混じる香りとよく通る声


満月ソーダ(@soda2525m)様の「Re start 〜バッドエンドを迎えた俺達が、トゥルーエンドに辿り着く方法〜」の登場人物の三芳さんと高宮さんをお借りし、SSを書かせて頂きました。本当に有難うございます! 解釈違いなどすみません。




 雨というのは、なんとも肌寒さを感じさせる。
 雪とも霙ともまた異なる温度に、くすんだ緑の外套を羽織っている草壁は、片手をポケットに突っ込んだ。もう一方の手には、黒い傘を持っている。

 こういう日には、あまり出かけたいとは思わないが、このあと雨宮と待ち合わせをしていた。嘗ての後輩である雨宮颯人は、つい先ほど仕事が片付いたところのようで、メッセージアプリで草壁を呼び出した。普段であれば無視をしただろうが、ここ最近不可思議な現象にともに巻きこまれることの多い相手だというのもあって、なにか――たとえばF機関について情報を得ている可能性も考慮し、草壁は誘いに応じた。

 待ち合わせをしていたのはオフィス街にほど近い、創作居酒屋だった。大規模なチェーン店というわけではないが、高価な店というわけでもない。本日は土曜日だ。

「いらっしゃいませー」

 店員の声に、傘を閉じた草壁がビニール袋に入れながら頷く。

「二名だ。一人はあとで来る」
「奥の席へどうぞ」

 案内された席につき、まだ開店したばかりの午後五時の閑散とした店内を見渡す。
 とりあえず生ビール。それに、茄子の揚げ浸し。
 お通しの枝豆を見つつ、冷や奴も追加で頼む。
 乾杯する相手が不在の居酒屋で、四人がけの席に座るというのは、どことなく物寂しさを感じる。最初から一人ならば気にならないのだが。

「三芳さん、何頼みます?」
「高宮は?」

 その時、次第に人が入り始めた店内の隣席に、二人連れのサラリーマンがやってきた。座ろうとした二人を一瞥してから、気にしない素振りで正面、入り口の戸の方を見る。土曜日も仕事とは大変だなと考えたのはつかの間のことで、すぐにスーツ姿とはいえ二人が仕事帰りとは限らないと思い至った。

 と、いうのは、二人から香ってくる匂いが似ていたからだ。
 端整な顔立ちの年上の青年の方は、スーツから香水の残り香がするが、それに混じるシャンプーの匂いと、もう一方の少し長めのツーブロックのマッシュの髪をした年下の青年の髪から香る匂いが同一に思えたからである。整髪料に混じっている。少なくとも、偶然同じシャンプーを用いている二人が、そろって隣席に座ったとは思わない。二人は同じ浴室を用いてきたのだろう。即ち、男同士ではあるが、同じく空間、至近距離にいたのは疑えない。

 人の詮索をするのは、昔の職業柄だが、あまり良いことではない。
 そう自戒しながらメニューを見ているフリをしていると、戸が開く音がして、少し。

「待たせましたか?」

 近づいてくる気配がし、雨宮が席に着いた。

「いや、時間通りだ」

 腕時計を一瞥すると、ちょうど午後七時になっていた。雨宮を見ると、ちらりと隣席を一瞥しながら、おしぼりを持ってきた店員に、『生を』と注文したのが分かった。

「三芳さんって……本当に綺麗ですよね」

 その時、隣から声が聞こえてきた。自分と雨宮に会話がまだ生まれていないせいか、妙に気になる。

「なんだよいきなり」
「今日はあんまり酔わないでください。ね?」

 二人のやりとりが、無性に甘く感じる。恋仲、それが一方通行にしろ双方向にしろ、そういった関係性の中には、独特の空気感が生まれるものだと、草壁は考えている。

「草壁さん、串盛りでいいですか?」
「――おう。好きなものを頼め」
「ではホタテのバター焼きを」
「お前はホタテが好きだよな」
「俺の好みを草壁さんが記憶しているというのは意外だな」
「別に」

 ぶっきらぼうに答えてから、ぐいっとビールを呷る。手際よく雨宮が注文する正面で、時に草壁は気になる隣席の会話に耳を傾けてしまう。

「だから、九月四日に関しては――」
「……」
「……その、それに、香水の件も――」

 必死に年下がなにかを伝えようとしている様子だ。最初の呼びかけを思い出すと、年下の青年の名は、高宮のはずだ。年上の青年は三芳、か。すでに付き合っているのだろうか。それともまだなのか。

「草壁さん? どうかしたのか?」
「あ、いや……」
「心ここにあらずだな」
「そんなことはないぞ」
「この前俺と寝たのが忘れられなくて、緊張しているのか?」

 するといきなり、よく通る声で雨宮が言ったものだから、草壁は目を剥いた。

「なっ」

 これは、絶対隣席にも聞こえたはずだ。実際、隣席の会話が途端に途切れた。

「何を言って――」
「いやぁ、出張中に草壁さんが酔い潰れて俺のベッドに運んで、俺はソファで寝て、草壁さんはベッドを占領して。同じ部屋で一夜を明かすとは、な、と」

 そんな事実はなかったが、雨宮が作り話をした。すると隣席の空気が和らいだ気がした。まったく、頭痛がする。

「そうか。ああ、頼りがいのある部下がいて、俺の緊張も解けそうだ。先輩として醜態を晒して寝こけたことは、俺の生涯の恥といえる」

 話を合わせて、俺はおかわりでちょうど届いたビールのジョッキを傾けた。
 それから少しすると、二時間半ほどいた隣席の客達が帰っていった。
 それを確認してから、草壁が目を据わらせる。

「どういうつもりだ……?」
「草壁さんが随分と気にしてたからな」
「……」
「目の前に俺という者がいるんだから、俺だけを見ていろ」
「言ってろ」

 そんなやりとりをしつつ、二人はそれから少し声を潜める。

「ところで、“交換ボックス”の件だ。あれは――」

 草壁の声に、雨宮が静かに頷いた。


 ◆◇◆

「隣の二人、本当に出張だったんですかね?」

 高宮の問いかけに、雨の上がった空を見上げながら、三芳が答える。

「世の中には同性愛者のカップルはそう多くないと思うけどな」
「でも分かる気がしたんです」
「なにが?」
「ぜーったいあとで来た方は、最初に一人で飲んでた人のことが好きですよ」

 高宮のその推測は外れていないのだが、二人はその推測の答えを、少なくとも今は知るよしもなかった。


     ―― 終 ――