【十一】再会
師匠との再会が叶う事となったのは、翌年――僕の事だった。
エンゼルフォードの街の近郊で、再び土砂災害があり、国王自ら視察をするという事になったのだ。契機は悲惨な災害だけど、僕は師匠に会えると思うと、嬉しくて仕方が無かった。
とはいえ、ここは、僕の国だ。僕には、しっかりと国王としての意識が芽生えつつある。だから真剣に視察し、必要な物資の手配を約束し、すぐに手配するなどした。
しかしいざ街へと到着し、入口が視界に入ると、懐かしさがこみ上げてきて、帰りたくなってしまった。その感情が吹き飛んだのは――入口に師匠の姿を見つけた時の事である。
「師匠!」
僕は、人目もはばからず、そう叫んで、立っている師匠に駆け寄った。そして飛びつくように抱きついた。僕を受け止めた師匠は、優しい笑顔を浮かべている。昔と何も変わっていない。
「いつもとは逆だなぁ」
「うん、うん。いつもは、うん。僕が師匠を待っていたんだよ……覚えてる?」
「ああ。レムの事を忘れた事なんて一度も無い」
師匠の言葉に僕は涙ぐんだ。すると後ろで咳払いが聞こえた。振り返ると、本日は甲冑ではなく、外套をまとっているジュードが、こちらを見て、呆れたように笑っていた。
「レミリィアス国王陛下。みんなが見ております」
「う……」
「久しぶり、ジュード。なに、嫉妬かな?」
「そうだ」
「――変わらないな。長い初恋は実ったらしいね。レムから手紙で聞いたよ」
その言葉に、ジュードが目を丸くした。そして赤面すると、片手で唇を覆い、顔を背けた。
「おい、ミセウス。初恋ってバラす必要が、どこにあったんだ? そ、それよりも、聞いている? レムは――レミリィアス国王陛下は、俺の話をお前にしていたのか? なんて?」
「ん? 恋人ができたと聞いたよ? 好きだ、愛している、一緒になってしまったなぁ、手紙の内容が」
師匠がクスクスと笑った。それを聞くとジュードがさらに赤くなった。僕は首を傾げる。師匠への手紙には、真実しか記していないのに、どうしてジュードは赤くなっているのだろうか? それよりも……僕に、初恋をしたというのは、本当だろうか? 街にいた頃は、そんな気配は全くなかった。子供扱いされているとしか、感じた事はない。けれどそれは、近衛騎士になってからも、数年間はそうだった。僕は、ジュードの気持ちに、ずっと気付かなかっただけなのかもしれない。
現在は、秋だ。
収穫祭が終わり、冬が近づいているため、少々肌寒い。
そう感じながら、僕は改めて、街の入口から、エンゼルフォード全体を見渡した。
色とりどりの屋根や風車が並んでいる。やっぱり僕は、この街に戻りたい。
――いつか。
けれど、今の僕には、やる事が沢山ある。ただ一つ、師匠に聞いてみたい事があった。
「ねぇ、師匠。二人で話がしたい」
「なりません、陛下」
するとジュードが目を細くした。師匠もまた、大きく頷いた。
「うん。それはダメだよ。せめてジュードは伴うように。レムは昔っから人が良すぎて、良い子すぎて、本当に心配になってしまう」
二人の言葉に頷き、ジュードならば良いかと考えて――僕は、用意されていた宿へと向かった。その一室で、三人になった時、僕は師匠に尋ねた。
「師匠、一つ聞いても良い?」
「何かな?」
「――どうして、僕のお父さんを殺したのに、僕を引き取ってくれたの?」
僕が尋ねると、師匠が俯いて、苦笑を吐息にのせた。それから茶器に手を沿え、紅茶を一口飲んでから、改めて僕を見た。今度は真剣な面持ちをしている。
「殺し屋をしていた俺は、当時の王弟殿下に、王宮へと古から伝わる秘宝を持ち逃げした商人一行を殺害するようにと依頼を受けたんだ。破格の額だった。俺には、遠方に子供がいて、病気がちで――治療する為には、莫大な費用が必要だったんだ。俺は、自分の子供を助けるためならば、命を奪っても構わないと判断した。何せ、相手は、悪人だと聞いていたからだ」
師匠はそう言うと茶器を置き、それから深々と溜息をついた。
「その悪人――と、聞かされていた相手が、第一王子殿下だと気づいたのは、それからほどなくして、新聞で顔を見た時の事だった。レムを助けたのは、自分の子供と同じ年頃の子を不憫に思ったからで――子供には罪が無いと思ったからだよ」
