【番外】豪華客船6
俺はさすがにティタイムはキャンセルすることにした。
存沼も残るといったけど、俺は笑った。
「僕は平気だから、行ってきて」
第一、一人になりたかった。一人でシーツにくるまりながら唇を噛む。
触られてしまった。今でもヌメるオイルの感覚が全身にまとわりついている気がする。何度もシャワーを浴びたにも関わらずだ。外国人は開放的だ……って、違うよな……。
ため息がこぼれるのが止まらない。
存沼が助けてくれなかったらどうなっていたんだろう。存沼は俺の帰りがあんまりにも遅いから見に来てくれたらしい。本当に助かった。
それに……今回、俺はうかつだった。なにをあっさりオイルマッサージなんかされようとしていたんだよ。ああ、考えれば考えるほど憂鬱になっていく。
そのまま何度かまどろみつつ、俺はよく眠れないままだったが、無理に昼寝をした。横になるだけでも体は休まるって言うしな。
さて、今夜は晩餐会が開かれる。
しかし高屋敷家の人間は招待されていない。一緒に来たとは言えど、こういうパーティが存在することは事前に聞いていた。存沼と砂川院のふたりは招待されているという。こういう時に、はっきりと格差を自覚する。日本を担う二つの家は、間違いなくあの二つだ。
俺はといえば、そろそろ部屋にいるのも飽きた。同時に、存沼が、すぐに出てくるから会場わきのロビーにでもいろと言っていたので、素直にそれに従うことにしたのである。
ロビーの窓から、俺はぼんやりと暗い海を眺めた。月がうつりこんでいる。純粋にきれいだなと思った。海の色は少し日本で見るものとは違うような気がしてくるけれど、月の色は変わらない。ああ、家族はどうしているんだろう。違う断じてこれはホームシックではないからな!
「あれ、お前」
その時唐突に声をかけられて、僕は顔を上げた。
見ればそこには、今朝階段で僕を助けてくれた黄さんがいたのだ。
「あの後も傷んだりしなかったか? 怪我、大丈夫か?」
俺の隣にするりと腰を下ろし、黄さんが笑った。
「はい、もう大丈夫です」
それにしても端正な顔をしているなと思う。まぁ存沼ほどではないが――って俺は何を考えているんだよ! そんな黄さんは、切れ長の目をしていて、色気と男らしさを同時に兼ね合わせていた。今はチャイナ服を着ていない。
「黄さんも、このパーティに?」
「いいや、呼ばれてないから、入れもしない」
「僕も一緒です」
素直に答えると、クスクスと黄さんが笑った。
「あと三時間もここで待つのか?」
「――え?」
「三時間は立ちっぱなしで、動けないと聞いてる。最短で出てくるとして、三時間ちょっとしてからだな」
……存沼よ。三時間はすぐではないぞ! 時間概念を叩き直してやらなければな!
「それまで暇ならば、よかったら俺の部屋に来ないか?」
その時黄さんにそう言われて、俺は顔を上げた。
正直興味がある――が、俺は昼間のことを思い出していた。疑うのは悪いが、迂闊に知らない人の部屋に行くべきではないだろう。
「遠慮します。急ですし」
「別にお前の部屋でもいい。ここは冷えるからな。二時間半くらい時間を潰せれば最高だ」
確かに寒いとは俺も思っていた。同感だ。
それに俺と存沼の部屋ならば、確かに安全だ。疑ってちょっと悪いことをしてしまったな。しかしこれから俺は慎重に生きるのだ。
「そういうことでしたら、ご案内いたします」
俺が微笑を作ってそう言うと、頷いて黄さんが立ち上がった。
黄さんは背が高い。多分存沼よりも背が高いと思う。
そんなことを考えながら、談笑しつつ、俺たちはエレベーターに乗った。
そして部屋のあるかいについたので、俺はもらっている鍵で扉を開ける。
一礼してから黄さんは中へとはいってきた。
「座っていてください」
俺はお茶の用意をしながら声をかけた。なにをだしたものか。この部屋にはもちろん中国系の茶もあるが、無難なのはコーヒーだろうか。難しい。そもそもチャイナ服を着ているからといって中国人とは限らない。西園寺は華僑の人だといっていた。世界各地にいると習ったような気がしないでもない。
とりあえずコーヒーを二つ用意して、俺はソファに座った。
だが逆に、黄さんが立ち上がった。
どうしたのだろうかと見守っていると、寝室の――隣に立った。
「こちらからは生活の気配がしないな」
「え?」
「まさか密輸品でも」
「いえ、あ、あの」
反射的に立ち上がったものの、僕は続ける言葉を見つけられずにいた。
その前で無情にも扉は開かれる。
ガチャリというその音が、俺には処刑音に聞こえた。
中を一瞥した黄さんの目がスッと細まった。俺の心臓は心停止しそうだった。
「これは?」
「――……っ」
なんと説明すればいいのだ、このSM部屋を! 誰か俺に答えを教えてくれ!
うつむいていると、不意に黄さんが踵をかえして俺の正面に立った。
そして俺の顎を手でつかみ、上を向かせてきた。え?
その時の黄さんに浮かんでいた笑みは、獰猛な蛇によく似ていた気がした。
全身を悪寒が襲う。それまでの笑顔とは一変していた。
「名だたる存沼の御曹司は、犬の躾ひとつ出来ないらしいな」
失笑するような黄さんの声が響いた。直後俺は、口に布を当てられて、絨毯にぶつかった。そのまますっと意識が暗くなっていく。そしていつの間にか気絶してしまったのだった。