【九】勇者……!






 以来、サピアは引越しをし、狼獣人の集落から出る事となった。ピラーは大層嘆いたし、サピアにとっては驚くべき事に、ガルディも涙しながら送り出してくれた。ガルディは最後まで、「狼獣人としての誇りを忘れるな!」と怒鳴っていたのだが、涙混じりの声だったため、いつもの迫力は無かった。彼が密やかにサピアを好いていた事には、結局サピアは気づかないままで、引越しをしたのだが――察していたルクスは、立ち会いながら、笑顔で牽制し続けていたものである。

 酒場クロツグミでの仕事は、サピアの希望で続ける事となった。既に宿にいる事は無くなったが、サピアが心配だとして、結局毎日ルクスは飲みに来る。

 ――勇者一行の、残りの二名、聖者ハロルドと弓師ミズワルが、店を訪れたのは、そんなある日の事だった。二人が来ると事前に聞いていた為、本日は臨時休業の看板を、ロビンが出した。ただ、ルクスがサピアを紹介したいとして、サピアは顔を出している。

「まーさか、ねぇ。あのルクスが。本命を作らない事に定評があったルクスがねぇ。驚きだよねぇ」

 どこか間延びした口調で、ハロルドが言う。ミズワルは、寡黙な調子で、隣でウイスキーを舐めながら、頷くにとどめている。

 そんな二人は、お揃いの指輪をしている事に、サピアは気がついた。

「そこの二人は、報奨金の代わりに法改正で、同性婚をとある国家に認めさせて、結婚したんですよ」

 ロビンが、サピアの視線に気づいて、補足した。それを見ながら、ルクスが微笑する。

「俺は結婚という形にはとらわれない――が、指輪は贈りたいと思っていたんだ」

 ルクスはそう言うと、そっとサピアの手を握り、銀色のシンプルな指輪をはめた。サピアが目を見開く。見ればルクスの手にも、同じ指輪がはまっていた。

「相変わらずイヤミというか、一言多いなぁ」

 ハロルドが言うと、隣でミズワルが小さく頷いた。そして、本日初めて口を開く。

「俺は公的に俺のものだと認めさせたかったから、結婚という制度に満足している」
「ミズワル、ほ、本当に? 俺もー!」

 ハロルドがミズワルに抱きついた。幸せそうな二人である。ルクスもまた、サピアを抱きしめる。現在は六人が座れるテーブル席にいる。ロビンが皿に料理を取り分けながら、嘆息した。

「私にも恋が訪れるといいのですが」
「あまりものだもんな、お前」
「本当に人を苛立たせるのが上手ですね、ルクスは」

 ロビンが引きつった顔で笑う。それを見て、吹き出しながら、ルクスがサピアの肩を抱き直した。

「俺は、幸せのお裾分けをしたいと思うタイプじゃねぇからな。俺が幸せなら、そして愛する相手が幸せなら、それで十分なんだよ。で、幸せじゃないやつの事は、哀れむ。だから、魔王退治みたいな慈善事業をしたわけだ――この大陸全土に愛が溢れるようにな。けど今は、世界中の全ての人間じゃなく、たった一人、サピアだけを幸せにしたい」

 断言したルクスを、勇者一行の残りの三名はまじまじと見る。名指しされたサピアは、ただただ照れていた。

「改めて紹介する。俺の最愛の――狼獣人のサピアだ。格好良いだろ?」
「格好良い? どちらかというと可愛いよぉ?」
「格好良いんだよ。殴るぞ、ハロルド」

 狼獣人だときちんと紹介され、格好良いと言われ、サピアは満面の笑みを浮かべる。ルクスにそう言われると、嬉しさがこみ上げてきた。犬に似ていると言われて落ち込んでいた日々が、癒されていくようだった。貧乏に苦しんでいた日々も、今となっては懐かしい。というのも、ルクスが養ってくれるからだけではなく、クロツグミの時給が少し上がった事が大きい。サピアは、お金を貯めて、時々ルクスに贈り物をして、少しずつではあるが、気持ちを返しているつもりだ。ルクスは、サピアから貰った時計へと視線を落としている。

「助けてよ、ミズワル!」
「――ルクスは、猪突猛進だ。盲目的に、そうと信じたら突き進む。それが愛に転んだ今、ハロルドが何を言っても無駄だろう」

 ミズワルの声に、ハロルドは一瞬動きを止めてから、小さく頷いた。そして、ロビンを見る。

「それにしても、聖剣の勇者と月灯の魔術師が、勇者一行の二人もが、滞在していると知れ渡ったら、この街は大変な事になるんじゃないのぉ?」
「既に冒険者の登竜門の街として、囁かれているようですよ。私もルクスも、何度か腕試しを挑まれましたし」

 ロビンは穏やかに笑っている。しかし、返り討ちにしたのは明らかだった。

「国籍は変えないまでも――結婚的に、ね。ただどうせ今も、旅をして暮らしているんだし――そろそろ定住して、俺達も、ここで暮らす?」

 ハロルドが、今度はミズワルを見た。
 すると強い酒をロックで呑んでいるミズワルは、少し思案するように瞳を揺らした。

「……それも、良いかもしれんな」

 そんなやりとりをしながら、この日の夜は、ふけていった。




 ――その後。

 エルクス王国のカイエの街の噂は、マギナリーゼ大陸全土に広まっていく。
 冒険者の登竜門の街であるとして、旅立ちの街として。

 ルクス達元勇者一行は、酒場を経営するロビンを除いて、初心者冒険者への指南をして暮らすようになった。そして夜になるとクロツグミを訪れて、サピアに接客され、ロビンの料理を楽しんでいる。

 なお、広まった話は、それだけではない。

 それは、犬にしか見えない狼獣人と、聖剣の勇者の、一つの恋物語である。

 いつか、吟遊詩人がうたうようになる頃も、サピアとルクスは幸せに暮らしたのだった。
 吟遊詩人のうたった詩のタイトルは、『垂れ耳狼と番(ツガイ)』であったという。





     【完】