痩せこけた犬





 不夜城と呼ばれる摩天楼が存在する。そこを統べるのは、俺と同じ孤児院で育った、この界隈の闇社会を支配している、眞鍋採火(まなべさいか)だ。俺は名前を変え、今は、虚(うつろ)と名乗っている。富を築いた採火とは異なり、俺はしがない殺し屋だ。

 人を殺して命を奪い、俺は自分の生を繋いでいる。
 今も対象の首にアイスピックじみた暗器を刺し、絶命させた帰りだ。報告先は摩天楼の最上階、そこにいる採火である。俺は採火に飼われている殺し屋と言える。

 俺の取り柄はといえば、トレーニングで身につけた筋肉と、暗殺技術くらいのものである。自動ドアに映った己の黒い髪と目を見てから、俺はエレベーターホールを抜けて、最上階の特別室へと向かった。

 ちなみに、俺の表向きの仕事は、教会の牧師だ。基督教の流れをくむイキリゼス派は、東京震災以後、この新東北市泉水区において広まっている。俺と採火が育った孤児院も、イキリゼス派の孤児院だった。

 俺はそこの筆頭牧師である育ての親の、眞鍋鷹郷牧師の元で育った。けれど既にその戸籍は滅多に使わない。使わないけれど俺にも眞鍋姓の戸籍は残っていて、一応その――本名で、俺は牧師という肩書もある。

 実際にはただの殺し屋であるのに、聖職者を名乗るなんておこがましいのかもしれないと感じる時もある。

 なお八百万の神々が主流だったこの国で、イキリゼス派が台頭した事には理由がある。それは――吸血鬼の出現による。近年、嘗てはお伽話の中の存在と考えられていた吸血鬼が、堂々と犯罪を犯すように変化した。吸血により死亡した被害者は、決して珍しい存在ではない。吸血鬼にとっては、この牧師の血が何より美味しいらしいと聞いた事もある。少なくとも眞鍋牧師は、吸血鬼に噛み殺された。

 さて、最上階に到着すると、顔馴染みになった採火のボディガード達が、俺を見て扉を開けた。中には暗い金髪と腐葉土色の瞳をした採火がいて、高級そうな黒い回転椅子に座し、窓の外の夜景を見ていた。その背中を見ながら、彼が燻らせている葉巻の香りに俺は眼を細くした。薔薇のような甘ったるいこの香りを嗅いでいると、時々頭痛がする。

「成功したんだろうな?」

 振り返るでもなく、採火が言う。その耳触りの良いテノールの声音に、俺は頷いてから、応接セットのソファへと座した。採火は現在二十八歳。その年齢で、ありとあらゆるものを手に入れている。一方の俺は、二十四歳になった現在もその日暮らしと言える。

「俺が失敗した事があるか?」
「今の所は見た事が無いな」

 漸く椅子を回転させ、採火が俺を見た。その楽しそうな色を宿した眼を見て、俺は再び小さく頷く。

「さて、次の暗殺対象の話だ」
「何処の誰だ?」

 ローテーブルの上に用意されていた茶封筒を俺は手に取る。中を確認すれば、写真や調査書が出てきた。

「人のシマで、違法薬物を売っているクズだ」

 採火の声には、嘲笑が含まれていた。俺は写真を見て、よく肥えた体つきをしている、泰道(たいどう)という名前らしいターゲットを確認した。資料によると、五十代半ばとある。

「これがまた曲者でな」
「どういう事だ?」
「周囲のガードが硬く、滅多に人前にも姿を現さない。唯一の外出先は、繁華街の奥にある会員制の高級クラブだけだそうだ。殺るならば、そこでしかチャンスは無いだろうな」
「そうか」
「その店の会員になる条件は二つだ。一つは、既に会員になっている者からの紹介。これはそう困難では無いだろう」
「ああ」
「もう一つの条件が難題だ」
「回りくどいな。採火、はっきりと言え」
「――ゲイ専門のクラブで、二十代前半のネコか、三十代以上タチしか入会出来ないらしい」

