くたびれた陽溜まり








 背の高い緑色の草を、丘が着ている。
 草原に立っている僕の金髪を、冷たい風が攫っていく。

 頭上には白く丸い光。その周囲は虹色に見える。太陽を模しているらしいけれど、僕は本物の太陽を見た事は無い。概念では知っている。太陽は、朝や夜といった空の表情を変化させる存在だったらしい。

 ここは、リンデルバルデル響和国。
 僕はそのはずれにある、ナザレア伯爵領にある叡智の丘で、現在空を見上げている。もう少し行けば、区画砦がある。石で出来た区画砦から外に出れば、別の領地にたどり着く。元々僕は、その『別』の場所から、この領地に招き入れられた。

 区画砦の向こうにあるのは、番号集落と呼ばれる平民の村落だ。僕はその中の、二番村に生まれた。それはナザレア伯爵が視察に訪れた後、一年は経たないといった時期で、僕の母は二番村の農民の娘だった。ナザレア伯爵が僕の母と一夜を共にした結果、十四年前に僕は生まれ、その後、伯爵家に引き取られた。

 ナザレア伯爵家において、父も義母も、異母妹のマリアーナも、僕にとてもよくしてくれる。ただ、異母兄のジェイスだけがよそよそしい。産みの母とも手紙のやりとりをしている。僕を引き取る際、父であるナザレア伯爵は、二番村に多額の寄付をし、実母にも一生不自由のない援助を約束してくれた。

 僕は客観的に考えれば、非常に恵まれている方だ。
 二年前に引き取られて以後、僕は伯爵家の人間として、様々な礼儀作法や教養を教えてもらって育った。ただそれでも時折、僕は二番村の事を思い出す。例えばそれは、今日のように、異母兄に『出ていけ』と言われた時だ。

 このナザレア伯爵領地での生活は、二番村での日々よりも物質的には豊かだ。だが、伯爵家の後継者となる兄から見れば、僕の存在はあまり快くは無いのかもしれない。

 僕には、ジェイスの考えはさっぱり分からない。だから、ただの推測だ。

 ジェイスは、僕と同じ歳だ。誕生日は、僕よりも半年早い。黒い髪をしていて、それはお義母様譲りだ。目の色だけが、僕らは同じで、それは父に似ている。いつも父は優雅な微笑を湛えているけれど、ジェイスはそっくりなかんばせに感情を浮かべる事はほぼなく、多くの場合無表情だ。だけど僕と二人きりになると、時々感情を見せ、『出ていけ』と口にする。

 一方の僕は、顔の造形自体は父には似ていないが、微笑はそっくりだと言われる。笑っている方が、人生は幸せだと思うと、実母に学んだ結果で、別段作り笑いというわけでもない。他に僕が二番村の母から貰ったものは、ユレという名前だろうか。ユレ=ナザレア、これが僕の名前だ。二番村にいた頃は、ただのユレだった。

「ユレ様、そろそろお時間です」

 背後から声をかけられて、僕は振り返った。遠目には停車中の馬車が見える。歩み寄ってきたのは、僕の家庭教師のエヴァンスだった。それまでの思考を打ち消して、僕は微笑し頷いて、エヴァンスの後に従い、馬車へと向かう。

「今日は風が強いね」

 僕はエヴァンスにそう声をかけてから、馬車へと乗り込んだ。手には、戯れに摘んだ白い花を持ちながら。


 ――伯爵家に戻った僕は、門を通り抜けてから、洋館を見上げた。三階の窓の向こうに、ジェイスの姿が見える。勉強机に向かい、本日も勉強中らしい。ナザレア伯爵家は、『魔術師』の家系なのだと、僕は聞いている。跡取りとして、ではなく、元から才覚があるそうで、ジェイスは魔術の勉強……というよりも、研究を怠らないらしい。

 僕はあまり勉強は好きではない。
 ただ、叶う事ならば、異母兄とも親しくなりたいと願っている。

 出迎えてくれた使用人達に微笑を返してから、僕はジェイスの部屋を目指した。後ろ手に、花束を隠して。そして、扉の前で深呼吸をしてから、右手で二度ノックをした。

『誰だ?』
「僕だよ」
『……出ていかなかったのか』
「うん。開けて」
『……』

 ジェイスが沈黙した。けれど少ししたら、扉が軋んだ音を立てたから、僕は満面の笑みを浮かべた。

「お土産だよ」

 花束を見せると、ジェイスが虚を突かれた顔をしてから、横を見た。唇を噛みしめたジェイスは、忌々しそうに眼を細くする。

「いい加減に俺の忠告を聞け。お前がすべき事は、叡智の丘で花の命を奪う事ではなく、砦の向こうの村に戻って、二度とこの領地に足を踏み入れない事だ」
「……水をあげて、魔術をかければ、花は長く咲き誇るはずだよ? 勉強ばかりじゃ息が詰まるよ。飾っておいて」
「どうしても出ていく気がないというのならば、俺にはかかわらないでくれ。吐き気がする。ユレ、俺は貴様を視界に入れたくないんだ」

 僕に向き直ると、ジェイスが眉間に皴を刻んだ。このあからさまな嫌悪は何なのだろう。僕達は喧嘩をした事すらない。顔を合わせた初日から一年間は、ジェイスだって他の家族と同じように僕によくしてくれた。ただ、十三歳の誕生日を僕が迎えた日から、ジェイスは何故なのか、僕に『出ていけ』と繰り返すようになった。ただしそれは、二人きりの時だけだ。他の皆がいる前では、徹底的に僕を無視するように変化した。本当に視界に入っていないみたいだ。

「お花、貰ってくれるなら、とりあえずこの場からは消えるよ」
「……魔術をかけておく」

 ジェイスはそう言うと、僕から花を乱暴に受け取った。
 元通りの仲に戻りたいと僕は思う。だけど、嫌われてしまった理由が全く分からない。何かしたかと何度も聞いたけれど、ジェイスは『出ていけ』の一点張りだ。

「また夕食で」
「……」

 僕は一応、花を受け取ってもらえた事に満足して、踵を返した。そして自室を目指した。
 部屋に入ってから、僕は寝台に座り、嘆息する。
 別にジェイスは、悪い人では無いはずだ。

「やっぱり同じ歳の異母弟の存在は、思春期には辛いのかな?」

 僕は腕を組んで、唸ってみた。僕は気にならないし、義母も優しくしてくれるから忘れがちだが、倫理的に言うのであれば、お父様は不倫をしたわけだ……。僕の存在自体が厭われているのであれば、僕に打つ手はそれこそ『出ていく』事くらいしかない。

「考えても分からないや」

 そう結論付けて、僕は寝台に横になり、そのままひと眠りする事に決めた。


「――レ、ユレ」
「ん……」

 誰かに揺り起こされて、僕は緩慢に目を開けた。見ればそこには、険しい表情のジェイスの姿があった。

「ジェイス兄上?」
「……来い」
「夕食?」
「……いいから来い。お前が早く出ていかないのが悪いんだ」

 ジェイスはそう言うと、僕から毛布をはぎ取った。目元をこすりながら起き上がった僕は、窓の外を見る。空はすっかり暗い。

「これを上に着ろ」
「?」

 僕に向かって、ジェイスが真っ黒いローブを放り投げてきた。いつもジェイスが実験時に着用しているものと同じに見える。僕は魔術について詳しくないから分からないけれど、簡素に見えて、相当値の張る代物らしい。エヴァンスが前に、『さすがは最新式』と、うっとりと眺めていたローブと同じだ。

