【一】枯月の入学式
ここ、エンドノルワーゼ王国には、魔力が溢れている。
しかしながら、人間の身で、それらを統制し、巧みに操る事が出来る者は少ない。
自然界に溢れる魔力や、時折生まれながらに人体に持つ特異な魔力を、自由自在に使いこなす事は、並大抵の努力では叶わない。その為、この王国においては、魔術学園が設立された。
王立エルシア学園の歴史は長い。端緒、学園を設立したのは、第二代国王陛下だったとされている。なお、第二代国王陛下は影が薄く、歴史書でも、学園の設立に関する記述以外では、滅多に名前が出ては来ない。
学園に関しても、第二代の国王陛下の友人であり、初代学園長を務めたアミルワール氏の名前の方が有名だ。彼は、この大陸で一番優れた魔術師だったのだとされている。
――冬。
王都エンドルノに、雪花草が咲き誇る季節。
雪花草自体にも魔力が宿っている為、この白い花は、白い灯りのような光を煌めかせ、街路の周囲を埋め尽くすように茂っている。
エルシア学園の入学式は、十二番目の月にある聖ミジリアス祭の一ヶ月前と決まっている。現在は、十一番目の月――枯月だ。十二番目の月は氷月という。エンドノルワーゼ王国の暦には、十二の月があって、それぞれが約三十日だ。四つの週があり、それは日曜日から始まり、土曜日で終わると決まっている。時計の時針も十二の数字が文字盤に刻まれていて、十二がふた回りで、一日――二十四時間となる。こうした基礎知識は、一般の民にも広く親しまれている。民衆の場合は、十六歳になると師匠のもとに弟子入りする。そして手に職を付ける師弟制度が根付いている。
魔術師の場合は、十六歳から二十二歳になるまでの間、エルシア学園に通うのが一般的だ。家族もまた魔術師であるような、生まれつき強い魔力を持っている者に関しては、五歳から十五歳までの十年間にも、エルシア学園幼年舎へと通う。しかしその数は少ない。
自然に満ち溢れている魔力を操作出来るだけでも非常に偉大な事であり、滅多に出来る者はいない。大体それが判明するのは十四歳前後である。その為、血筋に宿るような魔力の持ち主は更に少ない。
カルナ=ワークスに、魔術師としての素質があると判明したのも、十四歳の頃の事だった。それまでは、花屋の弟子になろうと漠然と考えていたのだが、王国で一斉に行われる魔力感知試験で判明した。結果、十六歳から、カルナは、エルシア学園へと通う事に決まった。それまで身近に魔術師など誰一人存在せず、エルシア学園についても名前しか耳にした事が無かったカルナは、初めは事態が上手く飲み込めなかったものである。
それでも無事に入学式の日を迎えた。
「行ってくるね」
花屋を営んでいる父にそう告げて、カルナは冬の外へと出た。優しい笑顔で見送ってくれた父は、母が亡くなってから男手一つでカルナを育ててくれている。
細く長く吐息すると、空気が白く染まった。届いたばかりの制服を身にまとい、手袋をはめて、カルナは指定されているエルシア学園への通学路を歩く。エルシア学園の周囲には特殊な結界が張り巡らされているそうで、普通の方法では到着出来ないらしい。王都の外れの【門】を抜けた先に、学び舎が存在するらしいのだが、その門自体が通常では見えないのだという。その場所は、普通に見ている分には、ただの植物公園なのだ。
街路を歩き、木々の落とした葉を踏みながら、植物公園を目指してカルナは歩く。靴が時折枯葉を砕く音がした。植物公園につくと、そこにはまだ早朝だというのに、まばらというには大人数の人々がいた。年頃は、カルナと同じくらいか、少し年上である。
一度門の中に入ると、長期休暇以外は、外へと出る事は出来なくなるらしい。全寮制のエルシア学園において、長い学園生活を送る事になるそうだ。父の元を離れるのは寂しかったが、それよりも新生活への期待感も手伝って、カルナは明るい表情だ。
「早く進め」
カルナが立ち止まり植物公園を見渡していると、後ろから声がかかった。振り返り視線を向けると、そこには長身の少年が一人立っていた。鋭い眼差しをしていて、呆れたようにカルナを見ている。
「後ろが大渋滞だ。さっさと歩け」
「ごめんなさい……」
制服からして、同じ入学生か先輩だと判断した。だから素直に謝ったのだが、何もそんな言い方をしなくても良いだろうと、カルナは少しばかり苛立った。しかし立ち止まっていたのは事実なので、気を取り直して歩く。
