【後輩】医療魔術師の多忙
「ねぇ、もういっそさぁ、別居しない?」
ラークに言われて、俺は硬直した。俺は、医療魔術師をしている。医療魔術師というのは、まぁ魔術師の中でも医療に長けている者だ。その中で、俺は救命救急に勤めている。現在の上司は、終末医療塔から移ってきたラピス先生だ。ラピス先生は、その前まで救命救急の最戦力だったルキア先生と付き合っていると評判だ。今はどちらの実力も拮抗していて、どちらが上とは言えないが。そんな中で、俺はラピス先生の下について働いている。あの人は寝ないで仕事をするタイプだから、必然的に俺も付き合って帰宅が不定期になりそれも遅くなることが多い。それでも俺は、俺なりにラークを愛してきたつもりだった。
「だってさ、アイスは帰ってこないし、無意味でしょ、一緒にいても」
「……それは、その」
実際ラークの言う通りである。元々はそれでも、少しでも長く一緒にいたくて同棲生活(世間的にはルームシェアと言ってある)をしているわけだったが……結局の所、会っている時間は別々に暮らしていた時とそれほど変わらない。俺はラークの紫闇がかかった髪と目をじっくりと一瞥した。
――ラークだって本当は多忙だと分かっていた。
ラークは検察魔術師だ。魔術師の中で不法を罰する立場で、捜査会議で長いこといないこともある。それでも、それでもだ。ラークは、出来る限り帰ってきているのを知っている。そして家事をしてくれる。俺だってこれでも一応出来る限り帰宅してはいるつもりだが、ラークに比べれば甘いと思う。眠くなったら、医療塔の仮眠室に直行してしまうのだから。
「ラークがそう決めたんなら、そうするか」
俺は俯いた。それ以外に、言葉が見つからなかった。
するとラークはスッと目を細めて、腕を組んだ。苛立っている時の表情だ。それくらいは、付き合ってもう三年だから分かる。
「本当、馬鹿」
「……すぐに部屋を探して出て行くよ」
「そう。じゃあ、距離を置こっか」
それから俺は、一人で、部屋を探すことになった。
しばらくの間は、部屋を借りずとも仮眠室に入り浸りだったし(無論仕事で)、何の問題もなかった。だが、ある日、珍しくルキア先生に呼び止められた。
「最近、ラピスと仮眠室にいることが多いな」
「ああ……大規模な風魔術の暴発事故が合ってからは、泊まり込みですからね」
そうなのだ。
部屋を探す暇もないくらい、現在は忙しい。風魔術の防壁結界建築機構で暴発事故が合ってからは、寝る間もないほど患者が運ばれてきては、バタバタと急変しているのだ。近くにあった、魔石の鉱山も同時に吹き飛んだため、地水火風の魔術が混合して、大惨事となったのである。
「それだけか?」
「はい?」
「――いい、なんでもない。引き留めて悪かったな。ただ、顔色が悪いのが気になってな。帰って休んだ方が良いんじゃないか?」
案外ルキア先生は優しいのだなと俺は発見した。確かに柔らかな布団で眠りたい。贅沢を言うなら、隣にラークの温もりが欲しかった。しかし、それはどこに帰ろうともないのだろう。その日の内に、俺は、即日で入居可能な部屋を見つけて、家具付きだったので毛布にくるまることにした。
翌日――目が覚めると、妙に体がだるかった。体温計などは、腐っても医療魔術師なので、常に携帯している。体温を測れば、高熱だった。ああ、最悪だ。流石は、ルキア先生だ。一発で俺の風邪を見抜いていたのか。
俺はラピス先生に風邪の旨を伝え、休暇を貰った。患者にうつすわけにはいかないからだ。
それにしても医者の不養生か。溜息が漏れた。
ただしやっと休暇が出来たというのに、側にラークはいない。
今頃は仕事だろうか。無性に会いたかった。だが――こちらにも意地がある。向こうから距離を置こうと言われた以上、向こうから距離を戻すと言われるまでは戻らないつもりだ。
そして結局一人で俺は、風邪を乗り切った。
