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 遠雷。
 蝉時雨。
 あからさまな残暑に、嫌気がさす。それよりも嫌気がさすのは、気持ちを伝えられない自分の臆病さ。

 いつから気になっていたのかと言われたならば、それは――気がついたらとしか言えない。自然と、呼吸をするように、いつの間にか惚れていた。

 笥鷹周(すだかあまね)は、煙草のフィルターを弄びながら、深々と溜息をついた。窓枠に切り取られた夏が、早く告白して撃砕しろと迫り来るようで鬱陶しい。

 もう一方の手に持つスマホでは、アプリのRPGをしている。親指で移動操作をしながら、次の敵の元へと向かっている最中だ。それからチラリと、正面にあるPCを見る。攻略サイトをブラウザでは表示しているが、一番大きく表示しているのは通話画面だ。

 最近、周は、ゲームをしながら通話をしている。相手は、一緒にギルドを作った友人だ。未だ、友人だ。そして今後も一生友人かもしれない相手だ。なにせ同性である。上辺でどのように報道されようと、同性間の恋愛への抵抗感は、根強いものだろうと、周は考えている。

 そもそも周は、己が男を好きになる日が来るとは、考えてもいなかった。過去には彼女もいた。同性だからというよりも、『ソイツ』だから好きであるというのが正確だ。

『今日は何してたんだ?』

 PC画面から響いてくる通話の声で、周は我に返った。
 ――お前の事を考えてたよ、と。喉まで出かかって、声が閊える。

『寝てたよ』

 嘘では、ない。周の仕事は在宅で、時間を問わない為、つい不規則で自堕落な睡眠を貪る事が多い。そこを行くと、通話相手である、慎長馨(まきながかおる)はまっとうだ。現在夏休みを謳歌中の大学生であると、周は聞いていた。本名を知るくらいの仲ではある。年の差は二歳。周は、大学在学中から仕事をしていて、卒業した現在、二十三歳にして独立している。馨は二十一歳の大学三年生だ。お互い気楽な話し方をしているのは、周側の頼みからだ。ゲームキャラの名前でなく、本名で呼び合う事を希望したのも周だ。馨は全て、快く受け入れてくれた。

『なぁなぁ周』
「んー?」
『それで、いつ飲みに行けるんだよ?』

 その言葉に、無意識に周は、深々と煙草を吸い込んだ。硬直しそうになる体を必死で抑える。実は馨は、周の近所に住んでいる。駅が二つ隣だ。会おうと思えばいつでも会える――だから飲みに行こうと誘ってきたのは、馨である。しかし顔を合わせたら、もう想いは抑えきれないだろうと、周はこれまで、それとなく交わしてきた。だが、そろそろ限界だ。

「……いつでも良いよ」
『じゃ、今日は?』
「急じゃね?」
『思い立ったが吉日! 即吉日!』
「……」
『お前の駅の近くに、俺の大学の奴がバイトしてる店があるんだって。すげぇ良いとこでさ。絶対周を連れて行きたいんだ。確実に気に入るし、お勧め!』
「……何時?」

 思えばギルドを作った時も、このように馨がいきなり言い出したのだったなと、周は懐かしく思った。

『今から家、出られるから、七時にはお前のとこの駅つくぞ』
「じゃ、七時に駅いくわ」

 通話中には画像や映像を交換もしているから、会えば分かる自信が周にはあった。

『楽しみ。よし、じゃ、ログアウトするわ』

 こうして、周は馨と待ち合わせをした。自分の臆病さに怯えながら。


 ――六時半から、駅で待つこと三十分。
 実に気楽な様子で、馨が訪れた。

「よ。初めまして、か、一応。周! 生周!」
「テンション高いな……」
「お前は低すぎ。なになに、実物の俺を見て、引いた? 萎えた? えー」
「馨が写真をアプリで加工していた事については、特に何も言わない」
「ダメ?」
「いや、外見とかどうでもいいけど」

 なにせ、惚れたのは、中身だ。一生懸命に、レベル上げをしたり、ギルメンの面倒を見たりする姿に惹かれていき――最終的には、通話から知る私生活の話題や雑談から、人柄に惚れ込んでしまっている。

