cage




僕にはもう、失うものなんて何もない。
全てが狂っているこの檻の中で、僕は間宮と二人きり。それが自然なこととなりつつある今が怖い。だけど僕はきっと、間宮が死んでも何も失わない。
ーーただ独りにしないでほしかったと、我儘なl願いをいだくだけできっとおわる。
僕は久方ぶりに外へと出て、青空に浮かんでいる白い雲を見上げた。
ただ僕の中では、その白い雲は紅い血液で汚れてしまっている気がした。

ああ、時計の針だけが進んで行く。

僕たちは長い時間をともに過ごし、もう離れられないのかもしれない。
それがーー心地いいと思うようになったのはいつからなのだろう。
ただその度に凍りついた心臓に亀裂が走って砕けて行く気がするんだ。

「務?」

その時右手から声がしたから視線を向ける。
そこには間宮が立っていた。
だけど僕は、まっすぐに見据えられた瞬間、逃げたくなった。

「何してるんだよ?」
「別に」
「今にも自殺でもしそうな顔で言われても、説得力がない」

そう言うとマミヤが僕の腕をつかんだ。握られた手首が痛い。
ああ、きっと僕は間宮に今、心情を吐露できない。

「スコーンが食べたい。作ってくれ」
「普通のでいいの?」
「ああ。虫だの人肉だのが入っていないって意味でな」

間宮の言葉が雑音に聞こえる。
確かに僕は楽になりたいと思っているけれど、それと自殺なんて結びつかない。
死ねば本当に楽になるだなんて、僕は信じていないから。
僕と間宮の間にある歯車はとっくに壊れているから、動かない。
世界がゆがんでいた。
それから僕らは中へと入り、ダイニングキッチンへと向かった。

「お前さ、今日が何の日か覚えてるか?」
「さぁ?」
「ホワイトデーだ」
「それがどうかしたの?」
「俺はヴァレンタインにお前にチョコ渡しただろ」
「そういえば日付は忘れたけど、チョコレートケーキがおやつの日があったね。あれ、ヴァレンタインだったの? 僕が作ったのに」
「だからお返しをやるよ」

そう言うと、間宮がケージを土の上に置いた。
中には子猫が入っていた。

「こいつは、花しか食べない。でな、食べた花の色になるんだよ。やる」
「やるって……飼うの?」
「ああ。世話ちゃんとしろよ」

僕は猫が好きだ。間宮はいつかの僕の言葉を覚えていたのだろうか?
試しにプランターからパンジーを手に取り与えて見たら、猫の色が紫色にかわった。こんな猫、見たことがなかった。
僕は笑顔で笑おうとしたけれど、うまく笑えているのかわからなかった。

以来僕は、不思議な猫を飼い始めた。
一人で、仕事がある間宮を待っている時に、ああ、一人じゃないのだと思うようになった。僕は相変わらず無力だけど、猫と二人でいると、世界が彩りを取り戻したように思えたのだ。毎日猫の色がかわるのと一緒だ。

ーーその猫は十五年生きて、亡くなった。

その時僕は、僕にも失うものがあるのだと思った。
ただそんな僕を、世界があざ笑っているような気がした。

「また猫を飼うか?」

間宮の言葉に僕は首を振った。あの猫は、あの猫で、一匹だけで、特別だったからだ。間宮はきっと優しい。だけどもう僕は願うのをやめた。やめたから、死も受け止めることにしたんだ。
あるいは僕は、この家という折にとらわれているのかもしれない。

「ペットロスになるなよ」
「そうなったら、間宮がそばにいてくれるんでしょ?」

それはあるいは、僕の願いだった。