【二十二】



 疲れきって帰宅した俺は、幸い定期試験あけなのでこの一週間だけは家庭教師の先生にお願いしていないので、リビングのソファに体を沈めた。本当に心臓に悪かった。

 するとそこへ、珍しく父が顔を出した。

「最近学校はどうだい?」
「毎日充実しています」

 いろんな意味でな。率直に言って、充実してほしくない。充実の定義が著しく他とは違うだろうが。ああ、もう! 何もかもが嫌になりそうだ。

「そういえばね、一昨日のパーティで存沼君に会ったよ」

 今は一番聞きたくない名前だな。正直二度と聞かなくても良い。

「誉とは大変仲が良いみたいだね」
「ええ。よくサロンで一緒になるので」
「誉のことをお嫁さんにほしいなんて言う冗談を言っていたよ。おもしろい子だね。私はつい承諾してしまった。はっはっは」

 おい。はっはっは、じゃない。なに言ってるんだよ父よ! 存沼!
 俺はどこにも嫁になど行く気はないからな!

 なお、その日の翌日は週末だったので、俺は三葉君と西園寺の家に遊びに行く約束をしていた。監視カメラの映像は、あの事件を契機に遮断したらしい。防犯的には良くないが、俺は賢明な判断だと思う。

 最初は一人で行こうと思っていたのだが、存沼が「俺も行く」と言い出したので、俺は存沼と二人でおじゃますることになった。騒動を話したら、和泉もニューヨークから帰り次第顔を出すと言っていた。

「いらっしゃい」

 出迎えてくれたのは三葉君と、その体に腕を回している西園寺だった。確かにここは完全なる学外ではあるが……――本気で西園寺は、風紀を乱したかったんだろうな。「つっこみたい」って夢は、今になって考えれば……。

 そのまま中へ通してもらい、映像で見た覚えのあるソファへと促されて座る。三葉君が紅茶を入れてくれた。テーブルの上には、ブロックの氷で満たされた銀のバケツがあって、高級そうな赤ワインが一本入れてある。未成年の飲酒は禁止だからな! 飲み始めることが仮にあったら、絶対に止めようと俺は決意した。

 それよりも、俺には聞きたいことがたくさんあった。まずは、二人の馴れ初めだ。しばしの雑談を挟んでから、存沼の隣に座っている俺は、テーブルを挟んで正面に座っている西園寺を一瞥した。

 それからやっぱり三葉君に話しかけることにした。西園寺は空調をいじっていた。

「三葉君は、前に恋人の腕前が好きだって言っていたよね? その腕前ってさ……掃除機作っちゃうところ? それともヴィオラの演奏の腕前?」
「勿論株の腕前だよ!」

 想定はしていたが……何ともいえない。

「えっと、二人はどういう経緯で付き合うことになったの? 宝石の交換はいつしたの?」

 僕が聞く隣では、存沼も興味深そうな顔をしていた。

「まずは、誉に連れて行ってもらったパーティで俺が一目惚れしたんだ」

 答えたのは西園寺だった。思い出すように、うっとりと遠くを見ている。

「この世の中にあんなにも完全なる美があると、俺は知らなかった。それまで有機物の美にはあまり興味をはらってこなかったんだけどな、俺は一目見た瞬間から、その完全さに圧倒された。そこで自分のものにしようと決めた。今になって思えば、本当にそうだ、一目惚れとしかいえない」
「三葉はどこが好きになったんだ?」

 存沼が聞くと、三葉君の頬が紅潮し始めた。まずい、株の世界から引き戻さなければ。しかし俺が行動を起こす前に、三葉君が口を開いた。

「西園寺が、『アポカリプス・マンデー』を起こしたって、僕は知ったんだ!」

 え、そうなの!? 純粋に驚いて、二人を交互に見る。すると西園寺がニヤリと笑った。

「それを熱心に調べているのを見て、株が好きだとは調べがついた。だから俺はその後『グランギョニル・マンデー』を起こして、三葉に近寄ったんだ」

 近寄ったって……なんだか言い方が、犯罪事件の主犯みたいだぞ。

「そして、『グランギョニル・マンデーU』を起こしてやるから、宝石をよこせと伝えたんだ。?生学園のことも調べ尽くしていたから、俺よりも先に誰かに宝石を渡されては困ると思ってな。そして外部入学するタイミングで交換したから誰にも今まで気づかれなかったんだ。だから俺の宝石は、最初から三葉のものだったんだよ」

 すごいな西園寺。三葉君を超える、株の腕前なのだろう。三葉君はそこにやられたのだろうか。十分にあり得る。

「あれ、僕その話はしなかったっけ? あげちゃった後、今度は『グランギョニル・マンデーU』があったんだって」

 そういえば、そんな話を聞いた気がする。あれは、別に濁そうとしていた訳じゃなかったのか……普通、そうとしか考えられないだろう。

「それから俺はだめ押しで三葉に、『グランギョニル・マンデーV』をプレゼントした」

 お前のプレゼントのせいで、株式は大混乱を来して、教科書に載るほどだったんだぞ!

