【4】神様からの依頼




 先代の神主である、侑眞の祖父が亡くなったのは、一昨年の事だ。
 昼威の後輩である侑眞は、それをきっかけに神社を継いだ。

 つまり――侑眞の祖母に、愛人がいるということだろうかと、昼威は考える。
 確か七十代半ばだったと記憶していた。

「別れさせ屋への対応と一緒に、君には、この件を解決して欲しいんだよぉ」
「は? 解決?」
「そこに愛があるのであれば、僕としては愛人であろうがなんであろうが気にしない」
「道徳は持ち合わせていないのか?」
「――そういったものは、生きる時流で変化する。例えば僕が好むこの服が主流だった頃は、通い婚として、様々な女性と恋をするのが流行っていたよ」

 昼威は、変な所で正義感が強いので、浮気や不倫は嫌いだ。
 金にはだらしない彼だが、身持ちは硬い。

「よって、別れさせ屋の対応をしていれば、御遼神社やその関係者とも接触しやすいだろうから、調べてほしいんだ。御遼神社の男妾について」
「……それこそ、御神体を通して、不埒な真似はやめろと言ったらどうだ?」


「そうしても――誰も、先代の奥方には、逆らう事が出来ないんだ」
「どうして?」
「先代の遺言があってね。また、この奥方自身も遺言を残しているという噂でね……御遼神社の人間は、多くが金に汚いんだ。親戚筋でも、呪殺屋から金をもらって、別れさせ屋を容認している連中までいるほどで、僕なんっていうか、メンブレ的な」

 悲しそうな神様の声を聞いて、昼威は目を細めた。

「ちなみに、遺言の内容は?」
「決して男妾を追い出してはならない」
「遺言に愛人の名前があったのか?」
「ま、その辺りも含めて、調査と解決を頼むよぉ」

 神様はそう言うと、妖狐に視線を向けた。

「送ってあげて」
「まて、俺は引き受けるなんて――」

 昼威がそう言った時、枝から飛び降りた妖狐が、静かに彼の前に立った。
 そして昼威の肩に触れる。

 すると再び空間が歪み、気づくと昼威は迷いの森から神社に通じる出口にいた。

「……」

 なんだか面倒な事になったなと考えながら、昼威は人間のテリトリーである、人間側の御遼神社の敷地に足を踏み入れた。




「あれ? 昼威先生?」

 進むとすぐに、侑眞と遭遇し、昼威は立ち止まった。

「今回は、お布施の内容に気づくのが早かったんだね。俺ちょっと感激した」
「おい。あれは一体、どういうつもりだ?」

 そして当初の目的を思い出して、昼威はあからさまに険しい顔をした。

「昼威先生なら、あれを見たら、抗議に来るかなって。ちょっと俺、用事があったんだけど、普通に呼び出したら既読スルーされると確信してたからさ」

 その言葉に、先ほどの神様の言葉を思い出し、昼威は嘆息した。

「俺は忙しいんだ。お前の頼みを聞いている暇はない」
「俺の頼み? 俺、頼みごとがあるなんて言ったっけ?」
「そ、その――呪いの人形だのといった、いつも持ってくるだろう?」
「あーね。今回は、美味しい日本酒をもらったから良かったらと思ったんです」
「え?」
「昼威先生が好きそうな辛口だから――俺も今から休憩だし、午後は自発的に休む事にして、昼食がてら、飲むかぁ」

 ニコニコと笑った侑眞は、そばにいたバイトの巫女さんに何やら指示を出してから、改めて昼威を見た。昼威は、楠原という名前らしい巫女をしている大学生が歩いていくのを見送ってから、改めて侑眞に顔を向ける。

「さ、あちらへ。離れの俺の部屋へどうぞ」

 そのまま促すように侑眞が歩き始めたので、昼威は後を追いかけた。


「ツマミは和風と洋風どちらが良い?」
「日本酒だろう? ……和?」

 昼威は通された離れの客間で、神棚を見上げながら座布団に座った。
 この神社の裏手の離れは、本宅の奥にある御遼神社の次期当主専用の家だ。
 現在の当主は、侑眞の父だが、神主ではない。

