【12】




 目が覚めると俺は、寝台で眠っていた。今日はミスカの腕の中だった。手錠がはまっているからだ。だが、逆側からはリュートが俺を抱きしめている。二人の間で俺が身動ぎすると、彼らがそろって俺を見た。

「おはよう、バジル」

 ミスカがそう言って鎖を揺らした。するとリュートが俺の顎を掴んで自分の方を見させた。そして俺の頬を舌で舐めると、微笑しながら口を開いた。

「悪いな、無理させたみたいだな」

 今まではこんな事は言われたことがない。なんだか恥ずかしくなったその時――空中に初日に見たものと同じウィンドウが展開した。俺達三人は、瞬時に視線を向けた。

『地下迷宮が開放されマース』

 響いてきた声に、俺は瞠目した。
 ウィンドウでは、映像付きで地下迷宮の説明が流れ始める。
 俺は、それを知っていた。

 ――地下迷宮とは、【エクレアの街】の地下に現れるサブシナリオの一つだ。推奨受注レベルは150からだが、120レベル程度であっても他のパーティメンバーのレベルによっては攻略可能となる。俺は、120レベルの頃にクリアした。地下迷宮自体は、レベル300ダンジョンだ。レベル300以上のモンスターが闊歩している。だから、レベル250以上でも単独では、俺の頃には行けなかった。360カンストの今ならばソロも可能なのかもしれないが、一般的には自殺行為のままだと考えられる。

『良いお知らせデース。この地下迷宮をクリアし、ボスを倒したあかつきには、ログアウトを可能としマース。1パーティでもクリア出来たならば、OKとしますからネ』

 ウィンドウは、そんな声を放った直後に消失した。
 俺は呆然とした。そもそもの話である。大部分がレベル30以下の現在――パーティを組むことだって簡単ではない。120レベルのものでさえ、ステータスの全体情報を見ると少数なのだ。しかも聞いた話、食べ物の奪い合いでみんなギスギスしている。そんな関係の中で、協力なんて出来るのだろうか?

 その時、視界の一番下にラインが走り、活字が現れた。遠くからは声も響いてきた。
 これは、街チャットの【叫ぶ】だ。

『ローレライ(発言主):攻略相談をする。高レベルの者は、エクレアの街中央噴水前に集まってくれ!』

 俺はその名前と声に目を瞠った。
 ――ローレライ?
 聞き覚えのある名前だった。聞き覚えどころか、嘗ては毎日のように連戦をして遊んでいたフレンドの名前である。非常に優秀な、吟遊詩人ミンストレルだ。大抵の連戦では、聖職者ビショップの回復と吟遊詩人ミンストレルの専門的なバフが役立つ。だから俺達はいつも二人で組んで、他には前衛と火力を迎えてボス討伐の連戦に望んでいた。MMO時代に、Skypeで指示をし合いながら連絡をした事があるのだが、その時聞いた声ともそっくりだった。まさか? そう考えていたら、リュートが俺の頭を撫でた。

「どうする? 俺はあのオッサン、あんまり好きじゃねぇぞ」
「俺はリュートと違ってそこまで嫌いではないが、そうだな……見物に行く準備はあるが――嘗てのシャムロックメンバーだろう? バジルとしては、どうなんだ? 既知じゃないのか?」
「あ、ああ、知ってる……本人なのか? やってたんだ……」
「あのオッサンは、VR版が出た日にVR側でもまた一から始めてた」
「そうだったのか……会ってみたいな……」
「バジルがそう言うんなら、俺も見物なら行ってもいいぞ。見物だけならな」

 そんなやりとりをして、俺達は、街に出かける事になった。
 俺が街に出かけるのは、この事態になってからは初めてである。
 雑踏を進みながら、俺は俯いた。かぶっていろと言われて渡された大きなフード付き装備はダボダボで、ちょっと歩きにくい。顔バレしてはいないのだが、何故なのか顔を隠すように俺は言われた。そしてそんな俺の手を、左右それぞれリュートとミスカが握っている。一人で歩けるのだが、視界がフードで遮られているから、転ばないようにという配慮なのだろうか。なお、本日の手錠の鎖の先はリュートである。

