音を響かせた。
 見れば、明里さんからメッセージが着ていた。

『今週配信の、恋愛映画の――』

 まさに、今俺が見ていた映画について、『見ました?』という内容だった。

「つくづく気が合うな」

 嬉しくなった俺は、両頬を持ち上げて一人頷いてから、即座に返信した。この日は、その後もずっと、明里さんと恋愛映画について盛り上がっていた。本当に楽しい。

 夜はストーカーさんからの差し入れのカレーとご飯をレンジで温めて口にした。



 前回からまたあっさりと三週間ほどが経過していた事もあり、俺は明里さんからの誘いもあって、美容院へと向かった。本日は、いつもより混雑しているようで、俺はソファで待っている事になった。

 明里さんが別の青年の担当をしている姿は、あまり見ないから何となく珍しい。雑誌を眺めていた俺の耳に、二人のやりとりが入ってきたのは、それからすぐの事だった。

「――これ、カットモデルを募集してるって本当ですか?」

 青年客の声に、明里さんが目を細めて笑っている。人当たりが良さそうな笑顔だ。

「ええ、本当ですよ」
「僕やりたい! 明里さんに切ってほしい!」
「お。俺をご指名ですか?」

 いかにも最先端を歩んでいるといった髪形の青年に対し、明里さんが今度は一瞬だけ考えるような顔をした。

「え、俺も明里さんが切ってくれるなら、カットモデルやりたい!」

 すると俺の隣に座っていた別の客が声を上げた。こちらは髪色を明るく染めていて、大学生のようだ。見守っていると、他にも何名かの男性客が、カットモデルをしたいと名乗りを上げた。

 皆、この美容院にしっくりくる洒落た服や髪型をしていて、ごく平凡な俺は大層浮き気味だ。

 なので沈黙していると、不意に明里さんが俺を見た。
 突然目が合い、ビクリとしてしまう。

「俺、お願いしようと決めてる方がいるんで。みんな、有難うございます! またの機会に」

 その言葉に、周囲は残念そうな顔をしていた。
 それから少しして俺の番になった時、明里さんが不意に俺の耳元に口を寄せた。

「あの、カットモデルの件なんですけど」
「はい?」
「俺、伊織さんにお願いしたいんです」
「え、俺ですか? 俺? なんで?」
「ダメ?」
「ダメって事は無いけど……み、みんな、明里さんに切ってほしそうだし……俺で良いんですか?」
「伊織さんが良いんです。伊織さん、次のお休み、いつです?」
「えっと、次の土曜日ですけど……」
「それじゃあ、金曜日の夜。ちょっと遅いけど、二十二時に、ここに来てもらえませんか?」
「か、構いませんけど……」
「やったぁ。それなら、今日は整えるだけにしておきますか!」

 このようにして、俺はカットモデルをする事に決まった。どう考えても、周囲の人々の方が平凡な俺よりも適していると感じるが、明里さんたってのお願いだからと、俺はおずおずと頷いた。



 翌、金曜日。

 朝からソワソワしていた俺は、指定された時間に、美容院ハウトへと向かった。

 電気の明かりは点いていたが、いつもとは異なり、店内に他の客の姿は無い。美容師さんも、明里さんしかいない様子だ。

 そっとドアを開けると、気づいた明里さんが、笑顔で歩み寄ってきた。

「来てくれて有難うございます」
「いや、こちらこそ……ただ、本当に俺で良いんですか?」
「勿論。さ、まずはシャンプーから。奥へどうぞ」

 中へと促され、俺はシャンプー台の上に座った。ゆっくりと座席が倒れた時、フェイスシートを顔にかけられた。周囲が見えなくなったが、怖さなどは無い。

「あ、ちょっとこの台、器具を新調したんで、そっちも試させてもらって良いですか?」
「どうぞ」

 俺が同意すると笑った気配がしてから、ガチャリと音がした。ひんやりとした感触が、俺の左右の手首にある。

「これは?」
「色々なお客様が来られる店舗を目指しているので、シャンプーが苦手な方用の品なんです。動かないようにするというか。それぞれの手を、固定させてもらってます。きつかったら言って下さいね」
「分かりました」

 子供向け、あるいはバリアフリーの一環だろうかと考えつつ、俺は目を伏せる。軽く手を動かしてみたが、手首が左右で固定されているので、身動きが取れない。しかし相手は明里さんであるから不安も恐怖も無い。