「大丈夫ですか?」
復帰早々ラピス先生に声をかけられたので、笑顔を返した。先生は、本当に優しい。一部の噂では、死神先生と言われていたと聞いたが、俺が配属されてからは、手術の成功率は九割を超えているし、先生は寧ろ蘇生の神様だ。ラピス先生がいなかったら、いくつの心臓が止まっていたのか分からない。
「もう平気です。有難うございます」
「一応、心配で家に電話をしたんだけど、風邪の具合をきいたら、いないって言われたから、どうしたのかと思ったよ。まさかずる休みかななんて思っちゃった」
クスクスと笑いながらラピス先生に言われた。嫌味ではなくて、冗談だと分かる。
電話までしてくれたとは、本当に俺は上司に恵まれている。
しかし――”言われた”と言うことは、恐らくラークが電話に出たのだろう。
しかも風邪だと聞いていたのか……。ならば連絡の一つくらいくれれば良かったのにと思う。俺はもしかしたら、嫌われているのだろうか? 距離を置こうと言われて戻った例などそう言えば周辺では聴いたことがない。だとすると、俺達の関係はもう終わりなのだろうか。
「ああ、風邪が治ったのか?」
そこへルキア先生がやってきて、ぽんと俺の肩に手を置いた。
正面では、何故なのか(なんてきくまでもないが)、ラピス先生が赤面している。顔を見るだけで照れるほど、仲がよろしくて羨ましい。
俺とラークだって、出会った頃はそうだった。少なくとも、俺の側はそうだった。
殺人事件らしきものが起こって、まだ息があった被害者が運ばれてきて、ICUで俺が担当したのがきっかけだった。そのころ俺は別の病院の救命にいて、ここに引き抜かれる前だった。ここの方が給料が良いから、ラークの手取りに追いつきたいなんて思ったのが間違いだったのだろう。あのころは、俺は救命をやりつつ、同時に嘱託で鑑定医もしていた。それがきっかけでそのまま遺体の検死にうつり(あの病院は暇で、救命には三日に一回くらいしか人は来なかったので、俺のメインは寧ろ検死報告書を書くことだった。それもあってラピス先生とは学会で以前から顔見知りだったのだ。それで引き抜かれた)、立ち会いに来たラークと出会った。それからもたびたび顔を合わせるようになって、食事に行く仲になり(食事先では勿論事件の話しがメインだったが)、ある日、酔いに任せて俺は告白した。両思いだったから、今に至る。両思いの確信がなかったら俺には告白する勇気なんて無かったと思う。何せその前々日に、実は俺達は関係を持っていたのだ。これも酔いに任せた。勢いを借りたのだ。俺が押し倒したのだが、華麗に反転させられて、結局受け身になったのは俺である。以来ずっと俺が下だ。流石は検察魔術師、体力があると思った記憶がある。
検察魔術師は、エリートだ。専門の大学を出なければ、なれない。高給取りだ。
医療魔術師に匹敵するかも知れない。しかし医療魔術師の給料と忙しさはピンキリだ。
だからと言うことはないが、ラークはモテる。大層モテる。別に俺ではなくとも良いのかも知れない。俺に飽きたのか。そうなのか。そう思えば諦め――られるわけではない。
「はぁ……良いですね、先生達は仲が良くて」
「え」
「あ」
思わず口に出していた俺に、あからさまにラピス先生が息を飲んだ。
ルキア先生は吹き出している。
「知っていたのか?」
「え、そりゃあ……」
果たして二人の関係を知らない医療魔術師など、この医療塔に……少なくとも救命にいるのだろうか? ただ、暗黙の了解というか、誰も本人達には何故なのか言わないというのは、俺も知ってはいた。俺が移動してくる前に何かあったらしいが、詳細は知らない。
「あの……お付き合いされているんですよね? そう伺ったんですが……?」
「それだけか?」
「え?」
ルキア先生の声に首を捻ると、ラピス先生に首を振られた。
他に何かあったのだろうか?
