目が醒めたら異世界にいた。




僕は生まれた時から、凄く体が弱かった。
兎に角免疫力が落ちているらしい。原因は不明だったから、もしかすると心因的な物かも知れないとも言われた事がある。
が――別に何も困っていなかった。
好きかってに本を読んだり、ゲームをしたり、毎日楽しい。
そもそも体を動かすのも、勉強するのもだいっきらいだから、学校なんかに行きたくない。
両親はよく分からないが、ウイルスの研究をしているそうだ。
その為、僕は点滴とサプリメントでお腹を満たしている。
食中毒にならなくて良いよね。
排泄物は、全部チューブで処理されているから、トイレにも行かなくて良い。
いつも一人だ。
ネットでもコミュ障だから、知り合いは居ない。
だから、孤独だなんて思わないし、感じたこともない。
孤独なんて言う物は、嘗て誰かと一緒にいたことがある人しか、感じないんじゃないかと思う。少なくとも僕は、感じたことがない。
きっとこうして一生が終わるのだろう。そう考えていた、ある日のことだった。

理緒りお、大変なの」

母が僕の部屋へと駆け込んできた。
何だろう、ついに僕は死ぬのだろうか。昨日の検査結果が悪かったのかもしれない。
「TSYウイルスが流行っているのは知っているわね?」
「まぁ」
最近流れるネットニュースもそればかりを報道している。感染すると、骨が変形して筋肉が盛り上がり、理性を失う、んだったかな。あまりにもグロテスクな容姿になるため、報道規制がかっているそうだが、ネットには写真が出回っている。上半身が筋骨隆々とした、ゾンビみたいになるらしい。その上動物にも感染するのだとか。今のところ、治療法は見つかっていないとニュースで見ているし、仮に治療法が見つかっても、捕縛し注射を打ったり、薬を飲ませたりするのが、困難だろうと言われている。既に、世界中に蔓延していて、いくつかの国では、国民が皆罹ってしまったとも聞いている。このウイルスが恐ろしいのは、簡単に文明社会を崩壊させることだと、どこかのコメンテイターが言っていた。
「貴方の血液検査の結果を照合したら、ワクチンが出来たの」
へぇ、そりゃあ良かったなと、僕は頷く。
「じゃあ僕は献血すればいいの?」
「――それがそうにもいかないの。Y-ER72ウイルスのことも知っているわね?」
「うん、まぁ」
こちらのウイルスは、人間の潜在能力を引き出す薬らしい。
簡単に言えば、超能力者になるという代物だ。
代わりにこちらは、体力や精神力をかなり消耗するため、定期的に休まないと死に至るらしい。
世間では、二つのウイルスは、戦い合うために出てきた、何て言われている。
「貴方はそのウイルスのキャリアだったの」
「え」
部屋から出ていないのにそんな事があるのだろうかと、思わず息を飲む。
確かにこちらのウイルスは、感染方法が不明なのだ。
TSYウイルスの方は、体液同士の接触で感染するらしく、噛まれたり直接傷がある手で血を触ったりすると移るらしい。
「そこで、Y-ER72の治療法が見つかるまでは、なんとしても貴方のことを守らなければならないから、冷凍睡眠装置コールドスリープに入って欲しいの。今父さんが用意をしているから、急いで準備をして」
準備と言われても、どうすればいいか分からなかったし、僕には選択権なんて無いように思える。まぁ一人には慣れているし、良いかなと思って、僕はベッドから降りた。

