【4】絢樫Cafe




 朝儀と縲が絢樫Cafeに到着したのは、十六時を回った頃の事だった。既に周囲は暗い。雪が積もる中、クローズの看板を見たが、気にせず二人は扉の前に立つ。先に手をかけたのは、朝儀だった。

「享夜!」

 中に入るなり、朝儀が弟の享夜に声をかけた。縲は熱い吐息を押し殺しながら、それに続く。すると享夜と目が合った。

「朝儀……それに、縲さんも――っ、無事だったのか!」

 座っていた享夜が立ち上がる。それを見ながら、縲は小さく頷いた。同時に、初夏の頃は、『怪異』として紬が恐れていたものの、ここの所は友人だと公言している火朽の姿を視界に止めた。他には、高校生くらいに見える妖し――砂鳥と、享夜のすぐそばにいるローラの姿がある。迷わず縲は、銀の銃弾が入っている対吸血鬼用の銃を抜いた。

「刻印の事で話があるんだよ!」

 朝儀も同様で、黒光りがする拳銃を構えている。
 火朽と砂鳥がカウンターの奥に退避する事には構わず、縲はローラに照準を合わせた。

「ローラ、下がってくれ。二人共、ローラは決して危険な存在じゃ……というか、銃刀法はどうした?」

 享夜が困惑した様子で声を出した。片手でローラを庇っている。
 弱い人間が吸血鬼を庇う姿というのは、ある種滑稽だと縲は思う。吸血鬼は決して、人間に庇われるような弱者ではないからだ。

「享夜、あのね、縲が刻印されちゃったんだけど、熱のせいで体が上手く制御できないらしいから――回答によっては、うっかり発砲しちゃうかもしれないけど、それはそれとして、どうにかする方法を知らないか、ローラという吸血鬼と、刻印経験者の享夜に話を早急に聞きたいんだよ」

 朝儀がつらつらと伝えた。それを聞きながら、縲は熱い吐息を抑えつつ、苦い顔をする。

「朝儀、っ、悠長に聞いている時間なんか……ッ、ッ」
「縲、大丈夫?」

 縲の言葉に、気遣うように朝儀が一瞬だけ視線を向けた。しかし銃口は、享夜達を捉えたままである。

「大丈夫じゃないから、今ここに来ているんだよ」

 苛立たしげに縲が答えた。それを聞くと享夜が目を見開く。

「刻印……」

 それから享夜は、ローラを見た。

「ローラ、何か、縲さんを楽にする方法を知らないか?」

 ローラは享夜の背後に隠れている。白々しいと思いながら、縲は目を細めた。本家の簡易結界から離れたせいなのか、どんどん体が熱くなっていく。思考が上手く回らない。

「刻印されたら、その相手と体を繋ぐしか、楽になる方法は無い」

 そんな事は分かっているのだと、縲は叫びたくなった。しかし口を開けば、それだけで嬌声が溢れそうになる。ぐっと堪えていると、朝儀が言った。

「――そうしたら、縲はエクソシストだから、力が使えなくなっちゃうんだよ」
「いいや。エクソシストの場合であっても、愛が伴うSEXであれば、力は失われない」

 ごく当然であるように、ローラが言う。猫のような瞳が煌めいて見えた。縲はその言葉と表情に思わず、舌打ちしそうになる。その一瞬だけ、快楽を塗りつぶすような怒りが沸いた。

「愛せるはずがないだろう!? オロール卿は俺の敵だ。彼さえいなければ、紗衣だって――」

 そこまで口にして、縲は唇を噛んだ。紗衣の死は、直接的という意味では、夏瑪夜明のせいではない。夏瑪夜明が戸籍を提供した吸血鬼の仕業だ。しかし間接的には、夏瑪夜明こそが加害者であり、そもそも縲は、夏瑪を追いかけてこの国に来たのだ。

 そして出会った大切な相手、それが紗衣だ。
 亡くなった妻を思えば、悔しさと苦しさが溢れてくる。
 瞬きをすれば、彼女の笑顔がよぎるのだ。

 そんな思考を振り払うように一度頭を振ってから、縲は続ける。

「とにかく、他の方法を」

 拳銃を構え直し、最悪の場合、享夜ごとローラを撃とうと決めていた。吸血鬼は存在が害悪だ。それを庇い立てするのであれば、その人間を容赦する事も出来無い。あくまでもまだ撃っていないのは、情報提供を求めているからに過ぎなかった。

「俺と藍円寺を殺っても何も解決しないだろう? ただ、親切心から教えるならば、夏瑪を殺れば、もうそれこそ、熱から逃れる術は消える。迂闊に動かない方がいい」

 ローラが透き通るような静かな声で言った。だがそれが、縲の心を逆撫でした。

「何も知らないのなら、用はないよ」
「縲!」

 朝儀が焦るような声を出した。

「っ」

 しかし体の熱が辛すぎて、なるべく早く決着をつけなければならないと判断していた縲は、二発目を撃つ。

「ローラ!」
「藍円寺……っ、馬鹿!」

 一発目は、ローラを庇うように前に出た享夜の肩を掠めた。威嚇射撃の意味を込めていた為、少し照準をずらしていたのだが、享夜が動揺のあまりローラを庇う形で前に出たので、銃弾が触れた。尤も、二発目は正確にローラを狙っていた。

 直後、その場に膨大な力が溢れかえった。

「!」

 縲は交わす余裕が無かった。カランと銃弾が床に落下した音を聞いた時には、全身に妖力を叩きつけられていた。妖力というのは、怪異が潜在的に持つ、強い力だ。衝撃で体が軋んだ直後、縲は意識を手放した。