【一】幼少時の別れと約束






 ――俺と、高萩の出会いは、高萩財閥が主催した夜会でのことだった。
 一流の家柄の者だけが招待されるその夜会には、高萩財閥に匹敵する影響力のある家の『子供』は、俺しかいなかった。奇遇にも同い年。俺と高萩は、強制的に顔合わせをさせられた。

「お前、名前は?」

 当時から偉そうだった高萩の言葉に、俺も気が強かったから、堂々と言い返した。

「砂緒だ。名前を名乗るときは、普通は自分から名乗るのが礼儀なんだぞ」
「なんだと? 俺の名前を知らないのか?」
「ああ。知らない」
「それこそ失礼だ、無礼者が。仕方が無いから教えてやる、俺は七彩だ」
「七彩か、覚えておく」

 不遜な高萩にそう告げて、俺はにこりと笑った。すると高萩が目をまん丸にした。

「お前……なんていうんだろ……綺麗だな……」
「? なにがだ?」
「い、いや、なんでもない!」

 すると、ぷいっと高萩が顔を背けた。なんの話か分からず、俺は首を捻っていた。
 その後は子供同士ということもあり、俺達は給仕の者のそばで、セットで置かれた。
 それは初回のあとも同じだった。
 高萩財閥が主催する夜会でも、俺の家が主催したパーティーでも、俺達はいつも二人だけだった。四歳で出会ったのだが、高萩は幼稚園に通っていると楽しそうに語っていた。俺は家で家庭教師に習ってばかりだったから、正直羨ましかった。

 俺は高萩以外の同い年の子供を、他には知らなかった。
 その内に――親同士が親しいこともあり、俺は高萩の家に、父親について遊びに行くようになった。二人で池で鯉を眺めたり、庭の楓の木に登って怒られたり、迷い込んできた野良猫を見つけて保護したり、次第に俺達は仲良くなっていった。

 高萩はよく笑った。俺は気づいた時には、その笑顔が好きになっていた。なにより、一緒にいると楽しい。ずっと一緒にいたいと思った。

「……」

 そう考えながら、庭のイチジクの横で、俺は思わず高萩の笑顔に見惚れていた。
 すると――高萩もまたじっと俺を見た。
 そして、一歩前へと出ると、俺の頬にキスをした。驚いた俺は、硬直して目を見開いた。そうしたら、高萩がニッと笑った。その頬と耳が少し朱かったのを覚えている。

「俺のファーストキスを捧げてやったんだ、ありがたく思え!」
「なっ、な、な……そ、そういうのは、恋人同士じゃないと、不純なんだ!」

 俺の方は、顔全てが、真っ赤だった自信がある。

「砂緒を俺の恋人にしてやる!」
「っ……」

 おろおろして、俺が黙っていると、高萩が不機嫌そうな顔をした。

「嫌なのか?」
「嫌じゃ……ない……けど……でも……」
「でも? なんだ?」
「キスは、大人にならないとしちゃダメだって、父さんが言ってた。つまり、大人になるまでは、誰かと恋人になっちゃダメなんだ」
「――ふぅん。じゃあ、予約してやる。俺以外と恋人になっちゃダメだからな! 俺はファーストキスとこの約束のことを、きちんと日記に書いておく!」
「日記?」
「うん。幼稚園で、毎日つけるようにって言われてるんだ。安心しろ、提出したりはない。俺達と日記帳だけの秘密だ!」
「そ、そうか……わ、わかった」

 今になって思えば、俺にとっては淡い初恋だった。きっと当時は、高萩だって少しくらいは、本当に俺を好きだったと思う。そう信じたい。子供のお遊びだとしても、俺達は、こんな約束事をするくらい、親しかったのである。

 そんな俺達に別れが訪れたのは、俺の父親が、海外の本社の取締役になることに決定し、俺も連れて、海外で暮らすことになった時だった。急なことだったから、俺は高萩に連絡できないことに、最後に顔を合わせられないことに、目を潤ませていた。

 半分程度泣きながら、空港のロビーに座っていた時である。

「砂緒!」

 俺の聞きたい声がした。涙でにじむ瞳を向けると、そこには高萩が立っていた。

「な、んで……」
「黙っていくな、バカ!」

 高萩は、俺に抱きついてきた。もう俺の涙腺は限界だった。俺は高萩の背に腕を回し返して、号泣した。すると高萩もボロボロと泣きながら、なのにあやすように俺の背をポンポンと叩いた。

「行きたくない。七彩と一緒にもっと遊びたい。もう会えなくなるなんて、嫌だ」
「――俺だって嫌だ、でもな、同じ地球にいるんだ。また会える!」
「地球って……」
「空も繋がってる!」
「天候も気候も違う気がするけどな……そ、そうだな……」