このようにして、僕は治療法が見つかるまでの間、眠ることになった。

次に目を開けた瞬間、僕は何度か瞬きをした。
蓋を開けて僕をのぞき込んでいるのは、一人の青年だった。
両親の助手か何かだろうか。
首を傾げながら立ち上がると、青年が唾液を嚥下したのが分かった。
「……あの、坂崎結理と坂崎真緒は?」
久方ぶりに声帯を動かしたせいか、なんだか喋るだけで疲れた。
「サカザキ? 女神ユーリと男神マオの事か?」
なんだそれは? と思っていたら、僕の眠っていたスリープ用の機具の中に、プラスティックの板が入っていた。
『日本は滅びます。もし貴方がこの記録を読むことがあったとしたら、その時世界は、超能力者とTSYウイルスの感染者、そして感染しない貴方と同じ体質の人間のみでしょう。貴方もY-ER72には感染しているので、超能力が使えるはずです』
突然の事態に、僕は困惑するしかない。
恐る恐る青年に振り返ると、スッと切れ長の目を細めていた。金髪碧眼なのに、日本人っぽい顔立ちだった。そういえば、Y-ER72に感染すると、色が変わるのだと聞いたことがあったような無かったような。僕は変わらず黒い髪に黒い髪だけど。
「……古代語が読めるのか?」
唐突にそう声をかけられて、僕は引きつった笑みを浮かべてしまった。
これが古代語で、日本は滅びたと言うことは、今ココには、全く違う文明が広がっているんじゃないのか? しかし口語には問題がない。
「あの、今は、どんな文字を使っているんですか?」
「――カタカナという文字だ」
その言葉に、僕が知っている片仮名でありますようにと祈った。
「この女神の宮殿の最深部には、偉大なる神々の子孫が眠っていると聞いていたが、貴方は、その……?」
「いえ。全然違います」
慌てて首を振った僕に、青年がほっとしたように息をついた。
「名前は?」
「理緒です」
「リオか。俺はセージ・フラット」
フラット? 楽譜の? それにセージって、日本語っぽいけど、ハーブの名前かもしれない。僕はネットをガンガン見ていたので、無駄な雑学知識ばかりは自信がある。
「すいません、あの、僕ずっと寝ていたので、今の世界のことを知らないんですけど……此処は神殿なんですよね。一体、何がどうなったんですか?」
「やはり、偉大なる魔術師が眠りについているという噂が真実なのか」
「嫌、それも勘違いです。僕、魔術師じゃないです」
魔術師って、なんだそのオカルト単語は。
「嘘をつくな。何せ三百年間、誰にも攻略出来なかった、神殿の最深部で寝ていたんだぞ、お前」
半眼になった青年が、急に砕けた口調になった。
「そんな事を言われても……所で、今は何年何月何日ですか?」
「今は、オーガス暦1231年10月7日だ」
オーガス暦って何だろう。ただとりあえず、月日は僕が知る日本と変わらないようで安心した。季節も、気候も変化がないと良いな。出来れば食べ物も(食べたことは一・二回しかないんだけどさ)。しかし何より嬉しかったのは、見た感じ洞窟のような場所にいるのに、僕の体調が平気であることだった。もしもこんな石壁と床が土の場所にいたら、前の僕だったら確実に、直ぐにでも病気になって倒れていたはずだ。
「ええと、何て言う場所? 神殿とかじゃなくて、それがある場所」
僕も砕けた口調にしてみた。怒られたら、それはその時だ。
「――アカバネ王国だ」
アカバネ……赤羽!?
確実に、此処は、旧日本だろう。しかし、僕の知る日本には、王国なんて無かった。
「……何大陸ですか?」
「ハポネス大陸だ。全部で60の国がある」
「そうなんですか……」
「職業は5つある。騎士・剣士・魔術師・医薬師・吟遊詩人。他は、一般の民だ」
「ええと貴方はどの職業ですか?」
「セージと呼んでくれ。俺は、剣士だ。剣士や魔術師は、騎士になるか、冒険者になることが多い。冒険者は職業というわけではないから、ギルドで証明書を作れば、誰でもなれる。俺も冒険者だ。だからこうして、遺跡の攻略などをしているんだ」
「……」
もしセージという名の剣士が、真面目に話しているのだとすれば。
何てファンタジックな世界に僕は今生きているのだろう。
だが……少し分かる気もするのだ。何せ僕が生きていた世代は、ゲームもファンタジックだったし、中二病妄想は蔓延していたし。