 しばらく歩いていくと、噴水の音が響いてきた。ちらりとフードの下から一瞥すると、水がキラキラと輝いていて、所々に虹が見えた。

「おお! 来てくれたのか。私は歓迎するぞ!」

 リュートが足を止めた。見れば――俺の嘗てのフレンド、ローレライがそこに立っていた。アバターと同じ茶色い顎鬚ですぐに分かった。跳ねている短髪と瞳も茶色だ。いかついのだが、スキルは繊細で、かけ直しもうまいのがローレライである。

「見に来ただけだ」

 不機嫌そうにリュートが返すと、立ち止まったミスカも隣で頷いた。

「なんだと!? それがランキング一位と二位の態度か!? 率先して攻略に望むべきだ! ランキング八位の俺が呼びかけること自体が、おかしいんだ。お前達がやるべきだ!」

 するとローレライが叫んだ。ローレライは直情的な情熱家である。なんだか懐かしくなって、俺はローブの奥で苦笑した。昔から正義感に溢れているフレンドだった。

「うるせぇオッサン」
「ランキングなど無関係だ。勝手にやっていろ」

 ズバッとそんなローレライの言葉を二人が切り捨てる。若干可哀想になってきた時、ローレライが嘆くように呟いた。

「はぁ……こんな時にバジルがいればなぁ……」

 その言葉に、俺は胸が痛くなった。今でも俺のことを覚えていてくれたのだとはっきりわかる。

「今のシャムロックじゃなぁ。三代目マスターのリュートがこんな体たらく。サブマスのミスカもやる気が見えん。バジルが今のシャムロックを見たら泣くぞ!」

 俺はローブの奥で目を見開いた。
 ――え?
 冷や汗が浮かぶ。そういえば……俺が今いるギルドの名前は、見えないように制限されている。

「うるせぇよ。兄に押し付けいなくなり、さらに俺に押し付けたレイトと比べられるだけで昔から吐き気がしたんだ。維持してやってるだけでありがたく思え」
「またまたリュート。知ってるんだぞ、私は! お前が昔からバジルに憧れていた事を! 当時は、レイトがいたから会わせてもらえなかったらしいがなぁ」
「黙れつってんだろ」
「それよりレイトから何か聞いていないのか? バジルの行方を。バジルは今、元気なのか? こんな状況だが、私はそれが未だに心配だ。いきなりいなくなったからな。この騒動にも巻き込まれていないといいが――いいや、もしいてくれたならば、百人力なんだが。ひっそりと復帰していたりはしないのか?」
「してるわけねぇだろ。引退したんだろ? もうこの話は止めだ。俺達は帰る。行くぞ」

 不機嫌そうに言い切ると、リュートが俺の手首を掴んで歩き始めた。
 黙って見守っていたミスカも頷き歩き始める。
 少し歩いて人ごみが途切れてから、俺はポツリと聞いた。

「あの、ギルド……シャムロックなのか……?」

 俺の声に、リュートが立ち止まった。そして俺のフードを取ると、じっと覗き込んできた。

「ああ。言わなくて悪かったな。お前の作ったギルドの成れの果てだ」
「――リュート。俺は、今のギルドを気に入っているし、バジルだって馴染んでる」
「ミスカ。お前は、嘗てのシャムロックの勇姿を知らないからそういうことが言えるんだ。偉大だったんだよ、当時からやってる俺なんかにとってはな」

 そう言うとリュートが俺を抱きしめた。

「だが――俺も今を気に入ってる。別のものとして、な。そこにはミスカがいて、そして何よりバジルがいる。今度は、俺が守ってやるんだ」

 ――今度は?
 首を傾げそうになった俺の後頭部に手を回し、リュートが胸に押し付けた。
 その温もりが好きだなと、何とはなしに思う。

 それから俺達三人は、ギルドホームへと帰った。そして情報制限が解かれ――俺はギルドの名前が、本当にシャムロックであると知ったのである。