【一】宰相閣下の華麗なる日常






「わぁ……宰相閣下だわ」
「いつ見ても惚れ惚れするわね――あの美貌、物腰!」
「少しで良いから笑っている顔が見たいわ。本当に格好いい……」

 廊下から漏れ聞こえてくる声。
 それに気がついた様子もなく、宰相は、宰相補佐官であるエーデルワイス・レガシーに、王宮の三階の渡り廊下で指示を出している。冷血宰相として彼は名高い。

 宰相を一言で言い表すならば――完璧。

 すらりとした外見で、見る者を魅了する顔立ちの彼は、少し長めの黒とも金ともつかない髪を揺らしている。その上、若くして宰相になっただけあり、実力も確かだ。彼が居なければ、このクロックストーン王国は回らないとさえ言われている。

 彼を含め、現在この王宮の主要な人物は、皆二十六歳〜二十七歳の年代であるため、その学年は、黄金世代と呼ばれている。その中でも一際目に付く、外交戦績や法改正などの実績から、宰相のファンは多い。ファンクラブまで存在するほどだ。その事を当然宰相は知らない――わけでは無かった。


 ◆◇◆


 その日も何事もなく執務を終えて、僕は帰宅した。
 僕はクロックストーン王国の宰相を務めている、フェルシア・クラフトと言う。

「くっ、くくく」

 一人きりの自室で、鏡を眺めながら、僕は口から漏れる笑みを止められない。

「ハァーッ、ハハハハ……! ククククク」

 バンバンと鏡台の机を叩きながら、僕は体を震わせた。

 ――今日は、三十六回、格好いいと言われた。

 僕は目指しているのである、そう、完璧を!

 誰よりも格好良く、誰よりも出来る男を目指し、日々鍛練を重ねているのである。

 アクセサリーの一つ一つにまで気を配り、デザインさえ統一すれば後は好きな衣装屋に注文できる宰相(文官)の制服は、国内で最も高級であり人気が高いスミス&ナイトレイ社に特注した代物である。艶々の肌を維持するために、僕は朝夕に化粧水をつけることを忘れない(男だってスキンケアは必要だ)。

 宰相職は指名制だから、高齢だった前任者に指名されるために、それはもう頑張った。頑張ったのだ。一日三時間睡眠で、仕事に励んだものである。宰相位をついだ現在も、忙しすぎて三時間睡眠や徹夜はザラだが(それでもスキンケアは怠らない)。

 体型維持のために、毎朝寝起きには腹筋をしている。食事のカロリー制限にも大変気を遣っている。その甲斐あって、スタイル抜群だと評価されることが多い(ああ、もう少し背が高かったらな。172cmの身長が嘆かわしい。まぁ170cm代だから、辛うじて我慢は出来る)。

 生まれ持った顔立ちだけはどうにもならないが、整っていると評価されることもあるから、そんなに悪い訳じゃないだろう。

 そして誰にも負けないように、昔から勉学と魔術の訓練には励んできた。僕の産まれたクラフト伯爵家は、初代が魔力の高さと魔術師としての功績故に爵位を賜ったので、僕も魔術師である。

 魔術師の定義は、このクロックストーン王国では、『魔術学校の卒業生』か『ギルド認定魔術師』である。僕は前者だ。後者は、ギルドの講習を三日間受ければ、他国で魔術を学んだ者でも取れる。

 伯爵家の領地経営は弟に一任しているので、僕の仕事はと言えば専ら宰相業務だ。
 二人兄弟である。
 ただし両親が早くして急逝したため、このクラフト伯爵家の家計は火の車だ。

 だから僕が出世して、領地と家計を助けなければならない。
 そんな事情もあるが、何よりも僕は――ナルシストだった。

 完璧じゃない僕なんて許せない。よって僕は、完璧になるべく日夜努力しているのだ!

「フェル、気持ち悪いよ。なに鏡見てニヤニヤしてるの……」

 ノックも無しに入ってきた弟のレイが呟く。レイブンズ・クラフトが、僕の弟だ。弟の愛称がレイ、そして僕の愛称はフェルである。

「いや、僕って、どうしてこんなに格好いいんだろうと思ってな!」
「いつもの事ながら、頭大丈夫なの?」
「ああ。僕ほど頭が良い人間は、ちょっと見ないぞ!」
「うん……もうなんて言うか、とりあえず夕食だよ」

 現在午前一時。
 クラフト伯爵家の夕食は、僕の帰宅にあわせているから、大変遅いのだ。



 宰相の仕事は、激務だ。

 しかしそれに堪えうるだけの実力をつけるため、僕は日々努力している。
 決して天才肌ではないため、僕は昔から地道な努力を重ねてきたのだ。

「レガシー、このお茶淹れ直せ」

 翌日。

 宰相執務室で、僕は書類に羽ペンを走らせたまま、宰相補佐官であるレガシーに淡々と告げた。この抑揚の無く冷淡で冷たい声も、勿論作り物である。まるで氷のようだと評されることの多い、外面と口調は、当然威厳を演出するために取り繕ったものである。普段の僕は、別に冷たい人間ではない(と思う)。

