【1】玲瓏院の一族





 僕が帰宅した時、玄関では丁度父――玲瓏院縲が、下駄を履いている所だった。恐らくは、義父なのだと思う。

 なにせ僕は、現在二十一歳の大学生だけど、縲は三十四歳だ。もし僕が実子なら、縲は僕を十三歳でもうけたという事になる。

 不可能では無いだろうけど、僕には中一で子供を作るなんて想像もつかない。
 何せ、現在僕は、童貞だ。うん。
 しかも縲は、僕と双子の兄が生まれてから、母と結婚している。

 それもあって、幼少時から僕は自然と、『お父さん』ではなく、『縲』と呼び捨てにしてきた。咎められた事も無い。縲は、一言で評するなら……守銭奴である。

 母が女性ながらに、この玲瓏院家の当主をしていたのは、もうずっと前の事である。
 僕が物心つく前に、母は亡くなった。
 先々代の当主である祖父は、入り婿の縲に、現在の当主を任せている。

 この、僕が生まれ育った、新南津市において――玲瓏院家という僕の実家は、ある意味有名だ。その当主には、代々役目が一つある。本当はかなり沢山あるようだけど、僕が知る限り、一番まともだけど意味不明な役目があるのだ。

 それは……新南津市心霊協会の、役員である……。

 そもそもの話、僕は思うんだけど……心霊協会って、何?

 心からそう叫びたいのだが、もしこの土地でそうしたら、奇異の目で見られるのは、僕の方だろう。都会からずっと離れた、県名だけでも『ド田舎』を連想する地域の、更にはずれにある地方都市――それが、この新南津市だ。

 市町村合併により、新しい市になったが、中身はほとんど変化がない。
 周囲を山に囲まれた盆地に、隔離されているかのように、田舎町が広がっている。
 それだけならば、まぁ、日本のどこかには、同じような土地があるだろう。

 だけど。

 僕が思うに、この土地は、変だ。
 例えばテレビやネットを見ていると、『心霊現象なんて存在しない』という論説が多い。
 現代の科学社会において、霊能力者なんて、それこそ詐欺師の代名詞扱いだ。

 なのに、この街では、『お化けがいるのは、当たり前である』という空気が流れている……。手法こそ雑多で、僕の家のような仏教らしき何かから、神道っぽい存在、他にはキリスト教風の人々、個人請負の拝み屋・祓い屋、その他もろもろ、そういった人々が、さも当然のごとく、除霊や浄霊の話をし、普通の地域住民も頷いて聞いている。

 これ、変だよね? それとも、僕がおかしいの?

 ――まぁ、良い。そんな環境の中で、僕は育ってきた。

 その時、縲が顔を上げた。

 実年齢より若く見えるのは、チャラチャラした金髪のせいなのかもしれないし、その瞳の色が緑色だからなのかもしれない。縲は出かけている事が多いから、いつ髪を染め、いつカラコンを入れているのか僕は知らないが、若干彫りが深いせいで、縲はクォーターか何かに見えない事も無い。若い遊人、あるいは海外ゆかりの人……一瞬だけそう思う場合もあるかもしれない、が、多くの人々は、直ぐにその考えを消すだろう。

 それは玲瓏院の当主として、顔が知られているからではない。
 実際、知られているけれど、初対面でも多分、服装を見てすぐに認識が変わるだろう。

 下駄を履いているのもそうだが、縲は常に和装なのだ。
 緑色の紋付を着ている。完全に、『若旦那』という印象だ。

「おかえり、紬」

 僕の姿を見て、柔和な表情で、縲が微笑した。
 大学から帰ってきた所である僕は、小さく頷く。それから、尋ねた。

「どこに行くの? また、キャバクラ?」
「俺は、接待される時を除いて、自発的に行った事は無いけど、どうしてそういう発想が?」
「なんとなく」
「お金がもったいない。絶対に、おごりじゃなきゃ行かないね」

 うん。やはり、縲は守銭奴だ。

「心霊協会の役員の集まりだよ」
「今日は一日だよ? 毎月、十日じゃなかったっけ?」
「臨時集会なんだって。面倒な話だよ」

 そう言って溜息をつくと、縲は外へと出て行った。

 室内に入ると、前々当主である――玲瓏院統真という名の、現在の我が家で、唯一の二文字の名前の祖父が、碁盤に向かっていた。

 一応、明確に養父だと言われた事は無いし、縲本人も「俺は父親だよ」というから、僕は実の父のように考えているのだが――その父が縲の他には、僕は紬、そして僕の双子の兄は絆という名前だから、みんな一文字なのだ。

