華族な高砂と朱匂宮のゼクス



「高砂、これはめったにないチャンスなのですよ」

 唐突に最高学府から呼び戻された高砂は、叔父の金朱匂宮の声に曖昧に頷いた。明らかに面倒だと思っている、覇気のない気怠そうな顔だ。だが、高砂家の更なる発展と権力にしか興味がない金朱は、別段高砂の態度など気にしない。

 高砂中宮家というのは、華族だ。
 貴族と華族と平民が暮らすこの王国において、高砂家は、華族敷地に本邸がある。現在は、高砂が万象院列院の総代や、ゼスペリア教の枢機卿も賜ったため、華族の中で高砂家の存在感は大きい。高砂本人も、国一番の教育機関である最高学府の教授をしているエリートだ。しかしながら――華族は、歴史の古さや位の高さを非常に気にする。高砂家に唯一ないもの、それが、位だった。一度高砂家は断絶しているらしいのだ。そのため、匂宮配下五家という位置づけであるのだが、新参扱いされる。

 そこに舞い込んできたのが、匂宮本家の高貴な人物への種付けの話だった。

 匂宮家というのは、美晴宮家、橘宮家と並ぶ、神の末裔家であり、華族の頂点に位置している家柄である。高貴中の高貴だり、中でも匂宮家は名前を耳にするのも尊いとされている。だが、噂話によれば、没落した他の華族家同様、金回りは悪いらしい。その点は、高砂家が秀でているから、その面でも逆に、多くの華族のやっかみを買っていると言える。

 この王国に、女性が生まれなくなって、早三百有余年。
 子は、医療院のPSY融合科学による人口術で生まれる。
 男同士で子を成すのだが、必要なのは性行為だ。だが、腹を痛めるわけではない。
 性行為が必要なのは、平民は快楽意図、華族のようなPSYの持ち主は、その血統ごとに遺伝するPSYが、性交渉により混じり、子供の核が出来るから、それを成すためだ。

 つまり、高貴な匂宮血統の持ち主を孕ませる種馬に、高砂は選ばれたということである。知能や、高砂自身のPSY色相などが理由だ。PSYは、色により、能力が判別できるのだが、高砂家は、綺麗な橙色から黄緑色に変化するPSY-Otherを持っている。Otherは左側の半円、右の半円はさらに扇形に区切られ、上がESPとして緑系統、下がPKとして赤系統の色で表示される。このOther部分は、多くの人間が非分類なのだが、高砂家のような華族は、特別な色を持つ。高砂家は匂宮の配下家であるから、匂宮の色相とは親和性が高いため、今回爵位が少し低いが選ばれたのだろう。

 勿論、高砂以外の候補もいるはずだ。よって誰が父親になるかも不明だ。高貴な相手というのが誰なのかも不明だ。自分が何番目に子種を注ぐのかも不明である。

 高砂はこの時、二十二歳だった。相応に権力欲もあったが、さほど子供には興味がなかった。とはいえ、選ばれただけでも名誉なこととされるので、その日を迎えた。


 簀子の周囲は、暗い。屏風があり、白い布団と赤い着物が見えた。
 通されるまでは仕える人々がいたが、閨には高貴だという青年がひとりでいるだけだと、最初から聞いていた。珍しく正装して、薄い橙色の狩衣を着ていた高砂は、一応膝をつき、神の末裔にご挨拶しようと決めた。あちらも望んで抱かれるわけではないはずだからだ。

「入ってくれ」

 流麗な声に、中へと入り、高砂は小さく息を飲んだ。
 艷やかな黒い髪、色気ある青い瞳――匂宮家には赤い目が多いから、普段の高砂ならば疑問に思っただろうが、あまりにも清艶な美に目が釘付けになり、声は出ず、一時的に思考は止まった。白磁の頬、影を落とす長いまつげ、まるで彫刻のような美青年が、赤い打掛をはおり、座っていた。中の白い襦袢の合間に覗く首筋に、すぐにでも貪り付き、紅い痕を残したくなる。鎖骨を撫でてみたかった。しかし緩慢にまばたきをする目が放つ高貴な気配と薄い唇を見ると、何故なのか恐れ多くてそれができない。