 俺はスケールの大きい高萩の声を聞く内に、少し落ち着いて涙が止まってきた。俺達は二人で抱き合ったままで、視線を合わせる。

「大人になったら、約束守ってくれるんだろうな?」
「……そうだな。俺は、七彩に絶対会いに行く」
「待ってるからな、帰ってくるの。それも、約束だぞ」
「ああ。約束……約束だ……」
「好きだ、砂緒」
「……俺も、七彩が好きだよ」

 こうして俺達は二個目の約束をした。フライトの時間が迫っていたので、そこで別れることとなった。あとで聞いたのだが、俺が海外移住すると当日知った七彩が無理を言って見送りに来てくれたらしい。別れが寂しくて、俺は飛行機の中でもずっと泣いていた。けれど――俺の中には、約束の存在感が確かにあって、それが俺に希望を与えてくれた。

 海外生活では、辛いことも多かった。
 けれど、俺は約束に縋っていたし、高萩のことを忘れたことは一度も無かった。
 そして約束通り、日本の戻ってからは、高等部から編入という形で、高萩と同じ学園に通うことにした。高萩は、幼稚園からずっとこの学園に通っていたらしい。なお、中等部からは全寮制の男子校だ。

 俺は、再会した当初、高萩に声をかけようとした。だが、既に生徒会長だった高萩の人気は絶大で、近づくことすらできなかった。俺が編入したことにすら、高萩は気づいていないのではないかとすら思っていた。もう、二次成長も終え、俺は大人だと自負していた。けれど――高萩にとっては、約束なんて思い出の彼方で、記憶にないのだと確信した。それは、実は覚悟していたことだった。俺だけが覚えている可能性は、ずっと想定していた。だがショックでないと言えば嘘だ。俺は落ち込みながら、その日ふらふらと廊下を歩いていた。すると、強姦されそうになっている生徒を発見した。俺にとってそれは犯罪行為であったから、誘拐防止のために教育を受けた護身術を駆使して、俺は被害者を助け、加害者をのした。結果……かけつけてきた当時の風紀委員長に勧誘されて、風紀委員会に入ることになった。

 それから、三日後のことだった。

「おい、水理」
「っ」

 高萩の方から、声をかけてきたのである。

「風紀に入るってことは、生徒会と敵対するってことだぞ。つまり俺を敵に回すってことだ。即刻抜けろ」
「――何故? 俺は、風紀委員の一人として、防止できる被害は防止したいと思ってる。そこに七……高萩に敵対する意思は含まれない」
「お前は帰国して編入したばかりで、まだこの学園の制度が分かってないんだ。とにかく、抜けろ」
「高萩に指図される覚えはない」

 そんなやりとりをしている内に、驚いたように周囲に人が集まってきた。
 すると高萩が舌打ちした。

「とにかく、忠告はした」

 そう言って、高萩は立ち去った。残された俺が立っていると、当時の風紀委員長がやってきて、俺の肩を叩いた。

「あの高萩バ会長に、一歩も引かずに言い返せる人間を、俺は初めて見た。次の委員長は決まりだな。水理に任せる」

 こうしてその年の秋、俺は一年ながらに風紀委員長に指名された。前任の三年生だった委員長は、三月に卒業し、現在俺は高等部の二年生になった。

 ――風紀委員会と生徒会は歴史的に険悪である。
 これは事実で、俺も企画者と警備側の確執に、ぶつかるようになった。
 そして主に、高萩と俺が口論する形であり――確かに敵対してしまった。ただ、高萩はどうやら俺の事自体は覚えていたらしい。俺は、それだけでも嬉しかった。

「……」

 会議室で長々と思い出を回想していた結果、既にその場には、俺一人になっていた。
 そろそろ寮へ帰らなければ。
 そう考えて、椅子から立ち上がる。

 もう、大人になったけれど、約束が果たされることはないのだろう。俺の方は、会いに戻るという約束をきちんと守ったが、高萩は俺を恋人にする気は無さそうだ。

 それでも。
 俺は、再会してからも高萩を気づけば目で追ってしまい、気づいたら、今の高萩のことも好きになっていた。険悪な仲だというのに馬鹿げているが、高萩はかっこういい。外見も、中身も。自信たっぷりの様子、若干俺様だと言われるが、リーダーシップがある部分も、全て。俺は高萩に改めて恋をした。叶わないと分かっている恋は辛いが、想いを胸に秘めている分には、好きになるのは自由だろうと自分に言い聞かせている。

 その後俺は、風紀委員会室に鞄を取りに行ってから、寮へと戻った。