 僕は大学生だが、絆は既に働いている。僕から見ると、何とも言えない仕事だけど……。

「おお、紬。帰ったのか」

 碁盤から顔を上げて、祖父がこちらを見た。祖父もまた和装だが、こちらには特に違和感は無い。白頭で、ヒゲも白い祖父は、縲に比べると、質素な着物姿だからなのかもしれない。古いドラマの再放送時に、ご老人が抽斗から取り出して着用していたもののような、存在感があまりない装いだ。古いサスペンスドラマの通行人にいそうな、田舎のお爺ちゃん風である。

 普段もとても優しいし、いつも囲碁や将棋に負けて、涙ながらに騒いでいるのを見ると、僕は和む。しかし一度、きちんとした玲瓏院に代々伝わる正装を纏い、ビシッと命令を下す姿を目撃した場合は、萎縮せずにはいられない。

 何の命令かというと……それがまた、除霊だのといった、オカルトだ……。

 それさえなければなぁと、僕は度々思う。しかし、祖父はいつも誇らしそうに言っている。

 ――我が、玲瓏院は、その昔、当時の偉人によって、『お主達の霊能力は卓越しているゆえ、今後は、寺ではなく院と名乗るように』と言われたんじゃ。それまでは、玲瓏寺としてこの地を治めておったと古文書にはあるが、認められた。よって、今の玲瓏院家が存在するのじゃよ。

 ……僕はその言葉を思い出し、はっきり言って、偉人とやらが余計な事をしなければと、何度も思っている。今、この新南津市において、僕の玲瓏院家は、『一番の力の持ち主』と呼ばれているようだ。巷では、『玲瓏院に逆らうと、この土地では、生きてはいけない』とまで囁かれているらしい。

 何それ。これが、僕の率直な感想だ。

「いやぁ、紬という優秀な後継者がいて、玲瓏院も安泰だわい」

 祖父の言葉で、僕は我に帰った。
 ……双子の兄もいるのだが、周囲は次の当主を僕だと、勝手に決めている。
 兄もこれには、反対しない。していいのに。

「紬は、霊能力者として秀でておるからのう。天才としか言えぬな」

 喉で笑いながら、祖父が一人で囲碁を始めた。
 僕は、曖昧に頷いたが、溜息を押し殺す事に必死だった。

 理由は、簡単だ。非常に、明確である。

 僕は、心霊現象を信じていない。
 だって、幽霊が視えた事も無ければ、嫌な気配を感じた事すらない。
 お化けなんているわけがないと、確信している。

 この地域にいると、僕が間違っているように思えてくるが、現代日本の科学の恩恵を受けて育っている大部分の人々は、僕と同じ見解だと思う。少なくとも、テレビやネットの有識者(?)達は、そういう考えだろう。

 しかし……僕が道を歩いているだけで、そこに屯している浮遊霊が消えるだの、周囲は僕をもてはやす。だが何も感じない僕にとっては、それこそ古くから続く、田舎だから各地に顔もきく、玲瓏院家の次の跡取りである僕に、みんなが気を遣っているようにしか思えない。

「いやぁ、紬が、『霊泉』に進学してくれて、わしも鼻が高い」

 祖父が続けたから、僕は目を細めて顔を背ける。
 この新南津市に、唯一ある大学が、霊泉学園大学だ。
 僕は高校生の頃から、霊泉の付属学校に通っていた。

 本当はこの土地から離れて一人暮らしをしたかったけど、猛反対され……それに抗うほど、都会へ行きたいわけでもなかったし、僕は勉強もあまり好きではないから、そのまま持ち上がりで進学したにすぎない。

 基本的には、霊泉学園大学には、仏教科と民俗学科しかない。
 元々、僕は民俗学に興味があったし、それは良い。

 一応、玲瓏院家は大きなお寺を持っているから、仏教科に進まなくても、あとを継ぐために必要な資格は取れる。だから、民俗学科を選んでも、特に反対はされなかった。他の大学に行く事は許されなかったが、学科の選択は許してもらえたのである。

「霊泉を卒業していない者など、ただのモグリじゃからな。絆は兎も角として」

 祖父がそう言って笑った声を耳にしながら、僕はすぐ隣のキッチンへと向かい、一人静かに緑茶を用意した。これが、平均的な僕の、日常である。