 それを聞いて、俺は複雑な気分になった。正直、同性愛に偏見がある訳では無いが、俺個人は経験が無い。

「虚は、黙っていれば男前と評する事も可能だ。年齢的に条件にも合う。だからせいぜい頑張ってくれ」

 流れるような声音で採火に言われたが、俺は戸惑った。

「待ってくれ。俺には、ネコの経験も、それこそタチの経験も無い」

 どころか、女性との経験すら、俺にはない。育った孤児院で聖書を読まされて育ったせいで、俺は身持ちが堅い。もう二十四歳であるから、童貞を取っておこうと思うわけではないが、この依頼には困惑してしまう。

「泰道はタチだそうだ。お前のような男前の若い者を、喰う事が何よりも好きらしい。が――確かに未経験では、ネコである事も疑われるだろうな」
「……」
「少し訓練してから向かう方が良いな」
「訓練?」
「俺は男も抱ける。少し慣らしてやろうか?」

 淡々と採火に言われて、俺は思わず息を呑んだ。

「そ、それは……俺が採火と寝るという意味か?」
「他にどんな意味があるというんだ?」

 呆れたように採火が笑っている。俺は頬を引きつらせた。確かに全く知らない相手に、未経験で抱かれるというのは困難だとも思うが、かと言って顔見知りである兄弟同然に育った採火と体を繋ぐというのも気恥ずかしさがある。

「泰道と俺のどちらが良い?」
「っ」
「選べ」
「――採火の方がマシだ」

 小声で俺が答えると、葉巻の火を消して採火が立ち上がった。その後、右の壁にあった部屋の扉の前に立つ。

「着いてこい」
「……」

 俺はその扉の向こうに何があるのかは知らなかったが、採火の声に従った。俺が背後に立つと、採火が鍵を開け、扉を押した。おずおずと中を見て、俺は思わず眉を顰めた。そこには巨大な寝台が一つあり……壁には手錠、ベッドの傍らには木馬、奥のテーブルの上には様々な玩具が並んでいた。

「採火、この部屋はなんだ?」
「ん? 俺の話を理解しない暗愚な者を躾ける為に使っている部屋だ。まさか虚を相手に使う日が来るとは思っていなかったが」

 明らかにSMチックな小物が並んでいる部屋に、俺は眩暈を覚えた。

「虚。服を脱げ。それとも脱がせられる方が好みか?」
「じ、自分で脱げる」

 俺は首元に手をかけた。それから、俺よりも長身の採火の、逞しい体を見る。俺はかなり鍛えている方だが、そんな俺よりも採火の方が肩幅も広い。これは恐らくは人種の違いもある。髪色を見ても分かるが、採火は俺とは異なり別の国の血が入っているようだ。

 服を脱ぎ捨てた俺は、それからベルトに触れた。採火はまじまじとそんな俺を眺めている。羞恥を覚えながらも、俺だって男同士がどの部分を使うかは知識としてあったので、一糸まとわぬ姿になった。

「良い体をしているな。その引き締まった筋肉――腰回りだけが少し細いが。来い。ベッドの上で四つん這いになれ」

 言われた通りに俺は寝台に上がり、両膝をシーツについて、掌もベッドの上に置いた。
 するとローションのボトルを手に取った採火もまた、寝台に上がってきた。

「まずは俺のものを受け入れられるように、慣らす」

 ひんやりとしたぬめる感触がして、長い採火の人差し指が、俺の後孔へと差し込まれた。

「っく」

 異物感が強いが、痛みは無い。ローションのおかげだろう。

「このローションには、弛緩効果と催淫効果がある。楽に受け入れられるようにする効果もある」
「そ、そうか……ぅ……ぁ……」

 指がすぐに二本に増えた。その指先が、グリと俺の内部のある個所を刺激した時、ビクンと俺の体が跳ねた。

「ここか?」
「そこは、なんだか変だ」
「虚、ここがお前の前立腺だ。よく覚えておけ」
「ぁ、ぁ、ぁ」

 採火は指先で、前立腺を重点的に刺激し始めた。そうされると、恥ずかしいのに勝手に俺の口からは声が漏れてしまう。それからローションをタラタラと手に取った採火が、今度は三本の指を挿入してきた。ギュッと目を閉じて、俺はその衝撃に耐える。採火の指先は、今度は前立腺を刺激するのではなく、俺の中を押し広げるように蠢いた。

