SIDE:空巻朝蝶(前)


>>聖龍歴(今)


「ねぇ朝蝶さん」

僕は黒羽に、『さん』と、呼ばれている。それが少し寂しい。まぁ周鳥なんて『長』って昔は呼んでたんだけどな。まぁ長い間離れていたわけだから、少しずつ距離を縮めていこう。うん、それがいい。
「どうかしたの?」
「時夜見とは、どういう風に出会って結婚したの?」
今では僕たちの功績で、神界にも結婚制度がある。まさか二組目が聖龍様と歴猫だとは誰も思ってなかったけどな。僕たちって開拓者だよね、本当。子供も作ったしな。
「神話とは違うんだろう……?」
周鳥が恐る恐ると言った表情で聞いてきた。僕にだってそれくらいは分かる。
「運命的な出会いをしたんだよ。そうして恋に堕ちたんだ」
「まさかの惚気? ……惚気なのかな、え?」
黒羽が瞬きをしている。可愛いな、まぁ僕に似たんだから当然か。
「まぁね。媚薬盛ったの僕だしね」
ここはやはり、自分からオープンにして二人に心を開いてもらおう。良いよな、オープンな家族。家族なんだよな、僕達は今。
しかし二人は目を見開き、無言になってしまった。え、なんで? まぁ話を続けよう。
「そもそもね、僕は大層モテたんだよ。お見合いの話もひっきりなしでさぁ。だから黒羽のことがすごく心配なんだ。勿論時夜見もあんなに格好いいんだから、周鳥のことも心配なんだけどね」
うんうんと一人頷く。しかし、何故か二人は黙った。僕にはそれがよく分からないな。あれか、あんまりにも僕の時夜見への愛を感じ取ってしまって、恥ずかしがっているんだな。
「今から情熱的な恋の話をするけど、ちょっと刺激が強すぎるかもしれない。ただいつかは話す時が来るからね。僕の口から話したいんだ。まぁ時系列はちょっと曖昧なんだけどさ」
僕の言葉に、二人がゆっくりと頷いた。何度も目を瞠っているけど、照れているのかな?
まぁともかく、そうして僕は話をすることにしたんだよな。僕の方まで照れちゃったんだけどな。



>>聖龍歴(何年かなんて忘れた)


僕の名前は空巻朝蝶――本当聖龍様ってネームセンス皆無だよな。
頬杖を付きながら、見合い写真が築いている山を見上げた。みんな僕に結婚しろって煩い。本当止めて欲しい。そんなに子供が欲しいのか。養子でもとれ。僕は恋愛結婚がしたいんだよ。結婚だなんて、僕人間界に毒されてるな……。そんな制度、神界にはない。
「朝蝶様、そろそろお決めになって下さい」
僕の腹心の部下という事になっている老神を一瞥する。彼は、普段空神族をまとめてくれている、諏戒すかいと言う。どんだけ空なんだよ。まぁ力の弱い神々を空族、強い神々を空神族と呼ぶように定めたのも彼だ。
「今日は聖龍様との大事な会議があるから、その後でね」
僕は儚く笑って見せた。作り笑いが僕の特技中の特技だ。しかし、時に露見する。
「そう言って、また逃げるんでしょう?」
「……本当煩いな」
「朝蝶様。会議が終わりましたら、必ずですよ、必ず」
「分かった分かった、もう良いよね。行ってくる」
なんだか気疲れしながら、僕は現地に向かった。護衛の二人とは、<鎮魂歌>の中で合流することになっている。まぁ僕より強いのなんて、聖龍様と、噂の時夜見鶏くらいだから、護衛とか無意味なんだけどな。時夜見鶏とは会ったこと無いんだけどな。けれど護衛の仕事を奪ってはならない。一応儚い朝蝶様だからね、僕。実際、彼らは僕のためと称して、時神族を拷問しているらしいが、僕はそんな命令はした覚えがないな。だってな、拷問ていうのは自分でやるから楽しいのであって……まぁいいか。
――実のところ、会議までは数時間ある。
だからブラブラと僕は散歩をすることにしたんだよな。そして……運命的な出会いをしてしまった。第七師団の官舎前に、尋常ではないイケメンがいたのだ。僕、ポカン。え、誰だよあれ。第七師団の官舎前にいるんだから、第七師団の団員だろうが、え? 何あの完全美。人間(いや神だけど)? 僕は目が釘付けになったんだけど、そうしたらこちらを向かれそうになったから慌てて姿を隠した。まずいまずいまずい。人(神)知を超えている。僕の胸が高鳴った。ドキドキする。うわぁ……快楽責めにして、デロデロにして、僕には指一本触れさせずに、調教したい!! こんな気持ちは初めてだ。
いや待て僕。少し冷静になろう。まずは外堀から埋めて、逃さないようにしないとな。僕はこれでも五神の一人だから、きっと彼は僕には逆らえないはずだ。いくら時夜見鶏の指揮する師団員であっても。ちょっと落ち着こうと思っていたら、目の前に白い子犬(神)が寄ってきた。純粋に可愛いと思って、気分が変わった。動物は裏切らないから、僕は好きなんだよな。空神族はさ、腹黒ばっかりだからな。思わずしゃがんで手を伸ばした時、僕は視線を感じた。気配的にここには、僕と彼しかいない。ということは、だ。――見られている、そうだ、見られている!! 僕もちょっと稀に見る美形だから、きっと目が釘付けなんだろうな。うん、出だしは好調だ。さぁ、歩み寄ってきて僕に声をかけろ。そう念じていたら、踵を返して彼は歩き去ってしまった。……まぁ僕偉いから、顔が割れていたのかもしれない。あーあ。僕はその背中を見据えながら、思わず溜息をついた。

そして会談の時間になった。

僕は呆然とした。ただ、どこかでこうなる気がしていた。僕の恋はいつだってうまくいかないからな。先ほどの美青年は――時夜見鶏だった。うわぁ。終わったな。僕の恋という名の調教予定。なにせ時夜見鶏は、長い足を組んで、僕を見下すように笑っている。目が合うと、それこそ嘲笑されている気になった。だが僕はまだ諦めきれなかったので、ニコリと笑った。お願い、ヤらせて! 鞭とか用意するからさ。蝋燭も良いなぁ。すると今度は妄想が楽しくて、本気で笑ってしまった。まずい。絶対に怖がられ――て、いない。やっぱり余裕たっぷりな顔で僕を見ている。僕なんて扱う価値もないって言う顔だ。うわぁ更に僕、情熱が浮かんできてしまった。絶対虐め倒して弄んでやろう。うん、それが良いな。それにしても、歴猫の話、長いんだよ。まぁその分、綺麗すぎる時夜見鶏の顔面見ていられるから良いんだけどな。それに、何を話しているのかは事前に打ち合わせがあったから分かっている。