 少しずつ理性を取り戻し、高砂もまたゆっくりと目を伏せるように瞬きをした。
 匂宮血統というのは、身体表現性天才という天賦の才能の持ち主が多い。眼差しひとつ、しぐさ一つ、なにより声により、見えないPSY知覚情報を発するから、このように惹きつけられるのだ。そう、理解していたのだが、感情や欲望と、それは乖離していた。

 また、高砂は信じられない思いで、青年を見ていた。
 互いに名乗ることは禁じられていたが、高砂は聞かずとも相手が誰か理解した。
 ――朱匂宮本人だった。
 華族の中で最も高貴な人物である。華族の頂点は、華族を治める美晴宮家だが、その美晴宮家に治世を許したのは、匂宮家であり、今も格は匂宮家が一番上だ。その中でも最も当主である朱匂宮は、本来人前には姿を現さない。視界に入れることも恐れ多い存在だ。

 だが、高砂は過去に三度、朱匂宮を目にしたことがあった。
 一度目は幼少時、その声に惹きつけられ、思わず見に出かけてしまったのである。
 本人と一度目があった時は死を覚悟したが、彼は目をそらしたし、高砂もなに食わぬ顔で帰宅した。二度目は、匂宮家の宴である。配下家も全て呼ばれた。その際一度だけ見た朱匂宮の舞は、今も心に焼き付いている。三度目は――数年前に、朱匂宮の邸宅が襲撃され、見舞いに出向いた時である。その時に、風の噂で朱匂宮が足を痛めたと聞いた。もう舞うことができないのだと、華族の多くは嘲笑していたが、高砂は残念でならなかった。

 ――何故?

 そう思った。このように高貴な人物であれば、普通は見合いをして、婚姻を結ぶ。華族には恋愛結婚は存在しない。恋をした場合も、見合いで仕切り直す。通常、子を宿す側は、十五から十七歳までには婚姻する。高砂は産む気がないため、二十三から五が適齢期だ。まだ余裕があった。しかし記憶が正しければ、朱匂宮は高砂の二つ下であるから、二十歳である。

 部屋を静かに見渡す。杖があった。襲撃は、そういえば朱匂宮の適齢期であっただろうし、仮に今も後遺症があるとすれば、婚姻には支障があったはずだ。何より、舞こそが匂宮家が尊ばれる理由であるから、それが不可能であるならば、婚姻は難しいのかもしれない。つらつらとそう考えながら、高砂は座った。肩に手を、半ば無意識に置いた。すると、朱匂宮が震えている事に気がついた。嫌ならば、逃がしてやろると思ってしまう。誰もいないのだから、体を重ねなくても気づかれない。

「……――悪いな、年嵩で」
「子供には興味がないので」

 震える声で口にした朱匂宮に、高砂は思わず答えていた。
 衝動的に顎に手を添え、造形美を覗き込む。

「ありがとう。ただ、貴方が仕事で来ているのはよく理解しているから、すぐにでも挿れて出してくれ」
「――ええ」

 頷きつつ、高砂は神聖なものを犯したい衝動よりも、この綺麗な人物がどのように乱れるのかという興味に襲われていた。朱匂宮の唇を指でなぞる。

「勃つか?」
「ええ」
「俺でも?」

 不安そうな声だった。何を馬鹿なことをと思ったが――艷やかな瞳が伏し目がちに己の陰茎を見たと気づき、高砂は唾を飲み込んだ。堪えているのが正しいが、ふとその唇を暴いてやりたくなった。

「勃たせてもらえますか?」
「っ、あ、ああ」

 瞬時に朱匂宮の頬が染まるのを見た。見た目に反して、実はまだ幼い部分があると、冷静に考える。いくら大人びた容姿をしていても、自分より二つも年下だったと思い出した。だが、見ていることにした。

 朱匂宮は、震える指先を、高砂の服に伸ばした。恐る恐るというように、紐をほどいている。ただ、緊張しているようで、上手く出来ていない。高砂は、その手首を掴んでみた。軽く触れただけだが、朱匂宮がびくりとしたのを見逃さなかった。怖いのだろう。


