【二十一】夏休みの到来
こうして夏休みが訪れた。
例年、授業が無くなり、開放感がある状態で、まだ帰省はしていないといった生徒は、様々な行動に走る。見回りも強化しなければならないからと、早朝に集まった委員達には指示を出し、俺は舞戸と二人、風紀委員会室に待機する係となった。スマホの専用アプリで見回りに関する報告を聞きながら、まだもう少しの間は気を抜けないなと考える。
舞戸は先ほどから幸せそうに、夏休みの日程――というよりは、惚気を語っている。
「まぁ、そういう感じ。青波と旅行に行ったら、お土産、買ってくるね」
「気にするな。土産話で十分だ」
「うーん。委員長は聞いてくれるけど……今日も僕ばっかり話しちゃってるし」
照れくさそうにそう述べてから、舞戸が俺をじっと見た。
「ところで委員長は、好きな人とは進展があった?」
その言葉を聞いて、俺は動きを止めた。机の上にスマホを置いて、しばしの間思案する。気になっているのは、昨日の灰野先生とのやりとりだ。
「舞戸」
「なに?」
「――お前から見て、俺と涼鹿は対等の好敵手に見えるか?」
率直に俺は尋ねてみることに決める。
「ん? ううん? 全く見えないけど? 委員長が海辺の絶壁の誰も到達できない崖の上に咲いてる花だとすると、会長は深海魚かな」
「そうか」
……気のせいか。
どういう状態かは不明瞭だが、住む世界が違うといった趣旨の言葉だとは理解できる。確かに家柄一つとっても、俺は自分の実家について語ったことはないし、端から見たら涼鹿の方がずっと上だろう。抱きたい・抱かれたいランキングで考えても、涼鹿の人気は明らかだ。そう考えると、思わず気分が重くなった。
「なんで落ち込んでるの? それにどうしていきなり会長? っ! ま、まさか?」
「まさか、なんだ……?」
「涼鹿会長の事が好きなの? この前の学食って、密談とかじゃなく、そういうこと?」
舞戸にまで密談だと思われていたのは驚いた。仮にそうであったならば、右腕の舞戸に離さないはずが無いだろうに……。
「……だが、涼鹿には、好きな相手がいるんだ。俺は今、努力中だ」
「あー……うん。えー……うん。そ、そう。委員長は、会長の好意にやっと気づいたとかではなく、ふ、ふぅん」
舞戸の目が泳いだ。
「ん? どういう意味だ?」
「あー、ほ、ほら? 青波に聞いたんだけど、委員長、青波の告白宣言事前に聞いてたのに僕に言わなかったよね? 僕の心境は多分今、完全に一致してるよ」
「?」
「ごめん、青波と今日はお部屋デートだから、そろそろ行くね。僕の仕事は、今日は本当はお休みで、明日が待機の役目だし」
さらりと濁して舞戸が立ち上がった。
確かにそれは事実で、俺と舞戸は、どちらか片方が絶対待機であり、もう片方は予備的にいるだけだったので、引き留めることは難しい。舞戸が何を言いたかったのかは上手く掴めなかったが、俺は素直に見送った。
その後は夕方まで風紀委員会室に詰めていた俺は、連行されてきた強姦加害者の調書を取ったり、被害者を慰めながら事情を聞いたりしつつ、書類を片付けるなどしていた。このように本日も終わりを迎えたため、寮へと戻る。しかし、暑い。
「よし、やっとログインできる」
支度を終えてから私服に着替えて、俺はソファに陣取った。
エアコンの温度を少し下げてから、早速【タイムクロスクロノス】にログインする。
だがフレリスを見たら、今日に限って誰もいなかった。
先生達は本日も職員会議だと言うし、生徒会は林間学校までは多忙なのはわかりきっているので、このフレリスの状態はタイミングが悪いと続くかもしれない。リアル情報を知っていると、こういう考え方をしてしまう場合もあるのだなと驚いた。