「なにこの出会い厨っぽいやりとり」
「周好き」
「黙れよ」

 心臓に悪い事を言われて、周は片目を細めた。表情筋を保つのに必死だ。
 明るい髪色の馨を、改めて見る。いかにも大学生といった雰囲気だ。一方の周は、仕事もあって、黒い髪を維持している。ただ、こちらも社会人風とは言えない。傍から見ると、どういった繋がりなのか、不明瞭な二人組だろうなと、周は自分達に対して考えた。

「だって周のアバター可愛いしな」
「現物が男で悪かったな。誓って女の子のをフリをした覚えはないけど」
「そ、だなぁ。それでも俺は、周が好きだぞ!」
「だから黙れって。馨、何人のネカマに騙されてきたんだ?」
「俺は周一筋だから、騙された事ないけど?」

 やはり心臓に悪い冗談を、馨は口にする――だから、周はいつも辛い。冗談だと分かるからこそ、胸が痛い。

「よし、行こう。『酔いどれ』って店なんだ」
「へぇ」
「知ってるか?」
「知らね。俺、一人では飲みに行かないから」

 飲む時間があるならば、ゲームにログインして、馨に会う方が良い。それが周の本心だった。それよりも、いざ対面した結果、想像よりは緊張感が少ない事に安堵していた。通話の効果とは、偉大だと思う。

 二人で歩き出す。馨の方が背が高いため、時に周は見上げた。さぞかしモテるのだろうなと思ったが、彼女がいないらしいという個人情報も思い出す。

 その後、雑談をしながら少し歩き、路地を進み、目的地の居酒屋についた。赤提灯が目を引く創作居酒屋だった。チェーン店にすらあまり行った事のない周は、暖簾を潜りながら、物珍しい気持ちになる。

「あ、慎長。お疲れ」
「よ、上野。バイト先のここが美味いっていうのがデマだったら、お前の全オゴな」
「安心しろって――で、えっと……こちらの方が……?」
「そそ。俺の大切な人」

 知り合いらしい二人のやり取りを聞いて、周は目を細めた。理由は二つだ。親しそうなリア友を目撃してしまい、自分もまた一介の友人なのだと強く認識させられた心地になったのが一つ。もう一つは、『大切な人』などという不穏な言葉だ。

「あ、こちらの席へどうぞ」

 何か言おうとした時、明るく元気な笑顔を浮かべた、バイトの上野に促されて、周は声を飲み込んだ。そのままテーブル席へと通される。店内はそこそこ混雑していた。大人しく席に着くと、すぐに上野がおしぼりや箸を持ってきた。お通しが置かれたのを見て、上野が去ってから、周はチラリと馨を見た。

「大切な人って紹介、なんだよ……」
「だって、大切なサブマスだし? 他に言い方なんかあるか?」
「お前リアルでもゲームの話とかしてんの?」
「しちゃダメ?」
「……いや、ダメってことは無いだろうけど、周囲に理解あんの?」
「俺、上野には、お前の話してるぞ? 周が好きだっていつも言ってるからな」

 それを聞いて、周は頭痛がした。どうしてこんなに心臓に悪いことばかりいうのかと、小一時間は問いただしたい。馨の事が好きになってから、どんどん、通常の男同士のノリがどんなものだったかを、周は忘れていく。

「生お持ちいたしました」

 そこへ上野が、生ビールの中ジョッキを二つ持って訪れた。軽く礼をして、広げたおしぼりの上に、受け取ったジョッキを周は置く。馨は手にしたままだ。

「乾杯」
「ああ」

 頷いて周もジョッキを手に持つ。重なった時小さく響いた音だけで、今、この瞬間、現実で一緒にいるんだなぁと認識して、周は嬉しくなった。上野という店員と馨ほどではないだろうが、自分達は近しくなれたのではないかと、周は舞い上がる。