「早くしろ、時間がないんだ」
「時間? なんの?」
「新月は明日だ。説明している暇が惜しい。さっさとしろ」

 声を潜めているとはいえ、そこに険しさがあるのが伝わってくるジェイスの言葉。
 僕は不思議に思いつつも、言われた通りにローブを羽織った。

「ついて来い」
「うん? 何処に行くの?」
「……黙ってついて来い」

 僕の手首をきつくつかむと、ジェイスが歩き始めた。よろめきつつも、僕は隣に追いつく。背丈も変わらない。兄というより、僕にとってジェイスは友達みたいな感覚だ。仲は良くないんだけれども……。

 扉を開けて外に出ると、暗い邸宅内が、いつもよりも静まり返っているようだった。普段であれば、見回りの使用人の気配がしたり、廊下を歩けば燭台に魔術の灯が点るのに、それも無い。暗闇だから僕はおろおろとしてしまったが、ジェイスには問題が無いらしく、迷いなく足早に歩いていく。手首を握られたままで、僕は目深にかぶったフードを取り去りたくなったが、我慢した。

「ねぇ、ジェイス」
「喋るな」
「……」
「次に声を出したら、声を潰す魔術をかける」

 冗談だと思いたいけれど、あんまりにもジェイスの言葉が真剣に聞こえたため、僕は唇を引き結んだ。そのまま向かった先は、屋根裏に続く階段で、僕達は更にそこを通り抜けて、窓から屋根へと出た。

「危ないよ、ジェイス。夜だし、屋根には登っちゃダメだって父上も――」
「黙れと言っただろう」
「っ」

 ジェイスが僕の喉に触れた。すると、一瞬だけ僕は息が出来なくなった。すぐにそれは解けたので、必死で息をしながら、僕は屋根の上に手をついて涙ぐんだ。なんらかの魔術をかけられたのだとは分かったけれど、過去、ジェイスが僕にこのように乱暴な事をした事は一度も無い。次第に怖くなってきて、僕は恐る恐るジェイスを見た。

「行くぞ」

 無理に僕を立たせたジェイスが屋根の上を進み始めた。次第にその速度は速くなり、端って――僕は落下すると信じたが、ジェイスは魔術で隣に立っていた旧邸宅の屋根へと降り立ち、その後も闇夜を、僕を連れて移動した。

 そうして伯爵邸の門の外に降りると、停まっている馬車の前に立った。

「良いか、ユレ。これに乗って出ていけ。二度と戻るな、死にたくなければ」
「……」
「そうでなければ、次に会う時、俺がお前の息の根を止める事になるだろう」

 ジェイスが馬車の扉を開けた。
 背後の外壁についていた護衛灯の光が一斉についたのは、その時の事だった。

「何をしている?」

 僕を馬車に押し込もうとしていたジェイスの手に、あからさまに力がこもったのと、聞きなれた父上の声が響いてきたのは、ほぼ同時の事だった。僕とジェイスはほぼ同時に振り返り、邸宅に仕える魔術師達をひきつれた父が、微笑しながらそこに立っているのを見た。

「父上……」

 体を強張らせたジェイスの声が震えていた。だが、直後気を取り直したように、ジェイスが僕の前に片腕を出して、もう一方の手に出現させた杖を構えた。

「出ていけ、ユレ。早く馬車に乗れ!」
「兄弟仲が良い事は誇らしいが、この期に及んで、裏切ろうというのかい? 嘆かわしいな、それでもジェイスは私の後継者なのか? このナザレア伯爵家を背負って立つ人間として、非常に恥ずかしい行いだ」

 悠然と笑いながら、父が述べた。ジェイスは険しい表情で、魔術を放っている。僕は何が起きているのかさっぱり分からない為、動けずにいた。

「ユレ、早くしろ」
「ジェイス、でも……」
「良いから行け――早く出ていけ!」
「……」

 僕が困惑していると、父がクスクスと笑った。それを見ると、ジェイスが僕の手をギュッと握った。

「言い直す。早く逃げ――」

 それからジェイスが再び僕を馬車の中へと押し込もうとしたその時、父上の姿が消えた。そして気づくと、ジェイスが気絶していた。僕の目の前で、ジェイスは父上により地面にたたきつけられていた。これも魔術だ。

「ユレ。ジェイスは少し錯乱状態にあるようだ。保護が叶って良かったよ。さぁ、家の中に戻ろう。明日は大切な新月の日なのだからね」
「……はい。ええと、ジェイスは……?」
「きっと何か誤解しているのだろう。私が良く言い聞かせておくよ。ユレ、君は何も心配する必要はない」

 気絶しているジェイスを抱き上げると、父が微笑した。
 その後僕は、現れたエヴァンスに先導されて部屋へと戻った。


 ――翌朝、朝食の席に、ジェイスの姿は無かった。だけど父も義母も異母妹も普通に歓談していて、浮かんでいる表情は笑顔だった。その席で、父上が僕に言った。

「今日は十四歳最後の新月だ。ユレには、ナザレア伯爵家の一員として、特別な儀式をしてもらう事になる。何も心配はいらない」
「儀式……?」
「ああ。椅子に座っていれば、すぐに終わる。それだけだよ」

 その言葉に頷いてから、僕は父上に尋ねる事にした。

「あの、ジェイス兄上は?」
「今日は一日、お仕置きだ」
「明日には会えますか?」
「――ジェイスの態度次第と言えるね。伯爵家の跡取りがあのような体たらくでは困ってしまうからねぇ」

 父はそう言って笑うと、血の滴るステーキを切り分けた。母と異母妹も頷いている。
 僕にはまだ分からない貴族の事情なのだろうかと判断し、僕は頷くにとどめた。


 この日、僕は早めに湯浴みをさせられた後、真っ白い服に着替えさせられた。

「さぁ、行こうか」

 自室でエヴァンスと共に待っていると、父上が迎えに来てくれた。この国には十二の月があるのだが、僕の誕生日は十二の月だ。だから僕にとっての、十四歳最後の新月は十一の月になる。即ち本日だ。

 詳細は聞いていなかったのだけれど、僕は前々からこの新月の日に儀式をすると言われていた。父の後に従い歩きながら、僕は地下一階まで降りた。すると正面に壁があって、そこの脇の四角い板に父上が触れると、壁が左右に開いた。

「さあ、乗って」
「?」

 小さな何もない部屋に父が進んだので、僕も従う。エヴァンスも一緒だ。
 右手の数字に父上が触れると、壁が再び締まり、急に落下するような感覚がした。これも、魔術なのだろうか? 頭上にも数字があって、数字が移動していく。その数字が、十三になった時、音がして、再び壁が左右に割れた。足元には、『関係者以外立入禁止』と白い字で書かれている。

「ほら、行こう」

 父が僕の肩に触れた。そして歩きだしたので、ついていくと、青緑色の光に包まれた巨大な部屋が正面にあって、その中央に椅子が一脚置いてあった。

「座るんだ、ユレ」
「はい」
「あとは一晩、ここで過ごすだけだよ」
「僕は座っていれば良いの?」
「そうだよ」

 言われた通りに僕が腰を下ろすと、エヴァンスが椅子についていた器具を僕の体に巻きつけた。見たことのない素材で椅子の背に、僕の胴体がぐるぐる巻きにされた。左右の手首と足首には輪っかが嵌められ、頭部にはなんだかよく分からないものをかぶせられた。

「エヴァンス、準備は終わりか?」

 父上の声がする。僕は何かかぶせられているというのに、その視界の部分から外が見えたし、耳には何かがはまったのに、周囲の音を正確に聞く事が出来た。

「ヘッドギアの準備は完了です。これにて部分脳移植及び人格プログラム転写が可能となります」

 身動きが出来なくなった僕を残して、二人が歩き始めた。何か言おうと思ったのだけれど、僕の喉には首輪があって、気づくと声が出なくなっていた。父とエヴァンスの姿が見えなくなると、周囲の灯りが完全に消えた。