「――と言うことで通達したとおり、一対一で遭遇した場合は、双方が相手を追いかけ、捕まえた側が一つ行動を起こすことになりました。まずはそちらの条件を」

うんうん、予定通りだ。答えも決まっていたのだが、俄然やる気が出てきたな僕。
「――捕まえたら一つ、僕の頼みを聞いて貰います。勿論、殺しはしません」
あ。つい本音が混ざっちゃったな。殺しはしませんて、僕なに言ってんだよ。快楽責めにするってバレたか? 怖くなって時夜見鶏を伺うが、相変わらず夜みたいな瞳で、余裕そうにしていた。やはり僕を見下しているのか。どこから来るんだ、その自信。

「こちらは――刺して張り付け、石壁などに貴方を拘束し、二時間ほど眺めるなど致しましょう」

しかし続いた声に、僕は狼狽えた。張り付け? 拘束? え、まさか僕と同じ趣味? まさかの? 僕はするのは良いけど、されるのは絶対嫌だからな!
時夜見鶏は僅かに沈黙を挟んだ後、僕を見た。ゾクリと背筋に悪寒が走る。
「ああ」
「決まりですね」
歴猫がそう言ったので、僕は頷くしかなかった。ここで逃げたら空神族の威厳に関わる。さて、どうしたもんか。兎に角逃げれば良いんだろうな。頑張ろう。



>>聖龍暦:77??年(五百年くらい後)


僕は、時夜見鶏に遭遇してしまった。あんまりにも綺麗だから、つい見とれてしまうんだよな。そうして捕縛活動が開始される。僕は全力で逃げた。が、逃げても、結論から言うと駄目だった。時夜見鶏の足は速すぎた。一瞬姿が消えたようになり、気づけば僕は、肩を掴まれているんだよな、これが。しかし僕も、よく五百年も逃げたよ……自分を自分で褒めてあげたい(嗚呼、この台詞も人間界に毒されているな……)。
それから僕は石室に強制的に転移させられて、壁に張り付けにされた。磁石で。磁石……? 何故だ? 磁石を使った調教か拷問が存在するのか? え? 聞いたこと無いけどな。
――それから二時間、時夜見鶏は、気怠そうな眼差しで、僕を見据えていた。その場に夜の気配がまき散らされている気がして、一応朝の神である僕は、息苦しさを覚えた。いや、寧ろ時夜見鶏の完全美に息苦しくなったのかもしれない。何か行動を起こされるまで、顔面をじっくりと眺めていよう。しかし。一時間と少し経過したが、何もされない。どういう事だ? 僕は珍しく困惑した。何もしてこないだと……? そういうプレイか! それなら僕にもやった経験があるな。楽しいんだよな、思いの外眺めてるだけって。だけどやられる方は嫌なんだよ! 仕方がないので僕は声をかけることにした。
「……あの、」
「なんだ」
「何をするおつもりですか?」
僕の声を遮るように時夜見鶏が言った。その声は、夜に降る雪のようで、ゾクゾクとした。耳だけで孕みそうって言うのは、こういう事を言うのだろう。
「何を期待してるんだ?」
すると蔑むように時夜見鶏が口を開いた。期待だと……? この僕が?
「拷問でもされるのかと思って。僕ならそうする」
調教よりはましだからな。選択肢が二つあるとすればだけどな。逃げたい。正直、何かされる前に逃げたい。しかしこの磁石、なかなか頑丈だ。掌が動かない。僕は沈黙するしかなかった。
「っ」
その時蝋燭が首元に垂れてきた。やっぱり僕と同じ趣味だ……! うわぁあああ、最悪コースだ、調教される! 恐怖で僕の体が震えた。ピクンと肩が跳ねる。止めて下さい、本当止めて下さい。余計な事を言わなきゃ良かった――!! 数分前の僕の馬鹿――!!
しかし時夜見鶏は、気怠そうに僕を見ている。暗い瞳だった。黒すぎる。凍り付くなという方が無理だった。
「熱いのか?」
いえ寧ろ寒いです。凍え死にそうです。心をブリザードが襲ってきてるからな!!
「いいえ」
ただ、その日は何もされずに、二時間後に解放された。

今になって思えば、視姦だ。そうだったんだよ、やっぱり……!

それ以来僕は、僕と同じ趣味の時夜見鶏と話がしたくなってしまった。そして顔面の破壊力で、ついつい目で追ってしまう。もっとお近づきになりたいわけで、僕はそれとなく時夜見鶏の視界に入った。しかし嘲笑うかのように、足蹴にされている実情。話す価値もないというように、時夜見鶏は僕と目を合わせてくれない。
しかし――ついに二度目が訪れた。時夜見鶏は、僕と目を合わせると追いかけてきたのだ。
僕は逃げた。だがすぐにやはり捕まった。石室へと強制転移させられながら、僕は考えた。あ、なんて切り出せばいいのか分からない……!! 余計なことを言って、「じゃあやってみるか」とか言われたら終わる。終わる……!! 生命(消滅)的な意味で終わるだろう、これ! 僕は自分の迂闊さを呪ったよ、心底な。なんて言えば無事に解放される? 思案しているうちに二時間が経過し、その日も何もされなかった。また視姦か。レパートリー無いのか? だと、助かる。

三回目。なんと、なんとだ。初めて時夜見鶏の側から追いかけられた。そんなことは初めてで、ついにレパートリーが増えてしまったのかと恐怖する。全力で僕は逃げた。今まで以上に速度を上げたので、息切れした。この僕が、息切れだ。どんだけ足速いんだよ……!
しかもその日、初めて時夜見鶏に自発的に話しかけられた。
「着ろ」
――!? コスプレ!? 僕は悩んだ。思わず眉間に皺がよる。着替える時は、脱いで裸になるわけで、僕はかなり美しいわけだから、欲情されたらどうしよう……? 僕を抱きたいと言ってくる人(神)はかなりいる。だから僕は返り討ちにするうちに、SMに目覚めてしまったのだ……! きっと時夜見鶏は、抱かれたいとか言われて、拒否するうちに目覚めたんだろうな。この鋭い眼差しで、微笑されながら、蝋燭を垂らされている僕なんて、多分下僕から見れば嫉妬の対象に違いない。しかし僕はそんなことは望んでいないのだ。