「うーん、ちょっと拘束が甘いかなぁ。すみません、伊織さん。上半身にもバンドを締めさせてもらいますね」
「はーい」

 特に深く考えず、俺は同意した。何せ相手は、明里さんだ。あちらは営業だろうとも、俺としては今現在、一番親しい友人と言えるような存在だ。

 僅かに座席が上に動き、俺の上半身にバンドが巻かれる。フェイスタオルが落ちるかと思ったが、何やらいつもよりこちらもしっかりとした作りのようで、まるで目隠しをされているような状態になった。

「うん、良い感じだ。それじゃ、始めますね」

 ――明里さんが、俺のボトムスのベルトに手をかけたのは、その時の事だった。

 最初は金属音が何を意味しているのか分からなかったが、下腹部が外気に触れた瞬間、俺は硬直した。

「え?」

 疑問の声を上げようとした時には、俺はベルトを引き抜かれ、ボクサーごと下衣を脱がせられていた。靴下も同様だ。

「伊織さん、膝を折って」
「え、え、あの……? ンん!」

 直後俺は、陰茎が熱い口に含まれたと悟った。ねっとりと明里さんが、俺の陰茎をしゃぶっている。

 何が起きているのかさっぱり分からないまま、俺は声を飲み込んだ。明里さんは、唇に力を込めて、重点的に俺の雁首を刺激したり、舌先で鈴口を嬲りながら、両手で側部を扱き上げてくる。

「あ……あの、っ……ァ……」

 口淫された事が人生で無いわけではない。だが、このようにねっとりと舐められた事は一度も無い。すぐに俺の陰茎は反応を見せた。

「ま、待ってくれ……な、なんで……っ、ッ……ぁ……」

 腰に熱が集中していく。すぐにでも達しそうになり、俺は震える声を出した。

 俺はカットモデルをしに訪れたはずなのに、どうして明里さんに咥えられているんだろう。困惑が強いが、快楽も酷い。

 色々訊きたいのだが、口を開くと嬌声が混じってしまう。

「だ、ダメだ。出る、っぁ……」
「――じゃ、ここまでで」
「!」

 射精すると思った時、残酷にも明里さんが口を離した。ゾクゾクと背筋を駆け上がってくる快楽に震えながら、俺は身を捩る。しかし目隠しと手や上半身の拘束のせいで、思うように動けない。

 そんな俺の右の太股を持ち上げた明里さんは、ねっとりと陰茎と太股の付け根を舐めた。その刺激にすら、俺は感じてビクリとした。

「ちょっと冷たいけど我慢して下さいね、すぐに良くなりますから」

 明里さんはいつもと変わらない声でそう口にすると、露わになっている俺の菊門を指先でつついた。ローションを纏っているようで、甘い匂いがする。冷たくぬめる人差し指を、明里さんが容赦なく俺の内部へと進めた。

「ひ、ぁ……アぁ!」
「キツいな。伊織さんの初めて、貰えるの最高に嬉しい」
「あ、あ、あ」

 人差し指が根元まで入ると、それを振動させるようにしつつ、明里さんが笑った気配がした。見えないが、吐息に笑みがのっていたのは間違いない。その後、弧を描くように指が動き、俺の内壁が広げられていく。

「ぁ、あ……っン……んぅ……ひぁ……ああ!」

 暫くすると、指が二本に増えた。ローションの冷ややかな温度は、すぐに俺の内側の熱に馴染む。ドロドロとした指先で、俺の中を明里さんがかき混ぜる。状況が一切理解できないまま、俺は震えているしか出来ない。

「ひ!」

 その時、揃えた二本の指先で、内部のある個所をグリと刺激された瞬間、頭が真っ白に染まった。後孔を弄られているだけだというのに、そこから響いた明確な快感が、俺の陰茎に直結した。

「あ、ここ?」
「や、あ、ぁ……ああ……あ!」
「ここみたいだね。見つけた、前立腺」

 明里さんが、俺の感じる場所ばかりを、執拗に指で責め立て始める。声を堪えられなくなった俺は、目隠しの下で涙ぐみながら、再びガチガチになってしまった陰茎を自覚していた。指の挿入への驚きで一時萎えかけていた俺のものは、今ではもうすっかり硬度を取り戻している。