「あの、外まで連れて行ってもらえないかな?」
兎に角外のことをもう少し知らないと、どうしようもない。
「ああ。構わない」
そうして僕は、セージに連れられて階段を上った。
体力が凄く衰えているので、五段目くらいで息切れがしてきた。
「ねぇ、これってさ……」
その上、周囲には、噛まれると理性を失うというTSYウイルスの被害者らしき死体が散乱していた。僕は幸運にも、このウイルスには感染しないらしいのだけれども。
「ああ、魔族だ。魔族も見たことがないのか?」
「魔族?」
いやいやいや、元は人間のはずである。ゾッとした。
確かに元々の世界でも機動隊や自衛隊が対処して、最悪の場合射殺しているとは聞いたことがあったが……もしやコレを剣で斬り倒して、セージは僕の眠っていた場所までやってきたのだろうか。
「おい」
それから会話がなかったのだが、漸く出口が見えてきたところで、セージに声をかけられた。
「ずっとこの暗闇の中にいたんなら、目がやられるから、少し瞑ってろ」
そう言うと彼は、僕に手を差し出した。
おずおずとその手を掴み、暫く瞼ごしに、明るくなったのを感じていた。
「もう良いぞ」
その声に目を見開き、僕は呆気にとられた。
そこにはネットの動画で見た自然公園並みの森が広がっていたのだから。
僕は自慢じゃないが、こんな緑の中に来たことなど、一度もない。地面にも緑色の雑草やら芝やらが生えている。
その時、奥の茂みから、何かが躍り出てきた。
――TSYウイルスに感染している狼だ。唖然として目を見開いた時、何でもないことのように、一歩前へと出て、セージが剣を振るった。早すぎて見えなかった。
「魔獣だ」
剣に付着した血を振り払い、鞘にしまいながらセージが言う。
血液の匂いに、僕の体は瞬間的に震えた。
何でもなく殺したセージに対する恐怖も出てきた。剣が、若干光っているように見えたから、彼は多分”超能力者”だ。もう一つのウイルス、僕も感染しているらしい、Y-ER72ウイルスの感染者なのだろう。
吐き気がして、口を覆ったが、胃酸がせり上がってくるだけで、他には何も出ては来なかった。それはそうだ。僕は、現代日本にいた頃だって、食べ物なんて、食べてはいなかったのだし、仮に食べていたとしても、とっくに消化されているはずである。
しかし未だに信じられないという思いが強かった。夢か何かじゃないのだろうか。
「……悪い、魔獣を屠る光景になれていなかったのか」
近寄ってきて、セージが背中をさすってくれた。
涙が出そうになったのを堪えながら、僕は何度も頷いた。
「三百年前には、魔獣はいなかったのか?」
嫌多分、感染している動物は居たのだろうが、そう言う問題ではない。
こんなに生々しい殺害現場を見たのが初めてだったのだ。
考えてみると、僕って温室育ちだったんだな……。
これから、どうすれば良いんだろう、僕は。
困ったので、目がまだウルウルした状態のまま、セージを見上げた。
「え、おい、そんな泣くほど怖かったのか?」
頷くしかない。それに今後の不安を考えると、もうどうしようもなかった。
「兎に角、魔族や魔獣がいない街までは送ってやる」
「……送ってもらっても、お金も無いし、僕は一体どうすれば……」
こんな事なら、一生寝ていたかった。最悪だ、本当。
「部屋が空いていなかったから、俺がギルドの上に取っている宿は二人部屋だから。そこで『良ければ』、泊まって良いぞ」
セージはそんな僕の頭を撫でてくれた。剣ダコがある。
「有難う」
僕がお礼を言うと、セージが苦笑した。
「ま、金がない冒険者なんてよくいるしな。リオも、冒険者にでもなったらどうだ? とりあえず、早急に身分書は作ってもらえるから」
それは有難いと思いつつも、僕はセージの後を歩きながら首を傾げた。
「所で、冒険者とかギルドって何ですか?」
「……そこから知らないのか」
「すみません」
「ギルドは、様々な依頼を、冒険者に斡旋してくれるところだ。依頼を沢山こなしたり強い魔物を倒したりすると、冒険者としてのレベルが上がる。魔物というのは、人型の魔族と、魔獣の総称だ。どちらも知性はない」
レベル……レベルせいなんだ。
「冒険者は、魔物を倒したり、その他の依頼を受ける者のことだ。ギルドで登録すると、身分書兼冒険者の証が手に入る」
なんだかRPGみたいだなと僕は思いながら頷いた。

