【一】狼獣人なのに……!







 狼獣人は、このマギナリーゼ大陸において、最も強く誇り高き種族だ。
 それはここ、エルクス王国のカイエの街でも変わらない。
 カイエの街は、王国の北東に位置する、森の中の小さな街だ。

「サピアは本当に……控えめに言っても、耳が垂れているな」

 かけられた言葉に、サピア=カーレンは口ごもった。話しかけてきたのは、この街の狼獣人族を治めるピラーである。ピラーは、小柄なサピアからすると、狼獣人らしすぎる狼獣人だ。背が高く、肩幅も広く、頭部には凛々しい狼によく似た耳がある。尻尾の形も雄々しい。

 一方のサピアは、父も母も狼獣人であり、生粋の狼獣人であるはずなのに――どこからどう見ても、『犬』にしか見えない。犬獣人というわけではないのだが、垂れた耳は、アナグマ犬と呼ばれる犬にソックリなのだ。尻尾がかろうじて、狼獣人の特徴であるモフモフした長さを受け継いでいるものの、他の皆に比べると、やはりアナグマ犬に似て短めだ。

 エメラルド色の瞳に限っては、狼獣人の中でも変異種だった父に似ているのだが、父は、ピラーと同じくらい大きかった。ピラーは、サピアの伯父である。両親の死後、何かとサピアに目をかけてくれた人物である。

「……耳は垂れてるけど、僕は狼獣人です!」
「その心意気は立派だ」
「だからそろそろ狩りに……」
「……連れて行ってやりたいのはやまやまなんだが、獲物よりも細く小さいお前を連れて行くのは、危険すぎる」

 獲物――というのは、害獣や魔獣の事だ。各獣人族の他に、この大陸には、野生の狼や熊などがいる。狼と狼獣人族は、似て異なる種族だ。獣人族は、亜人とも呼ばれ、人間と類似した特徴や知性を持っているし、道具も言語も使用可能だ。顔自体は人間の特徴をよく受け継いでいるし、人に類似した耳も、獣耳の他についている。

 魔獣に関しては、魔力を持つ動物だ。代表例はスライムやゴーレムであり、魔力による害を、知性ある生き物に及ぼす。姿かたちも、人間などには類似しないが、時に害獣によく似た、巨大な不死鳥や、竜(ドラゴン)なども存在する。

「だけど僕も早く、冒険者になりたい……」

 サピアは呟くように言った。体格がよく、強い狼獣人の多くは、この大陸において、冒険者として生計を立てている。害獣や魔獣を駆除する冒険者は、王国に限らず、大陸全土で憧れの職とされている。収入も莫大であり、力ある冒険者は、魔王の討伐へと赴く事もあるそうだ。

 魔王は、魔獣達を治める、悪しき存在である。
 各国の街を、魔獣を指揮して襲い、甚大な被害をもたらしている。

 サピアの両親も、それらとの戦いで没した。四年前、サピアが十五歳の頃の事である。十九歳になった現在、サピアは立派な大人だ。外見に限って言うならば幼いと言われがちではあったが、少なくとも本人は、大人になったつもりである。

「サピアの気持ちは分かる。ただ、な。負けるのが明らかな弱さの同胞を、狩りに連れて行く余裕はない。誰も、無駄死にする可能性が高いサピアには、冒険者としての装備も貸さないだろうし、そもそも、冒険者試験にも合格しないだろう」

 ピラーが厳しい事を伝えながら、腕を組んだ。しかしそれは現実であり、ピラーなりの優しさでもある。彼を見上げたサピアは、悔しくなって唇を噛んだ。

「試験の勉強はしているから、あとは実技試験の訓練だけなんだよ……装備と経験さえあれば……それに、僕だってみんなの役に立ちたい」
「率直に言う。気持ちは分かるが、足でまといだ」

 サピアは俯いた。ここまで明確に告げられてしまえば、返す言葉もない。

「とにかく、族長として、お前の討伐への参加は許可出来ない」

 ピラーが再度断言した時、他の狼獣人が歩み寄ってきた。

「ピラー様、そろそろ旅立ちの時間です」
「ああ、もうそんな時間か――サピア、出かけてくる。寝る前には、きちんと鍵をかけて、大人しくしているように」
「はい……」

 頷いたサピアを見て、ピラーは満足そうに歩き始めた。すると残っていた狼獣人の一人であるガルディが、サピアを見た。彼もまた、典型的な狼獣人と同じで、耳がピンとたっていて、肩幅が広く、厳かな尻尾を持っている。

「あまりピラー様を困らせるな」
「……」
「そもそも、ピラー様と親戚関係に無かったら、とっくにお前等追い出されているんだからわきまえろ。お前のような弱者は、狼獣人には相応しくない」

 そう言い捨てると、ガルディは歩き始めた。何も答えられないまま、サピアはその姿を見送った。

 ――二人の言葉は、適切だ。

 サピア自身、そう考えている。貧弱な体を見て、切ない気持ちになってきた。唇を噛みながら、サピアは帰路につく。細い道を歩きながら、左右に広がる草原の、長い背をした草花を見た。白い花が点々と咲いている。

 まだ秋だが、最近では肌寒い日も増えた。この土地には、雪が降らない。それも手伝って、微弱な魔力を持つこの白い花は、秋から初春にかけて咲き誇る。雪明草という名で、夜には、淡く白い光を放つ。

 そのまま道を歩いていき、サピアは、簡素な小屋の前に立った。

 過去に暮らしていた実家は、族長が受け継ぐ家だったので、現在はピラーが暮らしている。最初はサピアもそこで暮らしていたし、ずっと居て良いとピラーは言ってくれたが、他の狼獣人達の圧力と、ピラーへの申し訳無さが手伝って、サピアが建てた家である。

 丸太を組み合わせて作った平屋で、中には寝台を除くと、小さな机と椅子が二脚しかない。誰が訪れるわけでも無いから、十分だった。魔道具製のシャワーとバスタブ、トイレは、ピラーが好意で手配してくれた。家具類も全てそうだ。サピアは――収入が無いので、貧乏である。

 これまでの間は、両親が残してくれた僅かな貯金で生きてきた。冒険者としての収入を、ギルド銀行に、両親は貯金しておいてくれたのである。しかしそれも、残り僅かだ。

「冒険者の装備を買う以前に……なにか、お仕事を見つけないと……」

 このままでは、生きていけない。食料庫の扉を開けて、中から固いパンとチーズを取り出しながら、サピアは肩を落とした。いつまでもピラーに頼るわけには行かない。いくら冒険者になるのが夢だとは言え、夢を叶える前に生活をしていかなければならないのは明白だ。自分を養わなければならない。

 パンを食べながら、薬缶に水をいれて、火にかける。空腹で目眩がした。しかし他に食べられるものは、ピラーが先日お土産に持ってきてくれた鮭の燻製しか無い。それを食べきってしまえば、明日の食事に困る。パンも今日の分で最後だ。

「明日は、お買い物に行かないとなぁ……」

 溜息混じりにそう口にしてから、サピアはパンを齧ったのだった。日が落ちて、夜が来ると、隙間風に身を震わせた。しかし――いくら貧乏でも、生きていられるのだから、幸せだ。亡くなった両親を思いながら、漠然とそう考えて、サピアは眠りに就いた。こうして安らかに眠る事が出来るのは、両親が戦い、この街を守ってくれたからなのだと考えながら。