【12】遺言状
夏の雷は、人の心を不安にさせる――気がする。
すっかり梅雨の気配が遠のいた新南津市の総合病院で、窓の前に立ち、昼威は紫色の空を見ていた。不思議な色の雲の下、時折稲光が走り、今日は雹が降っている。
甥の斗望から聞いた、『芹架』という少年の名前を思い出しながら、昼威はカレンダーを見た。既に小中学生は夏休みの季節である。本当はすぐにでも御遼神社へと出向いて侑眞に、その少年の所在を具体的に聞きたかったのだが――もうじき、御遼神社の夏祭りがあるため、侑眞が捕まらない。
常日頃、侑眞が昼威に連絡を取ってきて、嫌々ながらに顔を合わせてばかりだったから、昼威はそもそも自分から侑眞に連絡をするというのが、あまり得意ではない。祭りの関係で多忙な跡取り神主に、わざわざ休んで時間を作れというほどの間柄でもない。適度な距離の顔見知り――それが、昼威が抱いている印象である。
病院の窓から見える朝顔を見据え、それから再びカレンダーを見た。
夏休みの終わりよりは、夏祭りの方が早いが。
ここの所は熱中症と、夏の帰省で飲みすぎた若者の手当ばかりを行う毎日だ。
正直、昼威もまた、それなりに忙しい。盆の墓参りも、今年は享夜に任せっきりだった。朝儀達が行ったのかは、昼威には分からない。
朝儀と斗望がこの土地に戻ってきたのは、七年前だ。保育所の年長組に斗望が入った年で、享夜はまだ大学生、昼威は医大を卒業したばかりの時期だった。最初は寺を継ぐのかと考えていたが、公営住宅を抽選で当てて、朝儀は息子と共にそちらで暮らしている。
一度、その件を朝儀と話した時の事を、昼威は思い出した。
「――僕はね、斗望もいるし、もう怪異といった現象とは離れて生きていこうと思うんだ」
兄はそう言っていた。実際、昼威も心霊現象とは離れて暮らしたいと考えているから、その気持ちはわからなくはない。その分のしわ寄せが、一番末の弟に行っているのは理解していたが。
……怪異に限らず、自分達が困窮しているため、何かと弟に迷惑をかけている自信がある。
さて、そんな日々を送り、八月の最終週――昼威は、約束を取り付けるでもなく、御遼神社へと向かった。どうせいるだろうと考えていたのもある。
実際その通りで、御遼侑眞は神社の境内にいた。
「昼威先生。なんだか久しぶりだね」
「おう」
「俺が誘わないと来てくれないからなぁ」
「用事がないからな」
「――つまり、今日は何か用事があるんだ? どうしたの? 金欠?」
にこやかな笑顔で、侑眞が言った。毒しか感じられない。ムッとしたが、実際に用事があったため、昼威は顎をしゃくるようにして頷いた。すると、侑眞が驚いたような顔をした。
「込み入った話?」
「そこそこな」
「俺に会えなくて寂しかった、的な?」
「それのどこが込み入っているんだ? そもそも、お前に会えなくて清々しいと思うことがあっても、寂寞を感じるとは思えない」
眉を顰めた昼威を見てから、クスクスと侑眞が笑った。
「離れに行こうか」
侑眞はそう言うと、手にしていた箒を近くにいたバイトの巫女に渡した。
現在は、まだ早朝の六時である。
寺と神社では、掃き掃除をする方向が違う事を漠然と昼威は考えた。
砂利を踏みながら離れに先導され、昼威は慣れ親しんだ侑眞の部屋に入る。
「朝ごはん、食べた?」
「まだだ」
「食べる?」
「いや良い」
「――そんなに急ぎの話なの?」
侑眞の声に、昼威は腕を組んだ。侑眞がその正面に緑茶を置く。
「うちの斗望と、瀧澤教会の冥沙が来なかったか?」
「え? 俺は聞いてないけど。いつ?」
昼威の声に、侑眞が首を傾げた。
「七月だ。なんでも、斗望の同級生が一年前から学校に来ないそうでな。甥の話によると、なんでもこちらの先代の奥方――お前と、その同級生の共通の祖母に引き取られてから来ないと聞いた。名前は、芹架くんというそうだぞ」
そう言ってから湯呑を昼威が傾けると、侑眞が目を見開いた。
「え? お祖母様が? 俺はそんな話を聞いた事がないんだけど」
「御遼神社にはいないのか?」
「――少なくとも、小学生の男の子なんて、遺言状でしか名前も見てないし……参拝客でも親子連れをたまに見るくらいかな。一応、十三詣りをやってるし、七五三はあるけど……五歳は小学校入学前だしね。十三詣りは中学生になってからが多い」
それを聞いて、昼威は腕を組んだ。
「それとな。六条彼方にも会った」
「え? 先生って見かけによらず、アクティブだったんだね」
「俺の見かけ? アウトドアに見えないのか?」
「あー、初対面の第一印象なら見えるかもしれないけど、ずっと見てきた俺みたいな後輩だとかの評価として、先生はインドア」
侑眞はそう言って笑った。だが、どことなくその表情が硬い。
「ねぇ先生。俺は見たことがないけど――俺の祖母は、芹架くんを安全な場所に保護していると、遺言状を公開した日から今に至るまで話してる。でも、先生の甥っ子の話だと、俺の祖母はここにはいないって話したんでしょう? じゃあ、どこに?」
続けた侑眞の声に、昼威が湯呑を置いた。
「俺が聞きたい。斗望が、学校に来ないと心配しているんだ」
「転校したってこと? つまり別地域で保護してるのかな?」
「いいや。だとすれば、担任が転校したと言うだろう。不登校扱いのようだ」
昼威が言うと、侑眞が顎に手を添えた。
「遺言状にね――芹架くんに財産の二分の一、彼を保護し成人年齢まで育てる者に残りの内の半分とあったんだよ。それで、残りの三分の一を、俺と呪殺屋の六条さんで半々」
侑眞はそう言うと、改めて昼威を見た。
「そんな中で、祖母が引き取って保護していると宣言したから、一応残りは養育費もあるし、祖母のものになったんだけど……一体どこにいるんだろう?」
「さぁな。未成年の失踪となれば、警察の案件じゃないのか? すぐに問いただした方が良い」
昼威はそう言ってから、閉まっている窓を見た。
「六条彼方の顔は俺が分かる。お前のお祖母様が囲っているらしき、男妾と同じ、二十代だったぞ」
「え……まさか、六条さんが男妾だって言いたいの?」
「会って顔を見れば、そうか否か、俺には分かる」
「なるほど――じゃあ、見に行く?」
侑眞の提案に、昼威は小さく頷いた。
「ただ、お祖母ちゃんまだ寝ている時間だから、よければ一緒に朝ごはんでも」
すると侑眞が穏やかに笑いながらそう言ったので、何度か昼威は頷いた。
確かにまだ朝は早い。老人は朝が早いというが、万人がその限りではない。