 サラリーマン……というのか、ある企業の会社役員だと昼威は聞いている。

「じゃ、すき焼きでも食べる?」

 そう言って立ち上がると、侑眞が一度出て行った。
 そして戻ってくると、鍋や具材、他のツマミを並べ始めた。

「手伝うか?」
「昼威先生は、鍋奉行が向いてないから、結構です」
「……そうか。で? 酒は?」
「もうちょっと待ってて」

 侑眞は微苦笑しながら、ツマミを整えていく。
 黒い髪と瞳をしている点は、侑眞と昼威は同じだ。
 ただ、侑眞の髪は、少しだけ癖があるように見える。柔らかそうだ。

 その後、侑眞が一升瓶をあけて、昼威と自分のコップを満たした。
 それから二人で、ツマミをはさんで、酒盛りを始めた。

「――まぁ、商品券のことは、許してやる」

 非常に美味な酒と、どう考えてもお高い牛肉の味に、昼威は呟いた。
 藍円寺の食卓には決して出てこない牛肉だ。

「これを振舞ってくれると聞いたら、俺はすぐに来たぞ」
「本当? 昼威先生、腰が重いからなぁ」
「胃袋には勝てない」

 昼威がそう言うと、侑眞が唇の両端を持ち上げた。

「先生の好きなもの、毎週ご馳走しようか?」
「どうしてまた?」
「美味しそうに食べてる先生を見てると、楽しいから」
「は?」
「先生が俺を前にして、不機嫌じゃない顔をするのって、基本食べてる時だし」
「お前が面倒な頼みを持ってこなければ、基本俺は人当たりは悪くないぞ」

 すき焼きの他には、こんにゃくの刺身や漬物がある。どれも美味しい。
 ――バシンと、音が聞こえたのはその時だった。

「?」

 昼威は顔を上げて、窓を見る。奥には、代々御遼神社の、隠居した先代当主が暮らす事になっている別の離れがある。現在は、侑眞の祖母が使用しているはずだ。神様の話していた奥方だ。



 耳を澄ますと、鞭で叩くような音と、すすり泣くような気配がした。

「侑眞、あれは? 何の音だ?」
「俺も気になってるんだよね。そこで、先生に来てもらったっていうか」
「は?」
「あ、なんでもない。なんでもないです。すき焼きでも、と思って」
「何を言ってるんだ。もう食べている」

 そんなやり取りをしつつ――時折、バシンという音が響いてくるものだから、昼威は眉を顰めた。何かを叩く音と、それに合わせて上がる悲鳴を飲み込むような吐息の気配だ。

「侑眞。さすがに気になる。それで?」
「あの庵には、俺の祖母しかいないはずなんだよね」
「祖母、か」
「――ただ、俺の母親とか叔母さんは、若い男を見たって言うんだ。二十代前半くらいかなって話だったよ」
「へぇ」
「参拝客も見かけたって話してて――俺のお祖母ちゃんがね、男の妾を囲ってるっていう噂が流れてるんだよね」

 神様の話と同じだ。ただ若い男に関しては、神様が目撃されただけである可能性もあると昼威は思った。その時、昼威は遺言状についても思い出した。

「先代の遺言状には何か書いていなかったのか?」
「え? いや、特に。あの庵に関しては無かったけど」
「青年については?」
「無かったね。御遼神社の親戚や血縁者についてしか記載はなかったよ。財産の分与の話が主だったし。強いて言うなら、俺が知らなかった親戚が二人出てきたくらいかな」

 侑眞はそう言うと、腕を組んだ。

「両方俺の従兄弟で、片方は小学生。もう片方は成人していて――それがね、うーん……」


「はっきり言え。なんだ?」
「別れさせ屋をやってるらしいんだ」
「え」
「実際には、縁切りの呪術。従業員の中には、体張ってデートして、探偵さながらに別れさせる仕事を請け負ってる人もいるらしいけど、俺のその従兄弟は、時に呪殺までやってるらしい」

 それを聞いて、昼威は黙々と箸を進めた。早く食べて帰ろう。
 神様から聞いた話が、二つとも侑眞の口からも出てきたからだ。
 巻き込まれたくない。

「俺も少し調べてみたいと思ってるんだよね、従兄弟の事は」
「そうか。頑張ってくれ」
「ありがとう。先生が俺を応援してくれるなんて、珍しいね」

 しかし、侑眞は何か頼んでくるでもなく、そのまま二人はすき焼きを食べ終えた。
 そして一升瓶がからになるまで二人で雑談しながら酒を飲み、その日は解散した。

 実を言えば、時折、侑眞とこうして酒を飲む日はある。
 面倒事さえ頼まれなければ、昼威は別にそれが嫌ではない。

 昔は一歳の年の差とは大きいもので、学年が下の侑眞の事など子供だとしか思わなかったが、三十を過ぎたら、数歳の年の差などあまり感じなくなってしまった。

 そんな事を考えながら、夕方になって、昼威はバスで帰宅した。