医療魔術師の絶望


ーー僕は、陰で死神先生と呼ばれている。
何故なら終末期医療病棟の魔術師だからだ。その中にあっても、僕と話をした相手が翌日死を迎えることが多いと噂されているのだ。
そんな僕は回避されるかと思いきやーー「死神先生」
直接あだ名で話しかけられることが多い。
「楽に逝きたいんだ、家族に迷惑をかけずに」
「落ち着いてください、コネルさん」
本当は大丈夫だと答えられたらどんなに良かっただろう。だがそれはできない。
ターミナルケアをするこの魔術塔に運ばれる皆は全て、告知を受けて入院しているからだ。このシュカーネル魔術病塔は、何事もはっきりしているのだ。
婦人科、小児科、内科、外科、精神科、救命、他にも沢山、本当は外科一つとっても脳外科や心臓外科がある総合魔術塔なのである。一階正面に魔法陣が設置されているから、各地の魔法陣から距離プラス十分程度で患者がやってくる。
「お孫さんが、来月魔術学院に入学するんでしょう? 見届けたいって仰っていたじゃありませんか」
「……ああ」
翌日の朝、コネルさんは眠るように亡くなった。
僕は医療魔術師なのに、看取ることしかできなかった。
看取り、検死報告書を書くのが僕の主な仕事だ。
ーー患者の死に僕は慣れきっていた。
憂鬱な気分になることはあるが、所詮死は誰にでも平等に訪れるのだと、ここに配属された時に嫌という程聞かされた。そしてそしてそれが事実だと認識するまでにそう時間はかからなかった。
それでも白衣をきている僕は、確かに医療魔術師だった。
一階へとおりて、コーヒーを買う。
そうしていたら、廊下を歩いてくる、手術着の上に白衣をまとった青年が目に入った。救命救急魔術最先端医療技術班の総括をしているルキアだった。焦げ茶色の髪に、鋭い眼差しをしている。僕はこちらに気づいたような様子もなく淡々と、しかしどこか足早に歩いて行くルキアを眺めていた。あちらは僕のことなど知らないだろうが、実は魔術医療学院の同窓生だったんだ。思えばあの頃から存在感があったなぁ……。てっきり心臓外科にいくのだろうと思っていたら、彼は救命魔術師になった。僕は終末医療魔術師だ。僕は彼といつか一度話して見たいと思う。生命を救うーー救えず死を身近に見る彼と、死が確定し亡くなって行く人を見る僕らは、きっとどちらも死に最も近い場所にいるのに、なぜそれでも彼は多くの命を救い続けることができるのか、と。そんなことを考える僕は、きっと医療魔術師として最悪だろうけど。



今日もまた患者の一人が亡くなった。
翌日も一人、人が亡くなった。
その翌日も。
僕からは決っして死臭が消えない。
ーーそんなある日のことだった。
魔術学院で一人の生徒が、魔力の暴発を引き起こした。

窓辺で木々を眺めていた僕はあっけに取られて、気づいた時には外へと向かっていた。火竜の気配がして、煙と竜の口から放たれる火の粉がこちらまで飛んでくるようだった。これ、は。
水竜と風竜による消火が、たとえ間に合ったとしても、多数の死者と怪我人をだすだろう。玄関へと引き返し、僕は医療看護師に、ベッドの空き具合を間抜けにも聞いた。助ける気など、はなから欠落していたのだ。こう言った災害の場合、僕の仕事はベッドコントロールをして、空きベッドを用意することと、もう助からない患者達を判別し、重症度を決めて、魔法陣が刻まれた紙製のタグを患者たちにー付けて行くことなのだ。人の生死を左右する。勝手に決める。嫌な仕事だ。
そんな僕の横を、救命班がその時駆け抜けた。
僕も魔法陣で多数のタグを用意して玄関へと向かった。
救おうとしている彼らと、僕は違う。それこそただの死神だ。
魔術放送が、塔内を流れていく。
暴発した、と。
数多の生徒と学院周囲の人々が運び込まれてくると。

「先生、この魔法陣黒いよ? これって」
「……」
「先生助けて、この子はまだーー」
「……」
「先生!」

先生先生先生先生ーーあゝ。

「まだ助かる可能性がある」

その時、声がした。振り返るとそこにはルキアが立っていた。
確かに手慣れた心臓外科医がいれば助けることができるだろう学院の生徒を一瞥し、しかし僕は首を振った。そんな余裕もうどこにもないとわかっていた。その子一人の手術をしている間に五人は命が救える。