 俺の体から力が抜け始めたのはその頃からで、ゾクゾクとした未知の感覚が背骨に沿って這い上がり始めた。直観的に、これが世に言う快楽なのだろうと考える。

「さて、始めるとするか」

 既に俺はいっぱいいっぱいだったのだが、俺から指を引き抜いた採火が楽しそうな声を放った。そしてベルトを外す金属音がしたと思っていたら、剛直の先端を菊門に押し付けられた。

「あ、ああ……っ、ァ……」

 硬く熱く長い肉茎が、真っ直ぐに俺の中へと挿いってきた。思わず俺は、ギュッとシーツを握る。指とは比べ物にならない質量に、俺の喉が震える。じっとりと俺の体は汗ばみ、黒髪が肌に張り付き始めた。涙ぐみながら、俺は体を震わせる。そんな俺の腰骨の少し上をギュッと掴み、採火が根元まで陰茎を突き立てた。そして腰を揺さぶり始める。

「あ、あ、ぁ……ッ、ァ……ひっ」

 その時採火の先端が、俺の前立腺を掠めた。そこを擦り上げるように動かれた時、気づくと俺の陰茎が反応していた。反り返った俺の陰茎の先端からは、透明な先走りの液が零れていく。

「ひ、ぁァ……ああ! あっ!」
「初めてだというのに、中だけでイけそうだな。虚にこんな才能があったとは」
「ああああ!」

 激しく採火が打ち付け始める。その抽挿の刺激に、俺は目を伏せ、喘いだ。ポロポロと俺の頬に、涙がこぼれていく。気持ちが良くて、頭が真っ白になっていく。それが怖くて、俺は怯えて泣いた。

「ダ、ダメだ。で、出る……あああ!」
「一度出せ」

 採火が楽しそうな声で述べた時、思いっきり前立腺を貫かれて、俺は果てた。シーツに俺が放った白液が飛び散る。肩で息をしながら、俺は上半身を寝台に預けるように、崩れ落ちた。すると採火が俺の背中に体重をかけて、ねっとりと俺の果てたばかりで敏感な肌を舐める。耳の後ろをなぞるように舌を這わせられた時、俺は思わず声を上げた。

「や、やぁ! もう抜いてくれ、あ、あ」
「俺はまだ出してすらいない。夜はまだまだだ。尤もこの摩天楼には、昼夜など関係は無いが。虚がきちんとしたネコになれるまで、付き合ってやる」

 片手で俺の顎の下を擽りながら、掠れた声で採火が囁いた。その間もグッと強く前立腺を押し上げるように突き上げられていた為、再び俺の体が熱を孕み始めた。採火が手を伸ばして、三連のリングを手に取ったのはその時の事だった。

「だが、堪え性が無いのでは、一晩すら体力が持たないだろう。俺がきちんと、今宵今後は射精を管理してやる」
「う、うあ……ぁ、ア!」

 俺の根本、中間、雁首のそれぞれに、三連に連なる革製のリングが嵌められた。その状態で採火に陰茎を握られ、擦られ、鈴口を親指で嬲られる。するとすぐに俺の陰茎はガチガチに硬くなった。結果、リングがピタリと俺の陰茎を締め上げる形となる。

「や、やぁ、こ、これじゃぁイけな――」
「それで良い。俺の許可無しに出す事は許さない」
「!」
「何より、ネコらしく、中だけで果てる感覚を教え込まないとならないからな」