 異変を感じたのは、それから少ししての事だった。
 左右の耳から、何かが僕の内側に入ってきた。そう思っていたら、思考がぼんやりとしはじめて、僕の手首の輪っかからは肌に針が刺さったらしいと理解できた。そこからも何かが流れ込んでくる。全身が次第に熱くなっていくのだが、意識は朦朧とし始める。後頭部にその後、衝撃を感じた。弧を描くように何かが走り、三半規管に骨から骨に響くような振動を感じ、続いてジリジリと何かを焼き切るような音を認識した直後には、僕は目を開けたままで硬直していた。

 僕の頭を、何かが切り取った。人間の頭の中に何が入っているのか僕は知らないけれど、骨が丸く切り取られてその向こうに入っていた何かが切除されたのだと思った。

 そうして代わりに、何かがそこに接着させられていく。
 新しい何か、が、確実に僕の頭の中に入ってきた。

 その後は骨が戻された。本能的な恐怖が僕の内側から湧き上がってくる。だが身動きは出来ず、声も出ない。時間の感覚も曖昧で、それがどのくらいの時間を要したのかすら理解できない。ただ僕は、頭の中の何かが切り取られて、代わりに何かを植え付けられたのだと直感していた。

『部分脳移植は成功です。これより、人格プログラムの転写を開始します』

 最後にその声を理解した直後、僕は絶叫した。いいや、した心地になっただけだ。僕の声は封じられている。全身がカッと熱くなったと思った直後、壮絶な痛みが僕の全身を支配し、絡めとった。

 それからの事を、僕は覚えていない。ただ、痛みと熱の記憶しか、僕には残されなかった。


 ◇◇◇


「悪い子だね、ジェイス」
「ッく……」

 口枷を嵌められ、重力牢に拘束されていたジェイスは、掌と足を床に貼り付けられているかのような状態で、訪れた父を睨みつけた。手に棘のついた鞭を持つナザレア伯爵は、呆れたように吐息してから嘲笑を浮かべる。

 そしてジェイスの背中を思いきり鞭で打った。すでに何度もその行為が繰り返されているせいで、白いシャツは切り裂け、血が滲んでいる。ジェイスの白い背中は傷跡だらけだ。いずれも深い。

「『出ていけ』か。素直に『逃げろ』と教えてあげても良かったのだよ?」

 ナザレア伯爵エイザス卿は楽しそうに嗤った。

「どうせ今宵で、『ユレ』という人格は消失するのだからね。分かるかね? そうなれば、記憶など、何処にも無くなる。記憶貯蔵を義務付けられていない平民の人格は、一度消えれば戻る事などあり得ないのだから」

 揮われる鞭の音が響く。
 それが齎す痛みと、父が放った言葉に、ジェイスの瞳が暗くなった。多分その色の名前は、絶望というのだろう。ジェイスはただ耐えるしか無かった。



 ◇◇◇


 惑星入植移民艦リンデルバルデルが、母星地球を旅立ったのは、約五百年ほど前の事である。理由は簡単で、地球に巨大な隕石が激突すると判明し、生存をかけて宇宙に逃れた事が契機だ。いくつかの艦が宇宙に脱出したし、無論地球に残った者――逃れられなかった者もいた。

 その後、様々な問題が生じ、リンデルバルデルの中では、いくつかの決定がなされた。

 別の惑星へ入植するための宇宙船に乗車している事を知る者は、別段少数で構わない等がその例で、それらを知る科学技術者は『貴族』となった。二百年もすれば母星や科学の知識は御伽噺程度の伝聞物に変化したし、誰もが、艦内の地球を模倣した空間がまがい物だとは疑わなくなった。

 三百年が経過する頃には、最先端の超科学の知識を有する者はごく少数になり、一般の民衆――『平民』は、それらを『魔術』として認識するように誘導され、変化した。

 聲粒子が作る人工太陽の下、貴族が治める領地があって、その外に数字で呼ばれる村があり、そこに平民は暮らしていて、必要食糧の生産を行っている。そして不死技術の恩恵にあずかる事はできず、寿命制限処置により百歳前後で死亡すると、宇宙船の燃料に変えられる。自然受胎はなく、全ての子の出生管理を個々に科学者が行っている。


「ジェイス兄上、何をしているの?」
「聲粒子の――……魔術の研究だ。ユレは、また花を見に来たのか?」

 陽溜まりの庭において。
 まだ十二歳の異母弟に声をかけられた時、咄嗟に言葉を飲み込んだ。
 このリンデルバルデル響和国に限らず、寿命制限がなされている『第二人類』には、科学知識を与える事は許されず、皆、『魔術』として『不思議な力』として、聲粒子については話すほかない。

 今見ていた白いエルデラの花は、聲粒子を吸収する特性のある植物だ。その観察を日課にしていると、すぐに異母弟が物珍しそうに話しかけてくるようになった。

「うん。すごく綺麗だから、このお花」
「……そうだな」

 綺麗、か――と、考える。
 これまでは、周囲には『魔術理論の勉強・研究』とし、実際には超科学の一分野としての聲粒子研究をしてきたのだが、そこに『美醜』といった価値観を挟んだ事は一度も無かった。だが、異母弟が家に来てから、世界が変わった。

 例えば、カロリーを摂取できれば良いと考えていた『食事』という行為には、味という概念や会話という楽しみが加わり、どんどん世界が色づいていく。

 異母弟と話していると、胸が温かくなっていく。自分が、『人間』だと、そして、第二人類もまた『生きている』のだと、強く感じるようになった。

「春には、別の花も咲く」
「そうなの? そっかぁ、エヴァンスもここには四季があるって言ってたっけ……二番村はいつも秋だったからよく分からないんだよね」
「そうか」

 気づくと微笑していたから、ハッとした。ユレには、人を笑顔にさせる力があると知ったのは、出会ってすぐの事だ。大切にしたいと、すぐに感じた。聲粒子で生成された人工太陽の日差しが降り注ぐ中で、ユレと眺める花は綺麗だと、確かに感じた。


 ――懐かしい夢を見ていた。
 どうやら執務室で微睡んでいたらしい。

「ジェイス、居るかー?」


 ◇◇◇



 新月の夜が終えた時、僕は――……

「名前は?」

 ヘッドギアを外された僕に、笑顔の父上が話しかけている。

「響和国コードN112502021」

 首輪を外された僕の口が、勝手に答えた。僕にはそれが分かるのに、どうして自分の意志ではないのに言葉が出るのかは分からなかった。不思議に思って首を動かしてみようとしたけれど、全然自由にならない。僕の意志では、体が動かない。だというのに、僕の右手は、輪っかをはずされると勝手に持ち上がり、握ったり開いたりしている。

「優秀な魔術師がこの世に戻った事を、嬉しく思う」
「光栄です、エイザス閣下」
「今も魔獣被害は深刻だ。君の力を貸してほしい」
「承知しました。敵は、どこに?」
「まずはゆっくりと休むが良い。ああ、それと新しい名前は『ユレ』だ。使う事はあまりないだろうが、記憶しておくように」
「畏まりました」

 僕の口が勝手に同意した。言われなくても僕はユレなのに。
 そう思っていたら、鈍い頭痛がした。

『黙っていろ、もうこの体は俺のものだ。お前のものではない』

 僕と同じ声が、僕の意識に響いてきた。驚いて目を丸くしたけれど、それは気分的なもので、僕の体は逆に瞼を閉じたようだった。

(貴方は誰なの?)

