【1】



「久しぶりだなぁ……」

 左の掌を見る。白い手袋の感触がリアルだ。嘗て画面越しに毎日見ていたものと同じ物がそこにはある。

 いいや、久しぶりというのも、おかしいだろう。
 俺がこのVRMMORPGにログインするのは、初めての事である。
 ――2013年に開発された仮想現実システム、通称VRシステムが国策で各家庭に導入されたのは、先月の事である。専用の接続用スクリーングラスを使用すると、現実さながらの空間に、誰でも気軽にダイブできるようになった。

 それに合わせて、俺が昔iPadで遊んでいたMMORPG――サンセット・グリードというゲームの統合が決まった。これまでは、一般版とVR版で分かれていたのだが、データが移行され、統一される事になったのである。

 俺は2013年からios版にログインしていなかった。
 理由は、端的に言えば人間関係だ。
 ありがちな話だが、俺には好きな女性キャラクターがいた。キャラクターというのがミソだ。プレイヤーではない。プレイヤー性別は知らなかった。出会い厨と言われたらそれまでだが、ある日そんな彼女に告白され、「会いたい」と言われて俺は舞い上がった。待ち合わせは、新宿。当時高校三年生の十七歳だった俺は、必死でお金を貯めて、東京に行った。結果――待ち合わせ場所にやってきた彼女……ではなく、ネカマをしていたアイツと出会った。性別なんてどうでも良かった。それは向こうも同じだったらしく、その日の内に俺達は結ばれた。以降俺は、アイツに貢ぎ始めた。次第に我侭になったアイツは、俺にレアアイテムを要求し、当時ランキングの常連だった俺は、ボスを倒しまくってアイテムを入手し、ひたすらその願いを叶えた。そして疲れた。大学受験に落ちた事自体は俺のせいだが、あの日々がなければ、俺が浪人することは無かっただろう。そのくらい、俺は打ち込んでいた。

 ある日、実はアイツが二股をしている事が明らかになった。別れてほしいと言われた。俺は嫌だとすがったが、「俺は本当は女が好きだ」と言われ、二股相手――いいや、俺の側が浮気の対象だったのだろうが、俺とは違い可愛らしい女の子と、アイツは付き合い始めた。相手は初心者だった。俺から見ればまだまだ甘かったアイツだが、その子の前では格好良かった。別にレベルがカンストしていなくたって、俺はアイツが好きだったが、アイツはその子のために、レベルをカンストさせた。俺といた時は、「バジルがいるから」と言って、レベル上げなどしなかったのだけれど。

 バジルというのは、俺のキャラクターの名前だ。
 聖職者ビショップをしていた。現在も、そのデータが残っている。

 まぁそういったありがちだろうが俺には辛い経緯により、俺はゲームを”引退”した。その後、一浪を経て大学に入学し、現在大学三年生。来年は就職活動が待っている。単位を取り終わった現在、何をしようかと考えていた時に、先月のVRの普及があり、その中のゲーム統合パッケージの中に、サンセット・グリードを見つけたという次第である。

 試しにログインしてみた所……本当に”現実”としか言えなかった。
 俺はまず、”いつも”と同じように、ログインしてすぐに飛ばされる《街》から、各々が一つ所持できる”島”へと向かった。自分だけの島が持てるのである。そこに家と庭と露店を設置できるのだ。

「わぁ……ごめんなぁ……」

 真っ先に俺は、庭の”プランター”を見た。これは、『栽培』というミニゲームのためのアイテムである。俺は最後にログインしたその日まで、各種の果物を育てていた。それらは、『生産』という技能のレベル上げをする時の材料として必要なのである。昔のMMOでは、単純に『枯れました』という表示だったのだが、今、目の前ではそれらの植物が本物みたいにしおれている。俺は焦って水をあげた。

 続いて露店を確認してみる。半ば放置する形でログインしなくなったから、棚を満杯にしていった露店の事が気になったのだ。見ると、MMOでは文字列で箇条書きに表示されるだけだったアイテムが、立体的にそこにあった。拡張していたから、俺の棚は五十置けるのだが、三つほど売り残っている。売上として、約87億ガルデが入っていた。多いな……今の物価は知らないが。1キャラクターにつき、20億までしか所持できない。一人10キャラクターまで昔は所持できて、俺は10キャラクターいた。だが、VR化により、一人一つに統合されることになった。そのため、今は200億ガルデまでお金を持てるようなのだが、露店の売上を回収したら、懐が潤いすぎる。そして統合状態の俺は既に167億ほど持っているのだ……。回収できないだろう。

 統合時は、10キャラクターの中の好きな名前を選ぶ事ができた。このサンセット・グリードには、10種類の職業がある。MMOでは1キャラクターにつき1つの職業だったのだが、VR版では、1キャラクターが複合的に好きな職技能を全て伸ばす事が可能らしい。よって、全職業のキャラを持っていた俺は、その全てを伸ばした状態で一つのキャラとなった。一応全てカンストしている。全く自慢にはならないが……。どのキャラも、漢字を変えたり記号付きにしたりしただけで、バジルという名前だった。

 バジルの髪色は、現実の俺とは違い、臙脂色である。服装は、袖をまくった状態の緑色の上着を羽織り、下には青緑色のアバターを着ている。アルプスにいそうだ。その後ろに、中世欧州風異世界RPGだというのに何故なのか存在する刀を交差させた状態で二本装備していて、一番外側には暗い紫色の外套を着ている。左肩にはパーラ兎猫というゲームのレアモブのぬいぐるみが乗っている。暑そうな格好だ。

 実際には暑くない。VRの中で、初めて着用してみたわけだが、何だか恥ずかしくなってきた。鏡アイテムがあるので、出現させてみる。そこには、MMO時と変わらない服装の俺がいた。髪の色と、瞳の琥珀色は現実とは違う。だがVRでは、顔は現実と同じになるため、今の俺はいつも通りの顔だった。