「ッ、ふ」

 自分で下衣を下ろし、高砂は座った。舐めやすいようにして、しばらくした時、目を伏せた朱匂宮が口に高砂の陰茎を含んだ。その艶かしい姿だけで、勃起するには十分だった。しかし余裕ある素振りで、高砂は自分のものを握り、必死に口を上下させている朱匂宮を見た。苦しいようで、息が上がっている。形の良い唇を見据え、その辿たどしさに、少しだけ満たされた。経験がないのか、率直に言えば下手だ。だから勃った理由は、あくまでもその姿を見たからであり、快楽からではない。視線でそばにあった香油を見た。もう逃す気などなくなっていた。少しして、朱匂宮が顔を上げた。涙ぐんでいた。

「悪いな、巧く出来ない」
「そうですね」
「っ、悪い」
「もういいです、起きてください」

 少し冷たく言い放ってしまい、高砂は後悔した。いつもの癖だった。
 悲しそうに朱匂宮が起き上がる。その顔を見て――もっと虐めたくなってしまった。
 嗜虐心と渇いた体が、もう抑えられない。
 腕を引き、高砂は朱匂宮を抱きしめた。そして白い首筋に噛み付いた。再び朱匂宮がびくりとしたことには気づいたが、もう気にしないことにした。強く吸って痕を残し、さらに軽くかんでは、舐めて、歯型を残す。指では首の後ろを撫で、動きを封じ、もう一方の手では朱匂宮の帯を解いた。

「ン」

 舌を這わせて首から鎖骨までをなぞり、今度はそこに吸い付く。そうしながら押し倒して、片手で左の乳首を弾いた。一瞥すれば、怯えたような朱匂宮の瞳に、僅かに情欲が滲んでいた。青い瞳には涙が浮かんでいる。着物をはだけさせて舌を下ろし、右の乳頭を舌で嬲りながら、高砂は利き手で迷わず朱匂宮の下腹部をなでた。びくりとして体をひこうとした朱匂宮を許さず、そのまま右手では太ももを押し開き、左手では朱匂宮の手首を握る。それから指と指を交差させるように手をつないで、布団に縫い付けた。そして朱匂宮の陰茎を舐めた。

「! あ、待ってくれ、俺はいい」
「手本です」
「ッ」

 空いている手で、朱匂宮が口を塞ぐ。高砂は、筋に沿って舐め上げた後、朱匂宮の先端を銜えた。舌先で鈴口を刺激していくと、息を飲んだ朱匂宮が左手を解こうとした。だが許さずさらに力を込める。次第に朱匂宮が震え始めた。それを見て、より大きく太ももを持ち上げる。冷たい朱匂宮の体温が、少し上昇した気がした。しばしの間高砂は口淫し、その後何気なく朱匂宮を見て後悔した。酷いことをしたと思ったからではない。あまりの色気に理性が途切れたのだ。香油の瓶を手繰り寄せ、手に取る。

「あ、ン……ッ、……――っ」

 指を最初から二本突き入れると、きつい内部が絡みついてきた。性急に奥へと進めると、朱匂宮が声を噛み殺したのが分かる。手が震えていた。今度は左手を解放する。押し返されるかと思ったが、朱匂宮は迷わず両手で口を塞ぐことを選んだ。もっともどちらでも良かった。弛緩作用のある香油を塗り込めるようにし、再び瓶から液体を手に取り、徐々に激しめに指を動かす。

「ッン!」

 その時、こらえきれないように朱匂宮が声を漏らした。飲み込もうとしたのはわかったが、逆にその控えめな声が嗜虐心を煽る。意地悪くそこばかりを指で刺激した高砂は、再びちらりと朱匂宮の顔を見た。瞳が濡れていた。チカチカと快楽に染まっている。なれている様子はないが、敏感だなと思った。朱匂宮の陰茎を一瞥すれば、透明な先走りの蜜が零れようとしていた。もう良いだろう、と、自身の陰茎にも香油を垂らしてから、高砂は体を進めた。