 僕は必死で話しかけようと試みた。
 すると溜息をつく気配がした。気配だけで、体が動いたわけではない。

『俺は響和国コードN112502021RGLSという人格だ。生前の名前の情報は記憶保持されていないから、無い』
(それは何?)
『魔獣を倒すために、人為的に生み出された魔術師という事だ。そして俺が忍ばせた記憶をたどる限り、魔獣というのは俗にいう地球外生命体で魔術師というのは人造人間あるいは科学者らしい』

 何を言っているのか、僕には理解できなかった。
 僕が知る魔獣は、空から時々落ちてくる脅威だし、魔術師というのはすごい人の事だ。

「さぁ、『ユレ』。まずは全身の検査をしよう。それから――魔力量の測定を」

 父上が笑っている。エヴァンスが僕の体の拘束を解いた。いいや、もう僕の体ではないらしいから、これは……

(……コードさんの体になったっていう事?)
『それは俺の事か? コードというのは識別符号の事であり、俺以外にもある。俺を個として識別するのはアルファベットと数字だ』
(……ええと、何て呼んだら良い?)
『呼ぶ必要はない。黙っていろ。というか、何故お前の人格は消えていないんだ? 完全に失敗ではないか。落ちたな、ナザレア伯爵家の技量も』
(僕は僕だよ。ユレだよ!)
『俺もまたユレとなった。もう良い、強制的に遮断してやる』

 そう響いて聞こえたと思った直後、僕は暗い場所に浮かんでいる心地になった。
 何も見えない。暗い場所に、僕は一人浮かんでいる。
 なんだろう、ここは?

 困惑しながら、僕は耳を澄まし、目を凝らした。闇の中だと、自分の体があるように思えた。すると、暗い場所の一部に、風景のようなものが混じってくる事に気が付いた。どうやらそれは、僕の体を今使っている何かの視覚の情報のようだった。

「おかえりなさいませ、ユレお兄様」

 マリアーナが微笑している。

「立派になりましたね」

 お義母様も満面の笑みだ。
 どうやらダイニングのようで、正面には父上が座っている。だけど、ジェイスの姿は無い。四人で丸いテーブルを囲んで、ステーキを食べている。闇の中で膝を折って座り、僕はその光景を見ていた。

「ユレ、記憶状態はどうだ?」
「問題ありません。父上、母上、マリアーナ」
「完璧だな」

 皆、楽しそうにしている。でも彼らは、僕が僕ではない事を正確に認識している様子だ。そう考えたら、無性に寂しくなった。

 それにしても、ジェイスは何処にいるんだろう?

 僕のそんな疑問が解消されたのは、その翌々日の事だった。父上が、僕の体を伴って歩いて行った先が、半地下にある牢屋のような場所で、その床にボロボロになったジェイスが倒れていた時だ。狼狽えて、僕は叫ぼうとした。だけど声は出ないし、体は僕の物ではないし、僕は映像のようにそれを遠くから見ているという状態で、何もできない。

 シャツの布地が少しだけ残っている状態で、ジェイスは倒れている。背中には沢山の傷跡があって、血がダラダラと流れている。すごく痛そうだ。

「ユレ。こちらがジェイスだ。知識量は十分なのだが、とても聡明とは言えない愚息だ。全く、先が思いやられる。このような出来損ないが、次期後継者とはな。感情に流され、平民たる第二人類に肩入れするなど……それも、ユレの適合体を逃がそうとするとは」

 父上が冷たい声を放った。口元は笑っているのに、その瞳が冷徹だ。

「ジェイス。そろそろ分かったかね?」
「……っ」
「ユレ。『兄上』をよく教育してやってくれ。君達は異母とはいえ、親しい仲なのだからね」
「承知しました」

 僕の体を残して、父上が歩き去った。鍵を受け取った僕の体は――檻の中に入ると、蹲っているジェイスを蹴り飛ばした。呆気に取られて、僕は両腕で自分の体を抱いた。闇の中の、存在しないはずの体を、だ。実際の身体は、足で何度もジェイスを蹴りつけているだけだ。

「ごきげんよう、ジェイス兄上」
「……っ、あ」
「少し強く蹴りすぎましたね。ああ、血が溢れてしまった」
「……識別符号は?」
「僕はユレです。お忘れですか? ジェイス兄上」
「貴様などユレではない――っく、うあ」
「もうこの体は俺のものであり、お前の異母弟の意識など無い。こう言ってほしいのだろう? ジェイス兄上」
「……聞きたくはなかったが、別人格の転写がなされた事、正確に理解している」
「ユレは、お前を蹴ったりはしないものな。優しい優しい、異母弟だものな」
「っ、必ず貴様を殺してやる」
「何故?」
「人口削減計画の要となる貴様を、俺は許容できない」
「へぇ。これはこれは、中々の正義感をお持ちだ。では、一つ良い事を教えてやろう」
「?」
「『ユレ』――出てきても良いぞ」

 不意に僕の意識で、瞬きが出来るように変化し、視界が鮮明になった。パクパクと動かせば唇が震える。

「あ、あ……ああ! あ! 声が出る!」
「!?」
「ジェイス兄上、大丈夫!?」
「何の真似だ?」
「よく分からないけど、すぐに手当てを。エヴァンスを呼ばないと」
「――ユレの演技を止めろ。不愉快だ」
「演技? あの、ジェイス兄上、僕……僕はどうなったの? 座っていて、熱くて痛くて、そんな夜が終わったら、目が覚めたら、『コード』っていう人が僕の体を動かすようになってた。僕は、暗い所に浮かんでるんだ。何、これ? これも魔術?」
「な」
「あの、僕は――」

 と、続けようとした瞬間、再び僕は気づけば、暗い空間に浮かんでいた。

「おしゃべりが過ぎるな、ユレ」
「まさか……人格転写が失敗したのか? そんな馬鹿な」
「正解だ、ジェイス。元人格のユレが話しかけてきて、雑音(ノイズ)が酷い」

 僕の唇が笑みを描くように歪んだのが分かる。ジェイスは、驚愕したようにこちらを見ている。

「俺にとっては雑音だが、お前にとっては可愛い異母弟なのだろう?」
「っ」
「異母弟ごと俺を殺すのか? ジェイス兄上。さすがに冷酷非道なナザレア伯爵家の人間というだけはあるな。閣下はああは言っていたが、所詮お前も冷たい科学者か」

 再び僕の体が、ジェイスを蹴りつけ始めた。ギュッと目を閉じたジェイスが、苦しそうに呻いている。

「て、転写が……っく、本当に失敗したのか?」
「よくあることだ、何せ大部分の脳はクローン体とはいえ、適合体以前より体にあるものだからな」
「……ならば、移植部分を切除すれば、ユレは戻るのか?」
「いいや? 摘出されたユレの脳は既に廃棄されている。この体は、既に俺の移植脳が無ければ朽ちるように設定されている。心臓は代替が効くから、もしどうしても俺を殺りたいのであれば、移植脳を潰せ。お前には無理だろうが」
「本当に……ユレの人格は、お前の中に残っているのか?」
「どう思う? 俺の演技だと思うか? それとも、本当にいると思うか?」
「!」
「ジェイス兄上? え? 何の話? 僕の口はどうして勝手に動くの?」

 その時、僕の口真似をして、僕ではない存在が声を放った。するとジェイス兄上が苦しそうに顔を歪めた。見ていると、その瞳に涙が滲み始めた。

「あれほど出て行けと言ったのに。何故、こんな……逃げろと言えば良かったのか、ああ、俺はおろかだ……ユレ……悪かった。何もできなかった……」
「泣かないで、兄上」

 僕ではない存在が、そう囁いて、ジェイスを抱き起した。そしてぎゅっと抱きしめながら、ニヤニヤと笑った。僕の顔はジェイスには見えていないみたいだ。だけどこれは、僕の言葉ではない。僕のフリをしたコードの言葉だ。

「兄上は何も悪くないよ。僕を助けてくれようとしたんでしょう? それだけでも嬉しいよ」
「っく……ッ」

 声を押し殺すようにして、ジェイスが泣き始めた。その体を抱きしめたままで、僕の体を支配している存在は笑っている。騙されてはダメだと、僕は言おうとしたのだけれど、僕の意識では口は動かないし、僕は相変わらず暗い闇に浮かんでいる。

「……必ず、その体……取り戻させてやる」
「有難う、ジェイス兄上」

 僕の口はそう動いた。直後、僕の意識には哄笑が響いてきた。

『実に愚かだが、これでお前を消去する研究を馬車馬のようにしてくれるはずだ、ジェイスは。いかにもお前が移植人格であるかのように説明し、俺は完全にこの肉体を手に入れる』
(僕のフリをして、ジェイスに優しくするの?)
『飴と鞭を使い分ける。時々お前のフリをする。飴は少ない方がいいだろうな。僅かな希望だけを与えて――いたぶって楽しませてもらいながら、働かせる。分かるか? こういう楽しみ方が、お前に』
(全然分からないよ!)

