【1】
最下層と呼ばれる貧民街の外れに、高砂の完ロス兵器研究所は、ひっそりと存在する。
――完全ロストテクノロジー、略して完ロスだ。
その中でも、高砂は兵器研究をしている。
この土地に研究室を設けたのは、地下の廃棄都市遺跡から、数々の完ロス兵器が発掘されるからだ。
廃棄都市遺跡とは、今よりもずっと古い時代に作られ、地下に埋め立てられている都市遺跡群である。それこそ、技術が失われていなかった時代、生み出された時代もある。
現在のこのラファリア王国は、そうした古い時代からの残り香を受け継ぎつつ、古代技術の復古を元に成り立っている。制度面もそうであり、例えば最下層が最下層と呼ばれるのは、最上層に王族がいて、上層に貴族や華族・聖職者が位置し、中層が裕福な一般国民、下層が比較的貧乏な一般国民――そして、人扱いをされない、ごく一部の孤児以外は存在を認められず戸籍を持たない者の住処として一番下の階級として存在しているからなのだが、これは絶対王政という制度の名残だ。貴族制度や華族制度の名残りでもある。
この国は、階級が全てだ。例外は、特別三機関と呼ばれる、最高学府・天才機関ジーニアス・医療院のみである。最高学府というのも、古代の言葉が由来らしいが、現在では王立学府と区別され、特別視される、この王国一番の学術機関の名称だ。天才機関は、個人の才能を研究する機関である。医療院は、病院だ。いずれも最高水準の施設であり、この三ヶ所においては、爵位や身分は関係無いとされる。
高砂は元々、この中の、最高学府の教授をしていた。出生時のIQテストにおいて非常に高い水準を出したため、通学せず全ての科目を紙試験で突破し、十五歳の頃には最年少で教授となっていた。その後十二年ほどは学府で働いていたが、二十七歳の歳からは、個人講義を持たない事とし、研究に専念するべく、この最下層へとやってきた。周囲はそんな高砂を、『最高学府をクビになった元教授』と認識している場合が多いようだが、現在に至るまで籍はある。最下層に高砂がやってきてから、既に五年の歳月が流れていた。
橙色と黄緑色を混ぜ合わせたような、不思議な色のハイネックに、白い白衣を纏っている。髪の色は狐色で、瞳の色は緑だ。長身で、普段は伊達眼鏡を愛用している。
「なんだか気分がのらないっていうか……」
作業台の上の設計図と、修理中の発掘した兵器を、高砂は見比べた。兵器とは言うが、見た目は小さな箱であり、螺子や細工を眺めただけでは、オルゴールにしか見えない。しかし一度音がなれば、この兵器は周囲の人々の精神を錯乱させる効果がある。兵器は見た目では威力が計り知れない事が多い。
「ちょっと休もう」
やる気が起きず、高砂は研究室をあとにして、隣のリビングへと向かって。一階建てのこの研究所には、他には簡素なシャワールームとトイレ、キッチンの他には仮眠室しか存在しない。それでも一人で暮らすには、それなりに快適だった。
リビングのテーブルの上からソフトパックの煙草とオイルライターを手に取って、白衣のポケットに突っ込み、高砂は研究所の外へと出た。
季節は春。小鳥が鳴いている。
研究所は、慈善救済孤児院街と呼ばれる、最下層で唯一戸籍を認められた者達が住まう場所の一角にある。一本通りで、高砂の研究室はその西側に面している。L字型の路で、西の先の曲がり角には、慈善救済診療所という唯一の病院がある。研究所の隣は、ハーヴェストクロウ大教会が位置している。東の突き当たりには、ゼスペリア教会孤児院が立っている。他には街路樹とベンチがあるだけの路だ。
灰皿が設置されているベンチへと向かい歩いていくと、先客がいた。
「よぉ、高砂」
声をかけてきたのは、慈善救済診療所の医師である、時東だった。時東は左遷されて診療所へとやってきた医療院の天才医師だが、天才ゆえにすぐに引き戻しの声がかかったというのに、その打診を蹴って、今も最下層に住んでいる。
同じ特別三機関で勤務した経験がある者同士であったし、かたや最年少教授、かたやゼスペリアの医師の再来と名高い天才医師でもあるから、お互い元々名前は知っていた。
ゼスペリアの医師というのは、ゼスペリア教という宗教の聖書に出てくる、旧世界において神の器だった使徒ゼストを助けたとされる医師の事だ。非常な名医だったとされていて、時東はその腕前に匹敵すると言われているのである。
旧世界というのは、このラファリア王国の直系の一つ前の国の事であるとされている。
時東も高砂も漢字名なのは、特別三機関の身分平等制度により、爵位に由来しない自由な名前を持つことが出来るからである――と、考えている者が多いが、高砂の場合は本名だ。華族匂宮配下五家高砂中宮家、これが高砂の実家である。一方の時東は、タイムクロックイーストヘヴン大公爵家という名門貴族の出自なのだが、こちらもまた知られていない。理由は、前当主である時東の父が早くに亡くなり、時東は祖父の手により、幼少時最下層で育てられた経歴があるからだ。当時は、時東の祖父が慈善救済診療所で医師をしていた事に関係している。
「暇そうだね、時東」
告げてから、高砂は白い煙草を一本銜えた。火を点けながら、深く煙を吸い込む。時東は、高砂の四つ年下で、今年で二十八歳だ。三十二歳の高砂とは、同年代といえばそうなるだろう。
「病院は暇な方が良いだろ?」
「まぁねぇ」
「それに、最下層には怪我をするようなヘマをする奴はいない」