「あっ……アん……っく……ああ……あ!」

 後孔がこんなにも感じるだなんて衝撃的で、俺は大混乱状態のままで、快楽にのみ込まれた。

「やぁ、やァ、ぁ、あ! イく、出る、あ、あああ」
「じゃ、指もここまでかな」
「待って、も、もう……ぁァ……」

 すすり泣きながら俺が哀願すると、明里さんが楽しそうに嗤った気配がした。

「初めては、俺のモノで。ね?」
「あああああああああ!」

 その時指が引き抜かれ、これまでの存在感とは全く違う、熱く硬いものに、俺は貫かれた。一気に根元まで挿いってきたそれが、明里さんの肉茎だとすぐに理解はした。だが、理解できても現実認識が追い付かない。ただただ、気持ち良いという事は分かった。

「あ、あ、ああ! あ、ひぁ!」

 俺の両方の太股を持ち上げ、明里さんが体を揺さぶるように動く。そうされる度に、満杯の中から快楽が全身へと響いていく。ローションの立てるヌチャリとした水音が、俺の三半規管を麻痺させていく。次第に明里さんの動きが激しくなって、肌と肌がぶつかる音がこだまするようになった。

「ああ、ア! ぁあ、あ、ン――!」
「伊織さん。ね、伊織? 気持ち良い?」
「あ、あ、あ、ああああ、もう訳が分からない、や、や、あああ、気持ち良、っ」
「素直。いい子だね。伊織は、本当に俺の事、大好きだもんね? 幸せでしょ?」

 幾ばくか掠れた声でそう告げた明里さんが、俺の目隠しを外した。すると俺にのしかかっている明里さんの顔が正面に見えた。俺は涙で滲む瞳で、必死に息をしようと試み、その度に嬌声を上げる結果となった。

「気持ち良さそうな顔。ドロドロに蕩けてるよ」
「あ――! あ、あ、ああ! ひぁ……ひゃ、っ、うあ、ア」

 上着のポケットから、明里さんがスマホを取り出したのは、その時だった。
 明里さんは、カメラを俺に向けると、にこやかに笑う。

「あ、あ、止め――」
「記念に全部残しておかないとね。声はずっと録音してるけど、この顔、たまんないよ」
「ああああ! 待って、嫌だ、あ、あああ!」

 俺を撮影しながら、明里さんが、俺の内部の感じる場所を激しく突き上げた。

 その瞬間、俺は果てた。俺が放った白液が、明里さんの腹部を濡らしたのが分かる。片手でスマホを持ち、結合箇所も精液も、何より俺の顔も、明里さんが画像と動画に収めている。眩暈がしたし、抗議したかったが、放ったばかりの俺を容赦なく明里さんが貫き続けているため、息が苦しくて、言葉が出てこない。

「待って、もうイけない、いやあああああ」
「あ、潮ふいちゃったね」
「あああああああああああああ!」

 直後、俺は気絶した。最後に内部に出されたのを何処かで理解していた。

 ――目を覚ますと、俺の体は綺麗になっていたし、シャンプーも終わっていて、髪形も整えられていた。

 鏡の前でぼんやりと目を覚ました俺は、当初、夢かと思った。

「あ、起きた?」
「……」

 しかし全身が気怠く、腰に違和感がある。

 だが、明里さんが俺を強姦したなんて、そんな事が現実に起こりえるとも思えず、言葉に窮した。

「これ、見て?」
「……っ!」

 だが、にこやかな笑顔で明里さんは、片手に持ったスマホで、動画を流し始めた。

『あ、あ、あ、ああああン――!』

 そこには、よがり喘いでいる俺が映っている。最終的には気絶した俺が映し出された。その結合箇所からは、白液がダラダラと零れていて、明里さんが俺の中に出したのも明白だった。しかし明里さんの姿は動画には映りこんでいない。俺は蒼褪めた。

「よく撮れてるでしょ?」
「な、なんでこんな……何が目的だ……?」
「うん? 可愛い伊織の顔が見たかっただけだけど?」
「な」
「コレ、どうしよっかな? ネットに流してもいいんだけどね」
「や、止めろ。すぐに消してくれ」
「伊織が、これから俺との約束をきちんと守ってくれるって言うんなら良いよ」

 それを聞いて、俺はゆすられるのだろうかと考えた。男が男に強姦されたというのを、周囲に知られる事が恥ずかしくて、警察に行こうという気にはならない。俺のような平凡な男が訴えても、取り合ってもらえる気がしない。