僕は静かにそれを聞いていた。傍らでは、ジュードが冷たい表情を浮かべていた。
「王弟殿下に話を聞きに行ったら、子供の命が惜しければ、黙っているようにと口止めされた。俺は、レムが生きている事は告げなかった。王弟殿下は両親共々レムの事も俺が殺ったと判断していたようだけどね」
それを聞いて、僕は目を見開いた。
「俺の子供は、王弟殿下の庇護する医療孤児院にいたんだ。唖然として、とりあえず帰宅をしたら――幼いレムが、その日も街の入口に立っていたんだ。いいや、その日というか、それが初めての日なんだ。覚えていないだろうけれど、四歳だった君は、心細い様子で、木の幹に手を添えて、ずっと俺の帰りを待っていてくれたんだ。その日、俺は君を抱きしめて、不覚にも泣いてしまったよ。我が子のためなら、悪事に手を染めても構わないと思っていたはずなのになぁ」
つらつらとそう言ってから、師匠は膝を組んだ。そして頬杖をつく。
「その内に、ね。俺の中では、レムが本物の子供のように思えてきてしまったんだ。いつしか、汚い仕事をして帰る度、レムの姿を見かけると、人心地つくようになっていた。だから、レムのためにも、もう汚れ仕事はやめようと思ったんだけどな――結局、レムの両親を殺した後も、俺は二度、人を殺めた。レムと入れ違いで帰った日が、二度だけあっただろう?」
僕は何度も頷いた。師匠と入れ違いになった日の事を、ありありと思い出す。
「それらもまた、悪人だと聞いていた。けれど、本来それは、人を殺して良い理由にはならない。単純に、純粋に、俺が俺の気を楽にするために、用意していた言い訳だったと思う。それでも医療費が必要だと、俺は信じきっていたから――心は痛んでも、すぐに忘れた。忘れさせてくれたのは、レムとの日常や、レムの笑顔、そうした様々な事柄だ」
師匠は膝を組み直すと、再び茶器を手にとった。そしてその水面を覗き込む。
「けどな――全部、無駄だったんだ」
「無駄?」
「俺の子供は、とっくに死んでいたんだよ。毎月届く、息子からの手紙はね、王弟殿下が手配していた偽物だった。俺の子は病いで死んだのでは無かった。王弟殿下の配下に殺害されたんだと、調べはじめたらすぐに分かったよ」
暗い瞳に変わった師匠は、その後目を伏せ、次に僕を見た時は、最初と同じように優しい顔をしていた。
「けれど今は、レムから毎週届く手紙が、まるで我が子からの手紙に思えて、とても嬉しいんだ。今も俺は、レムに救われ続けているんだ。本当の子供で無い事は分かっている。ただ、俺にとってレムは、弟子ではなく、大切な養い子なんだ」
「僕も師匠は、師匠だけど、その……大切な家族だと思ってる!」
「有難う、レム」
僕の声に、師匠が柔和な笑みを浮かべた。それから続ける。
「けどね、俺は――王弟殿下へ復讐したかった。レムをその道具にした。王弟殿下を失脚させる道具にしたんだ」
「……師匠は、師匠は悪くないよ」
「いいや、最低だと自覚している。頃合いを見計らって自首した時、俺は……そうだね、その時になってやっと、レムがもしかしたら待っているかもしれないと思い至ったんだ。後から聞いたよ。やっぱり――ずっと待っていてくれたのだと。辛い思いをさせたな」
「師匠が無事だったから、全然大丈夫だよ……」
「レム、これだけは本当だ。俺は恩赦を期待したのではなく、最後にどうしてもレムを一目見たくて、拷問に耐えた」
師匠はそう言うと、左手の袖をめくった。そこには、義手がはまっていた。驚いて僕は目を見開き、両腕で体を抱く。拷問で切り落とされたのだろうと、すぐに察した。しかし衝撃で言葉が喉で凍りついてしまい、何も声が出てこない。
「会いたかったんだ。会えて良かった。そして、今も。こうして、レムと今、話が出来て、俺は本当に幸せだよ」
そう言うと、袖を直してから、師匠が穏やかに唇の両端を持ち上げた。その優しい眼差しを見ていたら、僕の体から力が抜けた。
「僕も……幸せだよ」
こうして、師匠と僕は、改めて再会を果たした。その間も、ジュードはずっとそばにいてくれたが、言葉を挟む事はせず、静かに見守ってくれていたのだった。
――エンゼルフォードからの帰りの馬車で。
いつか、宮殿へと向かった日も、こうして一緒に馬車に乗ったなと思いながら、僕はジュードを見た。本日も斜め向かいに座っている。