「あの、ええと?」
「アイス先生、気にしないで下さい。行こう、そろそろ。戻りましょう」
ラピス先生が歩き出したので、俺はルキア先生に会釈して歩みを再開した。
まぁ別に聴かなくても良い。何せ俺は今、自分のことで手一杯なのだから。
――そのまま三日、俺は寝ずに仕事をした。
我ながらハードな生活をしていると思う。栄養ドリンクを飲んで乗り切った。本当は、こういう時は、ラークが作ってくれるアイスコーヒーが飲みたい。ああ、どうすれば距離は縮まって、元に戻るのだろうか? やっぱりもう、戻れないのだろうか……。
そんなことを考えながら、気だるい昼下がりを迎え、俺は久方ぶりの休憩を得た。
そうして目撃してしまった。
「どうして俺がザイルのためにお弁当を作らなきゃならないんだ」
「僕がどうしても愛するお前の手料理を食べたかったからだ、ワーク」
慌てて俺は木陰に隠れた。反射的に隠れてしまったのだ。何せ相手は、終末医療塔の管理官と、ここの総括だ。愛する――!? 俺は始め耳を疑った。嫌、けれど確かにそう聞こえた。
「なんだかんだ言っても作ってくれるワークのことが、僕は大好きだ」
「まぁ……俺は暇だからね。ただの暇つぶしだよ」
え、と思った。総括が、あの厳しいことで有名な総括が、まっすぐに愛の言葉を囁きまくって、おしまくっている。むしろ若干、ワーク先生の方が引き気味だ。意外すぎて声が出ない。ワーク先生はいつも飄々としている印象だが……それでも僅かに、照れている気がしないでもない。
「今日も部屋に行っても良いか?」
「無理だね。今夜は当直なんだ」
「ならば当直室に」
「仕事中に構われるのは好きじゃないんだ。何せ、仕事なんだからね」
「僕の愛は、仕事よりも優先されているんだ」
嫌、それじゃ駄目だろう、総括がその姿勢じゃ……!
叫び出しそうになったがこらえた。絶対ザイル先生より、ワーク先生の方が正しい。
普通に考えて愛より仕事が優先だ。少なくとも勤務中は……!
――しかし俺もあれくらい押しが強かったら、ラークとの距離も縮まるのだろうか……?
いいや無理だ。恥ずかしくて、あんな事は決して言えないような気がする。
それにしても……当直じゃなかったら、ザイル先生はワーク先生の部屋へと行って良かったのだろうか……。その上、今日『も』――……?
そんなこんなで貴重な昼休みは終わってしまった。
すると午後になって、脳に銃弾魔石が撃ち込まれた患者が搬送されてきた。
大変難しい位置に、銃弾がある。
全員でカンファレンスが行われた。実は俺の専門は、魔石の溶解除去なのだ。しかし場所が場所だ。溶解魔術は、周囲を傷つける。だから、一度切開してからの魔術使用になる。ただどちらにしろ、一度家で、専門器具を引っ張り出してこないと厳しい。
これは、医療塔の専門家に任せた方が良いだろうと考えていると、電話が鳴り響いた。
一昨日退職していて、現在は新人が三名しかいないというのだ。まぁ……ドマイナーな魔術だし、あり得ないことではない……。
全員の視線が俺に向いた。冷や汗が伝ってくる。俺に執刀しろという事だ。
「――一度、器具を取りに戻ります」
「二十分以内に戻れ。それまでは俺とラピスで持たせる」
そうして大急ぎで俺は、ラークと暮らしていた家へと戻ることになった。
鍵は幸い変わっていなかった。
しかしチェーンがかかっていた。
……ラークが中にいる。日中にいると言うことは、今日は休暇か。
だがそんなことを考えている場合ではないので、俺は呼び鈴を連打した。
「開けてくれ、死にかかってる患者がいるんだ。寧ろ開ける前に、二段目の引き出しの例のあれを取ってくれ!」