「俺はさ、狙った獲物は逃さないんだ」
「知ってるよ。馨は、モブ狩りもボス狩りも容赦ないからなぁ」
「ゲームの話じゃねぇし。おいおいおい」
「へ?」
「俺、お前の事が好きだから会いたいって、ずっと言ってきたじゃん?」
「ああ、そうだねぇ」
「好きだぞ、周の事が」
「どうも」

 微苦笑しながら周は吹き出した。自分とでは好きの種類が違うはずだと、強く感じながら。しかしその時、馨がスッと目を細めた。

「そろそろ濁すのやめてくれ」
「ん?」
「俺はお前が好きなの。伝わってないのか?」
「伝わってるって、十分」
「じゃ、答えは?」
「何お前俺の彼女か?」
「――彼氏になりたい」

 どこか低く響いた冷たい馨の声に、周は時が止まった錯覚に陥った。空耳かと考えた。だが、真剣で強い馨の視線に射竦められる。無意識に、ポケットから煙草のボックスを取り出して、一本抜き取る。続いてオイルライターを手にしてから、視線を下げた。とりあえず目を逃した。灰皿を探すふり、無言ではなく煙草を吸うための沈黙、そんな演出を、細心の注意を払って行う。

「おい」
「あ、煙草吸っても良い?」
「それは良いけど、違う。答えは?」
「え?」

 フィルターを人差し指と中指の間に挟んで、恐る恐る周は顔を上げた。そこには真剣なままの馨の顔がある。冷や汗がこみ上げてきて、周は狼狽えた。一瞬、自分の気持ちが露見していて、揶揄されているのかとも考えたが、この表情が演技なら俳優になれると考えてしまうほどに、馨が真剣であるように周には見えた。

「男は無理か?」
「え、いや、あの……」

 告白するのは、自分の予定だった。そして失恋すると想定していた。だから周は困惑するしかない。煙草の煙を吸い込みながら、現実認識が上手く出来なくなっていく。誤魔化すようにジョッキを傾けた時、馨が溜息をつきながら、メニューを見た。

「とりあえず、頼む?」
「あ、ああ」
「上野にお任せ持ってきてもらっていいか?」
「お、おう。俺が払うし、好きにしてくれていいよ」
「いや割り勘でいこう。俺貧乏だけど出すし。周とは対等でいたい」
「……」

 推す想定しかしていなかった為、周は焦りながら頷いた。まさか、好きな相手からこられるとは考えてもいなかった。この場合、一体どうすれば良いというのか。悩みあぐねいて、周は小さく震える。夢かと考えてしまう。

 再びやってきた上野に、馨が注文をするのを見守っている間だけが、周に与えられた考える時間だった。

「答え。早く」
「……好きって、あ、あの……か、彼氏? それは、その……そういう意味?」
「そういう意味って、どういう意味――かといえば、つまりは、同性愛って意味かって事か?」
「あ、ああ」
「そうなるな。周、焦りすぎ」
「いやだって……お前、それでいいのか? 俺でいいの? なんで? 俺のどこが好きなんだよ?」

 必死で周が声を絞り出すと、短く馨が吹き出した。

「そういう所も全部好き」
「それじゃあ分からないよ」
「だからさ、ずっと一緒に話してて、空気感っていうのか? 周の全部が好きなんだよ」
「……」
「今の所、な。これからリアルで付き合ったら、嫌いな部分も出てくるかもしれないけど、俺はそれすらも嬉しい。だって生の周がそばにいるって事になるからな」
「付き合うって、それは……」
「恋人として。嫌か?」
「……」

 馨は、押しが強い。即決型だ。少なくともゲーム中はそうだった。しかしこのような展開は想定外すぎて、周はどう対応して良いのか分からなくなった。

 これまで、散々、いかにして告白するか考えてきたが、振られる未来しか想像してこなかったので、その後の付き合うといった――恋人になるといった場面が上手く想い描けない。