「思えば、俺は馬車の中で――レムを一生守ると約束したんだったな。ずっと一緒にいると」
「うん。覚えてる」
頷きながら、僕は窓の外を見た。色づいた木々の葉が、街路に落ちていくのが見えた。エンゼルフォードの街が遠ざかっていく。やはり僕は、帰りたいと思うし、エンゼルフォードの街こそが、僕の住まう場所だと感じているが……留まろうとは思わなかった。
それは、わがままを言って、周囲を困らせたくなかったからではない。
僕にはまた一つ、やるべき事が出来たからだ。もう、師匠のように、悲惨な境遇で暗い仕事を引き受けなければならないような人々が、いなくなるように。もっとより良い国を、創るというお仕事だ。
「帰ったら、医療孤児院全体に、王宮から支援金を出す計画を練ろうと思うんだよ」
「ミセウスのためか?」
「もう遅いけど――師匠から教わった事は、僕は忘れないんだよ。例えば、黒苺のタルトの作り方だとか」
「そうか。今度、ご馳走して欲しいが、国王陛下にはおいそれとは頼めないな」
冗談めかしてジュードが笑う。僕は思う。ジュードの笑顔も、師匠と同じくらい優しいし、何より、愛おしい。
「ねぇ、ジュード」
「ん?」
「こっちに来て。こっちに座って」
「ああ。お前の望みは、叶えられる事なら全て叶えてやるよ」
再び悪戯っぽく言葉を放ってから、ジュードが馬車の中で移動し、僕の隣に座った。そして座席の上で、僕の右手を握る。僕は重ねられたジュードの左手を見て、頬を緩ませた。照れくさくなってくる。
「キスして」
「陛下がお望みとあれば」
「僕が国王じゃなくてもキスをしてくれる?」
「当然だろう。俺がしたいんだからな」
その後、僕達は啄むようなキスをした。ジュードは僕の髪を撫でるように指で梳くと、じっと視線を合わせてきた。
「俺が近衛騎士でなくとも、そばにいてくれるか?」
「うん。僕がそばにいたいから、ずっと一緒にいる。ついていくよ」
「――そうか。ま、お前が国王陛下である限り、生涯俺は近衛騎士を続けるが」
そんなやりとりをしながら、僕達は王宮へと三日間かけて帰還した。
出迎えてくれた人々を見て、僕は思う。彼らは、僕を待っていてくれたのだと。
いつか、僕が師匠を待っていたのと、それは似ているのかもしれない。勿論彼らは仕事でもあると思うのだが、僕が無事に帰ってきた事を、みんな笑顔で喜んでくれた。僕はそれが、非常に嬉しかった。
こうして――僕の、忘れられない幸せな日々は、一区切りしたのだと思う。心の中に残っていた、師匠への疑問も解消できたし、脆く崩れ去ったとはいえ、エンゼルフォードでの暮らしは、僕に多大なる影響を与えてくれた。
その後の僕の治世は、糸を織るように少しずつ続いていった。そばにはいつも、ジュードが居てくれる日々だ。練りこまれた悲喜交々の教えや記憶が、僕の国政に影響を与えたのは間違いがない。
後世の歴史書において、僕の名前は、不遇を乗り越え賢王となった中興の祖として出てくる事になるようだが、僕はまだ、それを知らず、ただただジュードと共に過ごし、弟達と国を創り、そして師匠と手紙でやり取りをする日々を――今度こそ穏やかに続けたいと願うばかりだった。そんな毎日は、いつか歴史を紡ぐらしい。
王宮の自室で。
その日も僕はジュードと唇を重ね、その腕の中にいた。彼の温度が、大切でならない。
「レム」
「何?」
「ずっと聞きたかったんだけどな」
ジュードが、じっと僕を見た。あんまりにも真剣な顔をしていたから、驚いて僕は首を捻る。
「うん?」
「――ミセウスと俺、どちらが大切だ?」
僕はその言葉に、僕は顔を上げて、目を丸くする。ジュードは案外、嫉妬深いらしい。そう思うと、いつも僕を子供扱いするジュードの方が、僕には幼く思えた。僕が勝っている部分もあるようだ。
「比べられるものじゃないよ、師匠と恋人は」
「それでも、だ。どちらか選べと言われたら、どうする?」
「選べない……」
つい僕は、本心を口走った。するとジュードが項垂れた。
「……そうか」
「けど――師匠の事は、敬愛していて、ジュードの事は……」
「俺のことは?」
「愛してるよ」
これは本心だ。ジュードが満面の笑みになる。
――そしてこの僕の想いは、生涯変わらず、続いていった。
【完】