そうして雑談をしながら暫く歩いた。

暫く、しばらくは、コレでも歩いたんだ。
直ぐに力尽きました。
「大丈夫か?」
目眩がして、僕は座り込んだ。すると心配そうな顔のセージにのぞき込まれた。
「駄目そうです」
僕は基本的に無理はしない人間だ。率直に首を振ると、苦笑された。
「仕方がないな」
「っ」
するとその時僕は――俗に言う、お姫様抱っこをされた。
おんぶじゃ駄目だったんだろうか?
そんな疑問を抱いたものの、正直、歩き出したセージに安心してしまった。
「ごめんなさい、有難うございます」
「そう思うんなら、首に手を回してくれ。その方が歩きやすい」
頷いて僕は手を回した。
「リオは軽いな。ちゃんと食べてるのか?」
「少なくとも三百年は食べてないと思います」
だって彼は、三百年は誰にも攻略されていないと言っていたではないか。
第一、記憶にある現代世界でだって、点滴とサプリメントだったし。
「その割に、見た目は若いんだな」
「17歳の時から寝てましたから」
「俺は23だ。6歳さ、だな」
暦の数え方的に、そして外見年齢的にもその位だと思う(動画で23歳の人が踊っているのを見たことがある)。半年で一年、とか言う数え方じゃなくて良かった。
「いつから冒険者やってるの?」
「13だな。もう10年になる」
「この世界の平均寿命は?」
「60代だな。長生きする奴は、100くらいまで生きるけどな」
淡々と言ったセージの顔を、僕は見た。
精悍な顔つきで、よく日に焼けている。ハーフみたいな、どこか異国の血でも入っていそうな綺麗な顔立ちだった。背が高くて、よく引き締まった体つきをしている。僕を軽々と持ち上げている腕にも、綺麗に筋肉が付いていた。
それから僕にはさっぱり覚えられないような道を、慣れた動作でセージが歩いていった。
そして街へと出た。
流石に人気があるので恥ずかしくなって、僕はセージの顔を見る。
「もう歩けるから」
「そうか。無理はするなよ」
僕のことを下ろしながら、セージが言った。
そのまま促されて、ギルドという場所に僕は行った。