「約束って……なんだよ?」
「俺が呼んだら、すぐに俺の所に来て」
「え?」
「俺はもっともっと伊織の可愛い顔が見たいから、これから宜しくね」
「宜しくって……?」
「コレは、俺のマンションの鍵。俺が呼び出したら、必ず来る事。仕事は仕方ないけどね」
「? お前の所に? 行って俺は何をすれば良いんだ?」
「そうだね、例えば一緒に映画を見るのも良いしね。色々、伊織とはしたい事があるよ」

 これが、契機となった。



 戦々恐々としながら、明日も休みであった俺は、その後明里さんのマンションへと連れていかれた。まずは道を覚えるためだと彼は言っていたが、俺には恐怖しかない。

 通されたタワーマンションの一室で、俺はテーブルの上に俺が好きなチョコレートが置いてあるのを見た。こんな時なのに、本当に趣味だけはあうなと考えてしまう。

「あ、奥の部屋にだけは入らないでね。それ以外は、自由にしてくれて良いから」
「……ああ」

 頷きながら、俺は明里さんが運んできたグラスを見た。アイスティーが入っている。

「とりあえず、寝室に行こう。折角の初夜だからね」
「初夜って……」
「だって、そうだよね? 伊織の初めては、俺が貰ったんだし」
「……あの、明里さん」
「呼び捨てで良いよ」
「……どうして俺にこんな事を?」

 やっと俺は、訊きたかった事を口に出せた。すると明里さんは、不思議そうな顔をした。

「どうして、って? 逆にどうして? こんな事?」
「……」
「だって、伊織は俺の事が大好きなんだよね?」
「っ」
「全部、伊織のためだよ。俺、大切にするからね」

 前々から告げられていた言葉ではあったが、今夜ばかりは『大好き』の重みが違う。明里さんが笑顔なのも、俺には不気味に思えた。震える手で、動揺を鎮めようと、俺はアイスティーを飲む。それを俺が飲みほした時、明里さんが唇の両端を持ち上げた。

「さ、行こう。沢山可愛がってあげるからね」

 こうしてこの夜から日曜日の午後まで、俺は寝室にて明里さんに散々啼かされ、抱きつぶされる事となった。最終的には声が掠れ、俺は後孔で感じるように開発され、抱かれるという気持ち良さを、肉体に刻み込まれたのだった。



 以後――明里は、俺を定期的にトークアプリで呼び出すようになった。

 連絡頻度は以前と変わらず、内容も映画の話や朝晩の挨拶もあるのだが、俺の仕事が丁度区切りが良かったり、休日の前になると、俺をマンションに呼びつけるように変化した。

 これまでは休日出勤を代わる事も多かった俺だが、最近の週末はほぼ常に明里に呼び出されている為、同僚に言われた。

「カノジョでも出来たのか?」
「いないよ、そんなの」
「でも、最近は伊織、たまに手作り弁当持ってきてるよな? 彩り豊かでかなりこってる美味そうな弁当」

 ……明里に持たされる品である。

 俺は笑って濁しておいたが、脳裏を過ぎった明里の顔を打ち消す事に必死だった。

 無論それは、動画や写真をばらまかれるという恐怖も一因なのだが――俺を呼びつけて明里が何をするかと言えば、それこそ本当に、映画を見たり、お菓子を食べたり、あとは性交渉をするばかりで、まるで恋人のように扱われているから困惑せずにはいられない。

 嘆息してから、この日も俺は、明里のマンションへと向かった。

 すると出迎えた明里は、テーブルに並べているおいしそうな料理を、視線で俺に示した。

「お仕事お疲れ様。ほら、今日は鶏の唐揚げだよ。伊織、好きだよね?」
「好きだけど……」

 本当に、つくづく好みが合うというのも困る。明里は俺を呼び出す時、いつも俺の好きな物を用意している。

 俺が自分から好みを伝えた事は無いから、単純に趣味が合うのだろうと俺は判断している。

 かつ、明里の料理の腕前は中々のもので、非常に美味だ。デザートのチョコレートムースのケーキもお手製らしい。

 しかしどうして明里は、こんな事をしているのだろう。
 そればかりは、いくら考えても答えが見つからない。

 ていの良いセフレ――そう思われているのだろうか?

 好みが合うから、そこに肉体関係も延長でつなげた形だろうか?