 そう言うと採火が俺を抱き起した。そして上にのせる形で、下から貫いた。

「うぁァ」

 すると未知の場所まで、張りつめた採火の肉茎が挿いってくる。

「ふ、深い、っ、ぁァ、あああ!」
「結腸だ。どうだ? 気持ち良いだろう?」
「あ、ハっ、ふあぁ、ひっ」

 背を撓らせた俺の胴に、ギュッと採火の右腕が回る。その状態で、採火が動きを止めた。結果、結腸をずっと貫かれている形になり、俺は泣きながら頭を振る。俺の黒髪が揺れた。

 採火は左手では、俺の敏感になっている体を撫で、最終的に左の乳頭を弾き始めた。

「あ、あぁ、っ、ッく」
「朱く尖ってきたぞ?」
「やぁァ、嘘だ。あ、あ、胸……あ、あああ! 気持ち良っ、ァ」

 中と胸への刺激に、俺の頭が再び真っ白に染まっていく。何かがせり上がってくる感覚に、俺は足の指先を丸めて耐えようと試みる。

「いやああああ!」

 だがそれはすぐに失敗した。俺はそのまま快楽の奔流に飲み込まれた。

「よく覚えておけ。これがドライだ」
「あ、あ……」
「虚の中が、絡みついてくる。俺のを搾り取ろうとしているようだ。欲しいか? ん?」
「う、うあ、今は、ま、待って、動かないでくれ――あああ!」
「不正解だ。欲しいと言ってみろ」
「いやあああ、あ、あ、あ、おかしくなる!」
「もっと乱れて見せろ。それがお前の本質なんじゃないか? 初めてでここまでドロドロになるのでは、元から才能があったとしか言いようがない。見た目は男前だというのに、な。こんなに淫乱だったとは」
「あああ、言わないでくれ、いや、あ、あ、あ! 待って、本当に動かないでくれ! いやぁ!」

 激しくしたから突き上げ始めた採火に対し、俺は泣きながら哀願した。
しかしかき混ぜるように腰を動かしたかと思えば、容赦なく俺の結腸を貫く採火の肉茎は、どんどん太く巨大に変わっていく。

「あ、あああ!」

 再び内部だけで絶頂を促された瞬間、俺は内部に飛び散る採火の白液の感覚を教えられ、直後気絶するように眠ってしまったようだった。


 次に目を覚ますと、俺は頭上で手首を固定されていた。見上げると滑車から鎖が垂れている。足はM字に固定されている。そして直後、俺は絶叫した。

「あああああン――!」

 俺の内側には、巨大なイボつきのバイブが挿入されていて、それが規則正しく激しく振動していたからだ。骨に響いてくるような人工的な動きと音に、俺は泣きじゃくった。涙で滲む瞳で傍らを見れば、採火が葉巻を銜えて笑っていた。薄い唇の端が楽しげに持ち上げられていて、その瞳は愉悦たっぷりに見える。

「あ、あ、嫌だ、嫌だァ、ああああ! ダメだ、これ、これぇ……っ、うあああ!」
「壮絶な色気だな。虚にこんな艶が出せたとは」
「は、ッぅ、ああああ、ひゃ、っ! ン――!」
「泰道に渡すのが惜しくなるな。このまま、俺が飼うのも一興だな」

 ギュッと目を閉じ、ひっきりなしに頬を涙の筋で濡らしながら、俺は意味のある言葉を放てなくなっていく。快楽が強すぎて、何も考えられない。全身が酷く熱い。その時、葉巻を灰皿に置き、小瓶を持って、採火が歩み寄ってきた。そして指に液体を垂らすと、俺の口腔へと突っ込んだ。指先で舌を蹂躙された瞬間、カッとより強い熱が、俺の体を苛んだ。