「まぁた美人を連れて……お前、女神の宮殿行くの、コレで三回目だろ? 三回で様々な遺跡やダンジョンを攻略する”花龍の剣士”の名折れだな」

すると受付にいた青年が揶揄するようにそう言った。
「別に名折れでも良いけどな、最深部には行ってきたぞ。棺のようなものがあった」
「証拠は?」
「まずは、最下層にあったレリーフだ。古文書と照合してくれ。それと、コイツだ」
「んー、レリーフは、出て行く前に確認したのと合ってるな。けど、コイツ?」
カウンターから身を乗り出すようにして、青年が僕を見た。
「棺の中にいた。おい、ユーガ、そんな事ってあり得るか?」
セージが振り返って僕を見る。
「……古文書には、在るな。解読した限りだと、古代の世界を知る賢者が眠りについている、とある」
どうやら受付にいる垂れ目で、紫色の髪をした青年は、ユーガと言うらしい。
「リオは賢者だったのか?」
セージに問われ、慌てて首を振る。
「全然。勉強も苦手だし」
「だがリオは古代文字が読めるんだよな」
そんなセージの声に、ユーガさんが息を飲んだ。
「コレ、読める? 男神マオの書」
そう言って一冊の本を僕に差し出した。歩み寄って、眺めてみる。
……――父さんの日記だった。吹き出しそうになった。
曰く。
『超能力者は、剣士や魔術師に。TSYウイルスの罹患者は魔族と呼ばれるようになって、早十五年。未だにワクチンは見つからない。だが私は幸せだ。愛する妻がいて、愛する息子(眠っている)がいて、お気に入りの風俗嬢もいるのだから』
「読めますけど、筆者の名誉がありますので、ちょっと……」
「だったら、この『TSY』の意味だけ教えてくれないか?」
「これは、東京新宿区靖国通りで発見されたウイルス……病気になる元って意味です」
「つまり、シンジュク帝国で、病気が流行って、古代の世界は滅びたって事か」
「まぁ。いや、ウイルスが発見されたのが、新宿の研究所で、その時にはもう世界中に広がってました」
新宿は帝国になったのかと、ぼんやりと思った。
ユーガさんと僕のそんなやりとりを眺めてから、セージが腕を組んだ。
「とりあえず、身分書と金がないそうだ。宿は俺の部屋に泊めるから、身分書だけ直ぐに発行してくれ」
「分かった」
信じてもらえたのか否かは分からないが、こうして僕は手の甲に、ユーガさんにスタンプを押された。きらきらと緑色に光っている。
「緑って事は、魔術師の才能があるな」
そう言われても、意味が分からない。なにせ、僕は魔術なんて使えない。
「あの、魔術ってどうやって勉強をすれば……?」
「ん、ああ、これやるよ」
ユーガさんが『しょほのしょほのまじゅつしょ』という本をくれた。全部ひらがなで書かれているため、大変読みにくい。
「とりあえず、部屋に荷物を置いて食事にでも行くか」
セージにそう言われたので、僕は頷いた。
階段を上っていくと二階に宿屋があった。なんでも三階と四階が、食事をするところらしい。着いた部屋は、思ったよりも広くて、窓際のベッドに僕は寝ることになった。