 ここの所は、週末以外も呼ばれる事があって、俺は同居しているような状態だと感じる事すらある。

「ねぇ、伊織?」
「なんだ?」
「そろそろ正式に同棲しない?」
「は?」
「伊織、リモートワークするんでしょう? 在宅でのお仕事」
「まぁな。でも同棲って……」

 同棲は普通、恋人同士がするものだ。それが俺の認識だ。最近、脅迫されているにも関わらず、確かに元々友達として好きだった事も手伝って、明里に絆されつつある俺ではあるが、俺達は、別段恋人関係では無い。

「来週の日曜日なら俺も休みだし、引越しはその日にしようね」
「決定かよ?」
「うん? 動画、もう一回見る?」
「……っ、分かったよ」
「うん。素直だよね、本当」

 笑顔の明里を見て、俺は溜息を押し殺した。



 こうして、俺の引っ越しが決まったので、翌週は荷物整理などをしていた。
 そして数日の間出社しない事にし、アパートの掃除をした。
 前向きに考えるのならば、家賃の節約にもなるし、ご飯も美味だ。

 幾つか先に運ぶ事に決めて、合鍵もあるからと、俺は荷物を手に、明里のマンションへと自発的に向かった。

「あいつは今頃仕事だな。考えてみると、明里がいない時にマンションに入るって初めてだな」

 ふとそんな事を思ってから、俺は――ずっと気になっていた部屋の扉を見た。
 初日に、立ち入らないようにと言われた一室だ。

 言いつけを律儀に守ってはいたのだが、今回持参した引っ越し用の荷物の置き場に迷った限り、どうやら物置らしきその小部屋は最適に思えた。

「俺の家にもなるんだし、開けてもいいよな?」

 一人口にしつつ、明里は確かに強姦魔ではあるが、俺に対して怒鳴りつけたり殴ったりはしないし、糾弾される事も無いだろうと俺は判断した。そして、そっとドアノブに触れた。カギは掛かっていない。

「!」

 だが、扉を開けた直後、俺は目を見開き硬直した。

 壁一面に、大小さまざまな俺の写真が貼ってあったからだ。笑顔の品もあれば、仕事で疲れ切っている時の表情もある。

 だがいずれも視線が合っているものは無い。
 そもそも撮影された記憶もない。

 大学生時代の俺や、会社の通勤時に撮られたとおぼしきもの等、他にはスーパーで買い物をしている俺の姿など、無数の俺の写真が壁にある。

 額縁に飾られている数多の写真は、明らかに盗撮されたものだと分かる。

「な、なんだよこれ……」

 動揺しながら、冷や汗をかきつつ、俺は続いてカラーボックスの前に立った。そこには無線機のような機械や、録音物らしき品があった。オリジナルの品というより、複製品が並んでいるように見える。

 それぞれにはラベルが貼ってあり、日時と俺の名前が書いてあった。
 震える手でボタンを押して、俺は息を呑んだ。

『結構良い話だったな。甘酸っぱいっていうか』

 恋愛映画を見ながら、独り言を言っている俺の声が流れ出てきた。記憶にある。これを見た直後、明里からトークアプリで連絡があった事も鮮明に覚えている。

「……」

 明らかに、俺のアパートを盗聴して得た品だと理解した。
 幾つか聞いていると、自慰をしている俺の息遣いが入っているものまであった。
 また、音声だけではなく、入浴している映像を残している品もあった。

 盗撮は、写真だけでなく、映像でもされていたのだと分かる。傍らのモニターに、浴槽に浸かる俺が映し出された結果だ。

 その上、ファイルがあったので捲ってみれば、俺の好みや見た映画についてびっしりとメモしてあるルーズリーフが挟まっていた。

 例えば、好物の料理には、『鶏の唐揚げ』なんで書いてある。そこには明里の字で注釈があって、『いっぱい作ってあげないと』と書かれていた。

 他にも無数に、好みのお菓子や、栄養ドリンクについても記載されている。

 時には、俺が袋に入れて返したメモ書きが貼りつけられていたりもした。『部屋を間違っていないか』と、いつか書いたそれだ。俺のアパートへ差し入れをしてくれていたストーカーで無ければ、それらは入手困難だろう。

 ちなみに俺の歴代のカノジョの写真もあり、どのようにして破局させたかも記してあった。どうやら、いつも俺を振ってきた女性達は、近づいてきた明里に口説かれ、陥落していたらしい。明里のメモによると『その程度の気持ちで伊織と付き合うなんて許さない』とある。俺は戦慄した。