「お前のタグ処理は的確だ、ラピス」
「だったらーー」
「お前、心臓外科が専門だったろ」

僕なんかのことを覚えていたのかと、短く息を飲んだ。
しかし、しかしだ。
僕はて慣れた外科の魔術師なんかじゃないし、現在では終末病棟が専門だ。

「タグは他のやつに任せて、救命班に入ってくれ」
「そんなーー」
「そんなじゃない。やるんだよ」

そう言って、ルキアに青い手術着を投げられた。

ーーそこからが地獄だった。

「メス」
「はい!」
「魔術メスに切り替えるから下がって」
「意識レベルーー」
「血圧がーー」

魔力を医療器具に流し込みながら、僕は、もうやめたはずの手術に追い込まれた。最初はブラックタグをつけた子供、その次も続々と人が集まり、最初は不安がっていた看護師たちも皆が僕に従ってくれた。時折汗を拭いてくれる。僕は手術をしている時、相手の患部にしか興味が見出せないのだ。その人が歩んできた人生も、その人の家族のことも、何もかもがどうでもよく思えて、物体に思える。
ーーだからもう手術をするのはやめようと思ったのだ。
手術後に我に帰り、患者の家族や本人と接する度に、後悔するからだ。
ああ、物体なんかじゃなくて、一人の生きた相手の体を切り刻んでいたのだと。

全てが終わったのは翌日の明朝のことだった。
疲れ切った僕は、いつかのように、一階の黒いソファに座っていた。
けれどそれは、ただコーヒーを飲んで眠気を取ろうとした結果ではなく、床に寝ている患者たちの急変に備えてだ。
「ーー相変わらず、的確に手術するな。出血も少ない」
その時誰かに声をかけられて振り返ると、そこにはルキアが立っていた。
「必死だったから、たまたまだよ」
「手術に限って言えば、俺はお前に一度も勝てなかったのにな。なんで臨床から抜けた?」
「終末期医療だって臨床だよ」
ずっと話したいと思っていたかったのに、まさかこんな形でその日が訪れるとは思わなかった。小声で二人、患者には聞こえないように言葉をかわす。
「救命にこないか?」
「僕じゃ役に立たないよ。精々黒い魔法陣がついた紙を患者につけるだけだ」
「そんなことはないーー俺は今までずっと、お前と歩んだ軌跡を頼りに生きてきた。あの時俺があんなことをしなければ、お前は外科に残ったか?」
「関係ないよ。僕の問題だから」

学生だった頃、僕は一度だけ、ルキアと体をかわしたことがある。
はっきりといえば、強姦だったのかもしれない。
ただし痛みがないよう、大変気を使ってもらったことを覚えている。

「ん、ぁ、あっ」
「ッ痛いか?」
「……ううん……平気だよ」
そう言いながらも、僕の瞳が涙で歪んでいた記憶がある。
「ああああーー!」
その時張り詰めた男根で、一気に貫かれ、僕の体は反り返った。
「やだ、やめっーーぅあ、あ、ああ」
「無理だ。好きなんだ、悪い。こんな風に、媚薬を合成して」
「んぁ、ああ、んぅーー! は、ぁ、く」
僕はその時のルキアの辛そうな表情をよく覚えている。
酷いことをしているのはルキアのはずなのに、僕の方が罪悪感に駆られた。

なぜ、僕に彼がそんなことをしたのかは、今でもわからない。
僕は平々凡々な外科医で、ちょっとだけ手術の仕方を褒められるだけだった。
一方のルキアは医療魔術師として主席で卒業し、なんでよりにもよって、救命に行ったのかと囁かれている。一つの技術を伸ばさなかったのかと。彼の魔力と技術なら、何処へでも行けたはずだから。
きっと気まぐれだったのだと僕は思って、そのあと学び舎で顔を合わせても何も言わないルキアを見守っていた。それから特に何を話すでもなく、たまたま同じ病院へと就職したのだ。

「俺を避けて外科から移ったと思ったんだ。もともと俺は救急にも興味があったしな」
「違うよ、ただバカみたいに手術中の死に耐えられなくなっただけだよ」
「それが本音なら、講義のたびに俺を避けていたのはなぜだ?」
「僕、避けてた? そんなつもりはないんだけどな」
「……無意識か。よっぽど嫌だったんだな」
「無意識だとすれば、避けていたのはルキア先生の方なんじゃないかな」
「ありえない。今でも俺はお前を忘れーー」


