<1>僕は思い出した!


 僕は、自分の身長の三倍もある杖を握り締め、家庭教師の【紫の大賢者】と向かい合っていた。白い顎鬚のおじいちゃん先生は、分厚い魔道書を両手で開いて、こちらを見ている。笑顔だ。

「ユーリ殿下、本気でかかってきて良いですぞ」
「はい!」

 僕は全力で杖を振った。杖の周りを風が右に回って収束すると、魔術が発動できるようになる。発動後は左に回って再び杖を動かし、別の魔術を使えるようになる。これが詠唱とディレイだ。

 氷槍アイススピアを放つと、練習場に冷気が漂った。
 先生はニコニコしながら受け止め――たのだが、その時床にできた氷で滑った。
 おじいちゃんの手から、分厚い魔道書が、スポーンと宙に舞った。

 ポカンと僕はそれを眺めていて、そのまま――ドカガン、と、額に角が当たった。
 勢いそのままに吹っ飛び、僕は後ろの壁に激突した。
 意識、暗転。

 ――と、同時に襲われた激しい頭痛の結果、僕は……すべてを思い出してしまった……!!

「ユーリ様!!」
「ユーリ様、お怪我は!?」
「ユーリ殿下!!」
「第二王子殿下!!」

 抱き起こされて、駆け寄ってきた周囲に僕は声をかけられた。

 これまでの僕は、ユーリ=ソラス=ラ・メルファーレという名前で、メルファーレ王国の第二王子として生を受けたことに対して何一つ疑いを持っていなかった。現在三歳である。

 だが、入り込んできた現代日本の記憶を振り返る限り、こ、れ、は……。

 僕は、居酒屋のバイト帰り、横断歩道の赤信号で止まりながら、タブレットを操作していたのを覚えている。そこが最後の記憶だ。楽しんでいたアプリのゲームは、『聖槍のエンジェリカ』というMMORPGだった。

 どういうゲームかというと、出現した魔王を勇者達が一丸となって倒しに行くというシナリオで、プレイヤーは勇者の一人(冒険者)になって遊んでいた(僕は生産しかしていなかったが)。

 そのシナリオの中に、『伝説の勇者』という存在がいて、その人物というのは、十年前に魔王に殺害されて亡くなったとされている。ゲーム内では、聖槍に伝説の勇者の人格が宿って、プレイヤーに時々助言を与えてくれる。

 その伝説の勇者を、裏切って死に追いやったのが、当時勇者パーティにいた、メルファーレ王国の第二王子だという記憶が真っ先に蘇った……。魔王に唆されて勇者を裏切り、王位を狙って兄に謀反を仕掛け、悪行の枚挙に暇がない悪役NPCである。勇者が亡くなった後、即位した兄王に追放されたというシナリオだったはずだ。

 この第二王子がいなければ、とっくに世界は救われていたとされている。
 さらに、追放された後の行方がしれないため、常に追いかけられていた。
 え、それ、僕なのか? 最悪だろ! 思わず震えた。

「ユーリ殿下、お気を確かに!」
「……」
「すぐにお匙を!!」

 抱き上げられた僕は、そのまま御典医の下へと連れて行かれた。
 顔面蒼白で言葉を発しない僕を、周囲は非常に心配した。


 その日は、魔術の学習は中止となり、そのまま僕は自室へと戻った。

 今まで何も感じなかった部屋であるが、こうして現代の記憶を手に入れてから見ると、非常にすごい。なにせ、城である。いいや、高級ホテルの一室がその中にはめ込まれているというのが正しいのだろうか。

 いいや、そんなことはどうでも良い。
 僕は、現状を整理することにした。

 現在僕は三歳だ。僕の記憶によると、伝説の勇者が裏切られた事件は、ユーリ王子(つまり僕)が、十七歳の時だったはずだ。なにせ僕がプレイしていた時が十年後で、その際の逃亡者が二十七歳と書いてあったからだ。

 勇者とユーリ王子は、十二歳から一緒に旅に出たとシナリオで読んだ。
 二人は幼馴染だ。伝説の勇者は、貴族の三男で、ご学友だったはずだ。
 六歳の時から一緒に剣の稽古をしていたのではなかったか?

 必死に思い出して、引き出しから出した紙にメモした。
 文字は日本語なのだが、違和感はゼロだ。

 僕は今三歳なのだから、このまま行くと、三年後には勇者と出会い、九年後には旅立ち、十四年後には勇者を裏切り、二十四年後には逃亡者生活を送っているということになる……え、何それ、無理だろ。

 詳細は省くが、この裏切り者の王子、悲惨だとか哀れだとかと、何かと名高かった。僕はそんな生活をしたくない。平穏に暮らしたい。世界のためにもそれが良いだろう。

 ×勇者と旅に出る。
 ○旅に出ない。

 ×勇者を裏切る。
 ○魔王に唆されない。

 ×王位を兄から奪おうとする。
 ○大人しく第二王子として生きる。

 紙にメモして、僕は一人大きく頷いた。

 それにしても奇妙な夢だ、早く覚めろと思いつつ、覚めなかったらどうしようとヒヤヒヤしながら、その日、僕は眠ることにした。