【十二】




 ミツバ事件(……と呼ばれるようになった)が目立ってから、初恋をする児童が目立ってきた。目立ってきたのだ……同じ学内で。男同士だ。ま、まぁ小さい頃に同性に憧れる気持ちが分からないでもないが……これは、共学の方が良かったのではないのか……俺は致命的なミスをしたのではないか?

 最近俺は、頭を悩ませている。まさか、そんなはずはないよな。本当に男子と女装男子の学園になって、男同士の恋愛の坩堝になると言うことはあるまい。

 そんなある日、不意にサロンへ行く途中、存沼に聞かれた。

「おい、誉」
「何?」
「お前、好きな奴はいるのか?」

 俺は笑った。必死で笑った。笑って濁した。いてたまるか!
 表面に意識して作り笑いを張り付けて、頬を持ち上げ、目を細めて笑って見せた。菩薩よ、俺に舞い降りろ。

「俺はいる」
「――え」

 存沼の声に、俺は率直に驚いて声を上げた。存沼に好きな相手が……?
 まて、設定ヒロインと恋に落ちないというフラグがここに立ったのかもしれないが、もしやその相手は学内の人間では無かろうな。男か?

「この学園の子?」
「ああ」

 きっぱりと存沼が断言した。フラグが折れたらしいのは嬉しいが、頭の中が白くなりそうだった。現実逃避して、春の野原でタンポポを眺めている気分に浸る。

 それにしても誰だろう……。いやそれよりも、すぐ側に同性愛者がいたことに俺は衝撃を受けた。そんな片鱗無かったぞ……?

「付き合ってるの?」
「……いいや。それよりお前はいるのか? 答えろよ」
「いると思うの?」
「分からないから聞いてるんだろ!」
「いないよ」

 いるはずがないだろう。存沼よ……俺は異性愛者だぞ。
 そうしたやりとりをして、俺達はサロンに着いた。サロンの中にも、桃色の空気が漂っていたのは、気のせいだと思うことにした。視線が存沼に釘付けになっている人がいたなんて、俺は気づかないことにした。俺に対して嫉妬の視線が向いていることなど、知らぬふりをしたのだ。やはり存沼とは、これ以上関わらない方が良いだろうな。


 ちなみに後日、和泉にも好きな相手がいるかと聞かれた。

「いるのか?」

 俺はまた菩薩を憑依させた。まさか、和泉まで……そんな心境で、和泉を見据えて微笑んだ。再び笑って濁してみる。いや、今度は怖くて声が出てこなかったというのが正しい。頼むから、和泉までなんて言うのは止めてくれ!

「俺はいない」

 そして響いてきた声に、安堵して俺は飛び上がりそうになった。

「良かった! 僕もいないんだよ!!」
「だよな。おかしいよな。?生は男ばっかりだし、女の先生いないし」
「分かる分かる」
「女と出会う機会なんて、パーティと発表会くらいしかないよな」
「だよね!」

 和泉が周囲を一瞥してから、あきれたように溜息をついた。
 学園中が桃色の空気だからだろう。
 それにしても良かった。和泉は異性愛者っぽい! 同士だ!


 しかしながら。


 和泉は大層モテた。モテるのだ。
 存沼もモテるのだが、存沼の場合は、遠くから熱っぽい視線を送られていることが多く、まだ本人に告白したという強者は現れていない。そんなことがあれば、真っ先に存沼は俺に言うだろう。存沼は変わったことがあると、俺に話す。そこだけは、親友っぽい。あく
まで、「ぽい」だが。親友ではないし、なる気はない。

 さて、すごいのは和泉の側だ。和泉は、話してみると気さくな性格だし、普段は笑っていることが多い。そのため、告白ラッシュが巻き起こっている。俺にまで、和泉に手紙を渡して欲しいだの、和泉の連絡先を教えて欲しいだの、声をかけてくる人がいる。そう言う相手は、ことごとく葉月君が蹴散らしてくれるから助かっているが。しかもこれまた、和泉は告白されると、優しく断っているらしい。

 だからフラれても良いから思いを伝えたいという児童で溢れかえっているのだ。チャラ男の片鱗が見え始めている……! 俺はそちらの方が怖い。このまま良い子でいてほしい。チャラ男が悪いとは言わないけれど。