すると太い木々の合間に、吸い込まれるように人々が消えていく場所があった。地図に書いてあった【門】の位置は、まさにそこだった。胸を躍らせながら、カルナも進む。すると、水の膜を通り抜けたような感覚がして、目の前に――エルシア学園の校舎が現れた。周囲には湖が広がっていて、大きな眼鏡橋がかかっている。一個の城のような学舎を見て、カルナは目を丸くした。
そこからは、道が広くなった事もあり、後ろに並んでいた人々がカルナを追い越していく。ゆったりとした足取りのカルナは、同じような速度で歩く隣の人物を何気なく見た。見れば、先程声をかけてきた少年だった。少年というにはカルナよりは大人びているから、青年との狭間にいると言えるだろう。見ていると、目が合った。
「新入生か?」
「う、うん」
「俺もそうだ。ただし俺は、幼稚舎からの持ち上がりだが。ヴェルディ=キーギスと言う」
ヴェルディと名乗った同級生となるのだろう相手を見て、カルナは頷いた。
「僕は、カルナ=ワークス。よろしく」
「よろしくする機会があればな」
そう述べるとヴェルディは、歩く速度を上げ、先に行ってしまった。少しの間それを見送り、やっぱり感じが悪いなぁとカルナは思う。ヴェルディが終始冷たい顔をしていたからなのかもしれない。
その後無事に橋を渡りきり、校舎側の門をくぐり、無事にカルナはエルシア魔法学園の中へと入った。そしてこちらでも大渋滞に巻き込まれた。植物公園の比ではない。五列に分かれた生徒達が長い列を作って並んでいる。一人ずつゲートで、学生証で名前と魔力を確認されるらしい。それをかざして学舎に入ると、長期休暇以外は外へと出られなくなるらしい。教員達が一人一人、丁寧に確認作業をしている。
無事にその魔術ゲートを通りすぎたカルナは、まずは荷物を置くために、宿舍へと向かう事にした。寮は、学園の裏手から繋がる塔にある。カルナの部屋は十一階の一番右だった。1001という部屋番号が記載されている。鍵はゲートを通る時に受け取った。二人部屋らしい。緊張しながら中へと入る。すると室内に人気は無かったが、既に左側の寝台や机の上には荷物があった。同じ学年同士で同寮となるそうだから、もう荷物を置いて、入学式の会場へと向かったのかもしれない。
カルナは右側の寝台に座り、傍らに荷物を置いた。入学式は昼の十一時からだというから、まだまだ時間はある。現在は九時だ。家を出たのは、朝の五時だった。何気なく窓を見れば、昼だというのに月が見えた。二つの月がある。白い月は通常のものだが、紫色の月が並んでいた。入学案内にも記載されていたが、エルシア学園は特殊な魔力を持つ地域にあるそうで、月が二つに見えるらしい。太陽だけがいつも通りだった。
「眠いけど、今寝たら、絶対に遅刻する」
呟いたカルナは、とりあえず、荷解きをして、眠気を誤魔化す事に決めた。そうしながら室内を見渡す。扉から見て正面に大きな窓があり、その先には湖と空しか見えない。空の風景が水面に映っている。窓の左右に机があって、それぞれの机の正面に寝台がある。寝台はロフト状で、梯子がついているから、上にも荷物が置ける。ベッドの脇にはカーテンがついている。他には窓の前に白い横長のソファがあって、その正面には、やはり横長のテーブルがある。天井からは、シャンデリアが下がっていた。他には壁際に本棚やチェストがあり、その上には、時計や暦表、燭台がある。壁には絵画もかけられていた。カルナは行った事が無いが、上質な宿の部屋という印象だった。左側の奥の扉の先には、小さなキッチンとダイニングがあるらしい。右側の奥には、洗面所があって、浴室やトイレがあるようだった。寮には他に、大浴場や共有スペースなどもあるらしい。
カルナは荷物を整理してから、室内を見て回り、同寮者と気が合う事を祈った。
こうして、入学式の時間が訪れた。
会場は、大講堂で、椅子には番号が振られている。カルナは前から二番目の列の、右から三番目だった。初めに退屈な学長挨拶があり、現学長のリンバース先生が言葉を述べる。そのまま教員紹介となった。副学長から始まり、一つ一つの講義の担当教諭が紹介されていく。カルナは必死で眠気をこらえていた。その眠気がさめたのは、新入生代表の挨拶の時だった。
「新入生代表、ヴェルディ=キーギス」
名前を呼ばれたのは、朝顔を合わせたヴェルディだったのである。頭が良いのか。そう驚きながら、壇上に上がっていくヴェルディを、カルナは見上げた。ヴェルディは白い羊皮紙を台に置くと、滔々と挨拶文を読み上げていく。読み上げるというよりも、暗記しているらしく、終始前を向いていた。そのせいなのか、一度目が合った気がした。じっとカルナが見ていたからなのかもしれない。しかしすぐにヴェルディは、すいと視線を逸らした。