 分厚いそのファイルは、年月日ごとに整理されていて、俺が初めて美容院に行った日が最初だった。なお、他の棚には、袋に入っている黒い髪がある。俺の髪だと瞬時に理解したのは、予約した日付と時刻が記載されていたからだ。

 呆然とするなという方が無理である。

「あーあ。見ちゃったかぁ」

 不意に後ろから、ふわりと抱きしめられたのは、その時の事だった。
 気づけば、明里の帰宅時間になっていたらしい。

「お前……これ……」
「うん? 俺の愛の記録だけど?」
「……お前と俺、さ、映画の好みとか、合うよな……?」
「当然。俺の好きなものは、伊織の好きなものだからね。伊織が見てるものは、全部見て、俺も好きになったよ」
「……偶然じゃ……」
「ううん。伊織が好きだから、俺も好きになってるんだよ。それだけ。俺の一番は、伊織だから。これからも、伊織の大好きな物、沢山あげるよ」
「……」
「引越しするんだし、もう盗聴器やカメラは必要ないね。あとで撤去してくるよ」
「……」
「だけど、入っちゃダメって言っておいたのに。悪い子だね」

 耳元で囁かれて、俺は震えを押し殺す。だが、内心では完全に怯えていた。

 平凡な俺には、ストーカーなんていないと、確かにそう考えようとしていたが、違った。

 俺は明里が、俺をセフレだと思っているのだろうと暢気に想像していたが、それも間違いだったのだ。明里は、俺のストーカーだ。それが、真実だった。

「お仕置き、しないとね?」

 明里の両腕に力がこもった。その温度にはもう随分と慣れていたが、現状が恐ろしい。

 俺の体を反転させた明里は、それから唇を俺の額に押し付けた。触れるだけのキスをされ、俺は明かりを見上げる。明里の方が、俺よりも背が高い。金色の髪が俺の頬に触れる。

 いつもの微笑とは異なり、明里の瞳が今は冷たい色を宿しているのに、口元にだけは変わらない弧が張りつけられている。

「お、お前は……俺の事が好きなのか……?」
「そんなに生易しい感情じゃないよ、愛してる」
「なんで……俺みたいに平凡な……なんで、なんでだ? なんで俺なんだ?」
「理由なんて無いよ。ひと目見た時から、虜になった。俺の全部が、伊織になったんだよ。理屈じゃないから、説明は難しいかな」
「……」
「俺の愛に応えてくれるよね? だって、伊織は俺の事、大好きだもんね?」
「俺、は――」
「だって伊織、いつも俺がトークアプリで連絡すると、すっごく嬉しそうな顔してたし」
「!」
「全部見てたから、知ってるよ。俺の事、大好きでしょう? 俺はそう確信してる」

 俺を抱き寄せた明里は、そのまま俺を連れて寝室へと向かった。
 性急に服を開けられた俺は、呆然としたまま押し倒される。

 現実感が薄れていて、本当に夢を見ているわけではないのかと、何度も何度も考えてしまった。

 鎖骨をなぞられ、首に口づけられる。ツキンと疼いたから、キスマークを残されたのだと理解する。

 俺の左胸の突起を指で愛撫し、右胸の乳頭を唇に挟むと、チロチロと明里が舐め始めた。
 もうすっかり明里に開発されている俺の体には、それらの刺激が甘く辛い。
 すぐに快楽が浮かび上がってくる。

「今日はお仕置きだから、いっぱい焦らしてあげるね」
「ぁ……」
「今日は泣いても許してあげない」

 こうして長い夜が始まった。
 宣言通り、俺が泣き叫んでも、明里は俺をイかせてはくれなかった。

 俺の陰茎に射精を封じる三連のコックリングをつけてから、じっくりと明里は俺の全身をくまなく舐める。

 すぐに俺の体は熱くなり、時折指で後孔をかき混ぜられた時には、理性が消えそうになった。感じる箇所からわざと指をそらして刺激され、かと思えばすぐに指は抜けてしまう。そうしてまた、ペロペロと俺の全身を舐め、いたるところに明里はキスマークをつける。