「嫌じゃないよな?」
「……え?」
「だって、話してたら分かるし。お前も、俺の事好きだろ?」
「っ」

 思わず周は息を飲んだ。図星すぎて、頬が熱くなってくる。

「伝わって来るもん、愛が」
「な、何言って……っていうより、お、おい、こんな店の中で、誰が聴いてるか……」
「何か問題あるのか?」
「え」

 唖然としながら、ジョッキを持ったままで、周は硬直した。

「俺は周との付き合いは誰にでも言える自信あるし――あ、仕事に差し支えたりする?」
「いや、そういうのは問題ないけど……」
「じゃあいいじゃん」
「何が? お前、上野くんに聞かれたら、大学で何言われるか分からないだろうが!」
「だから上野にはもう言ってある。今日口説き落とすと宣言してある!」
「は?」

 満面の笑みの馨を見て、周は呆然とした。しかし、段々冗談ではないらしいと感じ始めて、今度は緊張が強くなってくる。だから勢いよくビールを飲み干してから、煙草の火を消した。

「本当に……俺でいいの?」
「周がいいの!」
「付き合うって、何するの?」
「そりゃあエロス込みで俺は想定してるけど?」

 生々しい言葉に、周は赤面した。その反応を見て、気をよくしたように馨もまたビールを飲み干す。二人揃って二杯目を頼む事にした。すると続いて訪れた店員は、眼鏡をかけた七海という店員だった。どこか気怠そうだが、人の良さそうな笑顔で注文をとっていく。それを周が見送っていると、馨が言った。

「上野も、さ。恋をしているらしい」
「へぇ」
「けど、失恋したらしい」
「ほう」
「今の人に」
「え?」
「七海さんっていう今の人。上野、好きだったらしいけど、七海さんは、他に好きな人がいるらしい」
「へ、へぇ……お、男同士、だな……」
「おう。好きになったら性別なんか無関係っていうのが、俺と上野の共通見解」

 それは周も同じ気持ちだったが、大学でそういう話を二人がしていると思うと、自分とは価値観が違う部分が結構ありそうだなと感じてしまう。周は自由な職業であるが、比較的常識人でもある。一般的なニュアンスの常識だ。古い固定観念の持ち主と評しても良いのかもしれない。

「とりあえず、今日は飲もう」
「ああ。あれ、馨、焼酎が好きだって言ってなかったっけ?」
「最初三杯はビールなんだよ」
「は? どれだけ呑むつもりだよ?」
「ん? 安心してくれ。勃たなくなるほどは呑まない」
「な」
「俺、ずっとリアルで会いたいと思ってたけど――会ったら紳士ぶろうと思ってたのに、止まらなくなった。周が欲しすぎる」
「欲しいって……」
「ヤりたい」

 露骨な言葉に、周はギュッと目を閉じた。馨は性急すぎる。回答を周が探していると、今度は瀬尾という店員が、ビールを運んできた。それを受け取ってすぐ、七海が料理を運んでくる。再び与えられた答えを考える時間に、周は安堵した。しかし答えは見つからない。追いかける想定しかしていなかった所に舞い込んだ幸せが怖い。

 同時に不安になる。もし体の関係を断ったら、この話は無しになってしまうのだろうか……と。周だって肉欲はあった。これまでに馨で抜いた事もある。しかしながら、今、急に体を重ねる話をされても戸惑いばかりが浮かんでくる。

「俺、既成事実は作るほうだから。もう絶対周の事は逃がしません」
「怖いわ」
「何とでもいえ」

 届いたネギマを手に取りながら、馨が笑う。周は、カシラを箸で串から抜きながら俯いた。頬が相変わらず熱いが、これは酔いのせいではない。

「――なぁ、周。俺、結構勇気出して誘ってるの分かる?」
「いや。すごく軽く見える」
「おい」
「だって……いや、あの……」
「軽いノリで言ってない。軽い口調で言ってるだけ」
「重く真剣な口調にできるの?」
「出来なくはない」

 いつも二人は、通話時もこのようなノリで話をしていた。だからなのか、空気自体には、周は緊張しない。やはり、馨の存在は、己にとっての酸素のようだと感じる。無ければ死んでしまうが、あるのが自然な存在だ。