 僕が非難するように伝えた時、吹き出すような気配がしてから声がした。

『俺の事は、もうコードと呼べば良い。ユレ、その代わり、俺に知識を提供するように』




 ◇◇◇



 ――これは、ユレではない。
 明確にそう、ジェイスは認識していたが、泣くのを止められなかった。抱きしめられたままで、腕に異母弟の温もりを感じたままで、それでもはっきりと覚悟していた。

 実際に、瞬間的には『ユレ』だと感じられる発言はあった。
 だが、本物のユレは、ジェイスと二人の時、『ジェイス兄上』でなければ『ジェイス』と呼び捨てていた。『兄上』と呼んだ事は、一度も無かった。つまり先程の許しを与えた言葉の主は――嘘つきな新人格だ。ただのプログラム記憶だ。

 もう、ユレは、いない。
 ユレを殺した相手だ。いくら優しい言葉を紡ごうが、許せない相手だ。だがその者は、ほかでもないユレの顔をしている。

 人口削減計画において、ユレの体を奪った存在は、兵器となる事が決定されている。近年の研究で、『戦争とは合理的である』という風潮がある。寿命制限処置のみでは、食糧難は解消できない。地球外生命体を魔獣と称して放って、人間を喰らわせても、人為的に受胎制限をしても、人間は中々減らない。だから、世界は、戦争を検討している。

 古の昔、地球の科学者は述べたらしい。
 ――『第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう』と。

 実際に、地球上では隕石の関係で第四次の戦争は起こらなかった。
 だが、その流れをくむこの艦内においては、もうじき『魔術師を兵器として用いた戦争』が計画されている。全ては同じ響和国の中の事であるが、戦争をするのは、貴族領地同士だ。

 ジェイスは、それが認めがたかった。何せ、人口削減計画と銘打っている癖に、『戦争する人員が必要だ』として、人工受胎が盛んになっている。『第二人類』は人工物なのだから構わないという風潮が、許せない。

 優しい少年だ、ジェイスは。
 例えば、人間だけでなく、花一本の命をも大切にするような。
 もしも彼の生まれが、入植までの血統維持を義務付けられたナザレア伯爵家でなかったのならば。

 きっと今頃ジェイスは、とっくに排除され、死んでいただろう。



 ◇◇◇


「ジェイス!」

 肩を掴んで揺らされて、少し咳込んでから目を開けた。

「起きたか。まったく、珍しいな、居眠りなんて」
「……レグルス。何か用か?」
「今日は命日だろ。お前が墓参りに行きたいって言ったんじゃないか」
「……それはそうだが、この大雪では……」
「安心しろ。俺が手を繋いでやる」
「一体何に安心しろというんだ?」
「婚約者様が温めてやると言ってる」
「……」
「何だよその胡散臭そうなものを見る目は!」

 レグルスは金色の髪を揺らすと、声を上げてから吹き出した。そしてひとしきり笑ってから、窓の外を振る綿雪を見る。

「お前が幸せにならなくてどうするんだ。それこそが、お前の仕事だろう? 違うか? ジェイス」
「……俺に、その権利があると思うか?」
「権利じゃない。義務だ。ジェイス、お前は、ユレのためにも幸せにならなければならない。全てを知る俺の導出した見解がそれだ。そして、この俺が、お前を幸せにしてやる」

 追憶にふけるように遠くを見る眼差しに変わったレグルスの声を聴きながら、ジェイスは椅子から立ち上がる。そして、レグルスの隣に立った。

「結構だ」
「婚約者に向かって随分な言いようだな」
「――俺が貴様を幸せにしてやる」
「は?」
「それこそが、ユレへの報いだ」

 そう述べると、下ろしたままの手の指先で、ジェイスがレグルスの手に触れた。


 ◇◇◇



 僕の体が、コードのものになって、三年が経過した。
 僕とジェイスは、夏の終わりにジェイスが、冬の頭に僕が、それぞれ十八歳になった。
 現在は十二の月だ。

 ――春に始まったナザレア伯爵領地とイルザ伯爵領地の戦争が終結したのは、先週の事だ。停戦事態は先々月になされたが、講和条約が無事に締結されたのは、本当に数日前だと言える。

 僕は生まれてから、魔術を使ったことも学んだことも無かった。
 なのにコードが使うと、僕は膨大な魔力をきちんと制御して放つ事が出来た。

 それは、僕にとっては、決して嬉しい事じゃなかった。
 コードは、イルザ伯爵領地の人々を虐殺して回った。老若男女、赤ちゃんまでをも皆殺しにした。イルザ伯爵領地には血の雨が降ったといえる。一方のナザレア伯爵領地には、ほとんど被害は無かった。潜入しようとした魔術師の首を、全て僕の体を使って、コードが刎ねたからだ。

 僕は、手に青い炎の魔力を宿し、数多の人間を屠った。肉を割く時、破裂させる時、血の臭いを感じる時、一人で僕は怯えて、闇の中で膝を抱えて泣いた。

 この戦争は、初めてではない。
 僕の体を占拠して以後、十五歳になってから、一年に二回は、他の領地をコードは侵略している。

「帰還した」

 本日は、来春に戦争を開始するマルザリレ伯爵領地の偵察に、コードは出かけた。僕の意識との二人旅と言える。コードは単独行動をしたり、命じられたりする事が多いのだが、そんな時、気まぐれに僕の意識に話しかけてくる。僕の言葉は、コードにしか聞こえないから、たまに話が出来る機会でもある。

「怪我は?」

 出迎えたジェイスが、無表情でコードを見た。つまりは、僕の体を見たわけだ。

「クローン体を移植するような怪我は無い」

 コードが答える。

「――心配してくれて有難う、ジェイス兄上」
「……」

 またコードは、僕のフリをしている。僕はこの感覚にも慣れてきた。コードは飴と鞭と言っているが、最近の僕は、一つ理解している事がある。多分ジェイスは、とっくに気が付いている。僕じゃないって。

「怪我がなくて良かった。ところで『ユレ』」

 それでもジェイスは、信じているフリをしている。
 どうしてそう、僕が確信しているかと言えば、ジェイスが知らんぷりをして、手話をしているからだ。手話、という言葉が正確なのかは分からないけれど。

 僕がきちんとジェイスの異母弟だった頃、まだ暮らし始めたばかりの頃、僕達は、二人で手による合言葉の数々を決めたんだ。例えば、『はい』だったら、二本そろえた人差し指と中指で、カタカナの『ナ』の字を描く、だとか。

 これに僕が答えられるようになったのは、ごくごく最近だ。激しい戦闘の後だと、コードの身体制御が少し緩くなるのを僕は見つけた。そんな時は、僕は手話を返せる。

「痛みはないか?」
「痛み? 痛覚など遮断している。何度言わせるつもりだ?」
(コードは、左の肩を怪我しているよ!)