「ン――ッ、……ぁ……」

 衝撃に震えるように、朱匂宮が声を漏らす。

「ゃァ……高砂、待って」
「!」

 その言葉に高砂は目を見開いた。自分のことを、朱匂宮が知っているとは思ってもいなかったのだ。どうしようもない歓喜が浮かんでくる。雲の上に咲いていた花からの甘い声に、もう理性など消えた。体重をかけ、正面から押し倒して、再び首筋を噛む。

「ぁあっ」

 腹で朱匂宮の陰茎が擦れた。肌同士がぶつかる乾いた音と、香油が奏でる粘着質な音が室内で交じり合う。それから乳首に吸いついて、高砂は甘く噛んだ。

「!! っ、ぅ……」

 声をこらえる朱匂宮が愛おしい。耳の後ろを撫でながら、一度動きを止めた。押しつぶすように抱きしめる。しばらくそうしていると、朱匂宮の体が震え始めた。急になくなった刺激を、体が求めているらしい。何か言いたそうに唇を震わせながら、朱匂宮が両手を高砂の体に回した。そして握るようにした時、爪が掠めた。その感覚に、高砂は無意識に、再び強く動いていた。

「ああああっ」

 不意打ちに我慢できなかったようで、朱匂宮がついに声を上げた。それに気をよくして、高砂は朱匂宮の感じる場所を突き上げる。朱匂宮の眦から涙が伝っていた。そのまま高砂は放ち、ほぼ同時に朱匂宮も果てた。高砂は大きく息を吐きながら、必死に息をしている様子の朱匂宮を見る。まだ、足りなかった。朱匂宮の体を渇望していた。抱き起こし、正面から細い腰を引き寄せた。絹のような黒髪を手に掬って、静かに自分の方へと朱匂宮の額を押し付けさせる。力が抜けた朱匂宮は、されるがままになっていた。その耳元で、高砂が囁いた。

「俺にも名前を教えてください」
「――ゼクス」

 ポツリと朱匂宮が言った。高砂は一瞬動揺した。それは、おそらく、本名だ。朱匂宮というのは、当主に与えられる華族名であるから、個人の名前とは限らないのだ。高砂の腕の中で、朱匂宮――ゼクスが潤んだ瞳で顔を上げた。その額に唇を落としてから、高砂は再びゼクスを組み敷いた。反転させ、今度はその背中に自分の体重をかける。

「ま、待ってくれ、もう、終わりだ」
「いいえ」
「! あ」

 逃れようとしたゼクスの左の膝の裏を、軽く高砂はなでた。瞬時にゼクスが動揺したのを見逃さない。やはり、怪我の後遺症があるのだと、高砂は確信した。ここで座っていたのも、歩くのが辛いからだろうと思う。本来こう言う種を求める場合は、華族のしきたりとしては、出迎えがあるのだ。劣る家格の相手だから出迎えなかったわけではないのだと高砂は確信していた。ゼクスの物腰は、低く優しい。決して自分を下げる発言をするわけではないのだが。まだ濡れそぼっているゼクスの菊門に、硬度を取り戻した己の肉茎を容赦なく高砂が挿れる。ゼクスの背が撓ったが、高砂は体重をかけてそれを制止した。耳の後ろをねっとりと舐めながら、右手でゼクスの顎を持ち上げ、左手では過度に敏感な左の膝の裏を撫でる。ゼクスが泣き出したのがわかったが、やめない。

「ああああああ」

 そのうちに、ゼクスの側も熱を取り戻したようで、声を上げてもどかしそうに腰を動かそうとしていた。だがそれは、高砂が体重をかけて封じる。

「いやああああ」

 布団にゼクスは陰茎をこすりつけ、太ももを震わせている。その背筋を舐めながら、高砂は征服欲を感じていた。動かさず、自分の肉茎の形を覚えさせるように、ゼクスの中を暴いている。