 ――そんなある日、葉月君に呼び止められ、久しぶりに侑君とも会った。

 二人が、図書室に来て、委員会が終わってから話しをしようと俺に持ちかけてきたのだ。俺は今回も図書委員会だ。六年間全て図書委員会で、今年は委員長をやって欲しいと言われたが、ローズ・クォーツのメンバーだから、やりたくないと言えば大丈夫だった。特権
である。何もしなくて良いのだ。こんな時ばかり俺は、その恩恵にあずかっている。

 さて、久方ぶりだから嬉しくなったが、この二人が恋愛関係にあるとか、なったらどうすればいいのか分からないので、半分怖くもあった。しかしそれはただの杞憂に終わった。

「誉様の好きな人って誰ですか?」
「俺も気になる」

 ただ、まさか二人にもそんなことを言われるとは思わなくて、短く息をのんだ。

「それを聞きに来たの?」
「そうです! 教室じゃ話しづらいかと思って」

 葉月君の言葉に、そんな気遣いはいらないと思った。何せ話して困ることなど何もないのだから。寧ろおおぴろげに、俺には好きな『男子』などいないと公言してしまいたい。無論女子との出会いは皆無の現状だが。

「存沼様だよな?」
「絶対和泉様ですよね?」

 二人の言葉に、俺は呆気にとられた。今この二人は、一体なんて言った?
 俺が存沼を好きだと? 和泉を好きだと? どちらかだと!? なんでそうなった!

「……僕に好きな人はいないよ。マキ君と和泉はただの友達だよ」

 友達、で良いよな。友達だとも思われない方が良いだろうが、こういう場でいう『友達』とは、恋愛対象ではないというアピールだ。

「じゃあ……やっぱり」
「やっぱり、三葉様が本当は、誉様に宝石を渡したって言う噂が本当ですか!?」

 それはない。
 大体やっぱりって、なんだよ二人とも……。

「どこからそんな噂が?」
「学園中が噂してる!」
「そうですよ!!」
「残念だけど、僕は知らないよ……」

 確かに、ミツバ事件は知っているわけだが、未だに三葉君が宝石を渡した相手は知らない。

 三葉くんといえば、また株価で一大事件が起きたらしい。今度は『グランギョニル・マンデーV』だ。今年は株価の変動が大きい。きっと三葉くんは、歓喜しているんだろうな……。

 なんだか恋愛話に事欠かない一年だった。そして六年生になった。


 今年は、修学旅行がある。
 修学旅行の班は、俺と和泉と葉月君と高崎君になった。行き先は英国だった。恐らく存沼がいたら、ストーンヘンジに直行だっただろうな……。滞在場所はロンドン、二泊三日の日程だ。

 一日目は、団体行動だった。バッキンガム宮殿へと行ったのだ。ヴィクトリア駅正面口からバッキンガムロードへ向かい、無事にたどり着いた。前世でも今世でも、英国に来たのは初めてだ。近衛兵の交代式を見た。良いな。その日の夜は、まだ初日と言うこともあって、飛行機疲れか、皆すぐに寝た――わけでもない。

 寝たのは和泉だけだった。

 俺は横になっていた。目を伏せ、眠ろうとしていたのだが、出来ないでいた。だからだらだらと目を伏せ寝転がっていたら、囁き声が聞こえてきた。

「俺、ずっと葉月君のことが好きだったんだ」

 高崎君の声だった。高崎君は、取り巻きというわけではないが、在沼と比較的仲が良い珍しい子だから、俺も以前から知っていた。既に二次性徴も迎えていて、背が伸び始めている。サッカーが得意で、サッカーだけならば、和泉にも匹敵するかもしれないと言われている。俺も一度だけ見たことがある。体育の授業で。

「――僕は、誉様一筋です!」

 しかし響いた葉月君の声に、俺は気が遠くなった。断りの言葉にしろ……ちょっと待て。
 俺を巻き込むな! いや、そもそも断りの文句としておかしいぞ。
 そんな形で、俺は眠れぬ夜を――……過ごすわけでもなくそのまま寝入ったから、二人がどうなったのかは知らない。

