【5】考え出すと気になる性格




 昼威が帰宅すると、丁度雨が降り出した。
 既に梅雨の季節だ。じきに台風の季節も訪れるだろう。

 小学生の頃は、川のそばの田が浸水すると、幼心に――ワクワクした気がする。
 しかし大人になった今では、被害を考えて億劫になるだけだ。

「帰ったのか」

 玄関の扉を開けると、享夜が、黒い傘を手に振り返った。白いシャツの上に、洒落たジャケットを纏っている。除霊のバイトに行く際、基本的に弟は私服だと、昼威は知っている。昼威はあまり私服を持っていないので、時々勝手に拝借している。

「――酒臭い」
「ああ、ちょっとな。飲んできた」
「じゃあ夕食は不要か? 一応、冷蔵庫にお惣菜のパックが入っている。好きに食べろ」

 享夜は、そう言うと腕時計を一瞥してから出て行った。

 そんな弟の肩には、大量の浮遊霊が乗っているのが視えたものの、追いかけてまで祓う……ホコリを払う気にはなれず、昼威はそのまま家に入った。彼の弟は、非常に憑かれやすいらしい。

 それからシャワーを浴びて、昼威はそのまま寝た。そして起床して、お惣菜を食べた。享夜も帰宅している気配があったが、特に声をかけるでもなく、昼威はそのまま家から出る。寝ているようだったからだ。



 藍円寺には、大体の場合、火曜日しか昼威は戻らない。それ以外は、己のクリニックか総合病院の仮眠室で寝泊りをしている。特に救命救急のバイトの前後は、総合病院が多い。食事ももっぱら外食だ。

「……いっそ、クリニックで暮らすか? そうすれば、寺に金を入れなくて良くなるな」

 そう呟いてから、昼威は総合病院へと向かった。

 本日は、夜勤を頼まれていた。いつもならば水曜日に日付が変わった直後にバイトは入れないのだが、深刻な人手不足らしい。到着してから着替えたものの、朝までの間、誰ひとり搬送されてくる事は無かった。多忙な日とそうではない日が、比較的はっきりしている。看護師や同僚医師と雑談をしながら、時計の針が進むのを見ていた。

 その後朝の七時まで勤務して、日勤の医師と交代し、昼威はクリニックへと向かった。そしてシャワーを浴びて、いつもと同じようにクリニックを開ける。とはいえ、予約はゼロだ。誰も来ない。本日は、午前も午後も予約がない。

「……」

 だからというわけではなかったが、病院の売店で買ってきた弁当を食べつつ、昼威は考えた。

 御遼侑眞の話によると、遺言状には、侑眞の知らない親戚――従兄弟の名前が二つあったという。その内の片方は二十代との事だった。そして、目撃情報がある男妾の年の頃もまた、二十代だ。


 つまり、侑眞の従兄弟が愛人であり、先代の奥方の元に通っているという事だろうか? そうであるならば……。

「孫を愛人にしているって事か?」

 二親等だ。少なくとも、結婚が不可能であるという意味で、近親相姦の疑惑がある。三親等以内の婚姻届は受理されなかったはずだ。

 それ以前に、七十代の祖母と関係を持つというのは、どういう気持ちなのだろう。二十代といっても幅が広く、二十一歳である親戚の玲瓏院紬や絆、二十七歳の弟享夜を、漠然と昼威は思い出した。

「絆以外は、無理だな。紬と享夜は、その辺が純情すぎる。かといって、あの絆が手を出す事はないな。あいつはプライドが高すぎる」

 ブツブツと呟いてから、昼威はコーヒーを淹れた。そして、年の差よりも大きな問題について考える。近親相姦――インセスト・タブーについてだ。様々な要因や、社会的な背景、文化の側面もあるが、本能的に回避する人間が多い。



 フロイトとランクの著書を引っ張り出して、しばしの間、昼威は近親相姦について読みふけった。昼休憩の時間も忘れて熟読していると、すぐにクリニックを閉める時間が訪れた。だから意識を切り替えて、総合病院へと向かう。そして準夜の勤務を頼まれたので、それをこなしてから、仮眠室で爆睡した。

 その週は、それを繰り返した。今週は、一度もクリニックには患者が来なかった……。それもあって、もう一つの――気になるが、特に方策もない、『別れさせ屋』についても考えた。

 男妾が別れさせ屋こと――縁切りの呪術を駆使しているのだとすれば、両方の神様からの依頼は、一緒に解決可能にも思える。

「――呪殺会社と言っていたし、企業なのか」

 昼威にとっての週末、月曜日。
 仕事が終わってから、ポツリと昼威は呟いた。

 オカルト系の企業は、彼が暮らすこの新南津市では、『心霊協会』に所属する事が決まっている。心霊協会というのは、一つの依頼に複数のお祓い屋などがバッティングするのを阻止するなどの、調整を行ったりしている。



 新南津市は、心霊現象に非常に肯定的な土地だ。
 その呪殺屋が、この都市で営業しているのだとすれば、心霊協会に加盟しているはずだ。

「登録しているのならば、そちらから身元が分かるな」

 無論、遺言状に名前が出てきたとするならば、侑眞に話を聞けば氏名は分かるだろう。ただし、愛人の男が、別れさせ屋の経営者と同一人物であるという保証はない。

「――待て、俺。どうして俺は、こんなに真面目に考えているんだ」

 いくら神様に頼まれたとは言え、昼威は引き受けるとは伝えていない。
 それに侑眞からも頼まれたわけではない。
 嘆息してから、昼威は藍円寺へと戻った。

 本日は夜中も除霊のバイトが入っているようで、享夜の姿はない。
 久方ぶりに湯船に浸かり、昼威は何度か瞬きをした。

 風呂から出て、タオルで髪を拭きながら、帰宅途中に購入してきた発泡酒を開ける。居間の畳の上で、あぐらをかいて酒を飲みながら、窓の外を見た。本日も雨が酷い。

「タブー視が強いのは、母子間だな……祖母孫間は……どうなるんだろうな」

 ポツリと呟いた時、玄関の扉が開く音がした。
 飲みながら待っていると、すぐに享夜が顔を出した。



「遅かったな。こんな時間まで、非科学的なバイトか?」
「そう思うんなら、科学的なバイトで得たお給料で、冷蔵庫を満たしてくれ」

 ジロッと享夜に睨まれて、昼威は思わず顔を背けた。
 それから気づいて、弟を改めて見る。

 普段はバイトが終わった直後の弟の肩には、大量の浮遊霊――ホコリがついているのだが、今日はあまりついていない。だが……代わりに、昼威は弟の首筋を見て、首を傾げた。蚊に刺されたような痕が二つある。霞がかかるようにして、じっくり見なければ分からないのだが、何かに刺されたような痕があったのだ。何の痕だろうかと、昼威は首を捻る。

 そのまま享夜がシャワーを浴びに行ったので、昼威はまぁ良いかと見送ってから、自室へ戻って眠った。そして翌日の日程を考える。

 折角の休日を潰すのも無駄だと思ったし、巻き込まれるのも嫌なのだが――気になっていたのである。御遼神社の男妾の件が。