「どうして欲しい?」
「あ、あ……動いてくれ」
「違うでしょ」
「はっ、ン」
「いっぱい出してって、お願いしてください」
「!」
「俺の子供、欲しいんでしょう?」
「あ、あ、あ……アあ――……っ、高砂、高砂……出してくれ、俺の中に」
「いいですよ」

 それから高砂がゆっくりと動いた。ゼクスが頭を振る。

「だめだ、やだ、もっと」
「我が儘ですね」
「あああ……」
「はしたない」
「!」

 その言葉の直後、ゼクスが果てた。布団が飛沫で濡れる。高砂はそれを見て、ゼクスの体勢を再び変え、手で陰茎をしごいた。

「や、嘘! あ、ああああ」

 そして再びゼクスを高め、射精させた。ゼクスは、頭が真っ白になっていた。このように何度も果てたことがないからだ。高砂はそんなゼクスの様子に意地悪く笑い、左の太ももを持ち上げて、斜めに突き入れながら、今度は舌で敏感な膝の裏をなでた。めったに触られることがない場所への刺激に、ゼクスが震えて嬌声を上げた。高砂が長く太い凶暴なもので中を抉りながら、ゆっくりと舌を這わせる。それから強く突き上げて、高砂も一度放った。その次は、両方の太ももを押し開き、激しく動いて、もう一度。我ながら絶倫だなと高砂は考えたが、ゼクス相手でなければ、こうはならないという自覚もあった。

「うああああああ」

 そのまま抱き起こし、後ろからギュッと抱き寄せて、下から突き上げる。快楽にむせび泣いているゼクスに、何度も何度も放ちながら、高砂は朝までゼクスの体を貪った。その後、朝になる頃、ゼクスが意識を手放しているのを見て、布団をかけた。自分は服を着る。もう、刻限だった。帰らなければならない。だが、寝入っているゼクスを起こすのがしのびなくて、額にくちづけてから、高砂は外に出た。誰もいなかった。


 朝靄の中帰宅すると、金朱匂宮が待ち構えていた。

「どうでしたか?」
「――ぜひ結婚したいと思いました」
「それは無理というものです。相手は朱匂宮の縁者ですから――ああ、お子ができていると良いのですが」
「……」

 高砂は溜息をついた。もう二度と、ゼクスを腕に抱けないことが辛かった。
 繊細な唇を思い出し、キスをしたいと思った。どうしてしてこなかったのかと自分に呆れたものである。



 勿論、結婚できる訳もなく、その後――七年の歳月が経過した。
 高砂は二十九歳である。完全に婚期を逃していたが、本人は別に良かった。
 焦っている金朱匂宮は見合いの話を腐るほど持ってくるが、目を閉じるたび――ゼクスのことを思い出していた。華族敷地に戻ったら、絶対に会いに行って攫ってしまう自信があったので、最近は最高学府に入り浸りで、王都にいる。風の噂で、朱匂宮家の次期当主争いが行われているとは聞いたが、朱匂宮の実子が生まれたという話は耳にしていなかった。だが、争っているのは七歳前後の子供と聞く――もし、子供が出来ていたならば。現在七歳である。

 七歳といえば、結局まだ一度もあっていない緑羽万象院にも子供が生まれ、その子が七歳だと聞いた。高砂は、緑羽家を補佐する列院の総代だるから、こちらには近々挨拶に行くことになっている。緑羽家は、ゼスペリア教でいう法王猊下とゼスペリア猊下を足したような存在で、院系譜と呼ばれる青き弥勒信仰のトップだ。

 ゼスペリア教といえば――高砂は、ゼスペリア守護配下家の中で唯一選挙制のクラウ管区で勝利したため、現在、クラウ家当主の特別枢機卿をしている。そしてそちらでは、なんでもやはり己が使えるべきゼスペリア十九世猊下のお体が悪いそうで、ゼスペリア二十世猊下の即位について揉めている。当然自分の息がかかったゼスペリア猊下の方が、やりやすい。そして、ゼスペリア十九世猊下の子供を、養子にするという話が来ているのだ。高砂家にも跡取りは必要であるから、結婚しないのであれば、いつかは養子を取らなければならない。金朱匂宮も、その子供が華族の血を引いているらしいと聞いて、最近その選択肢も持っているようなのだ。