「この媚薬は非常に効くんだ。値がはる品だぞ? うちの人気商品の一つだ」
「――、――」
「乳首の快楽も教えてやらなければな」

 媚薬で濡れた指先で、採火が俺の両方の乳首を強く摘まんだ。思わず俺が背を撓らせると、頭上の鎖が高く啼いた。そのままギュっと俺の乳首を摘まみ、時には優しく擦り、弾き、捏ねくりまわし、採火は終始楽しそうな顔をしていた。その瞳に宿る獰猛な光に、俺は体をビクりと跳ねさせながら、何度も嬌声をあげた。既に陰茎の拘束は解けていて、俺はそのまま乳首を嬲られて射精した。長々と俺の陰茎は、精液を放っていた。

「どうする? 俺に飼われるか?」
「あ、あ……ッく」
「殺し屋としてではなく、俺の愛妾になるかという意味だ」
「んン――!」
「頷けば、きちんと抱いてやる。俺は虚の事が、改めて気にいった」

 採火が俺の頬を舐める。その感触にすら感じ入り、俺は首を振る。すると頬に右手で触れた採火が、左手の指先で俺の唇をなぞった。

「お前はただ頷けば良い。そうすれば最高の快楽を与えてやるし、俺が全てを保証してやるぞ」
「あ、ハ……んン……っ、ぁ、あア!」
「もっともっと気持ち良くなりたいだろう?」

 震えながら頷いた俺の唇を、採火が己の口で塞ぐ。舌を絡めとられたのはこれが初めてで、そしてキス自体も俺は初めての体験だった。

 ――この日、俺は陥落した。
 

 その日を境に俺は、採火に抱かれるようになった。泰道の暗殺はしなくて良い事になった。どころか、採火は俺に殺しの仕事をさせなくなった。代わりに、昼夜を問わず、俺の体を開く事に夢中になった。俺もまた快楽の虜になった。

 どんどん採火の手で、俺は体を作り変えられていく。
 躾け部屋だったはずの寝台があった場所は、俺専用の場所へと変わったらしい。
 そこで俺はありとあらゆる快楽を叩き込まれた。

「ん――、ン――!」

 尿道へと細い棒を差し込まれている現在、俺は震えながら泣いている。気持ちは良いが、怖い。しかしもう俺は知っている。採火は、決して俺の体を痛めつけるような事はしないと。

 普段の採火は、兎に角俺を甘やかすばかりだ。鬼畜な表情を見せるのは、夜ばかりである。そして俺は、決してそれが嫌ではない。

「ああああああ!」

 陰茎側から前立腺を暴かれ、俺は喉を震わせる。

「――、ぁア!」

 その後俺は、この日も意識を飛ばした。
 目を覚ますと、採火が俺を腕枕していた。俺はぼんやりとしながら、そちらを見る。すると額にキスをされた。

「そろそろ俺の事を好きになったか?」
「……っ」
「俺はもうすっかり、虚の虜だが?」
「好きだぞ」

 俺の髪を撫で、耳を擽りながら、甘く採火が囁いてくる。俺は思わず頬が熱くなってくるのを自覚した。

「真っ赤だぞ?」
「……言わないでくれ。それに、聞かないでくれ」
「言葉にしてもらわなければ分からない。虚は、俺をどう思っているんだ?」
「お、俺も……そ、その……嫌いじゃない」
「きちんと好きだと言え」
「す、好きだ……」
「良い子だな」

 採火が今度は俺の頬へと口づけた。その柔らかな唇の感触に、俺の胸が高鳴る。
 体から始まった関係であるが、俺は採火に絆されてしまったのは間違いない。

「思えば、孤児院にいた頃から、俺は虚が気になっていたのかもしれない」
「後付けは止めろ」
「いいや、事実だ」

 ギュッと俺を抱き寄せて、採火が天井を見上げる。

「お前はいつも一人で、寂しそうな顔をしていたな」
「……ああ」
「だから、つい構いたくなって、俺は声をかけていた」
「虐めていたの間違いだろう?」
「可愛さあまっての事だ。許せ」