そして、夕食を摂る三階へと連れて行って貰った。
ご飯まで奢ってくれるらしい。
本当にセージは優しいと思う。

なお、この世界、電気があった。魔法とかではなく、電気だった。
多分、衰退してはいるのだろうけど、嘗ての日本という国の残り香が、色々な場所にある様子だ。食べ物に関しても、おでんがあった。セージは、冷や奴が好きらしい。
だが、僕はどちらも存在は知っていたが、生まれてこの方、食べたことはない。
そもそも物心ついた時から点滴生活だった僕は、食事などほとんどしたことがないのだ。
――ちゃんと食べられるのだろうか?
そんな不安を抱きながら、豆腐を一口食べてみた。
美味しかった。
美味しかったのだ。
僕は、泣きそうになった。ああ、料理って、美味しい物だったんだ。
「どうかしたのか?」
するとセージが首を傾げた。
「ううん」
慌てて上を向いて誤魔化していると、セージが腕を組んだ。
「古代とは食べ物が変化しているのか? 俺は此処の食事が中々好きなんだけどな」
「そんな事無いと思う……僕も美味しいと思うよ」
「本音か? 無理はしなくて良いんだぞ」
「本音だよ。ただ……僕は、コレまで食べたことが無かったんだ」
「普段は何を食べていたんだ?」
「……なにも食べていなかったんだ」
僕が正直に答えて苦笑すると、セージが驚いたような顔をした。
「古代人は食事をしなかったのか?」
「そういうわけじゃないんだけどね」
単純に僕が食べられないだけだったのだが、病人として扱われるのは、何となく嫌だった。
腫れ物に触るような扱い――何度、僕だけが優遇されたり早退したりして、狡いと言われたか分からない小学校低学年の頃。だから、僕は学校が嫌いになったのだ。
「つまりリオは食べなくても平気だったと言うことか?」
「今は食べないと駄目だけどね、多分」
「だったらもっと食べた方が良い。痩せすぎだし、筋肉も無さそうだ。それじゃあ、依頼をこなせないぞ」
溜息混じりのセージの声に、そう言えばと思い僕は顔を上げた。
「依頼って、どんな依頼があるの?」
「俺は討伐系と遺跡――ダンジョンの攻略をメインにやってる。ただお前ならそうだな……一日猫の世話をするとか、犬の散歩に行くとか、そういうのが良いんじゃないか。掃除や引っ越しの手伝いもあるけどな、その体力じゃ難しいだろ」
「そっか。じゃあ宿代はどうやって返したらいいかな?」
「体で返してくれ」
「体? だけど、引っ越し作業とか無理なんだよね?」
「……お前な」
「?」
僕が首を傾げていると、セージが苦笑混じりに溜息をついた。
頬杖をつき、僕を切れ長の瞳で見ている。
「正直なところ、俺は未だに、お前が古代からあそこにいたとは考えていない」
「……そうは言われても、証明出来ないし、本当に僕自身、僕が知っている世界が古代なのか分からないんだ」
俯くしかできなくて、僕は水の入ったコップを手に取った。
「部屋に戻るか。さっきからリオはあんまり食べてないしな」
「うん。ごめん」
「別に良い。金を気にして遠慮しているんじゃなければな」
「そういうわけじゃないんだ。美味しかった。食事なんて、したことが一・二回しかなかったから……どのくらい食べたらいいのかも分からなくて」
「お前がどんな生活をしてきたのか、俺にはさっぱり分からない」
苦笑するようにそう言われ、僕らは食堂を後にした。

そして部屋へと戻り、お風呂に入った。何でもお風呂は、温泉がひかれているらしい。
日本人は温泉好き、そんな言葉を前に聞いたことがある気がした。
その辺りは変わっていないのだろう。

髪を布(これは僕が知るようなバスタオルではなかった)で拭きながら、寝台に座る。
シーツは僕が知っているのとあんまり変わらなかった。
そうしていたら、お風呂から上がったセージが、ベッドとベッドの合間にあるサイドテーブルのようなものから、一つの小瓶を手に取った。