「はぁ……」

 高砂は、テスト問題を作りながら、溜息をついた。
 肉欲が満たされない。どこの誰を相手にしていても、ゼクスの事を思い出すのだ。
 ――金朱匂宮から、大至急華族敷地へ帰って来いという連絡がきたのは、その日の午後だった。少し休むのもいいというか、我慢できないから同じ空気だけでも吸いたい気がして、高砂は休暇届を出した。そして完全ロストテクノロジーの転移装置でその日の内に高砂家へと戻った。そこでは、珍しく神妙な顔をした金朱匂宮が正座していた。

「高砂」
「何か?」
「なぜ話してくれなかったのですか?」
「何をですか?」

 正面に座りながら、高砂もまた正座した。マフラーを畳の上に置き、カバンを下ろす。伊達眼鏡の位置を直してから、コートを脱いだ。

「緑羽の御院から連絡がありました」

 御院というのは、現在のトップであり、高砂の直接的な師でもあった。緑羽当代の祖父である。

「次の緑羽万象院様の父親は高砂だと」
「え?」
「身の安全を考え、これまでは隠していたと聞きました。名前は、青葉様。貴方と緑羽当代の御子息であり、御院のひ孫様であると!」
「……」
「緑羽家は、朱匂宮から別れた院系譜の頂点! 何故言ってくれなかったのです? これで、高砂家も安泰です!」
「――待って下さい、心当たりがないんですが」
「いいえ、確実に高砂の子供です」
「何を根拠に――」
「顔です」
「え?」
「貴方と同じ狐色の髪、緑色の瞳、PSY円環は、緑羽家特有の綺麗な緑、そしてOther部分は高砂家特有のライムグリーンを持っています」
「っ」

 その言葉に、高砂は息を飲んだ。心当たりは朱匂宮との一夜しかないが、ゼクスが緑羽万象院当代というのは聞いたことがない。会ったことがないから、その可能性もゼロではないが、朱匂宮という高貴な人物が――……? と、首を傾げた。緑羽家と朱匂宮本家は、確か婚姻してはならないという決まりもある。両家の血を引くとは考え難い。だが、本当に自分の子供であるならば、列院総代としての自分の権力は磐石になる。高砂は小さく頷いた。クラウ家の養子よりも、跡取りとしては緑羽万象院の方が、華族としては体面がいい。

「明日は、なにせ緑羽後継ですから、この度は高砂家が匂宮配下家という縁で、匂宮家の関係者が揃います。そういう意味でも顔を売っておくように」
「――朱匂宮様もいらっしゃるんですか?」
「さすがにそれは無いと思いますが、場所は匂宮本家ですから、朱匂宮邸宅です。いらっしゃる邸にお邪魔出来るだけでも光栄だと心得なさい」
「そうですね。ええ、分かってますよ」

 そのようなやり取りをして、その日は眠った。
 実子の実感など無かったが、同じ空間にゼクスがいると思えば、明日が楽しみだった。



 しかし翌日。朱匂宮邸宅で、高砂は呆気にとられた。

「緑羽万象院青葉と言います」
「――列院総代の高砂です」

 激似だったのだ。どこからどう見ても、自分と同じ顔――自分の幼少時と同じ顔なのだ。髪と目の色まで同じだ。反射的にPSY円環を確認してみたが、確かに納得するしかない高砂家の色相も保持している。この子が実子じゃないとしたら、と、最初に思った。

「父上に、ずっとお会いしたかったです」

 その言葉に、動揺を鎮めながら高砂が頷いた時だった。

「高砂中納言!?」

 高い声がした。子供特有の声だと思ったが、たった今聞いた目の前の実子とあんまりにも類似していたから、子供とはそういうものなのかと思った。視線を向けると、赤い袴に白い着物を着ていたから、朱匂宮の後継を争っている一人だとわかったのだが――目を疑った。こちらも狐色の髪、ただし目の色は朱色だ。朱匂宮家に多い色彩である。一度青葉に視線を戻し、それからまた見る。色違いの同じ顔が、そこにはあった。