 僕は手話で伝えた。コードは僕の口を使って答えた。
 するとジェイスは、嘆息した。

「では、クローン体の移植が不要な、痛覚を遮断していない場合の怪我があるか?」
「自己治癒可能だ。鬱陶しいな、放っておいてくれ兄上」
(コードは、お土産に買ってきたマルザリレ伯爵領地の領地花の種が入った袋を早く渡したいみたいだよ!)

 余計なお世話かもしれないが、僕は手話で伝えた。
 するとジェイスが動きを止めた。何も気づいていないコードは、顔を背けて、後ろのポケットに入れてある花の種の袋を、ボトムスの上から何度も撫でている。

 正直、僕もこんな事になるとは思っていなかったのだが――コードは、どうやらジェイスが好きみたいなんだ。僕だって、兄弟という意味では、大好きだよ? でも、そういう事ではなくて、コードは、ジェイスに『心配』されると、胸が『キュン』とするらしい。

「……負傷しているならば、治療が必要だ」
「俺にも解決可能だぞ、兄上」
「……」
「問題はない。何度も言わせるな、本当に愚鈍だな、次期ナザレア伯爵は」

 吐き捨てるようにコードが述べた。
 それから、僕の意識に声が響いてきた。

『ああああああああああああああああああああ、ダメだ。本物のジェイスが尊すぎて、上手く喋れない!』
(うん。なんでそんなに刺々しく冷たく喋るの?)
『俺、これまで何度どの体にプログラムされようとも、こんなにも優しくされた事、一回もないんだよ。大抵がただの兵器扱いでな。ジェイスは口調こそ厳しいけど、いつも俺――っていうか、まぁ、お前? ユレを気遣ってるだろ? 優しすぎて、苦しい。惚れない方が無理だろ』
(好きになったんなら、優しくしてあげなよ!)

 僕は生温かい気持ちで、抗議した。僕の体を奪った人格――響和国コードN112502021RGLSは、僕の異母兄にベタ惚れみたいだ。そして、コードは沢山の人や魔獣を殺すけれど……実は、そんなに悪い存在じゃないんじゃないかなって、僕は思い始めた。ジェイスの事をあれこれ僕に語ったり、僕から昔のジェイスの話を聞き出す時のコードは、本当に……なんというか、始めて恋をした思春期の子供みたいな感じだ。

「座れ」
「あ、ああ」

 ジェイスに声をかけられると、コードが我に返った様子で椅子に座った。
 それを一瞥してから、ジェイスは僕が手話で伝えた肩を見た。

「酷い怪我だな」
「よく分かったな……」
「――別に」

 答えながらジェイスは、僕の自由になる左手をちらっと見た。僕は手話で『コードには気づかれていない』と返しておいた。すると長めに瞬きをしてから、ジェイスが言った。

「所でユレ」
「あ?」
「そろそろ、お前の響和国コードを教えてくれないか? 遺伝子配列情報を精査した方が、怪我の治療がしやすいんだが」
「治療なんていらないって言ってるだろうが。俺の心配をする前に、そ、その……来春に備えて花壇の整備でもしろ! ユレは花が好きなんだろ?」
「……」
「そ、その! だ、だから! ユレが、『この花綺麗』って言ったから、た、種を買ってきたんだよ! ほら。しょうがないからやる!」

 コードが舌を何度も?みながら、後ろのポケットから花の種を取り出して、ジェイスに袋ごと渡した。それを受け取ったジェイスは、嘆息した。

「ユレに変わってくれ」
「お兄様!」
「下手な演技をしろなどと言っていないが?」
「チ」

 すると、僕の意識が前面に出た。

「あ、ジェイス……兄上! あのさ、コードの番号、僕覚えたよ! 響和国コードN112502021RGLSで、僕はコードって呼んでるけど――ったく余計な事を」

 だがすぐに、コードに体の統制権を奪い返された。

「忘れろジェイス」
「記憶した。そうか、コード、か」
「あ? 俺はユレだ。今は、俺がユレだ」
「――RGLS……レグルス」
「は?」
「貴様の新しい呼び名だ。貴様はユレではない。だが、コードの意味をユレは理解していないようだ。だから俺が名付けてやる。貴様は、今日からレグルスだ」
「……レグルス?」
「星の名前だ。俺は地球から見えたという星の名が好きでな」
「……ふぅん。ま、もらってやっても良い」
「今後はきちんとそう名乗れ。以後、ユレの名を騙ったら許さないからな」
「ブラコン」
「うるさい」

 そんなやりとりをしながら、コード……改めレグルスの体をジェイスが治療していく。
 二次性徴が一段落した結果、変わらなかった僕達の身長は、だいぶ差が出来た。
 今では、僕の体の方がずっと長身だ。
 ジェイスの身長が低いのではなくて、僕の体の背が伸びた。ジェイスは176cmだが、僕の背丈は192cmだ。

「そんなにユレが好きなのか?」
「悪いか?」
「……すがすがしいまでのブラコンだな。もういい、さっさと治療しろ。させてやる」

 これは地球の人種の問題らしい。ジェイスは、東洋の血を引き、僕の体は完全に西洋の血を引くようだ。洋の東西という概念は、和国という所の線引きらしい。洋館という表現とかもそうらしいけど、僕は全然成長していないからよく分からない。

「ユレに変わってくれ」
「おう――……兄上?」

 レグルスという名前になったコードが、また僕のフリを始めた。するとひっそりとジェイスが手話で『どちらだ?』と聞いてきたから、僕は素直に『コードだよ』と答えておいた。

「ユレ、無茶はするな」

 ジェイスが知らんぷりで、優しい声を放った。するとレグルスが嬉しそうになった。レグルスが嬉しそうになると、僕のいる暗闇に、蛍みたいな明るい光が乱舞するからすぐに分かる。

「それと、レグルスと名付けたから、そのレグルスにも良く言い聞かせておいてくれ」
「何を?」
「体を大切にしろ、と」
「大丈夫だよ。レグルスは、僕の体を壊したりはしないよ。だって、そうしたら、自分も死んでしまうもの!」
「そうではない。ユレの体だからではない。ユレも、レグルスも。きちんと『自身を大切にしろ』と伝えたいんだ」

 ジェイスの言葉を聞き、僕は目を丸くした。くしくも、レグルスもまた目を丸くした。僕とレグルスの気持ちが重なった。

「……兄上は、僕の体を奪った憎きレグルスの事も心配するの?」
(僕もレグルスが心配だよ!)

 どこか窺うように、不安そうにレグルスが言ったのと、僕の手話が重なった。
 ジェイスは呆れたように苦笑した。

「今夜は、帰還祝いに、ユレが好きだったコーンクリームスープと、その体……レグルスの好物の、鮭の刺身を用意させた」

 それを聞いて、僕は嬉しかったし、僕は視界に乱舞する蛍みたいな光を見た。

『なぁ、なぁ、なぁ、どう思う? 脈、あると思うか?』
(あのね……ジェイスと結ばれたいんなら、もっと優しくしないとダメだよ!)
『はぁ? してんだろ! 俺は極限まで優しくしてる!』
(じゃあ誘ってみたら?)
『……人格は違えども、肉体は、異母とはいえ、血を分けた兄弟だ。インセスト・タブーってやつなんじゃないのか? 近親相姦は』
(? え? どういう事?)
『俺の人格から見れば、ジェイスはただの愛すべき人間だけどな……ジェイスが大切なのは、ユレだろ? 弟のお前だと思ってるから、だから……』
(あのね、ジェイスは別に、僕を性的な目で見てないよ?)
『だから困ってるんだろ! 俺は、性的な目で見てる。でも、異母弟のお前のフリをしてる! そしてこの空気感を壊して、二度と会えなくなるのも嫌だ』