「急患です!」

その時看護師が走ってきたから、ルキアの声は最後まで聞こえなかった。
ルキアが走って行く隣で看護師が言う。
「急に魔力欠乏状態になって吐血しました」
ああ、低魔心臓劇症型ショックだろうなと、話を聞きながら思う。
すると不意にルキアが足を止めて振り返った。
「来い!」
「うん」
なぜなのか僕は頷いていた。もともと誰かの急変を、待っていると言ったら不謹慎だけどここにいたわけだしね。
病棟の一角にある救命救急室へとつき、僕は魔力水の点滴に、アメトリンの結晶液を追加して、指示を出した。ルキアではなく僕が執刀しているのを皆が不思議な様子で見守っていた気がした。

辞令が下ったのは、その次の週のことだった。
最悪なことに救命救急だ。
また肉の塊を相手にするのかと思えば、自然と魔力栄養食の量が増えていった。本来であれば、僕ら魔術師はたんぱく質とビタミンから魔力を保たなければならないのだが、この栄養食なら飲むだけでそれが補われる。

「いやぁ、先生が来てくれてよかった。これでルキア先生もおやすみが取れますから」

そう言われたのはある日のことだった。
確かに僕らの休日は一度も被らないなぁとやっと考えた。
てっきり避けられているのだと思ったからだ。
昔の記憶なんて、本当は忘れ去ってしまいたいと思っているんじゃないのかと思う。

「で、ルキア先生とはどうなんです?」
「何が?」
「何がって……どこまで進んでるんですか?」
「だから何が?」
「何がって、だから、言いたくないんならいいですけど……先生とは付き合っているんでしょう? ん、だって先生が配属になった時、手を出した奴がいたら救命から追い出すか、自分が辞めるって言ってましたよ」
「ルキア先生は何でそんなことを言ったんだろうね」
「そんなの先生のことが好きだからじゃないですか!」
「僕たち男同士だよ?」
「だから、みんなルキア先生がカノジョいないの納得したというか」
「……どうしてそこで納得するの?」
「だって、恋人同士なんでしょう?」
「違うよ」
「え? じゃ、じゃあルキア先生が、あのルキア先生が……片思い?」
「まさか」


僕は久しぶりに笑ってしまった。
廊下の影にルキアがいることなんて知らないまま。

ーー次の休日。
ノックの音がしたから、僕は眠くてフラフラの体で、ドアへと向かった。
立っていたのは、ルキアだった。
休日が重なるなんて本当に珍しい。
「……部屋にあげてくれないか。その……何もしないから」
「いいけど」
何も、の意味は僕にはわからなかった。
簡素な室内に招き入れ、コーヒーを二つ用意する。
ルキアは静かにソファに座っていた。
「それで、なにか用?」
「ーー用がなければきちゃダメか?」
「ダメじゃないけど、普通こないでしょう?」
「ーーあ、う、そ、その」
「?」
「好きだ。愛してる」
一方的に言われて、僕は硬直した。告白なんて、自分勝手な行為だと思う。自分が楽になりたいからするんじゃないのかな。
「お前の気持ちが知りたい」
「……」
「返事は急がないからゆっくり考えてくれ」
僕は頷いた。僕は、ルキアのことをどう思っているんだろう?
天才救命魔術師だっていうことはわかる。
ただそれと、同窓生だったこと以外、あまり考えたことはなかった。
ーー僕は終末医療の専門家になった時に、先に進む未来というのをあまりうまく思い描けなくなったんだとおもう。それは所属が変わっても変わらない。
そんなことを考えていると、不意に立ち上がったルキアに抱きしめられた。
ギュッと腕の感触がした。
「ーー悪い。何もしないって言ったのにな」
「……」
「そんな風に悲しい顔をされると、どうしていいのかわからなくなるんだ。俺のことが嫌いならそれでもいい。ただな、お前は病院で一人の時、いつもその顔をしてる。だから俺はお前の顔を極力よく見ないようにしていたんだ」
額を厚い胸板に押し付けられた。
「答えがなんでもいい。どちらでもいい。ただ、そばにいさせてくれ」
「ルキア……」
「お前の顔も表情も、髪からつま先まで、全部全部好きだ。何より外見より内面が好きなんだよ。お前の魔力も技術も全部好きだし、もう、なにが愛おしいのかわからないくらい、全部好きなんだ」
そんなことを言われたのは、初めてだった。
そのまま、深く深くキスをされた。
舌と舌が絡み合い、軽く噛まれるたびに、ルキアの肩に手を伸ばす。
ようやく唇が離れた時、僕は息切れしていた。
「やっぱり今答えが欲しい。欲しくなった。ごめんな。断られなかったら、このまま、続きをしたくなるから」
続き……?
僕は困った。
別にルキアのことを嫌いではない。だがそれを恋心と呼ぶのは違う気がした。
「してもいいよ。だけど、恋人にはまだなれない」
「っ」
「僕はルキア以外とこういうことをしたことがないから、それに自分が何を思っているのかもまだわからないけど……嫌いじゃないんだ。だからこれから考えたいんだ」
「ーー十分だ」
それから僕らは寝台の上の移動した。


