【SIDE:二階堂】俺は客観的である。
「ふぅ……」
紫樹が帰ってから、俺は調書をまとめていた。既に先んじて、御子柴雛には話を聞いてある。パソコンのキーボードを叩きながら、俺は鼻血を出しそうになるのをこらえていた。
「……最高だな」
目を伏せ、俺は思わず笑顔で静かに頷いた。
それから目を開けて、これまでの学園生活について、少し振り返った。
俺は、中等部からの外部入学である。そこで俺は、初等科から持ち上がりで入学した宝灘恢斗と顔を合わせるに至った。この北藤峰学園は、中等部からが全寮制である。その中等部の入学後試験で、俺と宝灘は、奇しくも最初の対決をする事となった。
初等科で児童会長を務めていたという宝灘は――俺から見ると、傍若無人の俺様だった。だが、そこが良いのだ。この頃から腐っていた俺は、宝灘を煽る事に命をかけている。
中等部の一年生ながらにして背の高かった宝灘と、俺もまた二次性徴を迎えていたので身長までをも争ってきた。俺達はどちらもαであり、学力も運動能力も体つきも互角。何より、ニヤリと笑っている宝灘の造形美――俺が好きな王道学園の俺様生徒会長の理想を体現したかのような性格と外見に、すぐに俺は、対立する風紀委員長候補を探したのだが、互角なのは俺しかいないので、即座に決意した。俺が風紀委員長となり、宝灘といつか来るかも知れない王道転入生の生BLを見る事にしようと。絶対に、将来的に宝灘が生徒会長になる事は確信していた。
幸い、腹黒副会長とチャラ男会計と寡黙書記のそれぞれの候補、並びに宝灘と俺と同じ学年で唯一の双子はすぐに発見した。良い感じである。俺はそれらを、SNSで実況していた。するとフォロワーが増えていった。
日々俺は宝灘とバトルを繰り広げつつ、毎日の生BLを楽しんでいた。
さてこの宝灘であるが――誰も逆らえない。
宝灘財閥といえば、この国で知らない人がいるのか不明なほどの大企業で歴史もある。政界にも財界にもその他の上流階級にも顔が広いという話だった。
一方の、俺の二階堂家というのは、寺院である。歴史ある寺院だ。俺個人は無宗教であるが、宗教関連は、そういった俗世の事柄とは一応切り離されているため、唯一俺は宝灘に堂々と注意できる立場でもある。よって俺は、注意した。
「宝灘、図書委員から、生徒会が資料を返却しないと苦情が来ているが?」
「黙れ。前年度の新入生歓迎会資料を生徒会以外が使用するとは思わない。もうすぐ企画が終わるんだ。邪魔をするな」
「客観的に考えて、資料の借り出しの延長手続きをすべきだ」
「図書館に行く時間も無いほどこちらは忙しいと言ってる。暇な風紀とは違うんだ」
宝灘は実に俺様であった。俺から見ると、若干幼くもあった。
中等部一年時の春、俺は見回りをしながら、不機嫌そうに走っていく宝灘を見て、その背中に声をかけた。
「廊下を走るのもやめろ!」
しかし宝灘が立ち止まる事は無かった。俺様としては良いが、風紀的には問題だ。
そう思いつつ歩いていくと、角からうっとりとそんな宝灘を見ていたらしき先輩を目視した。俺は、要注意人物として、その生徒を頭に入れていた。
――北藤峰学園の姫。
そう呼ばれる、現在学内で一番可憐だと言われている先輩、御子柴雛である。背が低く華奢で、βが圧倒的に多いこの学園にあって、Ωである。何故覚えていたかといえば、学内最高規模の親衛隊を、生徒会等に未所属で帰宅部にも関わらず保持しているから、というのもあった。御子柴の親衛隊は――……特に過激でもある。と言うのも、御子柴雛は、常日頃から多くの親衛隊に守られているにも関わらず、強姦されそうになる事も多いのだ。それも相手はαに限らず、βもいる。俺から見ると、確かに顔は整っているとは思うが、ちょっと可愛い程度にしか思えない。だが、御子柴はとにかくモテる。
多分、性格が良いのだろう、と、俺は先輩から聞いた事があった。いつも穏やかに微笑していて、物静か。誰に対しても平等に優しくて、まるで陽射しのように気持ちが良いらしい。俺はその言葉に、正直懐疑的だった。本当にそれが事実ならば、己の親衛隊をもっと統制すべきだと思っていたというのが大きい。
だが――そんな御子柴が、うっとりと宝灘を見ていたのを確認し、俺は萌えた。良い。良いではないか。学園の王者候補と、姫。素敵なCPである。今後は宝灘が御子柴先輩を守ってやれば良いのだ。俺は腐的に笑ってしまった。
その夏、衝撃的な出来事が発生した。
なんと御子柴雛が、親衛隊を解散し、宝灘の親衛隊に加入したのである。学園中が震撼した。御子柴はその場で公言した。
「……恢斗様をお慕い致しております」
はにかむような笑顔に、多くの生徒が魅了されたようだった。俺のような腐男子でなくとも、男同士の恋愛が、αとΩに限らず普通の北藤峰学園では、学園中がこの二人の行く末を見守る体制になった。
だが、とうの宝灘といえば、相変わらずの俺様だった。
「まぁ俺様は格好良いからな。惚れるのは分かる。だが、だからと言って、俺様は別段御子柴を愛していない。親衛隊に入ったとはいうが、他のメンバーと差異は無ぇ。俺様を好きなら、俺様に運命を感じさせてみろ。それは御子柴だけじゃなく、全校生徒に伝えておく」