 実際、俺に声をかけてくれるのは、採火くらいのものだったので、俺は揶揄されてもそれを嫌だとは感じていなかった。俺の方こそ、そう言う意味では、採火を特別視していた。採火は当時から、人に囲まれていた。その後、この摩天楼の主になったのも納得だ。採火を慕う人間は非常に多い。

「俺がそもそも虚に仕事を斡旋したのも、そばにいたかったからなのかもしれないな。同時に心配だった。お前は暗殺技術こそ長けているが、人としては馬鹿で純粋すぎる所があるものだから、きちんと俺が見ておかなければと思ったものだ」
「確かに雇ってくれた事には感謝している」
「だが、もう働く必要は無い。お前の仕事は、俺の愛妾――いいや、もっと正確に言うならば、恋人となる事なのだからな。同性婚の整備が終わったのは昨年だったな。まさか自分がする事になるとは思ってもいなかったが……俺と結婚してくれるんだろうな?」

 その言葉を聞いて、俺は驚いて目を丸くした。

「お、俺は、戸籍なんてあってないようなものだし……偽装戸籍は多数あるけどな……第一、採火と俺では釣り合わない。だから、そんな夢物語を話すのはやめてくれ」

 それでも嬉しかったのは事実であるから、俺は頬に朱を差した。
 すると採火が腕に力をこめ、より強く俺を抱きしめた。

「お前以外は考えられない。虚以外の一体誰が、俺に相応しいというんだ?」
「で、でも……」
「虚は余計な事を考えすぎる。お前は、ただ俺に愛されていれば、それで良い」

 果たして本当にそうなのだろうか。俺には、答えが導き出せない。だから思わず採火の横顔をじっと窺う。

「本気なのか?」
「ああ。指輪でも買いに行くか?」
「指輪……」
「ペアリングなど下らないと思っていたが、虚と揃えるのは悪くないな」

 そう言って優しげな顔で微笑んだ採火を見ていたら、俺の胸が満ちた。我ながら、現在の俺は、採火に溺愛されている自信がある。相変わらずSEXはハードだが、既に俺の体はそれにも慣れてきた。日中の温和で優しい採火と、夜の鬼畜じみた採火。採火の二面性を知っているのは、最もよく知っているのは、きっと自分だと思うと、俺は幸せだ。

 俺達は見つめ合い、それから唇を重ねた。啄むような穏やかな口づけだった。
 俺は幸せを噛みしめながら、思わずうっとりと採火を見据える。

「新居を用意させた。これからは、そちらに移るぞ」

 採火の声に、俺は僅かに驚いたが、それが嬉しかった。


 翌日には、二人で指輪を見に行き、俺の左手の薬指には、銀色のシンプルなリングが嵌った。鎮座するダイヤつきの指輪を、俺は物珍しい気持ちで何度も見てしまった。同じ品が、採火の指にも嵌っている。

 その足で婚姻届を提出してから、俺は新居へと案内された。四階建ての一軒家だった。その洋館の三階に、俺の部屋が用意されていた。

「これから、ここで暮らすのか……」

 俺は用意されていたテーブルの表面を、掌で撫でる。
 すると後ろからギュッと腕を回され抱きしめられた。

「虚、不安か?」
「いいや。今までの生活水準と比べるなら、俺には過ぎた生活だ」

 素直に俺が答えると、採火が喉で笑う気配がした。それから――俺の首筋に齧り付いた。時々、採火は俺の肌を噛む。僅かな痛みがあるが、採火に痕を残される事が、俺は嬉しいから黙っている。

 採火の手が、後ろから俺のシャツのボタンを外し始める。

「今すぐにでも虚が、欲しい。お前は、本当に美味だ」
「美味?」
「ああ。そうだ――話していなかったな」
「何を?」
「俺の髪の色が、多くの日本人とは異なる理由だ」
「それは、異国の血を引いているからではないのか?」

 シャツをすっかり開けられた状態で、俺は不思議に思って振り返った。すると今度は正面から抱きしめられた。そしてペロリと首の筋を舌で舐められ、なぞられる。

「半分正解だ」
「――? どういう意味だ?」
「俺は、正確には異国出自の、吸血鬼の血を半分ほど引いている」
「え?」
「そして俺は、吸血鬼の特性の方が強い。だから――」