「僕はもう嬉しくなっちゃってね、なにせ『グランギョニル・マンデー』の一連の流れと言ったら――……!」

 三葉君がついに自分の世界へと逃避してしまい、蕩々と株のニュースを語り始めた。誰も聞いていなかった。しかしこうなればもう戻ってこないので、存沼と俺は西園寺の言葉を待つ。西園寺はと言えば、自分のカップに、何故なのか氷を一つ入れて、砂時計をひっくり返しながら微笑している。

「三葉、暑くないか? ジャケットを脱いだらどうだ」

 確かにちょっと暑いが、西園寺は自分で調節したくせに何を言っているんだ。

「うん。それでね、『レインボー・マンデー』が起こるまでの間――」

 話に夢中の三葉君の上着を、西園寺が脱がせた。三葉君の瞳はきらきらと光り輝いていて、白磁の頬には朱がさしている。本当に感動している様子だった。三葉君はその後も誰も聞いていないのに、話し続ける。西園寺はと言えば、俺たちが聞きたいことを続けた。

「俺は、もっとこの美を見ていたくて、大学での研究を一区切りさせて、?生に編入することを決意した。その後風紀委員に入ったらあんまりにも忙しくて会えないものだから、『レインボー・マンデー』を起こす代わりに一緒に住もうと提案したんだ。まぁ二つ返事だったな」

 言いながら、西園寺は三葉君の首元にあったひものリボンをほどいた。本当に何をしているんだろう? その上、シャツのボタンも上から三つほど外した。何故脱がせにかかっているのだろう。俺たちに見せつける気か? 見せつけてどうするんだ?

「それから一緒に暮らすようになって、俺は三葉の才能に惚れ込んだ。何をやらせてもできるんだからな。これは仕事のパートナーにしようと決意した。思えば、ただの観賞用の存在から、人間としてみるようになったのはそのころだな。そして……気づけば今だ。性格にも惚れ込んでいる。俺が株をやるなら世界中の言語を知っておいたらいいと言って、歴史のノートをドイツ語で書いてくれと言ったら、従ってくれたりとちょっと抜けているところも含めてな」

 のろけだ。西園寺にのろけられている。そして三葉君よ、君は利用されているぞ。だまされているぞ。俺は心配だ……。

 その時、ようやく三葉君の株語りに一段落がついた。それを見計らって俺は聞いた。

「三葉君は、西園寺のどこが好きなの? 株の他に」
「他?」

 三葉君は瞬きをしながら、西園寺を見た。

「昨日も、ねぎらいを込めて、株価をぞろ目にしてくれたけど……? 他? そうそう、ぞろめの株と言えば――」

 再び三葉君は自分の世界にトリップしてしまった。西園寺は、それを楽しそうに眺めている。そして砂時計の砂が落ちきったときだった。紅茶のカップを手に取り、三葉君の膝の上で取り落とした。え、今のわざとだよな? そして三葉君の足にカップが当たる直前で受け止めた。三葉君のボトムスはびしょぬれだったが、氷入りだったため冷め切っていたらしい紅茶で、やけどした様子はない。

「悪いな三葉、着替えを持ってきてやるから、ちょっと下を脱いでくれ」
「え、うん。それでね、昨日の株価は――」

 ついに西園寺が、三葉君の下を脱がせた。下着は長めのシャツのせいで見えない。そして西園寺に立ち上がる気配はない。三葉君は脱がせられていく現状を理解していない……しばしの間見守っていると、再び三葉君の話に一段落がついた。

「それより、他はどこが好きなんだ?」

 存沼が改めて聞くと、三葉君が考え込むような顔をした。

「……他?」
「三葉、」

 しかし今度は、西園寺が中指と人差し指をたてて、三葉君の唇に触れた。そして唇をなぞり始める。赤い唇をなぞる西園寺の指先が、扇情的だった。激しく色っぽい。それから逆の手で、今度はどんどんシャツのボタンを外していく。

「……西園寺?」

 漸く三葉君も、現状に気づいたらしい。自分が何故脱がせられそうになっているのか分かっていない様子だ。丁度そこへ呼び鈴の音がして、誰かが勝手に入ってきた。誰なのかは見なくても分かった。