「チッ、さっさと暗殺されて下さいよ」

 四大侯爵家の一つであるレガシー家の長男は、舌打ちを隠そうともせず目を細めた。

 女系存続のレガシー家に生まれた彼は、いつも僕を暗殺して宰相になろうと尽力しているのである。始めこそ鬱陶しくて策略にはめてやろうと思っていたのだが、レガシーがあんまりにも仕事が出来すぎたため、今では互いに暗殺しようとしている・されようとしている事を認識しながらも、上手く仕事を手伝ってもらっているのだ。

 僕が出した条件は、何時暗殺を仕掛けてきても良いから仕事をしっかり手伝う事で、向こうが出してきた条件は、暗殺しようとしている事を他の誰にも公言しないことだった。別段王宮においては、暗殺なんて珍しいことではなかったので、僕は気軽にOKを出したものである。

「今日の我輩の日程は?」

 我輩――それが僕の、普段の一人称だ。陛下の前であっても、我輩は我輩だ。親しい者の前では、僕という素の一人称が出てしまうが。今のところ、そこまで親しい相手は、我が家の執事や家令以下の使用人と、弟だけである。彼らはみな口が固いから、僕が性格を取り繕っていることなど、決して漏らさない。

「二時から騎士団長と魔王についての協議、一時間休息を挟んで……休息というか長引くことを想定して、五時から宮廷魔術師長と食事――という名の、武官側の動向報告と今後の対策ですね。その後また一時間ほど時間を空けておいて、八時に日程終了です。その後はまぁいつもの通り書類仕事でしょう」
「そうか」

 僕は頷きながら腕を組んだ。現在午後の一時だ。午前中は仕事に忙殺されていた。
 ここ数ヶ月で、一気に書類仕事が増えた。

 元々多かったが、魔王が半年前に出現して以来、土木工事の案件が鰻登りに増加している。元来このクロックストーン王国には、数百年に一度、魔王が現れる。それは、クラフト伯爵家の古文書からも、得ていた知識だ。よりにもよって僕の代で顕在しなくても良いだろうと思ったのが本音だ。

「クロックストーン国教会は、神官会議で勇者の召喚を決定したそうですよ」

 教会も、丁度二十七歳になる神官長のジョニー・スイーニードットが治めている。スイーニートットではなく、スイーニードットだ。文武魔聖の頂点に立つ人間と、そして王が、皆この世代だというのは、何らかの意味があるのではないかと、よく言われる。案外魔王が現れたのだし、そうなのかも知れない。

「勇者の召喚だと? 面倒だな、阻止しろ」

 しかしながら僕は、辟易した。
 勇者なんか召喚してみろ、食い扶持は増えるし、良い事など思いつかない。

「そんなことを言われても、魔王がいる限りは……」
「なんとかしろ」

 僕はきつくレガシーに告げてから、立ち上がった。
 騎士団長のジークとの会談は、大抵二十分ほど歩いた場所にある迎賓館の二階と決まっているからだ。

 前任の宰相が高齢だったため、僕は宮廷に仕え始めてから、ほぼずっと、武官の長である騎士団長と、文武の打ち合わせのために会議をしている。もう慣れたものだ。

「打ち合わせに行ってくる。後は任せた」

 昼食は取っていないが、これもまたよくある事だった。
 何せ宰相業務は忙しすぎる。

 煉瓦造りの洋館へと向かった僕が、約束の部屋へと入ると、既に騎士団長は来ていた。
騎士団長のジーク・オデッセイは、出生年こそ同じだが、四月に一つ進級する学年で言えば、一歳向こうの方が上だ。

 ――全く、忌々しいほど格好良いな。

 僕は、僕と違って手入れなど全くしていない風なのに、染み一つ無い綺麗なジークのかんばせを見据えた。肩幅も広く、長身だ。現在王宮で人気No.1の色男は、寡黙で無口である。僕のライバルの一人だ(僕認定)。

 四大侯爵家のオデッセイ侯爵家の出でもあり、家柄も、そして卓越した剣技の実力からも、本当に非の打ち所がない。僕は努力家なので、生まれながらに才能と恵まれた環境にあったコイツのことがあまり好きじゃない。

「遅くなりました、オデッセイ団長」

 入ると同時に、僕は会釈した。

「いや」

 首を振って立ち上がった騎士団長を見ながら、僕は目を細めた。
 作り笑いなど決してせず、とりつく島もない宰相の顔をする。
 いや、もなにも、待ち合わせまで未だ十五分近くあるのだから、僕に非はない。

「魔王の件で、お話があるとか」

 彼の正面のソファの前に立ち、僕は手で座るように促した。

「ああ。国教会が、勇者を召喚していると漏れ聞いた」
「存じている。全く余計なことを」
「……騎士団からも討伐隊を出すことになるだろう。その出立の日程なんだが」
「優秀な騎士団員を犬死にさせる必要はない。もう少し様子を見よう」
「……」