新入生の挨拶が終わると、今度は在校生の挨拶となり、再び退屈な時間が訪れた。ヴェルディの席は最前列の右端であり、後ろ姿がよく見える。ヴェルディの黒い髪を何とはなしに見ながら、確かに挨拶をするほど優秀なヴェルディとは、よろしくする機会は無いかもしれないとカルナは考えた。
その考えが変わったのは、入学式の後の事である。
寮への帰り道。
本日は講義が無いから、新入生は、大広間での昼食後、皆で寮へと戻る事になった。食事は大講堂でのバイキングか、併設されている食料雑貨店で食材を購入しての自炊となるらしい。ただ本日のような大きな行事の時は、皆で食べるそうだった。
丁度、カルナの前方を、ヴェルディが歩いていた。その周囲を、多くの生徒が取り囲んでいる。皆、黒いネクタイの生徒だった。これは、幼年舎からの持ち上がりの生徒の証しらしい。つまり皆、生まれ持った特殊な魔力の持ち主という事だ。自然の力だけでなく、人体に魔力を持っている彼ら――その中心に、ヴェルディがいた。
「さすがはヴェルディ様ですね!」
そんな声が響いてくる。嘆息しているヴェルディは、笑うでもなく、当然だという顔で、顎で頷くばかりだ。まだ友達もいないカルナは、確かに住む世界が違いそうだと思いつつ、歩いていく。進行方向が同じだからだ。
さて、その集団は、十一階につくと、一人二人と姿を消していく。長い螺旋階段を上がった後だった。階段とは逆の端に、1001号室は存在している。気づけば甲冑が飾られている長い廊下を歩いているのは、ヴェルディとカルナだけになっていた。
するとチラリとヴェルディが振り返った。
「何か用か?」
「別に」
部屋がこちらであるだけだ。簡潔に答えたカルナに対し、ヴェルディが片目を細めた。そのまま無言で歩いていき、カルナは、ヴェルディが1001号室の前で立ち止まったのを見た。鍵を取り出している。
「え? 同室? 僕と同じ部屋なの?」
思わず声を上げた。すると呆れたように、ヴェルディが溜息をついた。
「歩きながら、俺は察していたが? 入れ」
「う、うん」
「どうやら、嫌でもよろしくしなければならなくなったようだな」
ヴェルディが開けてくれた扉から、先にカルナが中へと入る。やはりヴェルディの物言いが少し気に障るとは思いつつも、一応の顔見知りが同室だと知り、安堵しなかったわけでもない。
「朝、声をかけた時から、お前の魔力は膨大だとは思っていたんだ」
扉を閉めながらヴェルディが言う。ソファに座りながら、カルナは首を傾げた。
「魔力?」
「俺には、相手の持つ魔力が色として見えるんだ。幼年舎の出身者なら、大体が見える。習うからな」
「ふぅん。僕、膨大なの?」
「――寮の部屋割は、そもそもが魔力値の高い順だ。お前は、生体魔術が使える俺と同じくらいの魔力を持っているという事だ」
「僕は自然魔術の判定でここに入学する事に決まっただけだよ?」
「自然魔術は今年から俺も学ぶ。生体魔術と自然魔術は質が異なるものだ。俺もお前も対等の新入生だ」
対等という言葉に、カルナは腕を組む。先に学んでいたヴェルディの方が知識があるのは明らかであるし、カルナ自身は新しい環境にワクワクしてこそいるが、勉強自体は決して好きではない。
ヴェルディはキッチンへと一度姿を消してから、ココアを二つ持って戻ってきた。そしてカップを一つ、カルナに差し出した。一見すると上目線であるが、案外気が利く奴なのかもしれないとカルナは考える。カルナには、こうした気遣いはあまり無い。同時にヴェルディは、マカロンとアイスボックスクッキーが入るカゴも持ってきた。
「噂は聞いていたんだ。一昨年の魔力判定試験で、魔力量国内最高値を叩き出した人間がいたというのは。同じ学年になるのも分かっていたが、まさかお前だとはな」
「僕自身はそんな話は聞いた事が無いけど」
「エルシア内部でしか、そういった話はなされないからな。ただ、イメージとは違った」
「イメージ?」
「率直に言って、独学で勉強していた秀才か、天才肌の人間が入学すると思っていたんだ。カルナは一般人にしか見えない。魔力量さえ見えなければ」
「それ、褒めてないよね?」
カルナが引きつった顔で笑った。しかしヴェルディは至極真面目な顔をしているだけだ。しかし話が出来ない相手というわけでは無さそうだとカルナは判断する。
「それはそうと、これからよろしくね」
「――そうだな」
これが、カルナとヴェルディの出会いの一日だった。