 二日目は、班行動だった。向かったのは、ノッティング・ヒルだ。
 これは俺の要望が通ったのだ。ノッティング・ヒルの恋人が前世で好きだったのである。映画だ。俺は英語の本まで買って持っていた(もっとも教科書だったのだが)。英語など前世では分からなかったのに、頑張って読んだ。なお映画では、ホモネタがあったなと思い出した。エレベーターの所で、主人公の男性がゲイに絡まれるのだ。日本語字幕で見ていただけじゃ分からなかったが、俺に映画を見せてくれた、当時の英語の先生が言っていた。必修の英語の講義だったのだ。

 そして夜がやってきた。この日の夜は、存沼が部屋へとやってきた。
 四人部屋で、ベッドがある部屋だ。

「高崎、どうだった?」

 第一声に俺は吹き出しそうになり、和泉は首を捻り、高崎君は笑顔が凍り付き、葉月君は視線をそらした。

「ノッティング・ヒルは」
「っ……た、のしかった、です」

 高崎君の声が震えている。嗚呼、びっくりした。しかしこの反応、存沼には高崎君、話していたんだろうな。告白しようと。なるほど、人の恋路については、存沼も俺に話さないのか。案外良い奴だな。

 だが今の言い方は意地が悪すぎるだろう。そもそも普段なら俺に聞くだろう、お前は。馬鹿!

 その時和泉が、何を思ったのか、存沼に枕を投げた。運動神経抜群の和泉の攻撃である。存沼の顔面に枕は直撃した。

「いーずーみー!!」

 存沼が低い声で言ってから、俺のベッドから枕を取り、投げ返した。
 それは、高崎君に当たった。高崎君は、先ほどのドキリとさせられたことの復讐なのか、和泉に加勢した。

「やりましょう、誉様!」

 葉月くんは、俺にそう言うと、一生懸命高崎君に向かって枕を投げはじめた。何故だ。
 それにしてもあるんだな、富裕層でもこういうの。枕投げか。前世では寧ろやったことがないぞ。それに……案外和泉もあの日起きていたか、高崎君と葉月君の反応から何かを悟って、そう空気を読み、こんな行動に出たのかもしれない。だとすれば、本当に良い子だ。俺はと言えば、枕を拾っては、葉月君に手渡す作業に従事した。

 そのうちに消灯時間が来た。先生方の見回りもあったが、すごい剣幕で枕を投げている存沼と、本気になったらしい和泉の速度に、帰ってしまった。おい。俺には仲裁など不可能だ。え、今夜はどうなるんだと、不安に思っていたら、五分後扉が開いた。――入ってきたのは、三葉君だった。

「何をしているの?」

 枕の嵐をくぐり抜け、サクッと存沼と和泉の間に入った三葉くんは、それぞれの枕を片手ずつで受け止め、高速で投げ返した。それは二人の顔面に激突した。漸く存沼と和泉の動きが止まった。やっぱり三葉くんはすごいな……。

 三葉君が出て行くと、部屋の外で待っていたらしい先生が、お礼を言っていた。
 そんな夜だった。


 それから無事に三日目を迎えた。
 あ、ミツバ事件は、結局何だったんだろう……?
 三日目は班行動ですらなく、自由行動だったので、俺は、近くにぼんやりと立っている三葉くんへと歩み寄った。和泉は買い物をしているし、存沼はなにやら高崎君と話し込んでいる。葉月くんは、深刻そうな顔で侑くんとお土産を選んでいた。

「三葉くん。昨日は有難うね」
「ううん。僕も、もっと早く行けば良かった」
「ごめんね」
「うん。今度からは、枕投げをする時に呼んでね」
「いや、仲裁してもらってごめんって事だからね! 誘って無くてごめんじゃないからね!」

 俺の言葉に、三葉君がしょんぼりした。小6であるが、まだ可愛い。
 可愛いのだ。ブランシェを彷彿とさせる。嗚呼、早く帰国して会いたいな。俺の愛猫よ!
 ――って、そうではなかった。

 俺は、三葉君に聞いてみた。



「誰に、宝石を渡したの?」