「食べ終わったら、家、行っても良い?」
「え、ダメ」
「なんでだよ。周の家、近いだろ?」
「お前体目的?」
「体も目的」
「……いや、けど、俺……体に自信ないしな」
「女子かよ」
「見ればわかるだろ、ついてるわ!」
「確かにもう少し、筋肉つけてもいいかもな。細すぎ。笑う」
「笑うな。馨は、思ったより背が高いな」
「チン長もまぁまぁよ?」
「あ、そう」
「笑えよ。笑ってくれよ」

 その言葉に、周がふるふると首を振る。

「俺、ガチな話の最中で、ド緊張してる時に、笑えないタイプ」
「真剣に考えてくれていて嬉しいです。そういう所も好きです」

 冗談めかした敬語で、そう口にすると、馨が微笑した。



 ◆◇◆



「あの二人、はっきりしてるな」

 瀬尾吉平が厨房の奥から、馨と周の席を一瞥した時、その隣で七海が振り返った。

「二人? どれ?」

 店内には、本日も愛が溢れている為、七海は一瞬では把握出来なかった。

「短かった」

 そこへシンさんが呟いた。手にはお造りの皿を持っている。受け取りながら、瀬尾が頷いた。

「両片想いが、席に着いた瞬間解決して、片方戸惑ってますもんね。やべー」

 それを耳にして、七海が腕を組んだ。本日は、別の客の席ばかり見ていた為、全然聞いていなかったからだ。そこで視線を向けた瞬間、声が聴こえた。

『七海さんっていう今の人。上野、好きだったらしいけど、七海さんは、他に好きな人がいるらしい』

 七海は瞬間的に噎せた。すると瀬尾とシンさんの視線が七海に集中した。

「え。マジ?」

 瀬尾の声に、七海は深々と息を吐く。

「それ、上野の勘違い」
「振ってないって事か?」
「いや、そこはその……まず、告られてないから」
「は?」
「追求しない。それより八番さんの所、芋じゃなくて麦」
「え、俺今芋を――お、おっふ、麦持ってた」
「瓶間違えるな」
「七海は話変えるな。で? 好きな奴いるっていうのは本当なのか?」

 余裕たっぷりに、楽しそうに瀬尾が問うと、真顔で七海が言った。

「お前」
「――へ?」
「瀬尾」
「は?」
「って言ったらどうするんだよ?」
「ど、どうって……は?」
「嘘だ。早く持ってけば?」
「な……――俺の純情を弄ぶな!」
「瀬尾に純情とかあったの?」
「あのな。ちょっと後で話そう。じっくり話そう。殴っていいよな?」
「早くいけって」

 七海がそう言った時、丁度バイト終わりで、着替えに行っていた上野が戻ってきた。

「上野」
「はい! あ、七海さん、今日家行っても良いですか?」
「いやダメ」
「えー」
「お前は今日は、瀬尾とじっくり話すと良い」
「何をすか?」
「話せば分かる」
「?」
「あそこの席のお前の友達、俺と瀬尾の事、逆だと思ってたみたいだ」

 あえてシンさんに聞こえる声で、七海は言った。上野が瀬尾を好きだというのは、心にしまっておく。確信しているが、本人から直接聞いたわけではないからだ。

 このようにして、地味に、『酔いどれ』の店員達も、恋のムードに巻き込まれていくのかもしれない。しかしそれは、また別のお話だ。なお、ただの誤解の可能性も非常に高い。

 シンさんは、何も言わなかった。



 ◆◇◆



 ――夜、十時二十分。
 周は、緊張しながら、馨を迎え入れた家で、シャワーから出た。念入りに体を洗ってしまったのは、仕方がない事だろう。先にシャワーを借りていた馨は、実に何気ない様子で、周の寝台に座っている。周は、その時、馨が手に持っている箱を見て、硬直した。

 ゴムの箱――ベッドサイドには、この部屋には存在しなかったはずのローションのボトルがある。

「ほ、本当にするの?」
「嫌か? 俺、もう無理。待てない」

 そう言うと、馨が立ち上がった。そして、周を抱きしめた。その力強い腕の感触に、瞬時に周は赤面し、キツく目を閉じる。そうして震えていると、馨が掠め取るように周の唇を奪った。触れるだけのキスだった。

