銀器を磨きながら、僕は視線を下ろした。
 お仕えするラピス様を、王立学院まで迎えに行くまでは、残り二時間。
 毎朝、起きて見回りを済ませた後と寝るまでの間も、僕はシルバーを拭いている。
 仕事が無い時は、大体の場合がそうだ。

 ラピス=ランブルフィア様は、ランブルフィア帝国の皇帝陛下の御子息である。御年十三歳。僕は昨年よりお仕えしている付き人だ。今年からラピス様は、このエストワール王国に留学なさると決まっていた為、家庭教師件世話役として、召し上げられた。皇帝陛下から直々に、ラピス様にお仕えするようにと、勅命を下されたのである。

 エストワール王国に、ラピス様の為に新しく用意された邸宅。
 僕もまた住み込みで、この館にて暮らしている。
 使用人は僕の他にはおらず、全ての家事も僕が行っている。

 エストワール王国は、大陸で最も学術知識が優れている魔導科学大国だ。純粋な魔力を礎とした魔術強国のランブルフィア帝国と比べると、差異も多い。僕がラピス様の付き人に選ばれた理由は、エストワール語も習得していたからだろう。

 この大陸には、エストワール語・ランブルフィア語・セノク語・大陸共通語・古代語が存在している。僕は一応、その全てを収めている。同様に魔術流派もいくつかあって、一般的な魔術は大陸共通だが、その他に、エストワール派・ランブルフィア派・セノク派・リーリドス派・古代魔術が存在する。いいや、それだけではない。近年、界渡りの魔術により、異世界人が訪れるようになったこの大陸には、異世界魔術と異世界語も存在するようになった。

 お迎えに出る時刻となった為、僕は邸宅の外に出た。
 秋に行われた入学式の後、現在は初冬。
 この国は雪が多いと聞いていたが、まだ今の所は初雪も降っていない。

 馬車の用意をする。御者はいない。魔術が馬を制御している。
 僕は後ろに乗り込み、外套の前を正した。

 エストワール王国の王都である、この街――マヒノス。
 王立学院は、王宮から南に進んだ通りに面している。
 馬車で進んでいくと、歩いている騎士達が見えた。本日は、王立学院で、騎士団が剣技を披露するという行事が行われていたはずだ。

 定位置で馬車を止め、扉から外に出る。校門から出てくる騎士達が見える。校庭にも、まだ大勢の騎士達が残っている様子だ。僕は講義が全て終わるまでの間は、校内にある使用人控え室で待つ事となる。

 一度長めに瞬きをしてから、僕は校門を抜けた。そして覚えている道の通り、まずは一度、校舎裏へと向かう事にする。離れにある東塔に、使用人控え室は存在するのだ。本日はその場にも、大勢の騎士がいる。

 真っ直ぐに進んでいた時、ガサリと枯葉を踏む音が聞こえた。
 それまで何の気配も感じなかった為、不思議に思って視線を向ける。
 すると葉を踏んだ人物もまた、僕を見ていた。

 非常に鋭い眼光をしている。腐葉土色の髪と瞳をしていて、僕を見ると小さく息を呑んでいた。

「?」

 視線の意味が分からないが、立ち止まる理由も無い。僕はその人物が、エストワール王国第二騎士団の正装姿である事だけを記憶した。彫りの深い顔立ちをしていて、背が高く肩幅が広い。しかし僕の記憶の中には無い顔である。

 そのまま進み、僕は東塔に入った。
 そして控え室がある一階の奥に進む。半分ほど開いていた扉を軽く押して中に入ると、それまで外にまで漏れていた笑い声が止んだ。既に来ていた使用人達は、僕を見ると言葉を止め、笑顔を消したのである。

 僕は彼らに遠巻きにされている。
 理由は三つだ。
 一つは、僕自身に、人付き合いをする能力が備わっていないという大前提だろう。
 どんな理由をつけようとも、これを除外する事は不可能だ。
 別段、人付き合いが嫌いなわけではない。だが、話しかけられない時に、率先して自分から話しかけるほどのコミュニケーション能力も持ち合わせてはいない。作り笑いでも浮かべたら良いのかもしれないが、基本的に僕は笑う事も少ない。僕にとっては、この待機時間であっても仕事中であるから、勤務中にヘラヘラ笑っている気分にもならない。

 二つ目の理由は、エストワール王国とランブルフィア帝国の関係だ。
 二十年ほど前に終結したのだが、両国は戦争をしていた。
 最終的には、勝敗がつかないままで和平交渉がなされたが、現在もなお、敵国であるという認識があるらしい。そもそものラピス様の留学も、現在では友好国であるというアピールのために決定されたという側面もある。

 三つ目は、そのラピス様自身が、この学園で孤立しておられるからだ。僕よりもずっと厳しい立場にあるのだろう。ラピス様は僕以上に、笑わず、無口であり――そして気性が荒い。しかしお立場があるから、学院の教員もあまり強くは注意しない様子である。率直に言って、ラピス様は嫌われている。僕はその保護者という側面から、周囲の付き人達に目の敵にされている。僕もまた、ラピス様を注意する事は無い。

 そのまま沈黙が続く控え室で、僕は離れた席に一人で座り、腕を組んで俯きがちにしていた。周囲は、ヒソヒソと声を潜めて会話を再開した。僕には聞こえないように囁きあっている。これがいつもの光景だ。

 鐘が鳴るまでその状態が続き、漸く講義終了の合図が響いた。
 僕は周囲と距離を取りながら控え室を出て、再び外に出た。

「ッ」

 すると、再び息を呑む気配がした。見れば先程の騎士が、まだそこにいた。じっくりと僕を見ている。射抜かれるような眼差しに、足を止めようか悩んだ。さすがにこうも見られると、怪訝に思ってしまう。

「ガイス団長!」

 その時、騎士に、他の騎士が声をかけた。二人は同じ正装姿である。

「最後に学院長先生がもう一度お話したいそうですよ!」
「そうか」

 やり取りを始めた二人を見て、僕は小さく首を傾げたが、そのまま歩く事にした。気のせいだったとは思わないが、ガイス団長と呼ばれた青年の視線は既に僕から逸れている。気を取り直して、僕は改めて生徒玄関へと向かった。それは他の使用人達や付き人と同様である。暫し立っていると、ラピス様が現れた。

「持て」

 ラピス様はそう言うと、僕に鞄を投げるように渡した。小柄で華奢なラピス様は、僕を見上げると、不機嫌そうな顔をした。

「御意」

 受け取り、歩き出したラピス様の後ろに並ぶ。ラピス様の銀色の髪が揺れている。まるで人形のように端正で可憐なラピス様の姿を見た時、最初僕は人間か疑った。しかし今では慣れたものである。この世界の人びとは、異世界人を見た時、無性に美しく感じるというが、過去、僕が見た事のある人物の中で最も美しい存在は、まごう事なきこの世界の人物であるラピス様で間違いないだろう。

 ラピス様は、第三皇子殿下である為、同性婚が盛んなこの大陸においては、政略結婚としても――それに限らず容姿からの訴求力という側面でも、望まれる事が多い。二次性徴を迎えていない時点でこうである。将来的には、どのように成長されるのか、帝国からの期待は大きい。

 馬車の扉を開けて、ラピス様を中へとお連れする。その後、僕は魔術で馬車を走らせた。