ある日の全校集会において、宝灘は生徒会からの事務連絡の後に、そう言ってのけたのだ。これに歓声が湧き上がるあたり、宝灘の人気はすごく、中等部一年だというのに、この年の中高共通の抱かれたい男ランキング前期の結果で、宝灘は一位を獲得した。なお、俺も一位だったが、俺は女性にしか興味がない――と、周囲には言っている。
だが俺の場合、それは虫よけに過ぎない。風紀委員という立場もあるから、学内で不純交遊をするわけにもいかないし、俺の頭は腐妄想でいっぱいなので、自分の恋愛にそもそも興味が無いだけだ。
「しかし宝灘と御子柴が結ばれるのは時間の問題かもしれないな」
俺はこの時はそう考えていた。なにせ、宝灘は、御子柴の名前だけは名指ししたのだ。と、考えていた夏休みの手前のある日――事件は起こった。
これは風紀委員会が内々に処理をしたから、全校生徒は知らない事件なのだが。
なんと、御子柴が発情したのである。
βの数が圧倒的だとはいえ、学園にはαも多い。もっと上流階級が多い学園ならば、αばかりの所もあるようだが、北藤峰は所詮名家の子息といっても、ある程度資産があれば誰でも入れる学園であるから、αが後継者となるといった歴史は持たない家柄の方が多い――これは幸いだったのかもしれないが、なんと御子柴は、よりにもよってαである宝灘の前で発情したのである。
場所は、選ばれし者のみが入寮を許される、橘寮のエレベーターの中だった。その日は親衛隊との親睦会があったようで、参加した宝灘と、必然的に同じ寮のため一緒に帰ってきて同じエレベーターに乗った御子柴が、なんとそこで発情したのである。
俺に第一報をよこしたのは、宝灘当人だった。
その時自室にいた俺が、慌ててエレベーター前に向かうと、ヒート状態の御子柴を、宝灘が支えて出てきた所だった。
「あとは任せていいか?」
「宝灘、お前、フェロモンに当てられたんじゃ?」
「――宝灘では、Ωに迫られないように、ラット抑制剤を常用している」
宝灘はそう言うと、死ぬほど冷ややかな目を、御子柴に向けた。俺はすぐに悟った。御子柴が、宝灘を誘ったのだろうな、と。だが、ラット抑制剤は、俺も摂取しているのだが、それでも周囲にむせ返っている甘い香りには、目眩がしそうになった。密室でこれを嗅いでいたら、よほどの鋼の精神でなければ、堪えられないだろうに。俺はちょっとだけ宝灘を見直した。
その後俺は、御子柴を引き受けて、寮の医務室に運んだ。
だがこの時の宝灘は、まだただの子供っぽさが強い俺様だったと、俺は考えている。
夏休みが明けてからも、俺はそう思っていた。
そんな宝灘の様子が明確に変化したのは、秋の大型連休で、宝灘が届けを出して、家の都合で学園から一旦外へと出て、戻ってきてからだった。何やら、以前までより俺を敵対視するようになったのだが――勉強も運動も仕事も真面目になり、良い点として校則も守り始めたのである。それまで俺は本気でバ会長だと思っていたのだが、俺様臭がいくばくか弱まった事もあり、俺はこの頃からは、渾名としてバ会長と呼ぶようになった。
――今になって思えば、その時、宝灘は、紫樹という『運命』を見つけていたのだろう。
さて、そんな事は露知らず、学園生活を謳歌しながらSNSでその日の腐的な出来事を書いていた俺は、一人のフォロワーと親しくなった。まさかそれが、桐緋堂紫樹だとは、思ってもいなかった。俺の二階堂も歴史だけは古いので、伝説的な家柄である桐緋堂家の事は知っていた。率直に言って、最初の感想は――『実在したんだな』である。
しかし俺は当初、深凪紫樹という名前だと聞いていた。
そして入学式で姿を探し……最初、はっきり言って、顔色を変えそうになってしまった。究極美としかいえない麗人がそこにいたからだ。物腰も、ただ座っているだけなのに穏やかに見える。ちょっとこれは、格が違いすぎる――と、誰だって分かるだろう。実際周囲も、時折紫樹を一瞥しては、余裕がある者で顔を赤らめ、ないものはオーラに飲まれている。この俺が焦るほどの、ある種異様なほどの絶対美がそこにはあったのだ。
そして直後、バ会長の言葉を聞いて、俺は気が遠くなりそうになった。
これは――絶対に親衛隊が荒れる。紫樹ほどの存在感がある相手ならば、一般的な隊員達は近づけないかもしれないが、御子柴は絶対に黙っていないだろう。と、考えて、俺は大切な腐友達だと考えていたので、風紀委員会としても、先手をうつ事に決めた。
『風紀委員長の、二階堂相だ。生徒手帳登録名義、深凪紫樹を風紀委員会に勧誘済みで、本人は受諾済みだ。今後、バ会長――失礼、宝灘会長が問題行動を起こした際、俺に加えて対応させる要員を確保した事になる。その為、苗字判別が俺には不可能なので名前で失礼するが、紫樹に手を出した者は、風紀委員会もまた敵に回すものと心得るように。以上だ』
これが吉と出るか凶と出るかはある種の賭けでもあったが。
他の委員や副委員長達は、俺の決定には、特に何も言わなかった。
「やはり御子柴は動いたわけだが――これからどうなる事か。楽しみだな」
一人口角を持ち上げて、俺はその後、調書の処理を終えた。