公的には、孤児と一部の聖職者や、許可を得ている高砂や医師の時東以外は、最下層に住んでいない事になっている。しかし、ハーヴェストクロウ大教会の裏手から斜めに進んだ場所に、住宅街が存在しているのは、公然の秘密だ。そこには、ガチ勢と呼ばれる、通常の犯罪者とは異なる、プロの殺し屋達が屯していたりする。尤も、彼らが殺すのは、人間ではないから、殺し屋と評するのは語弊があるかもしれないが。
ガチ勢が手にかけているのは、生体兵器だ。それらは廃棄都市遺跡を徘徊している。しかし中層や下層の国民は、その存在自体を知らない場合も多いから、実しやかに殺し屋だと噂しているのだ。そんな噂を信じない者は、息抜きとして、最下層の人間を嬲ろうとする。最下層という地域は、国民の息抜き地域でもある被差別的な貧民街なのだ。
「まぁ基本的にはそうだね」
「はやり病でも無ければ、暇で良い。俺もPSY医療の研究三昧だ」
――PSY。俗にいう超能力だ。これも多くの国民は、存在を知らないが、上層以上と特別三機関の人間の間では、最早常識となっている。時東の専門は、PSYに特化した医療だ。
PSYは、円を描いて真ん中に縦線を引き、右側の半円の中央にもまた線を引いて考えるとわかりやすい。右上がPSY-PK、右下がPSY-ESP、そして左側がPSY-Otherとなる。
PKは、物理的に作用を及ぼす力だ。大抵が赤い色をしている。ESPは超感覚知覚と呼ばれるような、言語や動作を用いずにコミュニケーションを取る事などを可能とする力で、緑色が基調となる。最後のOtherは、多くの場合が非分類で色彩は混沌としている。この円の中で、右側の比率は人により変わるし、Otherに関しては特定の家柄などで特殊な色彩が生まれる場合がある。それらにより、強いPSYが発現する上層の人々は、貴族や華族として敬われていると言える。そうでない、一般国民の中に生まれたPSY能力者は、ギルドなどの闇の組織に勧誘される事が多い。
ギルド――こと、ヴェルジニア・レッドクロス。
聖書においては裏切り者の第四使徒とされる、使徒ルシフェリアが設立したとされ、その末裔であるハーヴェスト候爵家の人間が代々総長をおさめるギルドは、PSYに限らず、天才の勧誘に余念がない。
実を言えば、時東も高砂も、ギルドに関わっている。しかしギルドの内部では、黒いローブを身にまとっているため、二人共、お互いがすぐそこにいた事には、最近まで気がつかなかった。ギルドには指針を決定する議会が存在するのだが、時東はその議会の、ロードクロサイト議長を名乗る人物であり、高砂はその派閥のNo.2と言われるシルヴァニアライム闇枢機卿だったのである。派閥というのは、無派閥の集まりだった。よってその中でも実力ある二名、というのが、正しい表現となるのだろう。時東は、選挙によって議長になってしまった事を、今でも嘆いている。
「ガチ勢より、黒色の方が怪我人は多い」
黒色というのは、ギルドの内部の武装集団だ。基本的にはハーヴェスト候爵家の人間の護衛を担ったり、ギルド独自の、武力冠位をおさめ、生体兵器の討伐などに当たっている人々である。ガチ勢との違いは、討伐目的が報酬ではなく、研究が目的であったり、ギルドの使命であるルシフェリアの教えからであったりという部分だろう。
類似の組織はほかにも存在する。それぞれの理念のもとに、危険な兵器や――国の危機に、宗教的な理由などから対処する集団だ。それは、例えばゼスペリア教が大半を占める宗教院であれば、闇猫という集団となるし、前の前の時代から存在するという院系譜であれば、万象院の教えのもと武装僧侶となるし、華族であれば黒咲となる。尤もガチ勢の大半は、万象院の救済戸籍を取得しているので、武装僧侶を兼ねていたりもする。
今、世界には黙示録が迫っている――らしい。
というのは、黙示録を引き起こそうとしている、蒼い扇修道会という組織が存在するからだ。扇連中への対処の一環で、最近では各組織が協力する事もある。二人がお互いの正体に気づいたのも、その打ち合わせの最中だった。高砂はギルドだけではなく、全ての組織において、武力冠位を習得していて、相応の立場にいるのである。あまり知られてはいないが、万象院列院総代も高砂だ。匂宮は出自ゆえに。闇猫冠位は、折角だからと取りに行く事になった。当初はスパイも兼ねていたのだったりもする。
それらの組織を統括するようにまとめているのが、王室の猟犬と呼ばれる、王室直轄の武力組織だ。そして実際の所は、その招集に応えるために、日常の仕事を開けるべく、高砂はこちらに暇な研究室を作るとして最高学府を出たし、時東も医療院へと戻らないのである。
「見つかるのかなぁ」
高砂が呟いてから煙草を吸い込んだ。すると指に煙草を挟んだ時東が空を見上げる。
「黙示録の救世主であるゼスペリア十九世を探せ、か。使徒のサイコメモリックが言うんだから、どこかには存在するんだろうが」
サイコメモリックとは、石などに、ESPで人格などを記憶する術だ。今回は、王室の直径の祖先である、初代国王、使徒ラファエリアと、第十一と十二の使徒とされる、双子の義兄弟二名のサイコメモリックが、この指示を出している。双子の義兄弟は、黄色と紫――超視覚と超聴覚のOtherを持つ存在で、この色彩は、現在宰相をしている英刻院家と、華族時代の筆頭である美春宮家の者が受け継いでいる色彩だ。
「俺、思うんだけど、救世主を見つけなくても扇を潰せば良くない?」
「俺もそう思ってた」
目に見える脅威の排除の方がずっと簡単である。そんな事を話し合ってから、二人は王宮へと向かった。猟犬の会議のためである。