 そこまで言うと、一度言葉を区切ってから、残忍な目をして採火が笑った。

「俺は、ずっと虚を噛みたくて仕方が無かったんだ。お前からは、甘い匂いがする。当初は、牧師をはじめとした聖職者特有の神聖さゆえかと思ったが、どうやら違うようだ。お前の体を汚す時、その香りはより強く、より甘くなる。どうやらお前は、俺にとって最高の餌でもあるらしい」

 ゾクリとした俺は、後退ろうとした。けれど、両腕がしっかりと回っている為、逃れる事は出来ない。

「摩天楼には人目があったが、今後は、何も制限する存在は無い」
「……採火?」
「存分に噛ませてもらうぞ。それこそが、最高の快楽となるはずだ」

 俺は何を言われているのか理解出来なかった。そんな俺の手首を強く握ると、採火が引き寄せた。厚い採火の胸板に、額を押し付けられる。

「ここはお前の部屋とするが、他にもいくつもの専用の部屋を用意している。さて、そちらを見てまわるとしようか」

 採火が俺に対し、囁くように言った。その時――急に薔薇の香りが、その場に漂った。それは、採火が好む葉巻の匂いに似ていた。そう認識した瞬間、俺の視界が二重にブレた。軽い頭痛に襲われ、こめかみがツキンと痛む。

「行くぞ」
「ああ……」

 気づくと俺は、朦朧としていたが、言われるがままに頷いていた。その後連れていかれた部屋は、摩天楼の一室よりもよりハードな玩具がある部屋だった。それを一歩引いた理性で俺は認識していた。その端に、俺は不思議なチューブがあるのを見た。

「これは、血を抜くための器具だ」
「俺の……血を……」
「そうだ。直接経口で摂取する事も可能だが、ワインの代わりに瓶に注いでおきたい。ああ、今から楽しみだ」
「……」
「虚は俺を愛してくれたのだろう? 無論、拒否する事は無いだろうな?」
「ああ……俺は、採火を愛している……」
「そうだ。暗示をかけても人の恋愛感情は変化させる事が出来ないのだから、厄介だが、好きになってもらえて良かった」
「……」
「不夜城の連中に暗示をかけて掌握するのとは、訳が違うからな」

 採火の言葉を確かに俺は聞いているはずなのに、それらは認識できずに、耳から抜けていく。俺の三半規管は麻痺したように変化していた。

「知っているか? 吸血の痛みは肌を牙で貫く一瞬で、以後は壮絶な快楽が待ち受けている事を」

 採火が俺の顎を持ち上げている。
 そして頭を傾けると――口を開けた。その向こうには、これまで気づかなかった二つの牙が見えた。ズキリと、直後俺の右の首に、痛みが走った。採火が俺を?んだのだと分かる。痛みは一瞬で、それから……。

「うああああああ」

 俺は泣き叫んで、採火の胸元の服をぎゅっと握った。
 過去に使われた媚薬以上の快楽が、一瞬で俺の体を絡めとったからだ。

「や、やぁ! あ、あ、あ」

 俺の口からは唾液がダラダラと零れていく。採火は愉悦たっぷりの眼差しを俺に向けている。そうして何度も何度も俺の体に噛みつき始めた。床に崩れ落ちた俺の両手首をきつく握り、そのまま採火は俺を噛み続ける。ザクザクと何度も牙を突き立てられる内、俺の体を快楽の他に、貧血が襲い始めた。視界に赤と緑の砂嵐が混じる。