「コレがなんだか分かるか?」
「え?」

全く分からないので、首を捻るしかない。
するとセージが、瓶の蓋を開けた。途端に、甘い香りがしてきた。
「良い匂いだね」
「……感想はそれだけか? 何に使うか分かるか?」
「全然分からないけど」
「香油だ」
「? アロマオイル?」
「逆にそれを俺は知らない」
そんなやりとりをしていると、再びサイドテーブルにセージがそれを置いた。
ぼんやりと眺めていた瞬間、僕の視界は反転した。
気づけば、セージに押し倒されるように両腕を掴まれて、ベッドの上に縫いつけられていた。
「え、えッ、な、何?」
ビックリして僕は目を見開いた。
「体で返せと言っただろう」
そのままあっという間に服をはだけられて、首筋を強く吸われた。
「!?」
何が起こったのかよく分からない。僕は、シャツと黒いボトムスを穿いていて、似たような格好の人は、街でもよく見かけた――が、ふと、気がついた。一度も、女の人を見かけていない。『体で返せ』……? そんな台詞を、僕は書籍で見た覚えがある。男女の恋愛小説だ。
「え、いや、あの、僕男だけど……ッぁ」
その時ボタンを外されたシャツの下へと手が入ってきて、乳首をはじかれた。
そのまま両手で、乳首を撫でられ、僕は困惑した。
何がどうしてこうなったのだろうか。
「ン」
それから片手が、ボトムスの中へと入ってきた。
何度も言うが、僕は、一人っきりの病室で過ごしてきたわけで、こういう風に誰かに体を触られた事なんて皆無だ。
「うあッ、ひ、止め――……っ」
声を上げようとしたら、唇にセージの口が振ってきた。
慌てて拒否しようとしたら、舌が中へと入ってくる。
そのまま深く深く貪られて、僕は気づけば、クラクラしてきた。
多分酸欠だろう。
「――嫌か?」
唇を離して、真剣な瞳でセージが僕を見た。
既に反応している下半身が、なんだか僕には知らない感覚を与えている上に、こんな風に誰かにしっかりと目を合わせられたのは、初めてのことだった。両親でさえ、僕を真正面から見ようとはしなかったのだ。
「……ッ」
苦しくて、それは勿論セージの手の動きもあるのだけれど、注射される時に腕に触られる他は、誰かの手の温度など感じたことが無いから泣きそうになる。
「泣くほど嫌なら、止める」
「違っ、その、なんていうか……」
「違うんなら続けるからな」
「え、いや、そう言う意味じゃなくて」
「無防備に、男の部屋に泊まってるのはリオなんだぞ。『良い』って言ったよな。女が生まれなくなって、もう百年経つ――……嗚呼、それも知らないのか。今の世界じゃな、同性愛者の方が多いんだよ。伝承では、昔は女が約半分で、女の方が長生きだったらしいな」
僕はポカンとするしかない。
え? じゃあ、子孫はどうやって残して居るんだろう?
困惑している間に、ボトムスを脱がされた。
「っ、ひゃ」
その時急に、陰茎を口に含まれた。
初めての感覚に背筋が震える。思わずキツく目を伏せると、ゾクゾクと何かがせり上がってくる。
「あ、ああっ、ン」
舌先で先端を嬲られた後、唇を上下に動かされた。搾り取られるような刺激に、思わず首を振る。涙が眦からこぼれてきた。
「う、あ、やぁ、何か出る、トイレ行きたいッ」
「……お前、経験無いのか?」
「あるわけ無いよ!」
僕は必死で目を開けて、頑張ってセージを睨んだ。
「へぇ」
しかしセージは楽しそうな顔をしていた。それから、先ほど置いた香油とやらを手に取った。一体それをどうするのかと思っていた、その時だった。
「え、ッ……あああッ」
後ろの孔に、指を突っ込まれた! 突っ込まれた――!!
思わず目を見開くと、セージが微笑する。
「痛みはないだろう? 薬師が作った鎮痛剤と弛緩薬が入ってるからな」
「うっ、け、けど……ぁあッ」
どうしようもない違和感に体が撓った。怖くなって、セージの服を掴む。
「何するの?」
「何って――……知らないのか?」
「だから、何を?」
「……コレからじっくり教えてやるよ」
そう言って、セージが二本目の指を、僕の中に入れた。ゆっくりと抜き差しされて、僕は肩を震わせた。なにこれ、なんだこれ? 一体何が起ころうとしているのか、僕にはさっぱり分からない。
「!」
その時だった。セージが触れた箇所が、妙にゾクッと来て、僕は目を見開いた。
「あ」
思わず僕が声を漏らすと、セージが口もには笑みを残したまま、残忍そうに瞳を輝かせた。
「此処が好きなのか?」
「え、あッ」
重点的にその箇所を刺激されて、腰が動いた。何で腰が動くのかは、自分でも分からない。
「止めッ……あ……僕、おかしッい、うあ」
「別におかしくなんてない」
熱い吐息を吐きながら、本当におかしくはないのだろうかとセージを見上げる。
「そんな目で見るなよ。酷くしたくなる」
「?」
とりあえず、酷くされる、というのはなんだか嫌な予感がしたので、僕は首を振った。
「悪いな、俺も余裕が無くなってきた」
そう言うと、セージが唐突に下衣を脱いで腰を進めてきた。中へと……入ってきた。
「――!!」
圧迫感で、のど元で、声が凍り付いてしまったようだった。確かに痛みは無いのだが、その質量と熱に、体が苦しくなった。
「や、やだッう」
「辛いか?」
「わ、わかんない……」
そう答えると、再び陰茎を片手で刺激された。その上中では、先ほどのゾクゾクする箇所をセージの陰茎で刺激される。
「ああっ、や、やだッ、何コレ」
多分、多分だけど。僕には初めて知る感覚なんだけど、僕の体もまた熱くなり、コレってもしかすると――……気持ちが良いって感覚何じゃないかと思った。
「ああああ!!」
その時唐突に奥深くを突かれて、僕は声を上げた。
香油(?)の音が、ヌチャヌチャと粘着質な音を響かせている。
そのまま何度も突かれて、僕は理性を失った。
「や、あ、あああっン――ひゃ」
「気持ちいいか?」
「う、ん、ああっや、ヤダ、何コレッ」
「出すぞ」
そう言ってセージが僕の前を撫で僕は人生で初めて、出してしまい、、セージは僕の中へと放った。
意識が遠のいたように、僕はそのまま眠ってしまった。