俺は叫んでいた。どこの引き出しとも言っていないし、あれ、じゃあなんだか分からないだろうに。だが必死だったのだ。俺はこれでも仕事に誇りを持っている。どれくらいの誇りかというと、ラークへの愛と同じくらいの誇りだ。嗚呼、俺、愛してるんだなぁ。
その時チェーンがあいた。
すると目的物を持って、ラークが立っていた。
「これ?」
「ああ、有難う、その」
「いってらっしゃい」
「――愛してるから」
俺は勇気を出してそう言った。それから走った後、魔術で移動した。
手術には十三時間ほどかかった。俺の方が死ぬかと思った。何度も額の汗をぬぐって貰ったことしか記憶にない。結論から言えば、成功した。まだ意識は戻らないが、近々戻ると思う。何せ俺の施術が成功した直後、あのルキア先生とラピス先生が処置したのだから。二人がかりで、だ。それで亡くなったら、もう誰のせいとも言えないだろう。これは俺自身への言い訳でもある。
念のため器具は、病院に置いておけと言われた。
そして俺は、救命と脳外科で取り合われた。正直、ラークのことを考えたら、脳外科に移った方がまだ時間がとれる気がした。だけど俺は、救命を結局選んでしまった。自分でも馬鹿だと思う。しかし俺は昔から救命専門の医療魔術師になりたかったのだ。
小さい頃、俺自身が助けられたことがあるからだ。
その数日後、俺が借りている家へと戻ると、部屋の鍵が開いていた。
泥棒かと思って焦りながらも、取り押さえられるか考えながら、おそるおそる鍵を開けた。
すると、腕をねじり上げられて反転させられ、床に押しつけられた。
「不用心」
「お、おい」
声を聴いて、相手がラークだと分かった。いきなりなんて事をするんだと思っていると、すぐに解放された。手首がヒリヒリした。思わず片手で押さえているとぼそりと言われた。
「――助かったの?」
そう言えば報告すらしていなかったが、守秘義務もあるしで、何とも言えなかったから、曖昧に笑って俺は頷くにとどめた。
「良かったね。だけど、本当馬鹿。家具、何もないじゃん」
「っていうか、どうやって中に入ったんだ?」
無言でラークが検察魔術師の手帳を開いた。職権乱用だ……!
大体大家さんに俺が怪しまれたらどうしてくれるんだ。
「出て行けってさ、容疑者は」
「なッ、それ、ラークの方が犯罪行為だろ!?」
「別に俺は何も言わずに手帳を見せただけだよ。それ以外は、ラークの部屋に入ってみたいなって言ったら、入れてくれたんだ。それだけだからね。捜査だなんて一言も言ってないし」
「俺は今夜どこに行けば良いんだよ!?」
「そんなの、自宅に決まってるでしょ」
「……え?」
「本当馬鹿。別居しようって言ったのはね、否定して欲しかったからなのにさ。距離を置こうって言ったのもそう。なのに、何? 本当に出て行くとか、本当馬鹿」
分かりづらい。俺の単純な頭には、わかりづらすぎる。
「ええと……?」
「俺も愛してるって事」
「!」
「早く帰ってきて――いってらっしゃいって、言ったでしょ」
そう言ったラークに抱きしめられた。俺はがらでもなく泣きそうになった。
あったかい。何よりも心が温かくなった。
こうして俺達の距離は、縮まった。縮まったというか、最初から多分距離なんて無かったのだ。良かった。そうして俺は今でも救命にいる。相変わらず会えない日は多いけれど、なるべく帰るようにした――眠くても。
「最近は帰りが早いな」
ある日ルキア先生に言われたので、俺は嬉しくなって大きく頷いた。
「恋人が待っているんで」
「――恋人がいたのか」
すると何故なのか、安堵するように深々と吐息された。何故だろう?
「相手は医療魔術師か?」
「いえ、違います」
「仕事が違うと、理解が無くて大変じゃないか?」
思わず空笑いしそうになった。確かにそれはあるかも知れない。だが、俺はそれでもラークが良いのだ。
「愛してるんで、問題ないです」