【19】第一王子殿下を幽閉した罪で投獄される!?




 目が覚めると、俺は暗い牢屋にいた。

 白い寝台は固くて、目の前には通路に面した鉄格子がある。
 ここは、王宮の地下にある、今ではほとんど使われていない牢獄だとわかった。
 前世でも、最初の頃は、ここに入れられたのである。
 古い魔力で満ちているから、ここには召喚獣は入れない。

 両手を動かしてみると、黒い手枷がはまっていて、左右から伸びた鎖は寝台のそばの金具に固定されていた。手枷は黒い横長の板なのだが、これがはまっているだけで、手首がひとつになったような感覚で、全く動かせなくなっている。狭い室内には、ベッドしかない。降りると、そこは朦朧の鉄格子である。

 まだ麻酔薬が残っているらしく、鈍く痛む頭で考えた。
 ――国王陛下を殺害したのは、確かに俺と言われても仕方がない。
 ライネルの隠蔽をどのようにして誰が見破ったのかはわからないが。

 問題は、『第一王子殿下を幽閉した罪』である。
 俺にはそんな記憶はない。それをやったのは俺ではない。
 前世ですらありえない。一体何の話だ?
 困惑していると、コツコツと靴の音が響いてきた。視線を向けると、誰かが郎の前で立ち止まった。

「兄上……」
「久しぶりだな、フェル」

 驚いてつぶやいた俺を、兄がまじまじと見た。

「兄上がご無事で何よりです――が、一体どう言うことなんだ?」

 本心からそう尋ねると、扉に鍵を差し込みながら、兄が苦笑していた。
 扉が開く音を聞きながら、兄の表情の意味を考えていた。

「フェル、お前は、始祖王を倒そうとしていたんだろう?」
「っ」

 続いた声に、俺は驚いて目を見開いた。思わずつばを飲む。
 なぜ兄上が知っているのだろう?

「俺は覚えてる。ユーリスのことも、きちんと」
「兄上……」
「ユーリスのことは、本当に残念だ。とても有能だったからな」

 どうして覚えているのか聞きたかったが、その言葉に、胸が痛くなって息が詰まった。

「――もっとも、二十年間をやりなおさせてようやく、お前不在でも回る状態の応急を作ったことに考えれば、宰相の仕事は他の人間にもできるのだから楽でいい」

 続いた言葉に、俺は目を見開いた。

「兄上?」
「なんだ?」
「今のは一体どういう意味――」
「意味?」

 俺は気づいた。兄の首元の宝石の色が――緑ではないことに。そこにあったのは、翠玉ではなく紅玉だったのだ。父の、始祖王の亡骸にはまっていたはずの品だ。ただあの最期の時に、病床の衣に着替えていた父が宝石を身につけていたかどうかの記憶はない。

 改めて兄の顔を見た。兄上は、いつもどおりに見えた。
 ――いつもどおり、父上と瓜二つの顔だ。
 だがこれは、兄じゃない。兄のふりをしている父――いいや、始祖王だ。
 ゾクっとした。体に怖気が走った。

「……いつから入れ替わっていたんだ? いつ心臓を? ユーリスがトドメを刺したはずだ」
「入れ替わってなどいない。初めから俺は俺だ」
「……」
「精神の転換はこの宝石で既になされていた。あとは、病死を持ってして、始祖王の心臓を手に入れて、この体を完全なものにするだけだった。塔に置いたこの体に、一時的に入れておいた前王の精神が泣き叫んで困ったが」
「俺の体を狙っていたんじゃ――」
「『前世』ではな。ただし、今は、お前が欲しくて仕方がない。そのためには、こちらの体のほうが、都合が良い」
「……」

 牢屋の扉が開いた。硬直した俺に、兄――いいや、始祖王が迫ってきた。
 軽く肩をおされただけだというのに、緊張と混乱で動けなかった俺は、寝台の上に押し倒された。

「兄上じゃないんだな……」
「確かに俺は、お前の兄でもある。精神は、新しい体の成長に合わせて、再び成長していくからな。幼子の気分を再体験し、そして再び、お前が欲しくなった。いいや、ずっと細いかったのかもしれない、『今回』は。まさかお前が巻き戻しの術をもってして、俺を葬ろうとしているとは思ってもいなかったが」

 そういった始祖王の手が、俺の鎖骨をなぞった。
 乱暴にシャツを引き裂かれ、それから脇腹をなぞられる。
 瞳が――全く違うように見えた。いつか森で見たものと同じに見えた。
 そうだ、あれも、始祖王だったのだ。父ではなかったのだ。
 兄の中にいた、始祖王だったのだろう。
 艶かしい赤い舌で、頬を舐められた。絶望感に支配された俺の肌を、ゆっくりと始祖王が指で撫でる。無力感に打ちひしがれ、言葉を失った俺の脇腹を手でなぞり、始祖王が体重をかけてきた。そこでわれに返って、俺は抵抗を試みた。だが結果は鎖が泣くだけに終わった。手が動かない。両足の間には始祖王の体があり、そこから上に乗られているため、身動きが封じられていた。

「ずっとお前を抱きたかったんだ。安心しろ、きとんと愛しているから」
「や、め――……」
「王位を狙って、父王と継承権を持つ兄を殺害しようとした件で、お前は今後、ここに幽閉される。それは、つまりどういうことか、わかるだろう?」
「……」
「俺の下で啼き続けるということだ」
「!」