しかしその後、九回・十回と捕まったが、特に何も無かった。一応機嫌を損ねないように貰った服は着ている。最初から着ていれば裸体もさらさなくて良いしな。その上――……はっきり言って着心地が最高なんだよな、これ。どこで買ったのか、切実に聞きたい。空族街には、どこにもなかったぞ。
ただ、最近時夜見鶏は、たまにニヤっと笑う。地味にそれが怖い。何を考えているんだろう。怖いが、聞いてみたかった。
「あの、一体どういうつもりですか。僕をいつもじっと見ているだけ――何を考えているんです?」
時夜見鶏は沈黙したまま、僅かに目を細めた。不機嫌そうな眼差しに思える。だが、僕は勇気を振り絞った。現状、お互いに無言のままに時間過ごすのは、いい加減飽きてきたし、埒があかない。
「答えて下さい」
時夜見鶏は、視線をそらして、暫しの沈黙を挟んだ。気まずい空気がその場に溢れかえる。やっぱり聞かないべきだったな。怖いよ、純粋に怖いよ。
「別に」
しかしそれだけ答えた時夜見鶏は、その後何をするでもなく、二時間後に僕を解放してくれた。僕はこの頃から、本気で時夜見鶏が何を考えているのか分からなくなり始めた。分からない事って気になるよな。知りたいと思った。
だから千回くらい捕まってみたが、さっぱり分からない。どうすんだよ、コレ。
次第に時夜見鶏への苛立ちが募っていった頃、庭の草花を眺めていたら、愛犬天使と遭遇した。
「あれ、朝蝶、一人ー? 珍しいね、時夜見は?」
「……存じません」
僕だっていつも動向を探っている訳じゃないんだよな。最近、正直飽きてきた。代わり映えがなさすぎる。今では逆に、もうちょっとレパートリーを増やせと思ってしまう。

「じゃあ折角だし、飲みに行こうよ」

なにが『じゃあ』なのかは分からなかったが、気分転換には良いだろうと思って、僕は頷いたんだよな。そもそも愛犬の話は面白いのだ。特に日替わりの恋人の話。恋……恋か。そう言えば、僕恋愛結婚したいんだったな……。誰かいないかな、嫌、時夜見鶏以上って難しいよな。聖龍様よりも、歴猫よりも、愛犬よりも、顔面破壊力が高いのだ。無論戦闘能力も高いわけだが。弱点とかあるんだろうか。そんな事を考えていた時だった。

「それで朝蝶は、時夜見のどこに惚れたの?」
「顔かな」

まずい、まずすぎる、つい本音が出てしまった。酔っていたからだ。しかも『それで』って……別に僕は、時夜見鶏のことが好きな訳じゃないぞ。……まさかな。顔は好きだけどな。うん、まさか。あり得ない、敵だし。しかし一度意識すると、ドクンドクンと煩く心臓が喚き散らした。
「顔、ねぇ。まぁ、かっこ可愛いよね」
「可愛い?」
「時夜見って優しいしさ」
愛犬は頭がおかしいのだろうか。それともこちらも酔っぱらっているのだろうか。僕の理解が追いつかない。優しいってどこが? 僕が知っている優しさとは著しく違うな。
「まぁ両思いだと思うけど、一応俺が聞いてあげるよ。時夜見に」
何をだ。何を聞くつもりなんだ、愛犬は。ちょっと冗談じゃないからな。止めろ!
それから暫くして、愛犬に呼び出された時、僕は心臓が止まるかと思った。まさか本気で聞いたんじゃないよな……?
「やっぱり気になってるみたいだよ!」
僕は沈黙するしかなかった。何の言葉も思いつかなかった。まさかの……両思い? 嫌待て僕、何を考えているんだ。ことごとくコレまでの恋愛感情は悲惨な形で終わっただろうが。そもそも、僕は好きじゃない。胸が騒ぐのは気のせいだ!!
僕はなんだか具合が悪くなってきてしまった。

しかし、体調不良は、どうにも精神的打撃からのものではなかったようだった。

正直なところ、僕は風邪を患っていたらしい。神様なのに珍しい。だから対処法も少ないんだよな。それこそ時夜見鶏の自作の(魔法薬の作成が上手らしい)噂の代物を飲めば、一発で治るかもしれないが。
そんなことを考えていた時、最悪なことに目が合ってしまった。嗚呼、捕縛される。この体調では逃げ切れないし、壁に張り付けにされるのは厳しい。走り出してすぐに、胸が痛み出した。呼吸するたびに息苦しくなっていく。もう僕は限界だ。そう思った瞬間、視界がぶれた。どんどん世界が歪んでいき、僕はそのまま意識を手放した。
それから――どれくらい眠っていたのかは分からない。
目を覚ました僕は息をのみ、反射的に上半身を起こした。濡れタオルが床に落ちた。え? 看病してくれた……? まさか、な。あり得ない。何か考えがあるんだろうな。その上、おかゆが差し出された。毒入りか……媚薬入りか……どちらにしろ、少しは体力が戻ったがきついぞ。
「食べろ」
しかし僕に選択肢はなかった。時夜見鶏は、うっすらと笑っている。怖い、怖すぎる。何を考えているんだろうな、本当。思わず僕は黙り込んでしまった。だが、時夜見鶏の瞳が、早く食べろと言っていた。仕方がないので、僕は食べた。戦々恐々としていたのだが、そのおいしさに、僕は我を忘れた。なんだコレ、神界にこんなおかゆ存在したのか? おかゆの名店なんて聞いたこと無いな。一生懸命お店を探ろうと食器を見たが、ただの白い器で、店名は書いていなかった。どこなんだろう、気になる。
それにしても、毒も媚薬も入っている様子はない。これがもしや、愛犬が言った優しさなのか? 首を傾げそうになりながら聞いてみることにした。
「あの……何故――吊さないんですか?」
その後時夜見鶏は僕を連れて石室へと移動した。そして二時間僕を眺めた。うん、やっぱりただの鬼畜だな。まぁ、看病してくれたお礼は言わないとな……そう思うとすごく気が滅入ったのだった。
そして一週間後。見事に一日で風邪から回復した僕は、<鎮魂歌>の中で時夜見鶏を探した。この場所ならば、捕縛活動はなされない。
「あの……」
僕最近、「あの」ばっかり言っているな。けれどそれでも、勇気を出して話しかけたんだ。頑張ったな、僕。だが、時夜見鶏は何も言わずに、じっと僕を見据えている。その威圧感に気圧されそうになったが、僕はお礼を言わなければならない。
「具合は?」
! その時、大変珍しいことに時夜見鶏から話しかけられた。話しかけられたのだ!! しかも心配している口調だ。やはりあれは、見えにくい優しさだったのかな!? 思わず僕は動揺した。何度も瞬きをしてから、言葉を必死で探した。
「っ、平気です。その……」
しかし上手いお礼の言葉も、それ以外の言葉も、何も出てこなくて、僕は溜息を押し殺すために唇を噛んだ。何をやっているんだろう、僕は。これじゃあまるで、僕が時夜見鶏を意識しすぎてしどろもどろになっているみたいじゃ……え、あ、そ、そうなのか!? 嘘!!
僕は時夜見鶏のことが好きなのか……? ま、まさか。勘違い勘違い。自分にそう言い聞かせていたら、時夜見鶏が僕に歩み寄ってきた。その手が、僕の額に伸びてくる。思わず目を見開いてしまった。近いところに、触れそうな距離に、時夜見鶏の体温があるのだ。思えば、捕縛される時以外、時夜見鶏に触られた事なんて一度もない。それだって服越しだ。皮膚が触れあった事なんて一度もない。無いんだよな……どうして気づかなかったんだろうな。触られたい――……