「僕は茜、真朱匂宮茜、朱匂宮様の養子だよ。みんな、高砂中納言が僕の父上だって言うんだけど、違うの!? 高砂中納言は、緑羽様のお父上なの? でも僕と緑羽様も同じ顔だよ!? つまり、僕は高砂中納言に似ているから高砂中納言の子供だと言われて、同じ顔の緑羽様が高砂中納言の子供なんだから、僕もやっぱりそうなの!?」

 高砂は硬直した。周囲を見れば、やっぱりそうなのかという顔をしている。そしてこちらには、心当たりがあるのだ。養子としたのは婚姻していないから体面を保つため、とするならば、朱匂宮の実子であると考えられる。ならば、この子は、自分の異なる。こちらもPSY円環を確認してみると、PK部分がどう見ても朱匂宮の血筋であり、そしてOther部分はこちらも高砂家特有の色彩だった。青葉は緑より、茜様とやらは橙色よりではあるが。だが――真朱匂宮というのは、高砂家からすると非常に高位の存在である。子供といえど、杜撰な対応をすれば、首が飛ぶのは高砂である。物理的に、だ。

「茜」

 その時、凛とした声が響いた。場が静まり返る。高砂はずっと聞きたかった流麗な声音に、ゆっくりと視線を向けた。周囲は皆、慌てたように膝をついている。だが、高砂だけが視線を先に向けた。気配も荘厳で、静かだというのに圧倒的な迫力がある。

 そこにはゼクスが立っていた。いいや――閨で弱々しく泣いた肢体の持ち主ではなく、正しく朱匂宮がそこにいた。赤い洗練された着物、黒い打掛には、シンプルな銀の糸で、鶴が縫われていた。黒い絹のような髪、そして、青い瞳。

「朱様……」
「茜と緑羽万象院青葉様は従兄弟だ。だから似ている。二人の共通のお祖父様が、高砂家の遠縁だったと聞いている。それとは別の話で、青葉様は高砂中納言の御子息であり、茜は俺の養子だ。良いか? 困らせては駄目だ」
「朱様……はい」

 朱匂宮はそれから高砂を一瞥した。そして何も言わず、茜の髪をなでると、杖を持って出て行った。その気配が去ってから、皆緊張が解けたようで、大きく息を吐いていた。高砂はひとり――嘘だな、と思っていた。どちらも実子だ。そう考えると、無性に嬉しかった。涙ぐんでいる茜に、高砂は歩み寄り、微笑した。

「とても光栄でしたよ」
「!」
「よろしくお願いします」

 そう口にしてから、青葉のそばに行った。青葉は目を丸くしている。
 純粋に、可愛いと思った。




 以来、高砂は青葉は厳しく育てたし、たまに茜に会えば優しくした。万象院で生活するようになったので、青葉と共にたまに華族敷地に戻ると、茜が遊びに来るようになったのだ。茜と青葉は、まるで実の兄弟のようである。金朱はそう言って喜んでいたが、実際に兄弟だと高砂は確信していた。

 ――クラウ家の養子の話が再燃したのは、一年後のことだった。
 頼むから一度会って欲しいと強く言われたのだ。
 あまりに周囲の推しが強いので、高砂は顔だけ出すことにした。

「ファレル=ゼスペリアです」
「――シルヴァニアライム枢機卿を賜っているクラウ家の当主で、高砂と言います」
「……」
「……」

 挨拶後、ファレルが呆然としているのを高砂は見たし、高砂もまた呆然としていた。この少年も狐色の髪をしている。ただ目の色は――どう見ても、ゼスト・ゼスペリア猊下に遺伝するとされる、ゼスペリアの青をしていた。が、顔面造形が、高砂そっくりだったのである。もっと言うならば、青葉と茜と同じ顔なのだ。子供は皆同じ顔、とは、思わない。立ち会っていた周囲が、実子ではないのかと囁きあっているのを高砂は確認した。ただしPSY円環は、ゼスペリア猊下のものは許可がなければ見てはならないと決まっているので、閲覧できない。それでも――その瞳の色に、高砂は釘付けになった。実はゼスペリアの青を、そう聞いて見るのは初めてだったのだが、ゼクスと全く同じ色に見えたのだ。ファレルは、ゼスペリア二十世の候補だという。だが、だとすれば、ゼクスはゼスペリア猊下の血も引いている――どころか、本人がゼスペリア十九世の可能性がある。それを言うならば、緑羽当代の可能性もある。しかし、この目の色を見間違えるはずもなかった。