「綺麗だ、虚。男らしいお前を屈服させるのが楽しいと最初は思っていたが、今となってはお前がただただ綺麗に見える」

 俺の耳が採火の声をとらえたが、直後俺は完全に気絶した。
 ――この日から、俺達のSEXには、吸血という行為が加わった。


 そんな生活が始まって、既に丸二年だ。俺は、噛み殺される事は幸いなかったが、日中は注射針から繋がるチューブで血液を抜かれ、夜は噛みながら抱き潰されるという生活を送っていた。常に拘束されている為、外出も出来ず、どんどん俺の意識は曖昧になっていく。ただ一つ分かる事は、この状況になっても、俺は採火を愛しているという事だ。

 箱庭のようなこの洋館から、採火は俺を出してはくれない。
 俺を大切な人形のように部屋に置いて愛でるばかりだ。そんなある日、採火が血を抜かれている俺の前で屈み、俺の顎を持ち上げた。

「虚は、随分と痩せたな」
「……」

 俺はもう何日も、言葉を発していない。頭の芯が常に痺れていて、意識が朦朧としているから、上手く言葉が出てこない。

「まるで鷹郷牧師の末期のように、細くなったな。筋肉が落ちたな」
「あ……」
「鷹郷牧師の血も美味だったが、虚にはとても適わないぞ」

 それを耳にして、俺は驚愕して短く息を呑んだ。

「採火……お前が、噛み殺したのか?」
「ああ。そうだ。それが?」

 吸血鬼と人間は倫理観が異なるというのは、俺も知っていた。

「俺の事も、殺すのか?」
「いいや。俺は虚を愛しているからな。共に寿命まで過ごしたいぞ。長きに渡り、その血の味を、味合わせてもらう。既にお前の体には、俺の血を何度も塗りこめているから、寿命も延び、老化も遅くなっているはずだが?」

 それを聞いて、俺は俯いた。実際、媚薬よりも強力な快楽をもたらす採火の血や精液を何度も後孔に塗りこめられたり放たれたりすると、俺は我を忘れ、ただ泣く事しか出来なくなる。そして伝承でも、そうされると不老長寿となる話を聞いた事があった。

「採火にとっての愛とは、なんだ? 俺は、お前にとっては餌なんだろう?」
「ん? いいや、お前は俺の伴侶であり、唯一心を動かす存在だが? だから何者も害せないように、お前を守るために、この部屋に置いている」
「……」
「虚。俺は、何よりもお前が大切だ」

 それは、俺も同じ気持ちである。
 だが――結局の所、俺は相変わらず、採火にとっては、都合の良い犬≠フままなのではないかと、時折考える。最初は、子飼いの殺し屋で、その後愛妾という名の性奴隷となり、今はその名前が餌に変わっただけの、犬だ。

 採火は確かに俺を愛してくれるとは思う。だが、その愛情は、採火が戯れに動物の犬を撫でる時に見せる優しさと変わらない気がした。今となっては、俺はただの痩せこけた犬だ。

「虚? どうかしたのか?」
「……俺は、愚かだな。お前と、幸せな家庭を築く夢を、一時でも見ていた」
「今は不幸だというのか? 俺は最高に幸せな家庭を築いているつもりだが……」

 すると採火が困惑した声音に変わった。俯いたままで、俺は自嘲気味に笑う。

「俺とお前の愛の種類が違いすぎる。なぁ、採火……もう、俺を解放してくれないか?」
「それは、ここから出たいという意味か?」
「いいや――もう、殺してくれ。お前の手で。俺にとっての解放は、それだけだ」

 つらつらと俺が語ってから顔をあげると、そこには虚を突かれたような採火の顔があった。それからまじまじと俺を見た後、採火が苦しそうな顔をした。

「分かった――」
「今まで有難うな」
「――とは、俺は言うつもりはない」
「え?」
「解放? 馬鹿げているな。虚は俺のものだ。勝手に死ぬ事など許さない」

 採火が俺を正面から抱きしめる。その温もりに泣きそうになりながら、俺は訴える。

「だったら、もっと愛を感じさせてくれ。俺のそばにいてくれ」
「約束する、虚。俺は共にいる」

 そのようにして、俺の日々は続いていった。
 結果その後も、俺が解放される事は無かった。




(了)