俺は既にレベルはカンストさせていたが、それにあわせた武器の新調がまだだったので、現在のステータスの状態から最適と考えられる装備構成を考える事にした。レベルキャップが開放されると、大体の場合新しい武器が生産レシピに加わったり、新しいボスからドロップするようになる。今回も俺はキャップの開放にばかり意識が向いていたが、新ボスも実装されており、その【液竜ヴァルダリ】からはLv.355以上のキャラクター……つまりカンスト者のみが身につけられる装飾品が落ちると判明していた。主に物理職の必須装備なので、俺もスズカもこれは使う。俺はソロがやりやすい【爪術士】でログインし直して、しばらくそのボスを回す事にした。
それから――三時間。
これが落ちにくかったものの、ドロ率up書を用いて無事に二つほど入手したので、俺は切り上げることにした。一つはスズカへのプレゼント用だ。下心があってのプレゼントでは無い。下心が生まれる前から、こういう状況だと俺達は、持ちつ持たれつ状態で、お互いに贈り合ってきた。それがフレというものだ。
「やりきった感があるな」
そう呟いて、俺は立ち上がって、冷蔵庫からペットボトルを持ってきて、スポーツドリンクを一気に飲んだ。そうして戻ると、画面にチャットが表示されていた。
『こん。今忙しいか?』
二分前に来ていたようで、相手はスズカである。
『飲み物を取ってきていた』
素直に返しつつ、スズカがログインしたというのを知っただけで、自然と自分の顔が緩むことを不思議に思う。
『【シルフィ村】にいないの、珍しいな』
『まぁな』
『――もしかして【液竜】もう行ったか?』
『当然だ』
『っ、落ちたか?』
『落ちるまでやるのが連戦だ』
『うあぁ……俺様もすぐに手に入れてやる!』
『スズカ、俺は孤独に耐え抜いた』
『俺も今から行く。お前、現地にいるのか?』
『今から【シルフィ村】に戻る』
俺はチャットの傍ら、手紙にアイテムを添付していた。それを送信してから、ほっと一息つく。
『あー! お前もしかして俺様の分まで……』
『当然だろう、大切なフレなんだから』
『……ありがとう、アズ。嬉しくて仕方が無いが、今はフレって部分に心を抉られるな』
『何故? 相棒の方がいいのか?』
『ん、うーん』
『それはそうと、スズカ』
俺はチャットを続けつつ、テーブルの上に置きっぱなしにしてあった本を見た。舞戸から借りた恋愛のHowTo本を一瞥する。反面教師にする前に、少し実行してみようかと考える。
『? なんだ?』
『会いたい』
『へ?』
『会いたい』
会いたいと繰り返し打ちながら、俺は画面を見て唸った。我ながらウザいなこれ……でも、押していかなければ、と、思い悩む。
『わかった、パーティを組むか? 俺様はお前を探して【シルフィ村】に来たところだ』
『そうじゃない。会いたい』
『? リアルでってことか?』
『ああ』
『なにかあったのか?』
『なにかないと会いたいと思ったらダメなのか?』
……本当我ながらウザいな俺。でも会いたいんだよ!
これは本心だ。だが、むずがゆくなってくる。どう考えても俺のキャラクターのセリフでは無い。ゲームにおいてもリアルにおいても、俺はこんなことは言わない。だが、涼鹿と相思相愛になるためには必要な試練なのかもしれない。
『お前……もしかして、とうとう俺の気持ちに気づいて、いや……それはないな』
『スズカの気持ち?』
『なぁアズ。いいや、珠崎。真面目に言う。からかってるならやめてくれ』
『そんなに俺の気持ちは、邪魔なのか?』
『そうじゃねぇ!』
『……なぁ、スズカ。今日から、颯って呼んでもいいか?』
『どんな脈絡だよ! 別にいいけど! 大歓迎だけどな!』
『好きな相手を堕とす10の法則に書いてあった。名前で呼んで親近感を縮めろって』
『俺様の事が好きだと認識するぞ?』
『好きだって言ってるだろー』
『はいはい、もう寝ろ』
その言葉に時計を見たら、もうすぐ十二時だった。俺は素直に『おやすみ』と告げてログアウトした。
「真面目に諭されると傷つくな。鈍いのはどちらだという話だ……」
はぁ、と大きく息をつき、俺はこの日は就寝した。