「もっとしていい?」
「ダメだって言う権利はあるのか?」
「周は俺を欲しくないの?」
「っ」
「ああ、もう、その顔反則。蕩けてる」

 実際――周も期待していないわけでは無かった。夢にまで見た、ありえないはずだった状況だ。だから今度は、勇気を出して、自分から唇を重ねる。

 今度は二人で深い口付けをした。互の舌を絡め合い、相手の体温を求める。

 舌を甘く噛まれた時、ゾクリとした感覚が体を走り抜け、周は息を詰めた。そうしていると、周が着ていたTシャツの下に、馨が手を忍び込ませる。そして服を脱がせると、唇で右胸の突起を挟んだ。

 そしてチロチロと乳頭を舌先で刺激する。するとジワジワと体が熱くなり始めて、周は瞳を潤ませた。馨の舌の温度が、思いの外熱く感じる。

 そのまま馨は、周の下衣の中に手を入れて、陰茎を優しく撫で上げた。既に反応を見せていた周の陰茎は、その刺激にだけでもより反応を見せる。なにせ、好きな相手に触れられているのだ。そんな現実だけでも達してしまいそうで怖くなる。

「ベッド行こ」
「あ、ああ」

 馨の誘いに周は、反射的に頷いた。こうして二人は移動し、すぐに周は完全に服を脱がされた。その直後、馨も服を脱ぐと、抱きしめるようにしてから周を押し倒す。そして今度は左胸に吸い付いた。

「ぁ」
「こっちの方が好きそう」
「う、うるさ――ン」

 右手では周の陰茎を握り、擦りながら、馨が愛撫を続ける。そうされる内に、すぐに周のものはガチガチになった。先走りの液が零れはじめた頃、周の下腹部に馨の陰茎が当たった。

「俺も、そ、その――するから」
「周にもして欲しいけど、今日はいい。お前に触ってるだけで勃った」
「え、あ」
「分かるだろ? 当たってるし」
「……っ」

 羞恥に駆られて周が言葉を失った時、馨がローションのボトルを手繰りよせた。そして紫色のボトルから、たらりと液体を手にまぶすと、周の太ももを持ち上げる。それから優しく後孔に指で触れた。

 その刺激に緊張して、ギュッと周が目を閉じる。繊細な睫毛が震えている。
 ゆっくりと周の中に、馨が人差し指を挿入した。
 それを進めてから、周を気遣うように、静かに言った。

「痛いか?」
「平気だ、だから、あの」
「あの?」
「早く」
「っ、煽る系?」
「え、いや、だ、だって……あ!」

 その時、馨が意地悪く指を動かした。すると指先が前立腺を掠めた為、周は嬌声を上げた。自分でも驚く程大きな声が出たため、咄嗟に手で口を抑える。

「もっと声聞きたい」
「ヤ、あ、ァ!」
「ここ、好きなんだ? 覚えた」

 馨はそう言うと、前立腺を規則正しく刺激する。その度に、ジンジンと見知らぬ快楽が全身に広がって行き、周は身悶えた。そうして、馨が二本目、三本目と指を挿入する。そしてそれぞれの指先を折り曲げるように動かし、少しずつ周の中を広げていく。

「や、やぁ、も、もう……ッ、っぅァ」

 時折前立腺を刺激されるものの、焦らすように指先をバラバラに動かされる内に、周は気づくと哀願していた。もっと、欲しかった。馨が欲しいという強い情欲が脳裏を埋め尽くしていく。

「挿れるぞ」

 ゴムをつけてから、馨が笑み混じりに言った。余裕が見える口調だったが、額には汗が浮かんでいる。

「ンあ――! あ、ああああ!」

 挿ってきた巨大な熱に、周は目を見開いた。指とは全く異なる質量に、背をしならせる。思わず両腕を馨の体へと回した。進んでくる熱に触れ合っている内部が、熔けていくように感じる。

「うあ、あ、ああああ」

 巨大な先端で、先ほど見つけ出された前立腺を擦るように突き上げられた瞬間、馨は果てた。しかし馨は動きを止めず、最奥まで貫く。

「や、待って」
「うん、いいぞ」
「あ、あ、ああ」

 根元まで突き入れられて、再び周の体は熱を持ち始める。すると今度は逆に、動きを止めた馨に対して、もどかしいという思いが強くなり始める。動いて欲しい。しかし恥ずかしくて、自分からは言えない。そもそも待ってと頼んだのは己だ。