「<鎮魂歌>内での攻撃は禁止されている」

その時聖龍様の声が響いて、僕は我に返った。何を考えていたんだよ、僕は――!!
僕は少し距離をとり、自分の心臓と向き合うことにした。神様にそんなモノがあるのかは知らないが、まぁあると仮定しような。な? ちょっと僕は、何故時夜見鶏を意識なんかしているんだよ……愛犬が変なことを言うからだ。絶対そうだ。それ意外考えられないからな。うん、それだけだ。本当、それだけ。だが反面、「チ、聖龍様……余計なことを」なんても考えていたから、僕は自分で自分を殴りたくなったんだよ。
「そうだな」
たっぷり沈黙を挟んでから、時夜見鶏が答えた。え。攻撃する気だったのかな……待て待て待て、やっぱりだだの鬼畜なのか!? いや、けど、看病して助けてくれたわけだし、珍しく僕は悩んだ。どっちだ。どっちなんだ!? 結局僕は無言で時夜見鶏を見ているしかできなくて、気まずくなったからその場を後にした。
そして帰宅しても僕は悩んでいた。時夜見鶏は、一体何を考えているのか。当初から分からなかったわけだが、なんだか今の分からないは違う気がする。率直に言って、時夜見鶏は僕のことをどう思っているんだろう。それが知りたい。

「朝蝶様?」

その時、諏戒に声をかけられた。相変わらず僕の部屋には、ごっそりとお見合い写真が置いてある。見る気も起きない、今はそれどころじゃないんだから。
「そろそろ相手をお決めになって下さい。会議が終了して、どれだけの時が流れたと思っているのですか」
「僕は、逃げることで精一杯なんだ。必死なんだよ。忙しいんだ」
本当忙しい。一番忙しいのは、必死に働いている僕の思考だ。確実に。
もはや逃げることはどうでもよくなりつつある。寧ろ、その分時夜見鶏の顔が見たい。何もされないって分かっているから、じっくりと見たいんだ。本当、何でなにもしてくれないんだろう――いやいやいや、されたら困るんだけどな!
「どなたか好いている相手でもいらっしゃるんですか?」
「まぁね」
「まさかとは思いますが、時夜見鶏ではないでしょうね?」
「何で分かったの!?」
僕はつい本音で言ってしまった。いや違う、これは言葉のあやだ。
すると諏戒が深々と溜息をついた。溜息をつきたいのは、僕の方だ。なのに心臓は煩いし、ダラダラと背中を汗が伝っていく。我ながら顔色が悪いだろうと思う。
「何年一緒にいるとお思いなんですか」
「あ、うん……そ、そうだね」
「兎に角時夜見鶏だけは駄目ですよ」
「あ、あたりまえじゃないか……」
否定する声が、震えてしまった。脳裏に時夜見鶏の姿がよぎる。何故だ。嗚呼、あの顔で微笑まれたい。優しい笑顔が見たい。まだそんな顔一度も見たことがない。残忍な顔で笑われるだけだ。うわあああ、そう考えると、辛い。胸が締め付けられた。
「では今後は、少なくとも<鎮魂歌>内では、決して、時夜見鶏に近づかないとお約束下さい」
「そ、その、あれは、いや、だから、その、あの」
「だから? その? あの? なんですか」
「この前風邪をひいた時に看病してもらったからで……」
「看病されて惚れるなどと、どこの少女(神)ですか貴方は」
反論できなかった……。多分僕は、若い神のように、初恋気分で、いや改めて考えれば、初恋……かもしれないな、こんなに思ってしまうのは初めてだ……が、待て、落ち着け自分よ。何せ時夜見鶏は、敵なのだから。初恋は実らないって言うしね。だけど、周りの反対とか、障害がある方が燃え――だから待て、僕の思考!!