「ん、ぁああっ、あ、ああっ。そこ、嫌だ」
「じゃあなんでここを刺激すると、締まるんだ?」
「ふぁ、あ、ん、ぅうっーーひぁ」
指先で中を丹念に解されながら、僕は首を振る。
その先端が、ある一箇所を刺激するたびに、僕は射精しそうになった。
多分、前立腺だ。
「うぁあああっ、んぅ、う、ぁあ」
思ったよりも声が大きくなってしまったから、両手で自分の口元を覆う。
「聞かせてくれよ、声」
「だ、だけどっ、ふ、ぁ、んぅ」
「ずっとこうしたかった。挿れてもいいか?」
体がひどく熱い。
「う、うん」
ちょっとだけ、いやかなり怖かった、だけど。
「んんんぁああーーー、っぅく」
中へと男根が入って来た時、僕の理性は飛んだ。
「あ、やぁ、もっと、もっとしてっ、うあぁあああ」
激しく抽送されて僕は泣じゃくった。
ルキアの首に手を回し、熱いそれを受け入れ、衝撃に頭を振る。
なぜなのか、僕はルキアにそうされたかった。
本当はーー初めて体をかわした時からルキアのことを考えていたのかもしれない。
僕の顔を見たくないとルキアは言ったけど、逆に僕はずっとルキアをみていたような気もする。じゃなかったら、ルキアのことなんて他の同窓生みたいに忘れてしまっていた気がするんだ。
「好きだ」
ルキアが優しく僕の頭を撫でてくれる。
「ああっ、うあ!」
その直後、僕は内側で熱を感じた。何かが飛び散る感覚がした。
なんだかそれに、僕は満足感を覚えていて、そんな自分が不思議だった。

もしかしたら、僕はとうに、ルキアのことが好きだったのかもしれない。
そんなことを考えさせられるほど、気持ちのいい情交だった。
それからも、滅多に重ならなかったけど、二人揃ってお休みの日は、僕の部屋で過ごした。別に待っていたわけじゃないけど、僕は休日に外出しなくなった。
抱きしめられ、体をつなげるたびに、だけど僕の方が今度は好きだと言えなくなって行く。
だけどーーある日僕は意を決して伝えることにした。

「ルキアのことが好きだよ」

するとルキアが嘲笑した。
「だろうな」
「……え?」
「賭けてたんだよ。お前が俺に惚れるかどうか」
「っ」
「これからお前は俺の玩具な」
「!」
「ヤってるところ全部魔導動画で撮影してた。お前の淫乱さ加減は、救命のやつならみんな知ってる。お前が堕ちたら、お前を公衆便所にする予定だったんだよ、はなから」
「……え」
「この俺が本気でお前なんかを好きになると思ってたのか?」
僕はその時、その言葉が嘘であって欲しいというよりも、納得していた。
「だいたい強姦された相手を好きになるなんて、相当な淫乱だな。ドMか」

「そっか」

僕はそれだけ言って、次の日から救命班の人々に、休息時に犯されるようになった。何度も後ろで受け入れて、口で受け止めて。だけど僕にはこんな最後が似合っている気がした。最初こそ虚無感だってあったが、その後の悲しみの先には何もなかった。だから。


僕はよく晴れたある日、病棟の屋上から飛び降りることにしたんだ。
生きたいと願う数多の人々のことを知りながら、ただ祈った。
最後にルキアの顔が見られればよかったのにな。

ああ、僕はちゃんと、ルキアのことが好きだった。
その事実を知っただけで、とても幸せだった。