「良ければ、養子に」

 高砂は自分からそう口にしていた。仮に勘違いであっても、ゼクスと同じ瞳の持ち主を見ていたかった。それも自分と同じ顔なのだ。するとファレル少年が安堵したような顔をし、わずかに瞳を輝かせた。

 金朱匂宮は大騒ぎをしたし、青葉も少し狼狽えているようだったが、そのままファレルは宗教院のゼスペリア猊下の専用敷地で暮らすというので、高砂がたまに顔を出すという形で落ち着いた。

 さて、親になれば、円環も閲覧可能であるし、DNA鑑定も可能だ。
 高砂は既に青葉と茜で行っていたが、そこにファレルも加えて、三人が三つ子であることを、はっきりと確認した。人工授精であるから、比較的この国では珍しくない。内心、嬉しくて仕方が無かった。

 そこからは、選挙制だったクラウ家を相続制にするように根回しをし、まずファレルにクラウ家当主の座を与えた。緑羽として青葉は立場が保証されているが、ファレルはそうではなかった。さらにその後、ゼスペリア二十世としての即位争いもある。争いがあるのは、茜も同じだった。こちらには、高砂家の取り柄である裕福さにより後ろ盾となった。

 各地で権力を掌握しようとしていると噂されたが、知ったことではない。我が子――というよりは、ゼクスとの子供が可愛かった。三人共に、幼少時から勉学に励ませて、最高学府を卒業させた。高砂の子供だからなのか、十歳になる頃には、全員が飛び級して卒業した。このようにして、高砂は気づくと子育てに熱中していたのである。

 ――結果、三十二歳になっていた。

 ゼクスは今年三十歳かと高砂は考えた。会いたかった。茜が時折話す内容によると、体の具合が優れず、離れから出てこないらしい。足が悪いだけでなく、体が弱いそうだった。茜も会いたいと言っていたが、茜は最近では高砂に似てきて、絶対に朱匂宮になると意気込んでおり、そのために現朱匂宮に顔を売っておきたいのだと口にする。だが高砂は、単純に会いたいのだろうなと推測していた。

 最近、そんな子供達から、高砂はたまに聞かれるようになった。自分達のもうひとりの親は誰なのかと。既に、茜とファレルも、高砂の実子であると、皆が確信していた。誰も触れないが、子供達もそう思っているようだったし、高砂も否定したことはなかった。

 答えるわけにはいかないので、高砂はこの件に関しては黙秘を貫いた。


 朱匂宮邸宅に高砂が内密に呼び出されたのは、晩秋のことだった。
 笹の林を抜けて、人目を忍んで、離れに直接向かった。
 ――無論邸宅に呼ばれたのであり、離れではないし、高砂を呼んだのは茜であり、ゼクスではない。しかし高砂は、素知らぬふりで、道を間違えた。音を立てずに離れに入り、気配を殺して奥を一瞥する。

 そこにはゼクスがいた。唾を飲み込む。高砂に気づいた様子はない。
 座っているゼクスは、経文の巻物を両手で持っていた。
 ゆっくりと瞬きをするたびに、長いまつげが揺れる。
 形の良い瞳が艶っぽく、白いうなじには惹きつけられた。
 歳を重ね、より色気が増していた。

 一目見たいと思ってやってきたのだが――それだけでは止まらなかった。一言、声が聞きたかった。手打ちにされても構わない。

「――ゼクス」
「っ」

 高砂が声をかけると、ゼクスがびくりとして、経文を取り落とした。
 顔を上げたゼクスは、目を見開いている。

「好きです、俺と結婚してください」