結局それでも僕の思考は待ってくれなかった。

気づけば時夜見鶏に歩み寄ってしまうのだ。だが、だが、だ。すごいのだ。障害が思いの外すごかった。
「朝蝶様に触るな!」
「朝蝶様に近づくな!」
諏戒は空族全てに、伝達しているようだった。僕が近づいて話をしようとしているのに、時夜見鶏が責められている。コレって絶対心証悪くしてるよな、もう本当、最悪。
仕方がないので、僕はもう、時夜見鶏に近づくことは止めた。<鎮魂歌>内では、いつどこから空族や空神族がやってくるか分からないため、無視を貫き通した。すれ違うたびに、涙が出そうになる。どうしてこんな事になってしまったのだろう。だから僕の癒しは、捕縛活動のみになった。しかし時夜見鶏は、滅多に僕と視線を合わせず、追いかけてこない。もうムシャクシャして、僕は<邪魔獣>に八つ当たりした。その結果、僕の師団の評判は鰻登りだ。時夜見鶏に匹敵する、なんて言われている。あり得ないな。
師団の演習があったのは、そんな時の事だった。
しかも時夜見鶏の師団と合同!! ああ、神は僕を見捨てなかった。いや神様僕なんだけど。
だが……行ってみたら場所も違うし、会う機会なんてほとんど無かった。無かった。無かったんだな、コレが。期待させといて、酷い。悲しい気持ちになってしまった時、さぼって土手に座っていたら、僕は鳥の巣を見つけた。可愛い、心が安らいでいく。雛はまだ小さくて、触ったら毛がふわふわしていそうだった。しかし我慢して見守る。手を差し出して止めた。思わず僕は心から微笑む。良いよなぁ、動物って。ま、この鳥も神様なんだけどな。それ以来毎日僕は、鳥を見に行くようになった。雛たちは、本当にちょっとずつ成長していく。なんて可愛いんだろう。僕も鳥になりたい。そう言えば時夜見鶏って、鳥だな。子供が生まれたら、鳥ってつけようかな――だから、待ってよ、僕の思考!! 違うコレは、跡継ぎを切望されているから、変なことを考えてしまっただけだ。僕はパンくずをあげながら、自分を叱責した。鳥のことを考えて忘れよう。うんうん。
――その時僕は鋭い視線を感じて、体が硬直するのを止められなかった。
反射的に見れば、そこには残忍そうな目をした時夜見鶏が立っていた。まずい、鳥の巣が見つかったら、何をされるか分からない。僕は良い。良いけど、鳥は駄目だ!! 何か話して、ごまかそう。それしかない。冷や汗が伝っていく。何か、言わなければ……!
「演習をサボって良いんですか?」
僕もまたさぼっていることは棚に上げた。
すると時夜見鶏が、馬鹿にするように嗤いながら、わざとらしく首を傾げた。
「別に」
別にサボっても余裕だと言うことか――だよな、人(神)を連れてまで強制転移できるほどの力の持ち主なんだから、何かあればその瞬間に戻る事が出来るだろう。どうしよう。僕は愕然とした。とりあえず立ち上がる。何とか時夜見鶏の気をそらさなければ。
「何をしている」
その時時夜見鶏が言った。問われてしまった。まずいよな、これ!! 逃げろ、僕!! 久方ぶりに、僕は時夜見鶏を見て恐怖を覚えた。体が熱くなってくる。ど、どうしよう? 嗚呼、こんな時なのに、顔面には見とれてしま……って、本当に止まれ僕の思考、鳥を守れ!
結局少しして、僕は捕まり、石室に移動させられた。
本当に良かった。時夜見鶏は気がつかなかったみたいだ。安堵しながら、二時間を堪えた。鳥のことを考えれば、苦痛じゃなかった。決して時夜見鶏の事じゃないからな!
それから、演習中時夜見鶏と会うことはなかった。
鳥の巣が露見していない安心感半分、会えない寂寞が半分だった。ただ僕は一応念のため、巣や鳥に何かあった時にはすぐに分かる魔法をかけた。時夜見鶏に見つかって、万が一虐殺されたら大変だからな……。
しかしある日、その魔法が発動した。嫌な予感に襲われて、大至急出向くと、親鳥のおなかが真っ赤に染まっていた。血がにじみ出ている。僕は鳥の生態には詳しくないけど、致命傷だってすぐに分かった。このままでは消滅してしまう。僕は顔が歪むのを止められないまま、必死で包帯を巻いた。傷口からの流血が少しでも止まるように願いながら。泣きそうだ、涙がこぼれそうだ、何でこんな事になったんだろう。それから僕は日が暮れるまでそこにいた。親鳥はどんどん弱っていく。だけど僕は師団長だから、演習の終了を告げに行かなければならない。苦しくて、息が詰まった。だがしっかりと瞼を伏せて、思考を切り替える。僕には何も出来ないのだから。
翌日……僕は恐る恐る鳥の巣を見に行った。昨日もう一度、魔法が発動したから、親鳥に何かあったのは間違いがない。きっと死んでしまったのだろう。そう思い、鳥の巣を見て、僕は唖然とした。親鳥の怪我が治ってる――治ってる!! 思わず僕は手を差し出し、抱きしめようとした。うれし泣きしてしまう。こんな事、奇跡だ……いや、そんなはずない。何故治った? こんな芸当が出来るのは、恐らく魔法薬を作れるのは……時夜見鶏だけだ。どうして? どうして親鳥を助けてくれたんだろう。やっぱり時夜見鶏は、本当は優しいのかな? そう考えていたら、草むらに魔法薬の瓶が落ちていた。これはもう確実に時夜見鶏だというか……なんで瓶をわざわざ置いていったんだろう。この瓶も結構値が張るはずだ。時夜見鶏の行動がよく分からない。瓶などなくとも一発で、時夜見鶏の行動だと分かるのに、何故わざわざ置いていったのだろう。落としたんだろうか? 落とし物か? 届けた方が良いのか? え? その辺にいないかな? ……いなかったんだよな、これが。気配はあったから、いたのは間違いないんだけどさ。その後どこを探してもいなかった。
その日、僕は全力で時夜見鶏を探した。瓶を返さなければならないし、お礼も言わなければと思ったからだ。すると、歴猫と遭遇した。何でも長らく時夜見鶏と深刻な話をしていたと、兵士が言っていた。羨ましい。すごく羨ましい。
「……朝蝶、貴方は時夜見鶏のことをどう思っているのですか?」
「え?」
何だろう急に。まさか歴猫にまで気持ちがばれてしまったのだろうか。いや、待とうか僕の頭。何だよ、僕の気持ちって!!
「時夜見鶏は、何らかの心の傷を負っていて、貴方を見て癒しを得ていたようです」
!? え、本当!? 息をのんだ僕は、目を見開いた。歴猫が嘘をつくとは思わない。大体、嘘をつく理由がない。
「間違いありません……少しで構わないので、優しくしてあげて下さい……」
「……ええ。分かりました」
何コレさらなる奇跡の両思い!? 僕は楽しくなってしまった。歴猫がそんな僕を見て眉をひそめていたが、何にも僕は気にならなかった。ただ、とりあえずお礼を言うのが先決だ。そこから想いを深め合おうじゃないか! だから……想いって何だよ……。
そして夜になるのを待って、僕は時夜見鶏と目が合うように構えた。よし、成功。だが――……考えてみれば、なんだかお礼を言うのも、好きだとか言うのも恥ずかしくなって、全力疾走してしまった。いや、好きって……違う、はず。しかも今日なんだか、時夜見鶏の速度が遅い。正直助かった。まぁ結局捕まったんだけれども。そして僕は勇気を振り絞った。
「あの、鳥へ魔法薬をあげたのは、貴方でしょう?」
「いいや」
すると珍しく、すぐに返答があった。もしや……照れているのだろうか? あの、時夜見鶏が……? 確かに、鳥を助けるイメージはないな。だが、確実に時夜見鶏だし。
「じゃあ……あそこで何を?」
いたよね。確実にいたよね。うん、確実確実確実。僕の気のせいではない。夢を見ていた訳じゃない。うん。間違いない。
「別に」
しかし、そう言われてしまうと、僕は次に何を発言すればいいのか分からなくなった。
結局そのまま時間が経とうとしていたので、思わず辛くなって、気づくと僕は時を巻き戻していた。それが僕の特別な能力だ。
「別に」
時夜見鶏の声が再び響いたので、成功したのだと分かる。だがさすがに気づかれて、時夜見鶏に険しい顔をされた。でも、僕は今度こそ言わなければならない。少なくともお礼を。
「何故時間を巻き戻した?」
冷たい声音だったから、思わず息をのむ。再び沈黙してしまいそうになるのを必死で堪えた。
「あの、有難うございました」
単刀直入にそう言うと、スッと時夜見鶏の目が細くなり、小馬鹿にするように首を傾げていた。それでも僕は、言いすがった。
「二つ、貴方には助けて貰いました。両方の、お礼を」
風邪と、鳥だ。ようやく僕は、言えたんだな。長かった。
「別に」
淡々とそう言うと、何事か分からないというような笑みで、時夜見鶏が僕の拘束を解いてくれた。床へと着地しながら、時夜見鶏を見る。そして思わず、歩み寄ってしまった。僕はもう感情を抑えきれず、時夜見鶏に抱きついた。首に手を回し、その温度に嬉しくなる。思った通りに厚い胸板に、僕は顔を預けた。ちょっとだけ背伸びをして。その時、時夜見鶏の手が、僕の腰に触れた。抱き寄せられるのかと、期待した瞬間、時夜見鶏の体が崩れ落ちた。呆然としてみれば、時夜見鶏の背中の服から、血が漏れだしていた。
「なんで、こんな……怪我? 時夜見鶏が? え? 嘘でしょ?」
焦って体を支えるが、頭部を強打したようで、時夜見鶏の瞳は虚ろだ。こんな表情、見たことがない。それだけ、体が辛いのだろう。意識を喪失しそうに見える。だから思わず必死で名前を呼んだ。
「時夜見鶏? 時夜見!」
「……なんだ」
すると掠れた声で呟いてから、時夜見鶏が目を伏せた。そのまま、意識を失った。心配で心配で、胸が張り裂けそうだった。

