後ろから抱きつく


 毛布に包まって、僕は天井を見上げた。豪奢な天蓋付きの寝台に寝転がっているから、随分と遠くに見える。抜け出せないこの世界において、最近の僕は、インテリアに凝っている。他にやる事もない。

 そんな時、ふっと過るのは、過去の光景だ。
 僕は――あの時から、どれくらい変わったのだろう。外見の話では無い。
 心の在り方、心の在処、そういったものだ。

 暗い室内で、そろそろ朝だからと起き出して、僕は適当にシャツを着た。
 今日は雨だ。

 外へと出ると、間宮が久方ぶりに白衣を着ていた。真剣な眼差しで、回廊の壁の模様を見ている。最近、雲の下の各地には、プロジェクトが成功しつつある区画が出始めていて、最終的に現在は間宮が携わっている大八ツ島地域にも文明が出来つつあるそうだ。それは僕らが暮らしていた『嘗て』の世界の歴史を模倣した骨組みを下敷きにしているから、非常に温厚で四季のある土地らしく、そこの大地母神の象徴的意匠らしいのだが――見据える間宮の瞳はどこか暗かった。

「務か」
「――どうかしたの?」
「人肉食があったんだ。食葬とは異なる。ある地域において、巫女と呼ばれる象徴的神の寄り代を食しているんだ」
「何か問題があるの?」
「その地域一帯で神聖視されている巫女は盲目の一族の人間で――原因はプリオン、タンパク質異常だから、喰う周囲は、人にしては長い時をおいてからだが、皆盲目になる。これが広がっていけば、大八ツ島は視覚障害者の国となるだろうな。今もだいぶ増加していて、この紋章も今では言葉のような意味合いを持っているんだ」

 つらつらと語る間宮を、僕は静かに眺めていた。
 真剣な間宮を久しぶりに見た気がする。
 こちらに振り返った間宮は、それから何故なのか、小さく息を飲んだ。

「どうかした?」
「……別に」
「そう」

 頷き――邪魔をしては悪いだろうと、僕は踵を返した。

 温かいぬくもりに包まれたのは、その時のことである。
 一歩追いかけてきたらしく、後ろから抱きつかれた。
 正面に回った両腕が、僕を引き寄せる。
 僕の肩に顎を乗せて、それから間宮が両腕に力を込めた。

「間宮?」
「――俺に、その女の肉、喰わせる気か?」

 全く考えていなかったから、僕は目を伏せ俯いた。

「それとも、自分で喰う気か?」
「思いつきもしなかった――永久の時間、盲目で過ごす覚悟なんて、僕にはない」
「じゃあ、何を見ていたんだ?」
「別に何も――……ただ、そういえば、僕らの生まれた世界の神話によれば、最初に開眼した聖母がいて、その他は目が見えない種族で耳と聴覚が異常発達していたというものがあるから――これから、そうこれから、その地域は僕と間宮の故郷によく似た世界になるのかなとは思ったかもしれない」
「それは今考えたことだろう? 本当は、何を見ていたんだ?」
「どうしてそんな事を?」
「お前が優しい瞳をするなんて、暗くない眼差しなんて、俺は記憶にない限り昔に見た以来だ。最後に見たのは、お前が俺に眼球入りのシチューを振舞ったあの日だ」

 その言葉に僕は首を傾げた。

「ただ何気なく、間宮を見ていただけだよ」

 そう呟いて首だけで振り返ると、何故なのか虚を突かれた顔をしていた間宮は、頬を僅かに赤くしていた。そしてギュッと改めてボクを抱き寄せた。

「いつもそうなら良いのにな」

 間宮はそう言うと、僕の顎を持ち上げて、目を伏せ顔を斜めに傾けて、僕にキスをした。
 触れるだけのキスだ。最近僕に、間宮は時折優しい口づけをする。
 僕らの関係は、幾ばくかの変化を見せようとしている気がした。

 ――まるで美しいものだけの上辺を見るかのような、優しい関係に。

 下敷きが歪だというのに、ここの所の僕達は、親友に戻ったようになり、そして、そうして――まるでまるでまるで、時にこうして恋人じみた戯れをするのだ。間宮は優しい。僕は、それが表面上だとよく知っている。もう信じる事は無い。だが――時折分からなくなる。いつ裏切り嘲笑されるのかと僕は身構え待っているのに、間宮はただ、こうして僕を後ろから抱きしめて、安堵するように吐息をするからだ。僕は正面を向きなおし、キスを終えた唇を静かに撫でてみる。思いの外、間宮の唇は柔らかい。その感触が残っている。

「務、ずっと言おうと思っていたんだ」
「何?」
「好きだ」

 ――ああ、この言葉は、いつ裏切られるのだろう?
 そう考えながら僕は微笑した。

「僕も好きだよ」

 終わりの序曲が響いた気がした。だが――……




 ……――幸いなことに、僕は未だに終焉の曲の終わりを耳にしてはいなかった。
 覚めない夢を、僕は忘れない。