 和泉だ。和泉は俺たちを見て、紙袋を取り落とし、硬直した。それからすぐに立ち直り、西園寺に詰め寄った。

「何やってんだよ! すぐにやめろ!! 三葉から離れろ!!」

 すると西園寺が舌打ちをした。そして携帯電話をいじり始めた。それから西園寺と和泉の口論が始まった。俺に止める気はもう無いし、存沼はいつだって仲裁なんかしない。

 それから一時間くらい経った頃だっただろうか。
 再び呼び鈴が鳴った。

 俺と存沼は、叫んでいた和泉の両肩に、同じタイミングで手を置いた。「出てこい」と暗に告げたのだ。何せ俺と存沼は、初めてここに来たわけだし、西園寺が立ち上がる気配はないし、三葉君は服装的に、誰かにその姿をさらして良いはずがない。だから珍しく存沼と意気投合したのだ。しぶしぶと言った調子で、空気が読める和泉がエントランスへと向かう。そして悲鳴が上がった。

「ギャアァアア――!! な、なんでここに!!」
「先に帰るなんて酷いじゃないか」
「お前が勝手に俺の仕事先に現れたから逃げてきたんだよ! こっちでも色々あったらしいし!」

 逃げるように戻ってきた和泉に着いてきたのは、エドさんだった。
 今日もサングラスはしていない。なるほど、エドさんが来る予定だったから、ワインがあったのか。しかし未だ飲む様子はなかった。和泉に迫るのに必死だ。

「寝室なら右の奥だぞ」

 三葉君の唇をなぞったまま、西園寺が言った。その声に和泉が息をのみ、エドさんはしっかりと和泉の手をつかんだ。そしてエドさんは真っ青になった和泉を強引に連れて右の奥の部屋へと入っていった。声が聞こえてきたのは数分後だ。

「いやだ、やめろ、舐めるな……ァ……っ!!」

 舐めるな? どこを!?
 詳しく聞きたいようで、けっして聞いてはいけない気がした。

 そんなこんなで、夕食の時間になった。何故なのか服を整えながら出てきた真っ赤な顔をしている和泉と、余裕たっぷりに笑っているエドさんと一緒に、俺たちは六人で食事に行くことになった。

 車はエドさんがのってきた、六人乗りの車である。すごい額がする高級車だった。絶対に行かないと和泉は拒否したのだが、結局助手席に座らされている。

 それは信号で停止したときのことだった。

「和泉、君のために特別に香水を調合してもらったんだ」

 エドさんはそういうと、香水の瓶のふたを開けた。瞬間車内に甘い香りが広がった。

「……――おおお! こ、これは……!」

 最後尾に座っている俺からも、和泉の頬が紅潮して、目が輝きだしたのが分かった。視線は香水に釘付けである。

「これをあげたら、キスをしてくれるかい?」
「もちろんだ!」

 お前もか、和泉……そして和泉は、自分の世界に旅立っている間に、見事に唇を奪われていた。ふれるようなキスだったのが幸いだが。

 和泉は香水に夢中になり、目がきらきらしていて、キスのことになど注意は向かないようだった。時同じくして西園寺は、ノートPCを膝の上で開き、囁くように三葉君に言う。

「今からバルヒェット社の株を7のぞろ目にしてやるから見てろ。信号が変わる瞬間にな」
「おお!」

 そして実際に信号が変わったとき、それはなされたようだ。西園寺が笑っている。目が釘付けの三葉君の首筋に、西園寺がキスマークを付けたのは、その直後だ。三葉君に気づいた様子はない。本当に気づいていない……。

 それからすぐに、アベーユ&アヘーンバッハ社の高級感あふれる会員制の豪華なホテルへと着いた。玄関に乗り付けて全員が降りると、ホテルの人が鍵を預かって、車庫にしまってくれる。受付のフロントなど、当然素通りだった。俺は会員じゃないのに良いのだろうか。まぁ、アベーユ&アヘーンバッハ社の血族の人々と一緒なのだから問題ないのだろう。

 そして当然のごとく、ホテルで最も高級だという部屋に通された。最早部屋という広さではない。なんなんだろう。高屋敷家でもそれなりのホテルに泊まるから、有名なホテルには耐性があると思っていたのだが、そんなことはなかった。すごすぎた。

 部屋に入っても、三葉君の目は、タブレット越しに株に釘付けになっている。和泉もまた香水に釘付けなのだが、こちらは赤くなったり青くなったりしながらも、どこかに携帯で連絡をしていた。

 すると暫くして、案内の人に連れられて、やってきた人がいた。
 楓さんだった。砂川院楓さんだ。

「なんだよ和泉、急な招待なんて」

 それが第一声だったが、エドの姿を視界に入れた途端、楓さんが硬直した。

「なんでここに……? ま、まさか――」
「Hello.」

 楓さんの言葉が終わる前に、レイズ先生が現れて、楓さんを後ろから抱きしめた。楓さんがふるえている。顔が真っ青だった。そして砂川院家特有の、冷気を伴う無表情に変わろうとしたのだが――……