もう僕は、僕の気持ちを認めるしかない。僕は、時夜見鶏のことが好きだ。

――……自覚したものの、僕はどうすればいいのか分からない。少し冷静になって考えてみることにしたんだよな。そもそも本当に時夜見鶏は僕のことを好きなのか? そこから、だ。仕方がないので僕はその後、千回ほど捕まりながら様子をうかがった。無言の時間が続いた。沈黙だ。夜の帳のような静寂に、僕は最近慣れてきた。だがこれでは、時夜見鶏が僕のことをどう思っていたって、何も進展がないよな……え。だとすると、だとするとだ。僕が何かしなきゃならないんだよな。それから僕は、また千回ほど捕まるくらいまで悩んだ。結論は最初から最後まで同じだった。『告白する』――それ一択だった。だが、僕は告白されることは日に三十回くらいあっても珍しくないが、逆はない、無いのだ、告白したことなど一度もないのだ。しかも告白してきた人々(神)を僕は、冷笑しながら「釣り合ってると思っているの?」だとか酷いことを言ってみたり、下僕化したり、そのまぁ色々としてきたわけだ。時夜見鶏にそうされないとは限らない。何せ僕と同じ嗜好の持ち主のようなのだから……! 僕は時夜見鶏に告白して嘲笑されたら、自殺(消滅)する自信がある。そして考えたのだ。体で気持ちを伝えてみようと。だが、僕は後ろの孔を弄ってやることはあっても、弄られたことなど無い。どうしよう……!! その時ハッとした。僕が跡継ぎをなすように、空神族は、女神をその気にさせる媚薬を開発していたではないか。アレって確か、体を弛緩させて、快楽を煽るんだよな。それを飲んだら僕はもしかしたら痛みに耐えられるかもしれないな! そうと決まれば、決行だ。

僕はその日、ゴツゴツした岩がある草むらへと行った。ここには人(神)気がないのだ。

計画通り時夜見鶏は追いかけてきた。僕は今までで初めて立ち止まり、時夜見鶏を正面から見上げた。すると時夜見鶏もまた立ち止まり、目を細めながら、気怠そうに首を捻った。
「あの」
「なんだ?」
この声を聞いたのは、一体いつ以来だろう……僕に向いているのなんて、ほぼ記憶にない。あれだな、風邪鳥事件の頃だ、きっと。僕は一生あの出来事は忘れないと思う。
「たまには、僕も捕まえたいんですけど」
僕は意を決して告げた。断られるかもしれないし、いや寧ろその可能性の方が高いんだけどな、他の方法が思いつかなくて、率直に言うことにしたんだ。
「それに……僕に捕まったらどうなるか、知りたくないですか?」
時夜見鶏が何も言わないから、僕は煽るように笑って聞いた。何度か瞬きをした時夜見鶏の瞳は怜悧で、相変わらず何を考えているのか分からない暗さを持っている。時夜見鶏は、思ったよりも骨張っているが端正な指先で、薄い唇を撫でた。見ているだけでドキドキしてきた。鎮まれ、僕の心臓よ! 冷静に、冷静に、慎重に続けなければ。
「貴方はずっと、これまで見ていた。何もせずに。だから僕も、貴方の血を見るようなことはしません」
僕は精一杯の笑顔を浮かべた。その辺の神々ならば、コレで一発で堕ちる。だが時夜見鶏は、ただ僕のことを気怠そうに見ているだけだった。だが、いつも無表情なんだから、効果があるのかないのかなんて分からないじゃないか。僕は笑みを頑張って浮かべ続けた。この作り笑いが得意な僕が、頑張ったのだ! 笑みを浮かべることを頑張るなんて初めてだった。少しで良いから、時夜見鶏がキュンとしてくれたらいいのに……。

「いいぞ」

その時、僕が待ち望んでいた言葉が急に降ってきた。呆然として立ちすくみそうになったが、はっきりと僕は聞いたんだ。聞いたんだよな。視線を向ければ、時夜見鶏はじっと僕を見ていた。視線がかち合い、心臓が耳に接着したような感覚になった。頬があつくなってくる。よ、良かった……時夜見鶏にも僕の笑顔はちょっとは効いた! だよな!?
「良かった」
僕がそう言って安堵すると、何故なのか時夜見鶏が息をのんだ。もしや僕の可憐さに魅了されたのか? そうであってくれ。普通に時夜見以外なら、もう陥落しているはずだ。顔面の作りをよく生み出してくれた聖龍様に、僕は心の底から感謝した。普段は変態面食いとか思っていたのだが、今だけは……!
「今日は僕が捕まえて良いんですよね?」
嬉しくなって僕は、もはや心のそこからの笑顔を浮かべてしまった。
「……ああ」
時夜見鶏が珍しく、体を反らせた。何だろうこの沈黙と、体勢。あ、もしや僕のことを意識して、ちょっと距離をとっちゃった!? そうに違いない!
僕は嬉しさ極まって、時夜見鶏に抱きついた。
「捕まえた」
「……そうだな」
暫く抱きしめていたが、時夜見鶏は何も文句を言ってこなかった。ただ、今ここにある沈黙が、僕は嫌いじゃない。側にいてくれて、その体温を確かに感じると、体が自然と弛緩していった。
「僕の頼み事、聞いてくれるんですよね?」
「……ああ」
時夜見鶏が、瞬きしながら小さく頷いた。そして僕は――……計画を思い出した。あ。ど、ど、どうしよう……? ぼ、僕、時夜見鶏とヤる事を考えていたけど、なんて切り出せばいいの――!! 無理、シようとか、恥ずかしくて絶対言えない。どうしようどうしようどうしよう!? 落ち着け僕。神々なんて僕らなんだから、頼りにならないことは分かり切っているんだから、祈っても仕方がない! こういう時に頼りになるのは、自分だけだ!