 しかし俺の陰茎に触れる事はせず、時に朱く尖った乳首を吸うだけで、決定的な快楽はくれない。

「やぁ……ァ……明里、もう挿れて……挿れてくれ……っ、ひぅ」
「ダメだよ、これはお仕置きだからね」
「もうおかしくなる、っ……ああ……ッ!」

 じっとりと汗ばんだ俺の体は上気し、黒髪が張りついてくる。
 すすり泣きながら、俺は力が抜けてしまった体を小刻みに震わせていた。

「おかしくなると、どうなるの?」
「や、やぁ、ア! っ、っ、ぅぁ……ダメ、あ……」

 強めに乳首を吸われ、俺はボロボロと泣いた。
 すると俺の頬を舐め、明里が涙を舌で拭う。

「お願いだから、早く、早く……挿れてくれ、お願いだから、ぁあああ」
「どうして挿れてほしいの?」
「そんな、決まってるだろ」
「気持ち良くなりたいんだ?」
「違う」
「ん?」
「俺も……明里が好きだから、明里が欲しい」
「え」

 思わず俺が口走ると、明里が驚いたように動きを止めた。それから虚を突かれたような顔で、目を丸くして俺を見てから、不意に口角を持ち上げた。

「良い子。そっか。ちゃんと、俺の事、好きだって認めてくれるのか」
「あ、あ……」
「もう一回言って、伊織。伊織は俺の事、大好きだもんね?」
「うん、ぁ……好きだ。だから、あ……アぁ!」

 その時明里が、俺の唇を深々と奪った。
 舌と舌が絡まった時、俺の意識がフワフワと変化した。

「ん、ぅ」

 全身を不可思議な波が襲ったのは、その最中だった。

「ン――!」

 何と俺は、キスで達したのである。無論、コックリングのせいで射精は出来ない。だが、完全に絶頂感としか言えない強い快楽が、俺の全身を絡めとった。ガクンと俺の体が跳ねる。そのままぐったりとして、俺はベッドに沈んだ。ただ、無性に幸せだと感じていた。

 次に目を覚ますと、俺の体は綺麗になっていて、隣には寝ころんでいる明里の姿があった。明里は俺を腕枕しながら、じっとこちらを見ていた。

「おはよう、伊織」
「うん」
「――ねぇ、本当に俺の事、好きなの?」
「……そ、それは、その……」
「きちんと言って」
「だ、だって……俺の事、こんなに想ってくれて……それに優しいし、その、なんていうかお前と話してると楽しいし……正直さ、動画撮られたりしたのはショックだったよ? 俺、お前の事、一方的にだけど友達だと思っていたからな。裏切られた気分だったし、都合の良いセフレにされたというか、遊ばれたのかとも思ったし。けどさ、明里は……俺の事、愛してくれてて、ずっと見てて、それでだったんだろ?」
「勿論。ただの愛だよ」
「髪の毛が取ってあるのとかは正直ひいたし、そ、それに……盗聴器とかカメラとか、そういうの、怖いって思ったし、はっきり言ってあの部屋の物も、スマホの映像も全部消してほしいのは本心だけど……」
「それは嫌」
「なんでだよ? しゃ、写真くらい、これからいくらでも一緒に撮るし!」
「それは嬉しいけど、俺の愛の記録は、永遠に保存します」
「……お、おう。まぁそういうわけで、それに、お前がストーカーだって知らなかった頃から、栄養ドリンクとかも助かってたし……な、なんていうか、ええと――総合したら、元々俺はお前が好きだったし……友達としてだったけどさ。なんていうか、その、でも、分からないけど、俺の中では恋と同じかもしれない」

 つらつらと小声で俺は告げた。
 なんだか気恥ずかしくなってしまい、思わず照れてしまう。頬が熱い。

「いいや、俺は明里の事が、多分きちんと好きだと思う。俺を見てくれて、有難う」

 そう述べてから、俺はシーツに潜り込もうとした。赤面した顔を見られたくなかったからだ。しかし寸前で強く抱き寄せられて、それは失敗に終わった。

「これからも見てるよ。ずっと、ずっとね。俺は伊織を愛してる。多分なんて入る余地が無いくらい、本気で」
「そ、そっか」
「だから、これからも一緒にいてね。ただ、今後は、きちんと恋人として、俺のそばにいてほしいな」
「うん。良いよ。明里が、それがいいんなら、俺も、その……それで良い」
「愛してる。嬉しい」