 始祖王が俺の首に噛み付いた。喰い破られるかと思うほど強く吸われた。
 鬱血痕が残ったとわかった瞬間に、乳首を乱暴につままれた。
 無我夢中でもがく俺を、兄だと思っていた相手が、嘲笑するように見下ろしてくる。
 俺には抵抗する術がない――ああ……――こんなのは、嫌だ。
 誰か助けてくれと、俺は泣き叫びそうになった。

 その時だった。

 俺の体を鮮血が濡らした。呆然としていると、がくりと始祖王の体が倒れてきた。
 慌てて身を引き、寝台の上で、壁に背を預ける。
 シーツに血だまりができていき、その中央に始祖王が倒れた。

 それからゆっくりと顔を上げると、開け放されたままだった牢屋の扉から、一歩中に入った所で、聖剣を始祖王に突き刺している人物が見て取れた。いつもとは違いすぎる、冷徹な瞳をしていた。怒り以外の何の感情も見えない。冷たい怒りだった。

 グッとさらに強く剣を刺す音がしたあと、ハロルドが今度は剣を引き抜いた。
 始祖王の体からは、血が溢れてくる。
 背後から聖剣を突き立てていたハロルドは、片手でそれを握り直し、刀身から血を払った。そして呆然としている俺を見て、力強く頷いた。

「もう大丈夫だ。完全に【心臓の転換点】を潰した。もう始祖王は、生命の理の中には戻れない」
「……」
「無事で良かった」

 ハロルドはそういうと、寝台に歩み寄ってきた。
 そして聖剣で鎖を断ち切ると、俺を強く抱きしめた。誰の温度とも異なる、強いぬくもりに、俺は気づくと震えていた。一気に恐怖がこみ上げてきて、始祖王を一瞥したらそれがさらに強まり、思わずハロルドの服に額を押し付けた。

「無事で良かった。本当に良かった。フェルが連れて行かれたと聞いた瞬間から、心配で何も手につかなくなった。ただただお前の無事な姿だけを見たかった」
「ハロルド……」
「ここから出よう」

 ハロルドはそう言うと、俺を抱き上げた。俺は彼の首に両手を回し、まだ麻酔薬が残っているらしくて、力がうまく入らない体を意識した。

「どこに行くんだ?」
「希望はあるか?」
「――俺は、父を殺害し、今また兄の殺害に立ち会った人間と捉えられるだろう。どこへ行っても、すぐに牢屋に逆戻りすることになるのかと思ってな……」

 自嘲気味に呟くと、ハロルドが苦笑した。

「いいや、安心しろ。今回の一件は、国王崩御の混乱に乗じて、俺の帝国が国土拡大家のために戦争を仕掛けて、新国王になるはずだったウィズ殿下を処刑したとして処理される」
「え?」
「自分でやるのは初めてだが、こういった歴史の流れは、帝国の得意芸だ」
「ハロルド……ありがとう」
「礼は、ユーリスに言え」
「?」
「この残処理の手引きは全てユーリスが行っていったものだ。俺に手紙を残していた。俺にもユーリスの記憶はないが、召還獣のエクエスが保持していた。先程ラクラスとライネルからエクエスが全て聞いて、俺にも状況がわかった」

 ハロルドはそういうと、胸の内ポケットを視線で指した。
 そこには、いつか師匠のガイルと庭にいた時に、ユーリスが持っていた手紙が入っていた。見せて欲しいと頼んで、中を見る。

 『もしも自分が亡くなったあと、我が主が処刑の憂き目に際したら、助力を請う』

 そんな文章とともに、始祖王殺しの経緯や、他国のものには秘密だったはずの長子への心臓転換の件、関われば他国の王族殺しとなるわけだが、その場合に、帝国がどうこうどうすれば難を逃れられるのか、そういった事柄が、端的に綴られている手紙だった。読みながら、俺の涙腺はゆるんだ。ハロルドは、これを召喚獣経由で先程受け取ったのだという。俺は思わず、ハロルドにすがりついた。すると強く抱きしめ返された。

「本当に無事で良かった。手紙を見た瞬間は、心臓が氷かと思った。ずっと探していた」
「ハロルド……ありがとう。本当に、ありがとうな」
「……フェル。俺は、お前を愛してる」
「っ」
「礼は不要だ。失いたくなかった俺が、自分のために動いただけだ。始祖王を許せないという正義感でもない。むしろ、始祖王にお前を奪われたくないという嫉妬はあったかもしれないが――……好きだ。一目見た時から、ずっと」

 そう言って、ハロルドが俺の頬に唇で触れた。

「今、そういう話をしているべき時じゃないというのはわかってる――ただ、もう抑えられない。フェル、俺を見て欲しい」
「……」
「好きなんだ、どうしようもなく」

 俺は何も答えられなかった。
 その後、ハロルドは俺を、安全な結界を張った一室に連れて行ってくれた。
 そこにはラクラスがいた。ラクラスは、ハロルドから俺を奪うように引き寄せると、苦しそうな顔をで俺を見た。一気に安心した俺は――直後再び眠ってしまったようだった。