【11】クロックムッシュ



「ん……」

 陽光を感じて、俺は目を覚ました。最初は自分がどこにいるのか分からなかった。ぼんやりとしたまま瞬きをしつつ、見覚えのない天井を眺める。そして、ハッとした。

「――!!」

 見れば俺は、兼貞に抱きしめられて眠っていた。場所はソファではなく、巨大なベッドに移っている。ふかふかになった点は褒めても良いが、決して兼貞と同じ寝台にいる点は褒められない……! 俺は全裸である。何故だ! そんな俺を抱きしめて寝ている兼貞は、服を着ている。ま、まさか、コイツ、俺が寝ている間に不埒な真似をしたんじゃなかろうな!?

「起きろ馬鹿――!!」
「ん、おはよ……絆……俺、朝弱くて」
「知るか! 俺の服は何処だ!?」
「ああ、シワになったらまずいと思って、脱がせてかけといたよ」
「有難いようで有難くない! 脱がせるな、人の服を勝手に!」

 俺が怒っていると、兼貞が俺の胴体から腕を離して、ゆっくりと起き上がった。俺も手が離れた瞬間に、勢いよく起き上がった。そして兼貞から距離を大きくとり、寝台から降りた。既に体は自由を取り戻している。

「おま、お前、俺に何にもしてないだろうな!?」
「ん? まぁ俺も寝込みを襲うほどの鬼畜では無いからな」

 その言葉に、俺は少しホッとした。兼貞にも常識はあったらしい。

「それにどちらかといえば、起きて喘いでる姿を見たり、抵抗される方が燃えるっていうかさ」

 ……前言撤回だ。
 コイツはやはり、非常識だ!

「絆、風呂入る? 俺、ご飯作っとくよ」
「……」

 確かに、出してそのまま寝てしまった為、正直お風呂に入りたい。しかし兼貞の風呂を借りるというのは、何となく怖い。覗かれたらどうしよう。別段、男同士であるから見られて困るものは無いはずなのだが、昨日の今日だ。兼貞は規格外の変態だったのだ!

「……入る」

 しかしベタベタしたまま帰るなんて、道中で誰に遭遇するかも分からないから、よろしくはないだろう。俺も芸能人なのだから、うっかり撮られでもしたら困る(過去に一度もそのような経験は無いが)。

「下着は俺の、ちょっと大きいかもだけど、新品がある」
「大きいって、一言余計なんだよお前は!」
「事実じゃん?」
「煩い」

 その後俺は、起き上がった兼貞がクローゼットから取り出した新品のボクサーを受け取り(なお俺はトランクス派だ。子供の頃からあれが好きだ)、浴室へと向かった。二十四時間湧いているようだった。

「このシャンプー、兼貞が広告に出てた奴か」

 髪を洗いながら、俺はボトルを見た。泡立てると、兼貞の匂いがした。なんだか全身が兼貞の匂いで気分は悪いが、良い香りなので、すっきりとしながら俺は入浴を終えた。

 外に出ると、洗濯機の上に、俺が昨日着ていた服が綺麗に畳んで置いてあった。兼貞が出してくれたようだ。それを身に纏いながら、二日連続同じ服を着るなんていつ以来だろうかと考える。思わず臭いを嗅いでしまったが、特に異臭はしない。

「ご飯出来てるよ」

 洗面所を出ると、兼貞が黒いギャルソンエプロンをほどいた所だった。いちいち様になっているのがムカつく。案内されてダイニングキッチンの席に着くと、カフェで出てきそうなクロックムッシュがのった皿が二つとサラダがあった。

「俺、なかなか料理、上手いっしょ?」
「うちのシェフには負けるけどな」
「……玲瓏院のお家って、シェフがいるのか?」
「ああ」
「洋風? 俺の家は、料亭から呼び寄せた料理人さんだけど」
「お前の家にも作ってくれる人がいるのか。このマンションは、自腹か? 実家の支援か?」
「ここ? ああ、ここは、俺の分家の人の持ち家の一つ。不動産もやってるんだよな」

 それを聞いて俺は、実家の富裕度まで負けそうな気がして怖くなってきた。俺が兼貞に勝てる部分は、一体どこにあるのだろうか? あるよな? というか、演技力とか絶対俺の方が上だと思うんだけどな? 何せ日常的に猫もかぶっている俺だ。

「いただきます」
「召し上がれ」
「――まぁまぁ美味いな。家庭料理には思えない。ただプロには負ける」
「勝負してないから、そこ。良いんです。俺は目が覚めた時、愛しい人に、美味しいって心安らかに思ってもらえるような一品が作れたら満足なんだよ」
「愛しい人? 恋人がいるのか?」
「いるっていったらどうする?」
「週刊誌にリークする」
「おい! 少しはさ、絆もさ、『寂しい……』とか言ってくれよ」
「は?」

 俺はクロックムッシュを食べながら、遠い目をした。兼貞はそんな俺を見ながら溜息をついている。何故俺が、兼貞に恋人がいたら寂しいと思うとコイツは考えたんだろうか。そんなはずがないだろう。せいぜい、恋にうつつを抜かして、過去の人になれば良いのだ!

「絆は恋人いないだろ?」
「なんで断言するんだよ!」

 俺はムッとした。確かに恋人はいないが……。

「昨日の、濃かったから」
「ぶ」

 俺は檸檬入りの水を盛大に吹き出しそうになった。ゴホゴホと咳き込む。突然言われたものだから、俺は露骨に照れてしまった。

「に、二度と俺にあんな事をするなよ!」
「あんな事って?」
「だ、だから……」
「具体的には?」
「え」
「言われないと分からないな」

 兼貞はにこやかに笑っている。キラキラしているその笑顔は、女性ファンなら即落ちなのだろうが、俺にとっては忌々しい以外の何者でもない。

「っ、フェラ……!」
「あ。キスは良いんだな」
「ちょ、違う! それもダメだ!」
「ごめん、いきなり耳鳴りがして、フェラしか聞こえないや」
「巫山戯るな!」

 怒りをごまかすように、俺はクロックムッシュを食べる。兼貞は既に食べ終わってしまった。

「絆って食べるの遅いのな」
「味わって食べるのが料理への礼儀だ」
「というより、単純にお育ちが良いんだろうね」
「お前こそ良さそうだけどな」

 陰陽道の家系で? 料理人がいて? 分家が不動産? コイツにないものとは何だろうか。学歴か? 俺は一応、通信制の大学に籍はある。

「俺の所は、絆の所と多分、かなり違うな」
「どういう意味だ?」
「玲瓏院って言ったら、新南津市の名士だろう?」
「まぁ、そう言われているな」
「俺の兼貞の家は、平安の頃から都会に仕えるタイプだから」
「は?」
「なんていうのか、権力者の盾になるタイプだから、自分達が権力を持つ感じではないんだよな」
「? 別に、俺の家も権力なんてないぞ。というより、昔からって、今もか? なんだ、総理大臣にでも仕えているのか?」
「当たらずも遠からず」
「へ?」
「なんてね」
「おい、誤魔化すな!」

 そんなやりとりをしながら、ようやく俺はクロックムッシュを食べ終えた。サラダももうすぐ完食だ。実際、兼貞の料理はそこそこ美味しい。俺は一切家事など出来ないので、ちょっとだけ見直した。