 レグルスは悩んでいるらしい。僕とジェイスは、手話でやり取りをしているから、とっくにレグルスの演技は露見しているのに、それには全く気付いていないみたいだ。

(人格単位で、ジェイスは判断してくれると思うよ!)
『お前の事は好きだろうけど、お前を奪った俺は嫌われてるだろ?』
(分からないよ? 告白してみたら?)
『振られたらどうすればいい?』
(振られてから考えたら?)
『お前って、俺が言うのもなんだけど、ちょっとノープラン過ぎないか?』

 僕から見れば、レグルスこそ臆病だ。だが、そうは言わずに、僕は見守った。

「よし、治療は終えた。食事へ行こう」
「お、おう……な、なぁ、ジェイス」
「なんだ?」
「……あ、あの」
「ん?」

 立ち上がったジェイスが首だけで振り返る。レグルスは、僕の体で照れている。僕から見ると、複雑な心境だ。

「鮭の刺身より、欲しいものがある」
「それはなんだ?」
「――今夜、二人きりの時に話す。人払いをして、扉の鍵を開けておけ」
「俺の部屋のか? 貴様が来るのか?」
「そ、そうだ」
「分かった」

 あっさりと同意したジェイスは、それから扉を開けた。
 僕達は、そのままそろって部屋を出た。



 ◇◇◇


「――この私を、排除するのか?」

 ナザレア伯爵の声がした直後、その首が床に転がった。手を下したレグルスは、天上を見上げた後、その頭部を踏み潰した。これで、ジェイスを苦しめるものは無くなった。

「告白前に、しておきたかったんだよ。両親へのご挨拶」

 隣には、息絶えたナザレア伯爵夫人の姿がある。
 それを、『異母兄』の隣で、微笑しながらマリアーナは眺めていた。

「完璧ですわ、ユレお兄様」
「だろう?」
「後の事後処理は一切お任せくださいませ。ジェイス兄上はさしあげますので」
「怖い異母妹だな」
「私が欲っするものは、ただ一つですもの。そう、それは――御伽噺みたいな結末ですの」
「と、いうと?」
「ハッピーエンド。私(わたくし)は、それ以外は認めませんことよ」
「安心しろ。ジェイスのことも、そしてユレのことも、俺が救ってやる」

 赤いリボンを揺らし、それを聞いたマリアーナは満足そうに頷いた。
 各領地から一人だけ選出される、艦元老院の議員であるマリアーナは、次の議会において、『同性婚制度』を少し改定した。例えばそれは、『人格転写』がある場合、『肉体的近親間』においても、婚姻を認めるといったそれだ。

 いまだ、人工子宮を、人類は確立できてはいないため、産む者は異なるが、他にも養子縁組制度の改訂版などの提案をしたのは、マリアーナ・ナザレア議員である。



 ◇◇◇


 雪が覆う、墓標。
 並んで立っているジェイスとレグルスは、目を伏せ祈りをささげてから、どちらともなく視線を合わせた。

「マリアーナが代理母になってくれるとはな」
「俺とジェイスの子、か」
「いいや、ユレだ」
「そうだな。ユレは、俺達の絆だ。ユレの人格を持つ子だ」

 レグルスが述べると、ジェイスが小さく頷いた。そしてそれから、俯いて積もっている雪を見た。

「だが、記憶は消去した。クローン体で、保持記憶はユレを移して指定したが――生まれる子には、その子の人生がある。俺は、『彼』に戦争を強要はしたくない」
「平和な世界を作るとするか。忙しくなるな」

 ジェイスの肩を抱き寄せたレグルスが、唇の端を持ち上げる。その肩に頭を預け、ジェイスは目を伏せた。


 ――二十四歳になったあの日。
 その間に、レグルスに告白をされた。だけどいつも同じ返答をした。

「ユレを救ったらな」

 と。
 当初それがどういう意味か、ユレもレグルスも理解できなかった。だけどある日、ユレの両肩が叩かれた。

「人格転写術の術式の解読に成功した。これで――分離できる」

 概要は、こうだった。
 ユレという肉体から、『ユレ』の人格を、転写する。そして、レグルスがいうところの『雑音』を消去する。当初の、レグルスの求めた研究を、完成させた形だ。だが、それだけではなかった。

「分離はする。だが、消滅はさせない」



 ◇◇◇


 ――現在、戦争は一段落している。それは元老院議員として活躍するマリアーナと、爵位を継いだジェイスの研究専念の宣言が理由である。力あるナザレア領地の戦略的撤退は、艦内では喜ばれた。そして、前ナザレア伯爵夫妻は、『不慮の事故』で没している。

 この日、地下十三階に続くエレベーターを、ジェイスは僕(の体と意識)及びレグルスを連れて動かした。そしていつかユレに苦痛を与えた椅子に、その体を座らせる。

「あとは、一晩。穏やかにな」

 こうして、最新技術による人格転写が行われた。
 僕は、不思議な心地でそれを見ていた。体から、僕の意識が、外へと吸い出されるのがすごくよく理解できた。ただこれで、みんなが幸せになれる倣って、そんな風に思っていた気がする。

「ねぇ、ジェイス」
「辛いか? 平気か?」
「大丈夫だよ、違う。あのね」
「ん?」
「有難う、ジェイス兄上」
「!」
「それと」
「ユレ――」
「レグルスとお幸せに!」
「――俺は……え?」

 聲粒子が、ユレという肉体を包んだ。そして、周囲に蛍のような光が溢れた。それはまるで、意識の中の暗闇にいた僕を包んでいたものに酷似していたけれど、今度は現実だ。

「僕は、ジェイス兄上の事大好きだった。今度は――二人の子供に生まれますように!」
「ユレ、待――」
「ごめんね、もう僕は消えてしまうようだよ。ただ……ちょっと悔しいのは、僕だってジェイス兄上の事が好きだったのに、レグルスに盗られた気分ってところ。子供に生まれたら、貰いに行くから覚悟してね!」

 こうして、その言葉を最後に、僕の人格は輝く聲粒子となって、宙に溶けた。



 ◇◇◇


「……」

 その夜、寝台に座り、俺は俯いていた。

「ジェイス」

 ユレの顔をして育ったレグルスが、俺の正面に立った。顔を上げると、ほぼ同時に顎の下に手を添えられて、上を向かせられた。

「もう俺の中に、雑音(ユレ)はいない」
「……そうか」
「ユレではない俺は、お前にとっては価値がないか?」
「馬鹿が」
「なんだと?」
「今、俺たちはいくつだ?」
「は? 二十四だろ?」
「俺とユレは、十二から十四……十五の歳までの、三年間しか一緒にいなかった。俺は、貴様と過ごした時間の方が、残念ながら長い」

 苦笑しながら答えて、俺はじっとレグルスの目を見た。

「俺は、ユレが大切だった。だが、今、貴様の事を考えている。俺にとって貴様と異母弟は、はっきり言うが別物だ。改めて言うが、二度とユレの名を騙るなよ」
「――俺を、見てくれるという意味だな?」
「とっくに見ていた。なのに気づかない、お前の目は、節穴だな」

 俺が笑ってそう告げれば、歩み寄ってきたレグルスが、俺を抱きしめた。

「結局、何も解決はしていないだろ?」
「――レグルス。俺は、このままでは終わらせない。だが、だからこそ、今夜は」
「うん?」
「忘れさせてくれ。ずっと俺は、貴様の心配ばかりしていた」
「お、おい」

 俺が抱き着いて見せると、レグルスが焦ったようにのけぞった。だが、おずおずとその手が俺の背中に回る。

「ユレに抱かれたかったのか?」
「違う」
「じゃあ、俺に?」
「別段、抱かれたいわけではない。でも、交わるならば、貴様がいい」
「それは、体が、か?」
「違う。レグルスと繋がりたい」