そして僕は――やけになった。

空間魔法で緑色の瓶を取り出して、一気飲みしたのだ。そう、媚薬を一気飲みした。
もうここからは、僕の演技力、頑張れとしか言えない。
「あ……僕、間違え……くぅッ」
そうそうそう、僕は間違えて媚薬を飲んじゃった感じでな!! これで押し通すしかない!!
バレないか冷や冷やした。目を細めて僕を見ているからだ。しかも、だって時夜見鶏は予知できるし……! あ、僕が飲むのも予知していたのかもしれない。なのにここにいたって事は、時夜見鶏もそのつもりだったって事で良いのか!!
「今の、ラピスラズリ媚薬だから……中に出して貰わないと……その……おさまらないから……時夜見鶏、楽にして下さい」
それでも僕は、真実を告げ、演技も続け、時夜見に言った。鶏をつける余裕はどこかへ行った。焦ると時夜見って言ってしまうんだ。そんなに仲良くないのにな。しかも――……本気で体が熱くなってきた。中から熱が這い上がってくるようで、思わず唇を噛みしめ瞼を伏せた時、体がびくんと跳ねたのが自分でも分かった。狼狽えて目を開け、時夜見鶏を見上げる。どうしよう、予想以上の効果だ……これ、このまま放置されたら、多分僕快楽で気が狂って死ぬ。消滅する。さっと思考が冷えたのに、体は熱いままだ。
「……ああ」
しかし、時夜見が同意してくれた。僕は安堵で気が抜けた、その瞬間、快楽に全身を絡め取られて、訳が分からなくなってきた。ゾクゾクゾクゾク体が震えるのに、寒くない。
「早く、中を触って下さい」
気づけばそう口走っていた。もう堪えられそうになかった。
「何処だ?」
だが続いた言葉に僕は目を見開いた。何処がって……まさか、焦らす気じゃないよな。無理だから、本当に僕もう無理だから。涙がこぼれそうになった。
「何処を触って欲しいんだ?」
もう――……僕は覚悟を決めた。何でも良いから楽になりたかった。言葉責めがこんな所で来るとは普通思わないじゃないか。普段やれよ!!
「……っ、ここ、です」
自分で自分の後ろの孔に触れると、それだけでも体の中心が疼いた。指を差し込んで、動かしたかったけど、さすがにそれは恥ずかしくて出来ない。僕にだって羞恥心はある。
その時、優しく時夜見鶏に、入り口を指先で刺激されて、悲鳴を上げそうになった。何とか噛み殺したが、僕の体はもう素直になりきっていた。
「ぁ……もっと」
もっとして欲しい。それしか考えられなくなる。体が熱い、熱いよ。その時また突かれる。
「ここか?」
「うぅ……ぁっ、ン……はぁ」
入り口を刺激されただけで、僕は気が狂いそうになった。もう駄目だ。何で時夜見はこんなに意地悪なことを言うんだろう。やっぱり僕のことが嫌いだとか? 僕を性的にいたぶりたいとか? それとも調教? どれでもいいから僕の体を解放して、お願いだから!!
息が上がってしまい、僕は何度も舌を出して、熱い息を吐いた。それにすら嬌声が乗ってしまいそうになる。
「早く中に……」
「ここに、何を出して欲しいんだ?」
「っひ、酷い……っは、じらさないで……時夜見の、精液っ」
僕はもう自分が何を口走っているのか、よく分からなくなってきた。ただ時夜見が意地悪なのを理解したのと、媚薬の効果だけはしっかりと覚えていた。精液を出して貰わないと、媚薬の効果は消えないのだ。
「早く……っ、ぁ……ああっ」
僕は懇願した。時夜見の体を求めた。
「いつも、どうしてるんだ?」
けれど続いた言葉に目を見開いた。いつも……? 僕は誰ともこんな事をしたことはないし、相手が時夜見だから、良いかなって思っただけで……なんだよそれ!! 僕は憤怒が沸々と浮かんできた気がしたが、だが、それさえも快楽に熔けきっていく。
「ぼ、僕、そんな……いつもなんて……酷い」
それでも必死に抗議した。僕は、本当に初めてなんだから。悲しくなってきた。時夜見の中での僕のイメージってどうなってるの? 涙がぽろぽろとこぼれてきて、止まらなくなった。必死で嗚咽を堪えながら、僕は泣いた。頬が濡れていく。だけど体の熱は収まってはくれない。
「出して欲しいんなら、起たせてくれ。出来るだろ?」
しかし時夜見はそんなことを言ってきた。僕の心は深く抉られた気がしたけれど、もう気持ちよくなりたくて仕方がなかった。
「っく……と、時夜見ッ……わ、分かったから……ああっ」
僕は時夜見のボトムスをおろして、息をのんだ。……覚悟はしていた、身長も高いし、体格も良いし……そして形が端正なのも納得がいく、が、ちょっと待て、大きいから! 何このサイズ、しかもこれが起つの……? 俺は寒気を覚えた。しかし体は熱いままだ。それに時夜見のことを好きだと自覚している以上、どこかへ逃げて他の誰かとスるなんて却下だ。僕は必死で口を開け、陰茎の側部に両手の指を這わせた。触ってみたが、やっぱり大きい。第一口でするにも精一杯の長さと太さだ。どうなるんだ、これ。それでも僕は必死で頑張った。
「もう良い」
「っ」
「離せ」
しかし、下手くそとせせら笑うように時夜見が言った。表情を見れば、笑われるより最悪で、冷たい顔をしていた。そんなに僕は下手だったのかな? 怒らせた? 確かに時夜見は、され慣れてそうだし……。僕は、こんな事したことないし。道具使うし。
その時不意に、時夜見鶏に腰を掴まれ、それだけで体が震えた。指先の感触に全身の熱が集まっていく。そのまま、僕は反転させられた。何が起こったのか分からないでいるうちに、ドロドロとした液体を纏った指が中へと入ってきた。
「ん、ぁああっ」
声が堪えられない。その衝撃で僕は達しそうになった。だが、中に出されるまで、快楽は永劫続くのだ。僕はなんて媚薬を飲んじゃったんだよ……!! バカ、僕のバカ!
僕は悦楽で、体が震えてしまうのを自覚した。すると何故なのか、周囲の気温が上がった気がした。そこまで朦朧とするほどまで、もう僕は熱しか感じ取れなくて、ああっ、ぅ!!
その時、時夜見の指が奥まで入ってきて、動き始めた。鳥の羽がうごめくようなもどかしさが広がっていく。
「ふっ、あ、いやッ」
足りない、全然足りない。僕が懇願すると、指の動きが止まってしまった。嗚呼、もう嫌だ、僕はもう限界だ、苦しい、気持ちよすぎて苦しいよ。
「もっとぉっ」
泣きながらそう言うと、時夜見の二本目の指が入ってきた。内部で、その骨張った感触を感じる。全身が性感帯になった気分だった。
「ンあ――ひっ、うあ」
「これが望みか?」
快楽の虜になっている僕を、嘲るように時夜見が言った。僕にはそれが恐ろしかった。
「気持ちいいか?」
「は、はい……っ」
それからかき混ぜるように、二本の指をバラバラに動かされた。その刺激だけで再び僕は達しそうになったのに、全然それはかなわなかった。
「あ!」
その時ある一点を二本の指がかすめられ、僕は体中に電流が走った気がした。目の奥が白くなってチカチカとする。そこを触られると、もう、気持ちよさの限界を突破してしまう。
「そ、そこは……っんぅ」
「ここか?」
僕が拒否しようとすると、意地悪く時夜見がそこを嬲るように指の腹で撫でた。多分時夜見はすごく手慣れている。そんな時夜見を相手にしたら、僕なんて、媚薬なんか飲んでいなくたって、無理だったんだ、きっと。
「はっ、ぁああっ。も、もう僕……んぅ、イっちゃう……っ」
出したい、兎に角出したい、もうそれしか考えられなくなってきた。イかせて欲しい。
「うあっ、ああっ、そ、そんな……っ、ああっ」
しかし時夜見鶏はやはり残酷だった。僕の様子をうかがうように冷たい瞳で一瞥してから、中の尋常じゃなく感じてしまう場所と、僕の前の陰茎を同時に刺激し始めたのだ。もう僕の理性は何処にも残っていなかった。気持ちいい、気持ちいい、こんなの僕は知らない。
「も、もう、中に入れてっ」
そう言ったのとほぼ同時に、時夜見の楔に貫かれた。巨大な熱の暴力に声が喉で一瞬凍り付いた。だが辛いだけじゃなくて、どうしようもなく甘い疼きが、僕にもたらされた。僕は多分ずっとこれを求めていたのだ。
「ああっ! そんな急にっ」
やっと声が出たのでそう言うと、急に時夜見の動きが緩慢になった。限界まで抜かれる感覚に、ガクガクと体が震える。
「いやっ、ああっ、もっと奥を――ひっ」
僕の言葉に、今度はゆっくりと中へと進んでくる。その衝撃だけで、意識が飛びそうになる。僕は多分、涎を零しそうになっていた。体中から力が抜けきっていく。なのに、ただ後ろの一点だけが熱い。刺激を欲して疼くのだ。
「う、ああああっ、や、いやだ、焦らさないでっ」
緩慢な挿入に、思わず叫んでいた。すると苦笑するように時夜見が息をのみ、激しく腰を動かし始めた。これまでとは異なる、全然異なる質の、もはや快楽だなんて呼び名がふさわしくないような感覚に僕は襲われた。このままじゃ、僕は壊れる。
「あ、あ、っ、んぁ、や、ぅう」
「……どうだ?」
「もっと突いてっ、ああっ、奥、あ、さっきの所ッ」
どうして時夜見は、こんなに余裕たっぷりなんだろう。蒙昧とした意識で考えた。しかしそれとはバラバラに体が刺激を求めるのだ。
「あ、ああっん、ひゃっ、激しッ、ああっ」
だが激しすぎて、もう刺激すらも苦痛になりそうになった。しかし、完全な苦痛にはなってくれないのだ。苦痛すら、快感に変換するのが、この媚薬なのだから。
「ふぁああッ、ひ、あ、ア、駄目、駄目もう僕――で、出る」
すると時夜見の腰の動きが少しだけ優しくなった気がした。気のせいかもしれないけどな。
「ああっ――ッ、ん、こ、こんな……あ」
中のおかしくなる箇所を刺激され、僕の体はガクガクと震えた。震えることが止められなかった。そんなのもうずっとだ。
「ひァ……!」
最後に中で深く陰茎を打ち付けられた時、前を撫でられ、僕は悟った。スッと媚薬の効果が消えていく。理性が体の統制権を取り戻したようで、体内には時夜見の白液があるのだろうと理解した。ただし、まだあっけにとられ呆然としていた僕は、手慣れた様子で僕と自身の体を綺麗にしていく時夜見を見上げるしかできない。
「もういいか?」
そうしていたら、時夜見に冷たい声で言われた。
「……は、はい……」
時夜見鶏とシてしまった。致してしまった。その事実に体が一気に硬直した。頬が赤くなる。今度は媚薬のせいじゃなく、羞恥で体が熱くなった。
だがそのまま何も言わずに、時夜見は転移して帰ってしまった――帰ってしまった!? 僕は呆然としていたあまりに、引き留められなかった。時夜見、一体どういうつもりだ、ま、まさか……――この僕をヤり捨て!? ちょっと冗談じゃないからな!! 嘘だろう!?
だが、戻ってくる気配はなくて、僕は胸にぽっかりと穴が開いたような気分になった。