「ん」

起きると僕は、お風呂に入っていた。
「!」
そして先ほどのことを思いだし、恐る恐ると隣に入っているセージを見た。
僕が溺れないようになのか、抱きしめるように腕を回してくれている。
「……」
「中の処理はしておいたから」
静かにそう言われた瞬間、僕はもう恥ずかしすぎて真っ赤になってしまった。
別にのぼせたわけではない。
「そろそろ上がるか。じゃないともう一回シたくなるからな」
その言葉に僕はまともにセージの顔が見られなくて、湯船に鼻の下までつかる。

そうして、普通に就寝した。

翌朝、僕は全身が痛かったが、それが昨日の行為のせいなのか、筋肉痛なのか分からなかった。セージは、ごく普通に、何事もなかったかのように、朝食を食べている。
僕はお味噌汁を飲んだ。初めて飲んだのだが、存在だけは知っていた。やはりここは、日本の未来なのだろう。
「今日はどうするつもりだ?」
セージに聞かれたので、僕も何もなかったような、動揺していないような素振りを必死で取り繕い答えた。
「……その、依頼を受けてみるよ」
「そうか。一緒に行くか?」
「え? だけど、僕は討伐とか出来ないよ?」
「魔術師としての才能があるって判定が出た以上、後は経験だ」
そう言うものなのかと首を傾げていると、セージが優しく笑った。
「安心しろ、俺がついているんだから」

それから、僕達は、旅立つ用意をした。

受付へと行くと、ユーガさんがニヤニヤと笑っていた。
「珍しいな。相手を部屋に置き去りにしないで、ちゃんと連れてくるなんて」
「うるさい」
セージが眉を顰めた。
「遺跡で出会った大切な相手だからか?」
「別に何処で出会おうが関係なかったとは思うけどな。単純に俺の一目惚れだ」
何事か二人で話し合っているので、僕は依頼のボードを眺めていた。
確かに迷い猫探しなどがある。
しかし、とっくにセージは依頼を決めていたようで、いつの間に手にしたのかは知らないが、一枚の紙をユーガさんに差し出していた。
「行こう」
それからセージに肩を叩かれたので、僕は素直に従うことにした。

こうして、僕の新たなる生活が始まったのだった。

それが僕が、”火龍の魔術師”と呼ばれるようになった契機だった。
多分僕は、セージが側にいてくれたから、生きていけるのだと思う。
案外――こんな日本も悪くないな、何て思ったものである。
きっとこの僕の物語は、めでたしめでたしに続くはずだと願ってやまない。

さぁ、旅を始めよう。