 明里が俺の頬に手で触れてから、じっと視線を合わせてきた。
 それから、俺の唇に触れるだけのキスをする。
 こうして、俺と明里は結ばれた。明確に、恋人同士となったのである。



 そのようにして始まった同棲(?)生活。

 俺には家事能力は掃除が比較的得意という点しかないので、料理や洗濯は専ら明里が担当してくれている。明里が美容院に仕事へ向かう前に一緒に食べて、その後俺は在宅で仕事をし、明里が帰ってくると夕食にしてから、お風呂に入って、共に眠っている。

 もう動画を理由に脅されているわけではなくなった。

 明里は俺が何度頼んでも消去してくれなかったが、このように大量にあるのでは、どのみちすべてを削除するなんて無理だろうと、俺は諦観したし――ここまで想われているというのは、正直悪い気はしない。どころか、今日の一枚として、明里は堂々と俺にスマホを向けてくるように変化した。

「なぁ、明里?」

 本日のメインであるヒレカツを食べながら、俺はスマホを構えている明里を見る。

「何?」
「俺もその……明里の写真が欲しい」
「良いけど、どうして?」
「――お前ばっかりズルいだろ。俺だって、そ、その……恋人の画像の一つや二つ……」
 少しだけ不貞腐れながら俺が言うと、明里が目を丸くしてから、両頬を持ち上げた。
「嬉しい。愛を感じた。けどね」
「な、何だよ?」
「俺の方が愛は重い。忘れないでね。俺の世界は、伊織で出来てるんだから」
「ああ、重すぎるほどだよ」
「でも嫌じゃないよね? だって伊織は俺の事、大好きなんだもんね?」
「お前って本当にブレないし、変わらないな……けどな……もっと、いっぱい愛を感じさせてやるよ、俺だって」

 僅かに照れて、後半は、俺は小声で述べた。
 すると俺の後ろに回った明里が、スマホを構える。
 そして並んだ俺達の姿を自撮りした。

「今撮ったの送るよ。折角だから、一緒が良いかなって」
「うん、それが良いな」

 俺をデレデレに甘やかす事が、明里にとっては至福のひと時らしい。

「ねぇ、伊織。今日が何の日か分かる?」
「今日? 普通の平日だろ? なんかあるのか?」

 もっとも三百六十五日はいつでも何らかの記念日だというのは、俺にも分かる。しかしこれといって興味は無い。

「大学生の頃、初めて伊織が俺の働く店に来てくれて、俺達が出会った記念日だよ」
「全く覚えてない。いつからどの店に行くようになったかなんて、記憶ゼロだ。お前って、スーパーに最初に足を踏み入れた日とかも覚えてるタイプか?」
「自分のことは記憶してないけど、伊織がここに引っ越してきてから最初にスーパーに買い物に行った日時は覚えてるよ?」
「おい……そ、それは、二人行ったからだよな?」

 まさかまだ盗聴などをされているのだろうかと、俺は思わず辟易した気分になる。俺の恋人は心配性だ。本当に愛が重すぎる。けれど、本当に明里は一途だ。俺はそれが嬉しい。

「それもあるし、初めて伊織が俺に手料理を振る舞ってくれたからでもあるよ」
「――レトルトをチンしただけだけどな。中々最近の冷凍食品は美味いよな」
「伊織の手にかかると特別だよね」
「そ、そうか?」
「うん。あのね、そうそう。それで俺さ、初めて会った時から、いつか絶対叶えたい夢があったんだよね」
「何だ?」
「|渉《あゆむ》って呼びたい。伊織の事、下の名前で呼びたい」
「呼べば良いだろ、そのくらい」
「俺も、下の名前で呼ばれたい」
「別にいいけども――|悠雅《ゆうが》」
「あー、キュンとした」

 実に嬉しそうに頬を染めて、デレデレとした表情に変化した恋人の姿に、思わず俺は苦笑する。この程度で喜んでくれるんなら十分だ。

「渉。ねぇ、渉。渉」
「ん?」
「呼んでみただけ」
「甘酸っぱいな!」
「俺の名前も沢山呼んで」
「……悠雅」
「何?」
「俺も呼んでみただけだよ……」
「愛してる、大好きだよ渉。本当、渉も俺の事大好きだよね」

 ギューッと後ろから抱きしめられて、俺は思わず目を伏せる。それから箸を置き、静かに頷いた。

「ああ、大好きだよ」






     【完】