僕はなんだか悲しい気持ちで、空神族の館へと戻った。

すると非常に冷たい眼差しで、口元だけに笑みをたたえた諏戒が立っていた。
「朝蝶様、どちらへ?」
「……」
今の僕には答える気力なんて無い。無いな。もう、灰になった気分だ。
僕は遊ばれたのだろうか……。誰か、答えを下さい。
「朝蝶様、私目の気のせいでなければ、ラピスラズリの媚薬が一本無くなっているのですが……」
もうどうでもいいじゃないか。そんなの大した問題じゃない。いや、あの薬は効きすぎるから、大した問題と言えば大した問題だな。だけどそれ以上に僕は憔悴しきっていた。
「どちらの女神に使用なされたのですか?」
「……」
「それとも男神ですか? 人型の器を女性型にしていただかなければ」
「……」
「……まさかとは思いますが、朝蝶様が、抱かれたと言うことはありませんね?」
「……」
僕は涙がこぼれてくるのを感じた。気づけば子供みたいに、ボロボロと僕は泣いていた。諏戒が驚いたように、頭を撫でてくれる。それが優しくて、そして辛くて、僕は決意した。
――僕をヤり捨て?
おいこれ、ちょっと許せないな。そうだよ、そうだろ、許せない。絶対許さない。復讐してやる。そう思うと涙が止まった。そして僕は、嗤っていた。なんだか楽しくなってきた。どうやって嬲ってやろう。社会的にも抹殺してやる。

「時夜見鶏に犯されたんだ……」

僕がそう告げると、諏戒が息をのんだ。
「あんまりにも辛かったから、空間魔法で取り出して、自分で飲んだんだよ」
「そんな、まさか――」
「信じなくても良いよ」
儚く僕が笑いながら涙すると、諏戒が再び息をのんだ。
「……本当に、本気で、誠に事実なのですね?」
「……もう、話したくない」
「お辛いでしょうが、これは一大事。空族全てに通達させていただきます」
「うん……」
視線で諏戒が、控えていた者に「行け」と命じた。そしてその部屋には二人きりになった。
「朝蝶様……」
「何……?」
「本当によろしいのですね?」
「何が……?」
「引き返せなくなりますよ。時夜見鶏に恋をしているのでしょう?」
今度は僕は失笑しながら泣いた。そんなの分かっている。これは戦争の火種にすらなるだろうって事なんてな。

「恋って言うものは、一方的なものではないと僕は思います。僕らの中に、恋愛という概念はないから」

諏戒はそれ以上何も言わなかった。だから僕も何も言わなかった。もうそれで良かった。
なにせもう、決意は固かったからだ。

――僕は、時夜見鶏に復讐する。