「楓のために、この絵画を購入したんです」

 レイズ先生はそういうと、室内にあった絵画から布を取り去った。
 すると息をのんだ楓さんが歩み寄る。次第のその頬は紅潮していき、瞳が輝きだした。ま、まさか楓さんも? 嫌な予感は見事に的中するものである。

「楓、別の部屋にもっとたくさんの絵画を用意しました。二人で見に行きませんか?」
「行く」

 即答だった。視線は、絵画に釘付けである。どうすればいいのかと周囲に視線を走らせれば、すでに三葉君と西園寺の姿は消えていた。二人きりで、一体どこへ行った!

「なにをしているの」

 その時、開けっ放しの扉から、一人の麗しい壮年男性が入ってきた。
 いまだに三十代前半にしか見えない砂川院のご当主が、和服姿で入ってきたのである。隣には、金髪の男性が立っていた。こちらも年齢不詳だ。まぁ外国の人なんて、日本人の俺から見たら、ほぼ全員年齢不詳に見えるんだけどな。どうやら、西園寺達の父親らしかった。

「楓から連絡があってきてみたら……全く砂川院の人間として恥ずかしい」

 流石は砂川院家当主だ! やっとまともな人が現れた。

「何をしているんだ、君たちは――この世で最も素晴らしいモノは、書籍!!」

 ――え? 発言した途端、ご当主の瞳が輝きだし、頬が紅潮し始めた。ちょっと待て。

 西園寺の父親が、ニコニコしながら稀覯書を何冊も持っている。おいおいおい、これでは、砂川院家ほいほいじゃないか……! 俺は呆気にとられるしかなかった。まあ逆に砂川院家も、西園寺の家族を、ほいほいしているのだが。

 その後、三葉君不在のまま家族会議が始まった。そこにレイズ先生達が割り込んでいる。

「だ、だめだ、俺まで好きになったら、砂川院は終わる……!」

 和泉が言った。え、どういう事だ? 好きになりそうだと言うことか?
 それに微笑しながら、エドさんが新しい香水瓶を差し出した。

「自分の気持ちにそろそろ素直になると良いよ」

 そして瓶のふたを開けた。和泉の表情が、瞬時に恍惚としたものへ変わる。

「え、なんだそれ、どういうことだよ? 和泉は駄目だからな! お前が異性愛者じゃなくなったら困るだろう、三葉は抜けてるし。次の当主はお前なんだから」

 楓さんが眉を顰めた。

「いや家督はいらない」
「だとしてもだ、好きになるなよ!」

 楓さんの言葉に、結果、青くなって頷きながら、和泉が自分の世界から帰ってきた。そこへ吹き出すように笑いながらレイズ先生が言葉を挟む。

「楓は僕のモノだけどね」
「黙ってろ」

 楓さんがきっぱりと言った。だが、だがだ。否定はしないんだな……。
 そこへ砂川院のご当主が声をかけた。

「まぁいいんじゃないかな」

 稀覯書に目が釘付けになっている。

「こういう事もあるだろうから、三葉と和泉からは、卵子提供を含む代理出産にしたんだし。それに二人とも、万が一に備えて精子は保存してあるからね」

 ちなみにこれが、和泉の髪と目の色が異国の血を感じさせる理由だ。
 卵子提供者が日本人とのクォーターだったらしい。砂川院家の奥様は体が弱かったから子供を作らなかったんだそうだ。亡くなってしまったそうだが、ここにいたら止めてくれたのだろうか……。

「兄さん、何を考えてるんだよ!」

 我に返った楓さんが叫んだ。しかし全くご当主の耳には入っていない様子だ。

「この文献はね――」
「だから兄さん、駄目だろ!」

 しかし楓さんは粘った。頑張るんだ楓さん! だが……エドさんが、また別の布をとり、絵画を見せた。

「これはどうかな? 楓。それに跡取りのことなど考えなければいいと思うけど、それも良いよね?」
「あ、うん……」

 ちょっと待て。楓さんは絵画に釘付けで、続いた条件にまで、頷いてしまっているぞ!
 俺が呆然とそうした光景を眺めていた時だった。


「俺は帰る」

 存沼がそういったのだ。俺ももうこの場から逃げてしまいたかった。
 良いよな? これは俺の問題じゃないし、全員設定ヒロイン以外とくっつきそうだしな。そこに恋愛感情が伴っているのかは不明だが……。まぁ、恋の形なんて様々だ……。

「僕も帰るよ」

 こうして俺たちは、二人で帰ることにした。
 それに俺は、存沼に聞いてみたいこともあったのだ。