 無言のままジークが僕を見た。

 推し量るようなその眼差しには、騎士団の団員を思う優しさが浮かんでいる気がした。
魔王を相手とするならば、犠牲は覚悟しなければならない。

 けれど部下の死は、悼まなければならない。
 そんな顔だった。

「万が一に備えて、人選は練っておいてくれ。しかしまだ動く必要はない」

 人払いをしている部屋だったから、僕は素直にそう言った。

「騎士団は、この国を守らなければならない」
「承知している。そしてその能力を騎士団が持ち合わせている事も。貴様の事は、誰よりも信用している」

 実際、ジークの手腕を僕は信頼していた。
 顔面だったり、立ち位置的な問題だったりで、敵視していることも事実だ。

 だが、常に危機からこの国を、物理的に守ってくれる心強い英雄だと、内心湛えてもいる。英雄なんて言葉を、僕は軽々しく使いたくは無かったが、他に彼を表現する最適な言葉を僕は知らない。

「お前が居てくれて良かった。だからこそ、俺は強くなれる」

 ポツリとジークが言った。

 ――この天然タラシめ!

 こんな事を言われたのが(僕じゃなく)女性だったならば、きっとその声と言葉と眼差しに、みんな恋をすることだろう。

「必ず、守る」

 ジークの言葉に僕は頷いた。

「期待している」

 それから暫く雑談と、その他の近衛騎士や、土木工事作業員への護衛について話し合い、僕は午後四時半にその部屋を後にした。


 そのまま向かった先は、次の待ち合わせ場所である、王宮の隣の王立図書館三階に設えられたレストランだった。此処は宮廷魔術師の寮兼宿舎との間にあるため、宮廷魔術師長と食事という名の打ち合わせをする時に、多用している場所だ。

「遅かったな」

 まだ待ち合わせ時間より大分早いが、三十分前行動を常としている宮廷魔術師長ゼルダ・ワインレッドに嫌みを言われた。

「生憎宮廷魔術師と違い、多忙な宰相の身ですので」

 イヤミったらしくそう言い、僕は正面の席に座った。

「ドルディアの38年物を」

 ソムリエに対してそう告げ、ナプキンを膝に置く。

「……」
「……」

 愛称ゼルと僕は、魔術学校時代の同級生でもある。

 ワインレッド伯爵家自体、僕のクラフト伯爵家と雌雄を競う、魔術師貴族の家柄だ。もっとも困窮しているクラフト伯爵家とは違い、裕福なワインレッド伯爵家の次男であるゼルには、僕と違い努力故ではなく生まれ持った気品が備わっている。僕とは異なり、呼吸するように身につけたらしい儀礼作法がそこにはあった。てっきり、領地の一角を譲り受けて運営に励むと思っていたゼルが、宮廷に入ったこと自体、僕を驚かせたものである。

「――オデッセイ団長からの話は何だったんだ?」
「魔王討伐の件だ。貴様の話もそれ関連だろう?」

 運ばれてきた前菜を一瞥しながら、僕は言う。

 我が家では節約料理しか出ないので、経費で落ちるこういう場での食事は、しっかりと楽しまなければならない。とはいえ、宰相たる優雅さを皆に見せつけるために、僕はマナーに気を遣う。

「魔王討伐となれば、宮廷魔術師からも人員を割かなければならない」
「分かっている。安心しろ、宮廷魔術師を除け者にした人選をする気はない」

 僕が言うと、ゼルが眉を顰めた。

「そう言う問題じゃない。この国のために、だ。権力などどうでも良い」
「それこそ分かっている。変わらないな、貴様は」

 思わず肩を竦めていた。苦笑が漏れてしまう。

 ゼルは、実力に裏打ちされた自信を持っているのだ。そこがまたムカツク。
 何せ僕は努力家だ(と、自負している)。
 学校時代からそうだった。

 僕は予習復習と鍛錬を怠らなかったが、僕のライバルである彼は、授業を聞くだけで紙のテストでは良い成績を残し、鍛錬などしなくても実技においても好成績をはじき出していたのである。

 天才というのは、彼のような人間を言うのだろう。
 だが僕は、彼を認める気がない。

 実力に裏打ちされたナルシストと、僕のように努力に裏打ちされたナルシストとはいえ、ナルシストであるただ一点で同族嫌悪してしまい、兎に角互いに自分が一番だから馬が合わないのだ。

「お前の前だからだ」
「――ナルシストは消えればいいのに」
「は?」
「何でもない、独り言だ。魔王の件は、教会とも協議する必要があるな」

 そんなやりとりをしてから、僕は九時頃までゼルと話を続けたのだった。



「お疲れ様です」

 僕が部屋へと戻ると、陛下づきの侍従であるカルア・スミスが立っていた。
 スミス&ナイトレイ商会のナイトレイ子爵とスミス夫人の一人息子である。

 彼が夜遅くに此処にいるというのは、大概僕によるその日の報告を陛下が欲している時だ。

「魔王が出現した事に、皆殺気立っている。特に、国教会の動きが気になる。魔王討伐に関しては、今少し時間が欲しいのだが……」
「分かりました」

 僕がそう告げると、先日二十歳になったばかりの青年が、笑みを浮かべた。

「国王陛下も、魔王については心を痛めておられます」


 ああ……そろそろ、本格的に、魔王に対処しなければならないなと僕は思った。