 ――素直に俺が答えた結果、この日の夜の情事が始まった。

「ぁ、ぁあ」

 丹念に指で解してから、レグルスが俺に陰茎を挿入した。枕に顔を預けて、うつぶせになり、ギュッとシーツを掴んで臀部を突き出している俺の腰を、レグルスが掴んでいる。交わっている個所が熱くて、蕩けてしまいそうな錯覚に陥る。

「あ、あ、ああ!」

 ぐちゅりにゅちゃりと音がして、レグルスが動く度に、俺は背を撓らせる。

「あ、あ、あ――ああああ!」

 緩慢に、だが実直に、最奥までを貫かれて、俺は声を上げた。次第に、レグルスの動く速度が速くなっていく。俺は涙ぐみながら体を震わせる。

「あ、ぁア……ん――!! ンんぅ……あ、ああ!」

 内部ではっきりと、レグルスの陰茎の形を認識してしまう。初体験の俺の体は、ギュウギュウとその陰茎を締め付けるしかできない。

「あ、ハ」

 四つん這いになっていた俺の乳首を、不意に両手でレグルスが摘まんだ。

「やぁあああ」
「元の色が白いから、よく上気しているのが分かるな」
「ダメだ、出る」
「出せば良い」

 そのまま乳首を嬲られながら、強く内部を突かれ、俺は一度射精した。

「悪いが、俺はまだまだ足りないぞ」
「あ、あああああ! 待ってくれ、まだイったばかりで――うあああああ!」

 俺は、あられもなく泣いた。鳴きながら、何度も頭を振った。気持ちい場所ばかりを突き上げられて、頭が真っ白になる。

「ほら、少し体を起こせ」

 レグルスはそう述べると、俺の体を抱き起し、下から突き上げた。より深々と穿たれて、俺は力の抜けて締まった体で震えるしかできない。

「外と中のどちらが気持ち良い?」
「あ、あああ、やぁ、ア!」

 俺の陰茎を右手で扱きながら、レグルスが体を揺らして下から突き上げてくる。
 左手では、後ろから抱きかかえるようにして、俺の乳首をギュッと摘まんでいる。
 三か所を責め立てられて、俺の頭は真っ白に変わった。

「やぁ、ゃヤ! ダメ、だ、あ、アア! あああああああ!」

 しかし泣き叫んでも解放されない。
 俺の背中の拷問傷の痕を舌先で、レグルスが舐める。敏感な肌が、ビクリとする。

「お前はよく頑張った。辛かっただろう?」
「う、うあ、あああああ!」
「もう、解放を請え。俺が助け出してやる。もう『ユレ』は無事だし、お前の、歪(いびつ)な両親は不在だ」
「あ、あ、ああああああ、あ、あ、あ、イ、イく」
「何度でも果てると良い」

 俺は快楽を昂められていき、理性をなくした。このような濃密な交わりは初めてだった。ただすすり泣くしか出来なくなった状態で、首元に噛みつかれ、両乳首を弄られながら、下から貫かれた。

「『ユレ』に代わって、俺が幸せにしてやる。だから、俺のそばにいればいい」

 その声を聴きながら、俺は必死で吐息した。そして、告げた。

「ユレの代わりになんて、誰もなれない」
「っ、あのな――」
「そして俺が好きなのは、ユレじゃない。貴様だ」
「!」
「レグルス。俺は、きちんと貴様を見ている。だから――いやああ、ああ、あ、あ、待っ、そこは――」
「そんなかわいい事いうやつ、離すわけないだろ。今日は、存分に理性を飛ばせ」
「いやああ、あ、あ、ああああ、イく!! ああああああ!」

 そのまま散々結腸を責められて、俺の意識は途絶した。


 ――事後、俺は腕枕してくれているレグルスの脇で目を覚ました。

「お、起きたか?」
「……」
「あ、あの」
「……」
「――もう良い。言ってやる。愛してる、好きだ」
「知っている。だからと言って、やりすぎだ」

 目を伏せてから、俺は横から、レグルスに抱きついた。少々照れ臭かったが、いい加減、俺だって素直になるべきだと思った結果だ。



 ◇◇◇


「これはこれは、ナザレア伯爵夫妻とそのご子息」

 領地の視察の日。
 伯爵であるジェイスと、同性配偶者となり新戸籍を取得したレグルスは、ユレという『亡くなった叔父』の名を与えられた子の両手を握り、笑顔を浮かべていた。

(なお、人格が分離した、ユレが僕なんだけど)

 結果として、金髪だった僕の体は、現在レグルスが使用している。そして、夜毎ジェイスを抱きつぶしている。僕は異母兄の痴態を見たいわけではないし、この、新しい子供の肉体で、すやすやと眠る夜を過ごしている。僕の産みの母である異母妹は、最近は旅行三昧だ。没した父上や義母、実母については、僕らは知らないけれど、毎日が平穏だ。

「どうぞ、二番村を楽しんでいって下さいませ」

 村長さんがそう述べた。
 これが、僕らの日常だ。ナザレア伯爵領地は、戦争から離脱したから、最近では平穏である。なお、研究によると、次の入植可能な惑星まで、あと十五年らしい。それまでに、世界という名の、艦内はどうなるんだろうかなんて、時々ジェイス――父上と、レグルス父上、両方の父上は話をしているけれど、僕は、きっと幸せが訪れると思っている。

「なぁ、ジェイス」

 レグルスが、ジェイスに声をかけた。歩みを止め、振り返ったジェイスの頬に手を添え、レグルスが掠め取るように唇を奪った。

「好きだぞ」

 咄嗟の事に硬直してから、ジェイスが真っ赤になった。兄であり父であるジェイスを見て、僕は幼子の体の中で笑ってしまった。新しい僕の体はレグルスにそっくりで、金色の髪をしている。なお、生まれつき『魔術』も使える。今では、正式名称が科学だと知っているけれど。

 そんな、僕たちの物語。
 幸せばかりが色濃かったとは言えないけれど、一つだけ言える事として。
 僕は、ジェイスの幸せを祈っているし、自分自身は幸せになる気しかない!

「俺だって……貴様が、好きだ。だがな、それを視察中に言う必要性を感じないぞ」

 目を据わらせて、ジェイスが述べる。
 レグルスはクスクスと笑っている。僕はそんな二人の間に入って、それぞれの手を握った。

「all's well that ends well」

 僕が幼い体で呟くと、二人の視線が降り注いだ。それから僕の頭上で、二人が顔を見合わせる。

「そうだな。めでたしとなるよう、今日の視察をまずは終えよう」
「その後は、ベッドで存分に話し合おう」
「……言っていろ」

 こうして、僕達は視察を再開した。
 冬の風が、髪を掬う。今、僕は幸せだから、これで良いと思うことにしている。
 そして――何より、ジェイスには幸せでいてほしい。

「ねぇ、『レグルス父上』」
「あ?」
「父上が、ジェイス父上の事をいじめたら、僕が盗っちゃうからね?」
「はは。それだけは、あり得ない。いじめることはあるかもしれないが、俺は手に入れたものを、決して手放さない。ジェイスは、俺だけのジェイスだ。お前にもあげられん」

 僕達父子(となった人格同士)のやりとりを知らないジェイスは歩いていく。
 それらを見下ろす冬の空は灰色で、一匹の黒い烏が線を引いた。
 それさえも、僕らにとっては愛おしい記憶となる。その時、雲の合間から僅かに日が差した。何処かくたびれた日溜まりの中、ジェイスとレグルスは僕の手を握り、そして空を仰いだ。いつか、この宇宙船が入植するまで、僕らの記憶は――どこかに刻まれるのだろうか。それは誰にも分からない物語。






     【終】