「ぁ……ャぁ……」

 涙声になりながら、周は震えた。すると気をよくしたように馨が喉で笑う。

「いつも周は、欲しいものを欲しいって言えないし、アイテムとかも人にあげちゃうのな。本当は自分が欲しくても」
「な」

 今は、ゲームの話などしている余裕はない。だというのに、荒い吐息をしてこそいるものの、馨は楽しそうだ。

「俺は違う。我慢できないよ」
「うあああああ!」

 その時、激しい抽挿が始まった。皮膚と皮膚が奏でる音が響き、ローションが立てる水音が室内を犯していく。グチュリと結合部分から聞こえてくる音に、周は羞恥から涙をこぼした。馨の動きはどんどん激しくなっていく。

「いやあああ、そ、そこ、やだ、やめ」
「結腸」
「ン、あ、あ、あああ、だめだ、や、やだ、あ、また出る」
「出していいよ」
「うあ、も、もう、ああああア!」

 二度も連続で果てた事など無かった為、周は頭が真っ白になった。それだけではなく、内部だけで、何か達したような感覚が全身に響いていた。

「いやああああ!」

 ぐっと突き上げられたかと思えば、激しく刺激され、緩急のある動作に、周は翻弄され、わけがわからなくなっていく。お酒で我を失った事はないが、この濃密な体の繋がりでは、理性などすぐに飛んでしまった。

「もう、あ、できな、あ、イく、あ、ダメだ、もう出ない、やア!」
「好いの間違いだろ?」
「ん――ッ!」
「好きだ、周」
「ッ、俺も――あ、ああ、ダメ、ダメだ、気持ち良すぎて、もう、うああああ」

 快楽から、ボロボロと周は泣いた。
 こうしてこの夜、馨は存分に周を貪り、自分の存在を周に刻みつけた。


 ◆◇◆

「俺とお前が飲むって新しいな」
「新しいっすかね? 俺、瀬尾さんと呑むのも好きだけどなぁ」
「『も』?」
「はい?」

 その頃、瀬尾と上野は、珍しく飲みに出かけていた。七海の命令に、上野は忠実だ。

「あ……その、お前って、七海に振られたんだっけ?」
「は?」
「あれ?」
「え?」
「違うのか?」
「……告った記憶ないですけど……誰がそんな事を?」
「今日来てたお前の友達」
「あー……あれは、あいつが恋愛脳だから、俺の敬愛を勘違いしちゃってるんです」
「敬愛ねぇ」

 二人はそれからハイボールを頼み、以降は、ただの雑談をして解散した。



 ◆◇◆


 瀬尾達が朝まで飲み、帰路についた頃――周は、目を開けた。
 いつ意識を飛ばしたのか記憶に無かった。隣には、馨が寝転がっている。
 手にはスマホがある。

「既成事実作ったってギルチャに書こうかな」
「やめろ」

 そんなやり取りをしながら、重い体を引きずって、周もスマホを手にし、ログインして、ログインボーナスを入手する。すると二人だけがインしているギルドのチャットで、馨が発言した。

『おはよ』
『おう』

 周もチャットを返すと、今度は、二人にしか見えない個別チャットで、馨が言った。

『愛してるよ?』
『言ってろ!』

 隣にいるというのに、チャットの会話というのも不可思議だ。そう思いながら、周が馨を見ると、馨が優しく笑った。

「これから、よろしくな。これからも、か」
「あ、ああ……」
「いっぱい色んな所行こうな。今度は、現実で」
「――ああ。ゲームでも新マップ行きたいけどな」
「任せとけ」

 こうして、二人の新たな関係が始まった。酒ではなく、互いに呑まれてしまった二人の、両片想い時代のお話はこれで終わりだ。何も呑まれるものは、酒にだけとは限らないらしい。周には、馨しかいなかったようだった。




【終】